25 呪界
樹海を抜けた先にあったのは樹海だった。
更に先には富士山も見える。
もちろん、呪界に入り損ねたわけではない。
こういう環境の領域なのだろう。
……いや、領域は領域なのだけれど、結界的なものも感じるというか?
強くなりたいとか神になりたいというような意思は感じられるけれど、それがどうにもシステマチックというか?
何だかよく分からない気持ち悪さがある。
不愉快だね! 呪界だけに!
……とにかく、樹海にいるのが嫌で呪界に飛び込んだのに、またしても樹海である。
領域の主にはファッキューというほかない。
もちろん、これだけ魔力が濃ければ冬場でも活動している虫もいるだろう。
それが気持ち悪さの原因なのかもしれない。
さておき、この領域にはもうひとつ特徴がある。
それは、この領域がものすごい速度で膨張している――いや、物理的な速度だけではなくて概念的にも?
それが合わせ鏡の中の世界に、とでもいうべき感じで折り畳まれている。
あるいは「永遠」を作ろうとしたけれど上手くできずに、それっぽいものでお茶を濁したか。
私の創った世界樹とコンセプトは似ているのかな?
足りないものだらけで完成形が想像できないけれど。
それでも、気づかないと鏡の中の世界に囚われる。
というか、囚われたことにも気づかないだろう。
それと、何かの弾みで脱出できたとしても、現実世界ではここで過ごした百倍くらいの年月が経っていると思う。
私が朔に手伝ってもらって創った領域の逆バージョンとでもいうべきか。
出来は比較にならないくらいにお粗末だけれどね。
もしかすると、領域を自身の外に作ろうとしたのが原因かもしれない。
さておき、だからなのか、私の少し前に呪界に落ちたお爺さんの姿が見えない。
現実世界での時間差としては一分ほどなので、呪界内では一秒未満しか経っていないはずなのにだ。
もちろん、時間が歪んでいる領域内で空間的なあれこれを論じてもあまり意味がないのだけれど、そういう感じでもなさそうだし?
それでも、直感的なものでしかないけれど、きっと富士山頂――いや、火口の中かな? そこに行けば要石がある。
ただ、大抵の人は膨張し続けている領域に流され囚われて辿り着けないだろう。
さきの例えでいうと、呪界に入った瞬間に合わせ鏡の像のひとつに閉じ込められて、身動きどころか思考もできなくる。
もっとも、これは侵入者対策というよりも領域の維持目的のものだろうか?
領域を創ったら自然とこうなったとは考えにくいし、膨張し続ける領域を維持するのは結構大変――というか、世界樹でも無限ではない。
こんな出来の悪い領域で無限を創ろうとしたらあっという間に破綻するだろうし、定期的にリセットというかリフレッシュしようという発想になるのはありそうな気がする。
いや、でも、侵入者をトリガーとする維持システムはどうなのかな?
本命の維持システムは別にあるのかな?
とにかく、フジンの人が言っていた「人を放り込むと呪界が安定する」というのは事実だったのだろう。
現実世界では誤差レベルでも、呪界内部は驚くほどリフレッシュされていると思う。
そして、私の所感では、もう数百年くらいは放置していても大丈夫だったように思う。
私でも中に入らなければ分からなかったことだし、「悪魔の調査が悪い」とは言わないけれど。
それはさておき、いろいろ分かったところで引き返すわけにはいかなくなった。
なぜかって?
『壊れるね』
侵入者を核にして、次の侵入者を捕らえるための合わせ鏡にするようなシステムが、私のような遍在している存在を映すとどうなるか?
答えは「ひたすら合わせ鏡を作り続ける」でした!
仮想世界が光速に近い速度で増え続けている。
私を閉じ込めることはできないので空っぽに近い世界だけれど、これだけの数を重ねれば現実世界でもはっきり分かるくらいの変化が表れているはずだ。
しかし、これで問題解決とはならない。
むしろ、現時点をもって破綻した。
システムの処理能力は有限である。
地球の魔力を利用して構築された領域で、地球自体が有限なので当然のことだ。
合わせ鏡にしても、光の速度が有限なので無限は創れない。
そして、合わせ鏡の世界ひとつを創るにしても、維持するにしても、壊すにしてもコストが必要で、どこかが滞ると全体に影響が及ぶ。
するとどうなるか?
