26 呪術〇い▢ん
――第三者視点――
平安時代。
現代よりも人と闇とが、そして神が近くに存在し、魔術や呪術が科学と同様の扱いを受けていた時代。
なお、これは「魔法等が実在する」という前提で派生した可能世界の話であり、他世界に実在する人物や団体等とは一切関係無い。
根源の性質上、人間を含む世界は、良し悪しを別にして成長し続けるものである。
魔術で例を挙げると、知識や技術の積み重ねやそれを受継いでいくための体系の確立、それによって後進が先達に追いつきやすくなることだろうか。
さすがにひとりの天才ができたからといって、すぐに誰もが後に続けるわけではないが、それができたという事実と手本となる存在がいるのは非常に大きな助けになるのは間違いない。
そうして、魔術師は理論的には代を重ねるごとに強くなっていくはずだが、汎用性や効率性は上がっているものの、実力的にはほぼ横這いというのが現実だ。
これは、未知や神秘が身近にあり、魔力に対する受容性や耐性が高かった時代と、未知の多くが駆逐されて魔術が学問になりつつある現代との差である。
現在においては、魔術の多くは科学で再現できる。
むしろ、魔術よりよほど性能が高いものも多い。
完全に学問化してしまわないのは、現在の科学や兵器では駆逐できない闇が存在しているからで、それが絶滅、若しくは技術的なブレイクスルーがあれば、本当に魔術の歴史が終わる可能性もある。
もっとも、ユノによる正しい魔力の認識・運用方法が広がりつつある現在、「代を重ねるごとに強くなる」土台もでき始めている。
しっかりと継承していけることが前提となるため簡単なことではないが、上手くいけば魔術界におけるパラダイムシフトになるのは間違いない。
当然、これも上位根源が直接干渉した可能世界のことであり、他可能世界とは一切関係無い。
多くの世界で魔術の最盛期だった平安時代において、天才といわれる者は現在のそれとは格が違った。
現代では、4種の式神を使役する一条巴が神童扱いされている――現時点で最強格ということではなく、親の欲目や褒めて伸ばす方針などもあっての話だが、4種の式神を同時に使役できる魔力量を持つ彼女が才能に恵まれていることは間違いない。
最強の傭兵として真っ先に名前が上がっていたマーダーKも、能力は多彩だったが理解が浅く、領域展開には至らなかった。
日暮などのように、破壊力だけなら当時の天才にも引けを取らない者もいるが、領域展開できる者と相対すればさして意味が無いものになる。
現在では領域展開できる者の大半が「自称」でしかないため通用しているだけなのだ。
当時の最強格として有名なのは、安倍晴明だろう。
十二天将――神や神獣を式神として使役するのは有名な話で、領域展開にも至っていた正しく天才である。
そんな安倍晴明に呪術勝負挑んで負けたが、腹癒せに彼の妻を寝取った挙句に彼を殺害した男もまた傑物だったといえる。
男の名は【蘆屋道満】。
殺したはずの晴明にはいろいろあって生き返られ、逆に斬首された――が、何だかんだで彼も生き延びていた。
その後、道満は晴明への復讐を誓って各地を放浪し、その末に辿り着いたのが富士龍穴である。
当時の富士龍穴は、噴火を抑えるために創られた真っ当なものだった。
事もあろうに、彼はそれを奪い、私物化した。
ここで力を蓄え、いつか晴明に復讐するために。
◇◇◇
龍穴を占拠してから呪界を創造するまで、道満の能力をもってしても相当の時間がかかった。
どれくらいかかったかというと、安倍晴明が寿命で死に、自身も老衰で死ぬ一歩手前だったくらいである。
復讐が間に合わなかったのは悔しいが、敵の寿命まではどうしようもない。
それでも消えない恨みは彼の子孫に対して晴らせばいいと妥協することもできるが、それにも自身の老いへの対策は必須だった。
間に合ったのは奇跡か天命か。
いずれにしても、それからの彼は全てにおいて順風満帆。
肉体を若返らせる――というよりも、作り変えていく。
龍穴の力を効率よく吸収し、扱えるように――いずれはその力を完全に掌握できるように。
呪界は道満が「神」になるための蛹だったといってもいいかもしれない。
一方で、その野望の大きさゆえに、道満自身の自由は大きく制限されていた。
まず、呪界から出られない――といっても、出た時点で神化が完了してしまうだけのこと。
早く出すぎると腐ってしまうので論外だが、出ると同時に現実の富士山も崩壊すると予想されるため、再挑戦はできないのだ。
であれば、限界まで強くなっておきたいと考えるのが人情というもの。
もうひとつは、膨張を続ける領域への対策だ。
龍穴を独占するために、可能であれば完全に閉じるか圧縮したかったところだが、どちらも当時の道満の能力では――今もって不可能であり、この先も変わらないだろう。
そもそも、膨張を続ける領域も人間に制御できるものではない。
際限なく上がり続ける圧力を閉じ込められる容器を作れといっているのと同義なのだ。
それは無限の力を持っていなければ不可能なことであり、限界を超えた時点で爆発してしまうのが道理である。
しかし、ユノが推測したとおり、「人の魂を触媒に、仮想世界を重ねることで無限に膨張することを抑制する術」がなぜか奇跡的に上手く嵌った。
