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自覚の足りない邪神さんは、いつもどこかで迷走しています  作者: デブ(小)
第十八章 邪神さんと聖なるもの
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23 続・フジンの人々

――第三者視点――

 富士山北西部に広がる青木ヶ原樹海は、面積にして約三十平方キロメートル――東京ドーム換算で約642個、東京ディズニーランド換算では約59ランドとそう大きな物ではない。

 空を飛べる、若しくは転移魔法が使えるような者にとっては「ネコの額」といってもいいもので、迷う要素も皆無である。



 そんな場所で特定の地点に辿り着けないのは、人を遠ざける結界が張られているからにほかならない。


 この仕組みを作ったのは太古の術者だが、維持管理及び発展させてきたのはその時々の管理者たちで、現在では「フジン」と名乗っている集団である。

 その名の由来は「不死」が訛ったものとも、龍穴の力が「不尽ふじん」であることからとも諸説あり、長い歴史の中で彼ら自身にも分からなくなっている。


 それでも、彼らが平均よりも長寿ではあるが不死には程遠いこと、龍穴が不尽かどうかは分からないが制御できていないことはよく知っている。



 呪界から湧出している魔力に順応できれば――ただ魔力容量が多いというだけで身体能力が底上げされ、寿命も延びる。

 それが彼らの強さの秘密である。


 もっとも、ポーション類の過剰摂取で魔力酔いを起こすように、自身に合わない魔力を吸収しすぎると毒となる。

 そして、適性はともかく魔力の質は単純に遺伝するものではない。


 それを、長い時間をかけて呪界の魔力を吸収できるように改造する技術が、彼らのいうところの「馴化」である。

 ただの意地悪だけで若者に恩恵を与えていなかったわけではなかったのだ。



 しかし、馴化に成功したからといって、一気に強くなれるわけではない。


 馴化とは、究極的には呪界とひとつに――呪界そのものになることである。

 無論、人の身でそんなことができるはずもなく、限界を超えれば迷いの結界内にいる動植物のように異形化してしまうこともある。

 それを避けるための「試練」が用意されているのだが、魔力の質の問題と同様に許容量にも個人差があるので、事故をゼロにすることはできない。


 これが、すめらぎ御神苗おみなえに介入されたくない理由のひとつだった。



 また、一向に尽きないどころか日々強くなっている気配すらある呪界も悩みのタネである。


 他を圧倒できる力を独占していることに優越感はあるし、今更呪界が無い生活は想像できない。

 しかし、呪界が純粋に良いものだと考えている者はおらず、どんな形であれずっと続くとも考えていない。

 決して彼らも莫迦ではないのだ。


 そして、このままの調子であれば、尽きる前に破裂――と考えるのも当然のこと。

 御神苗に指摘された時も、「やはり」と納得するところも大きかった。



 それでも御神苗を頼れないのは、さきの異形化のほかにもうひとつの理由があったからだ。



 フジンの者たちは、呪界の安定化のために「生きた人」を呪界に放り込んでいた。


 何が切っ掛けか、いつから始まったことかも定かではないが、そうすることで呪界が沈静化するのだ。

 効果も期間もバラバラだが、ほかに効果があることは確認されていないため、思うところはあってもそうする以外にない。



 白羽の矢が立てられるのは、死に場所を求めて樹海に来た人たちが主となっていた。

 上手く彼らを誘導して放り込む。

 法的、倫理的には問題はあるが、彼らからしてみれば有効利用であり罪悪感は小さい。


 しかし、こればかりは安定供給できるようなものではない。


 したがって、時に浮浪者を食事で釣ったり、夜中に爆音を立てて暴走している迷惑な輩を捕まえ、数量限定の行列に割り込んでくるようなクズをさらい、彼らを「チー牛」と莫迦にしてきた集団をストーキングからの寝込みを襲って一網打尽、あるいは異形化した仲間たちをも呪界への供物とした。