『今ある全ての仮想世界が崩壊して、その余波でパイモンの予測以上の被害が出るかな』
だそうだ。
こうなっては仕方がない。
呪界の中は地球ではないし――という屁理屈をもって制限を解除。
私の領域を展開する。
そして、破綻する寸前の仮想世界を――可能世界とは違って非常に脆いので、細心の注意を払ってひとつにまとめ上げる。
『お見事』
そうして出来上がったのが、初期化された呪界とソフトボール大の宝玉。
後者は富士山の魔石とでもいうべきか。
効能的には賢者の石レベル? 秘石には及ばないものの、人の手には余る物だと思う。
それと、これまでに呪界に落ちた、あるいは落とされた人々も解放された。
もっとも、こちらは異形化している――「人」だったものがほとんどである。
それらは理性とか知性も失っているようで、あちこちで縄張り争いだったり共食いを始めていて「うほおおお!」とか「ちぎゅあああ!」という勝利の雄叫びや断末魔が響き渡っている。
そんな中に、見知った顔が交じっている。
セーレさんだ。
「これは醜い。人間の醜悪さを煮詰めたような――は!? ユ、ユノ様!? こんな掃き溜めでも美しいとはさすがです! ――いえ、なぜここに!?」
辺りを見回していたセーレさんも私に気づいたようで、足取り軽く近づいてくるとごく自然に跪礼を執った。
こんな場所でもいつもどおり――ほかの人たちと同じく囚われていたのだと思うけれど、異形化もしないで自身を保っていたのはさすがというべきか。
というか、なぜ彼がこんな場所に?
湯の川でクリスマスの準備をしているのでは?
「こんにちは、セーレさん。貴方は湯の川で仕事をしていると聞いていたのだけれど?」
「はい、その予定です。ここの調査が終わり次第になりますが、ユノ様こそなぜこちらに? 私に何かご用でも――」
ああ、そうか。
セーレさんは呪界に入った時点で認識が止まっているのだろう。
そこから説明かあ……。
◇◇◇
「それはつまり、私は危険なところをユノ様に助けられたと」
「……うん、まあ、そうかも」
セーレさんが助かったのは運が良かっただけだ。
しかし、先ほどまでの呪界の状態を理解しておらず、それが私のせいで破綻したことにも気づいていないので適当に暈した結果、その部分だけが強調されてしまった。
どのみち「さすがユノ様」になるのだから、正直に話した方がよかったかもしれない。
「つまり、ユノ様は私の命の恩人で、私はその恩に報いる義務がある。ということで、この不肖セーレ、これよりユノ様のみにお仕えいたします!」
「え、いや、クーリングオフで」
「生ものですのでクーリングオフは利きません(※可能なケースもあります)!」
くっ、やはり失敗だったか。
悪魔のこういうところが面倒くさい。
有能なのは認めるけれど、油断も隙も無いからなあ。
「進退についてはこれでいいとして――」
「いや、よくないよ?」
「あの糞野郎、よくも嵌めやがったな……!」
頑張って口を挟んだのに見事にスルーされた。
さておき、パイモンさんがこの調査をセーレさんに割当てたのは、能力面からすると妥当だったといえるだろう。
追加で送り込まれた人員が見当たらない――異形化して猛威を振るっているあれらのうちのひとつがそうだとすると、異論を挟む余地が無い。
しかし、時系列的に考えて、セーレさんが失踪したと判断できる時点においても「湯の川にいる」と虚偽の報告をしていたのはどういうことか。
セーレさんは、「あの下衆は、ユノ様との契約を取付けた私を妬んで、どうにか失点させて評価を下げようと――あわよくば亡き者にしようとしているのですよ」と思っているようだ。
いくら悪魔とはいえさすがにそれはないかな――とは思うけれど、嘘を吐いていた理由も分からないし?
帰ってから追及――いや、放っておいてもセーレさんがするか。
魔装纏うくらいに激高しているし。
「私はこれから富士山頂に向かうけれど、貴方はどうする? 帰るなら、領域が膨張し続けているから――」
「いえ、お供いたします」
まあ、そう言うと思ったけれど。
というか、少し期待していたところもある。
その期待どおり、完全魔装状態になったセーレさんも私をエスコートしようと手を差出してきたので、その上にぴょんと飛び乗る。
やったね。
これで樹海の中を歩かなくて済む。
「こうしていると大空洞でのことを思い出しますなあ」
「……あれは思い出したくないなあ」
セーレさんが感慨深そうな感じで話題を振ってきたけれど、あのイベントはコレットと仲良くなれたこと以外は思い出したくない。
なので、やんわりと「思い出話には付き合わない」と意思表示しておく。
「それで、あれらはどうしましょう?」
切り替えが速い。
なお、セーレさんの言う「あれら」とは、異形化して猛っている人たちのことだ。
若干人の形を残しているのから、獣とか虫とか魚っぽくなっているのもいれば、それらが合体しているのまでいてバリエーション豊かである。
さすがに外に出すわけにはいかないけれど、呪界内に隔離されている分には無害か?