仮想世界を創ることで龍穴から湧出する余剰魔力を消費させると同時に、仮想世界の中に余剰魔力を閉じ込めて領域内の環境をリセットできるようになったのだ。
つまり、仮想ではあるが無限が作れたということにほかならない。
人の魂などというあやふやなもので、なぜこんな高度な術が組めたのかは道満自身にも理解できない。
生きた人間がそれほど万能な触媒なら、それを使った邪法がもっと世に溢れているはずなのだ。
皆無ではないことも知っているが、生贄を使うような呪術では「人を呪わば穴ふたつ」という言葉もあるように、反動が術者にも及ぶのは有名な話で、それを免れるために依り代を用意したとしても確実とはいい難い。
もっとも、理解が及ばないからといって利用しない手はない。
道満は、ひとまず富士龍穴の特殊性かと納得することにして、継続的に生贄を得られるような仕組みを作った。
それが「フジン」という集団の始まりである。
それも、力量に差があったものの、術者同士通じるところがあったからこそ成立したものだ。
――意図的に呪界外へ魔力を過剰に流し、呪界外の魔術師にそれを治める方法を探させる、あるいは呪界内に踏み込むように誘導させる。
後者は何度も上手くいくほど莫迦ではないだろうが、それで呪界が落ち着くことを理解させれば充分。
魔術師の感性なら、世界を救うための犠牲はやむを得ないと受け入れるだろう――と。
道満の企みはおおむね上手くいった。
とはいえ、直接的なやり取りができるものではないため、彼らを操って現実世界での情報収集や工作を行わせるようなことまではできないが。
それでも、フジンが生贄として送り込んでくる者たちの所持品から得られる情報もある。
衣服や時計などの物品から現代の技術力を垣間見ることはできるし、それによって利便性も向上する。
特に酒や煙草のような嗜好品、ポケットティッシュのような神も驚くような柔らかな紙には道満もニッコリである。
もう木片で尻を拭く生活には戻れない。
もっとも、ただのゴミが持込まれることの方が多かったが、領域内外の時間の流れの差で次から次へと送られてくるそれらは、彼の無聊を慰めるのに大いに役立った。
◇◇◇
そうして長い年月の末に、道満は「神」といっても過言ではない力を身につけた。
それでもまだ呪界に引き籠っているのは、更に上を目指せる予感があったからだ。
さすがに伸び率は微々たるもので、改造も手を付けるところが無い状態だが、僅かでも上があるなら目指すのが陰陽師というもの。
いわゆるレッツゴー陰陽師である。
そんな全てが順風満帆だった道満が、唐突に呪われた。
神に匹敵する力を持つ彼の呪界と呪詛返しを貫通して、耐え難い腹痛が襲ってきたのだ。
神であっても、生きるためには飲食が必須である。
であるならば、排泄も必然。
しかし、神として、誰も見ていないとはいえお外でぶちまけるわけにはいかない。
神威が便意に負けることなどあってはならないのだ。
道満にとって、安倍晴明に負けた時以上の屈辱で、無限にも思える地獄の時間だった。
呪いである以上、解呪できれば収まるのが必然だが、ケツを締めることに集中しなければ最悪の事態になる危機的状況で、術の行使どころの話ではない。
辛うじてではあるが、無事に厠に辿り着けたのは、改造強化した肉体と神としての意地だろう。
どちらが欠けても大惨事――いわゆる裂肛陰陽師になっていたかもしれない。
そうして、「いざ!」とばかりに袴を下ろしたのと時を同じくして、彼の傑作である「界重ねの呪法」が破られた。
一刻も早く原因を特定するか、これを機に呪界から出るべきなのだろうが、一刻を争うのは腹具合の方が深刻で、呪界どころか厠から出ることもできない。
いずれにしても、彼に選択の機会は訪れなかった。
更なる呪いが彼を直撃し、自由になった汚い呪いがフルバーストしてしまったのだ。
「んほおおおおおっ!」
鮮烈な苦痛と快楽に屈辱がトッピングされた未知の感覚に、道満の咆哮があがる。
「おのれぇ、くっっっ神となった儂にこのような屈辱うううっをっ……許さんぞ、晴明……!」
道満にとって、彼にこれだけの呪いをかけられる術者の心当たりは安倍晴明をおいてほかになかった。
晴明にとっては言いがかりにもほどがあるものだが、死人や弱者に発言権が無いのがこの業界の常である。
さておき、こうもはっきりと異変が現れる強力な呪いには、道満でも驚きを隠せない。
しかし、強力な割には効果が相応しくない。
彼の知る呪いはもっとあやふやなもので、徐々に相手を弱らせる程度のものである。
相手が弱ければ死に至ることもあるが、それが目的なら強力な式神か野良の妖怪でも使った方が楽で確実だ。
いずれにしても、これだけ強力な呪いであれば、道満を即死させるまでには至らなくとも、もっとダメージを与えることができたはずである。
悪戯ならともかく、この強さの呪いはそれで済むものではない。
腹痛では最悪でも尊厳的なダメージを受けるだけのこと。
それさえ免れれば、この手の呪いは悪いものを出し尽くせば呪いが弱まるものである。
現に彼のフルバーストは徐々に勢いを失いつつあり、心はこの呪いを掛けた者に対する復讐に向いていた。
「晴明め……! 今に見ておれ! 神となった儂の力、存分に味わわせてやるぞおおぉっ!」
などとイキる道満が、まだ災いは終わっていない――厠に紙が無いことに気づくまであと僅か。