ただ、数が多い――ざっと数えて一万体以上いるのをどう判断するべきか。
呪界自体の合わせ鏡のような状態はひとまず解消されたけれど、それで何かが改善されたかというと「よく分からない」というのが正直なところ。
むしろ、領域自体がどこまで膨張に耐えられるのかが不明――処置した方がいいのかな?
まあ、要石とやらを確認してからの方がいいだろう。
それくらいの間はもつと思うし。
ただ、領域の見通しが良くなって、違和感の原因には気づいた――「強くなりたい」という想いは強くなったけれど、本気でそう想っていない、あるいは想わされている感じというか?
とにかく、領域の根本的な欠陥は改善していなくて、それを誤魔化すための仕掛けも無い。
あるいは、私が出ていけばまた復活するのかもしれないけれど、これだけの異形化した人たちを捕らえることができるかは微妙なところ。
それに、現在の縄張り争いというか淘汰が済めば、残った強いのが山頂というか要石を目指すだろうし、その結果が現実世界に与える影響を考えると――。
「間引きしようか」
これが妥当だろうか。
「御意。ですが、要石に影響が出ない方法でこの数をとなると、なかなか骨が折れそうですね」
「あ、そうだよね」
それはそうか。
屁理屈を捏ねての領域展開も二度目となると言い訳はできないし、そもそも気持ち悪いのも多いのでするつもりもなかった。
なので、大量破壊兵器でも使おうかと思っていたのだけれど、そういう懸念もあるとなると少し考えなくてはならない。
使い魔たちを呼び出すか――いや、彼らの武器は、度重なる改修で私の領域に近い物になっている。
なので、しっかりとした認識を持って扱わないと、呪界を傷付ける可能性がある。
もっとも、それは違う武器を持たせればいいだけのこと。
こんなときのために用意していた新武器――というか、航空機に搭載するようなガトリング砲を人が持てる――というか背負えるように改造した物がある。
普通の人間には持ち上げられないというか圧し潰されてしまうけれど、私や使い魔たちくらいのパワーがあれば運用可能。
もっと数が少なければ普通のマシンガンでもよかっただろうし、気持ち悪いのがいなければ近接武器でもよかったのだけれど、総合的に考えるとこのくらいが妥当だろう。
富士山に与える影響を考えなければ、以前使った小型の核爆弾が手っ取り早くていいのだけれど。
ということで、使い魔たちを召喚。
「はい、これを使って、異形化している人たちを処分して」
「これは……。ご命令に不満はありませんが、ユノ様より頂いた神器では駄目なのでしょうか?」
「あれは我らが独占できるユノ様であり、我らが一部でもあります! つまり、我らもユノ様ということ!」
「先輩らがイカれてるのはいつものことっすけど、私だとこれは持てないっす」
最近、使い魔たちが我儘に――というか、頭がおかしくなってきている気がする。
空っぽなのに。
これが“空即是色”とかいうものか?
しかし、マリアベルには中身があって、アドンとサムソンよりはマシに思うし?
というか、彼女は身長が足りないのと自身の頭で片手が塞がっているので、使えないのはそのとおり。
これに関しては私の配慮不足である。
「神器を使ってもいいけれど、この領域にダメージを与えないこと。返り血とかを浴びないこと。このふたつが条件。破ったらここに残していくからそのつもりで」
……とは言ってみたものの、罰則が無意味か?
領域を破壊されたら「残す」も何もないし、膨張し続けている領域から転移で脱出するのは難しいけれど、神器で斬ることはできるだろうし。
まあ、いいか。
多少言葉が足りなかったり条件に不備があったとしても、揚げ足をとるような子たちではないし。
「そっ、それだけはご容赦を! 我は死である前に、ユノ様の忠実な僕でございます!」
「我は既にユノ様の一部なのですぞ!? ユノ様から切り離されて生きていけるはずがないのです!」
「が、頑張って持ちますから、クビだけは勘弁してください! デュラハンだけに!」
あれえ?
思っていたのと違う反応が。
というか、マリアベルがガトリング砲を使うために頭部を諦めようとしている。
「あ、いや、無責任に捨てたりはしないから。それと、マリアベルには別の武器を用意するから――」
「「「ユノ様、ありがとうございますー!」」」
なんだか使い魔が使いにくくなってきたぞ?
……いや、きっとロケーションが悪いだけだ。
おのれ、こんな領域を創った古代人め。
改めて呪われるがいい!
ついでに災いあれ!