 呪界から帰還した者はいないので、完全犯罪――疑われることはあっても嫌疑不十分となるはず。

 皇や公安にはバレたとしてもさほど問題にならない。

 むしろ、事の真相を知れば、進んで闇に葬ってくれるだろう。


 人身御供には思うところはあるが、人以外では効果が無いためやむを得ないと割り切るしかない。

 必要だから、やむを得ないから――を拗らせて闇堕ちする魔術師も多い中で、フジンはまだ良識が残っていた方である。


 しかし、一部の対象を供物にするとスッキリするのもまた事実。

 それは闇堕ちの黄信号だが、どう足掻いても犠牲が必要なら、スッキリする方がいいのでは? と開き直ることも必要なこと。

 それに、そういった息抜き的な行為は他組織でも多かれ少なかれあるものだ。

 彼らには大義名分が存在する分、他組織に口出しされるいわれはない。




 しかし、御神苗だけは介入させてはいけない。


 あるいは彼らなら本当に呪界の問題を解決できるのかもしれない。


 しかし、あれには理屈は通じない。

 敵対すれば終わる――民間人どころか太陽の化身に龍神まで殺すのだ。

 事の真相が知られれば、諸共に闇に葬られてもおかしくない。

 自分たちが看板に偽りある「不尽」だとすると、御神苗は正真正銘の「理不尽」である。

 御神苗のNHD襲撃は、上級国民理解させや百鬼夜行退治などを経て、想定以上の効果を発揮していた。



 そんな状況で、フジンの者たちが御神苗の介入を「フジンの終わり」と捉えるのも無理はない。

 それなら呪界と運命を共にした方がマシだが、「抗う」という選択肢は呪言を食らって動きを封じられた時点で消え、極炎を見た瞬間に希望も消えた。

 あるいは、彼らの御神苗理解度が一段上がったといってもいい。



 もう後がないところにまで追い詰められて混乱の極みにあり、そこで更に柳田に煽られたフジンの一部の者たちが暴走した。

 呪界の魔力による能力強化に「脳」が含まれていない――老化による機能低下によって、感情のコントロールが弱くなっていたことも原因のひとつかもしれない。


 事情はどうあれ、動いてしまったという事実は変わらない。

 そして、もう止まれない。



 フジン保守派の暴走は、3人の重傷者を出しながらも皇の清水を確保したところでひとまず収まった。

 殺害してしまうと御神苗に対する盾、若しくは人質にはできないので生かされているが、効果があるかどうかは微妙なところだと理解できるくらいには理性は残っている。

 それでも、無策で挑んでどうにかなる相手ではないため、「何でもいいから効いてください」と神頼み状態である。


 清水は「これ以上は彼らの精神がもたない」と察しているため、捕まった後は大人しくしている。


 柳田も、清水が無力化された後に無抵抗で捕まったが、その際に触れた者から彼らの心理状態を読み、「やりすぎた」と反省して大人しくしている。


 そして、これからどうするのか、どうすればいいのか、どうなるのか分かっている者はひとりもいない。



「お、俺は知らねえぞ! 御神苗に歯向かうなんて冗談じゃねえ!」


「皇だけが希望だったのに、それを襲うとか耄碌もうろくしすぎだろ!?」


「こんなところにいられるか! 悪いが儂は抜けさせてもらう!」


 この状況に耐えられなかった若者のひとりが捨て台詞を残して逃走を始めると、多くの者が――中には年配の者までがそれに続く。



「待て! 待つのだ! ここを出てどこに行こうというのだ!?」


 残された、あるいは出遅れた者たちにも逃げたくなる気持ちはよく分かる。


 しかし、逃げたところで身を寄せられる――御神苗から逃げた彼らを命懸けで受け入れてくれるところなどあるはずがない。

 逆の立場なら絶対に断る。

 むしろ、「巻き込むんじゃねえ!」とぶっ殺す。


 そして、一般人に紛れるにしても、御神苗や皇の情報収集能力を欺けるはずもない。

 それでは各個撃破されるのがオチである。

 NHDのボス対策でも、単独行動をしないというのが基本方針――御神苗の登場によって疑問が出てきたが、「転移直前直後には隙ができるので、複数人でいれば襲われにくい」というのが常識だったのだ。

 戦力が集中している所にも平気で転移してくる相手にどれだけ意味があるのかは分からないが、「ひとりではどうにもならないことでも、力を合わせればあるいは」と信じなければ心がもたない。



 結局のところ、皇に上手く仲介してもらうのが生き残るための唯一の道だった。

 もっとも、それも非常に難しい交渉になることが予想されていて、踏ん切りがつかず――御神苗の活動期間が公開されていたことも「それまで逃げ続ければワンチャン」と期待していたところのこのざまである。



 確かに皇に手を出したのは一部の者の勇み足だが、今となってはそれを責めるよりも一致団結しなければならない時である。

 しかし、保守派は戦闘能力こそ大きいものの人を惹きつけるカリスマなどは特に無く、御神苗という規格外を目の当たりにした後では戦闘能力のアドバンテージも無い。

 ここで争っても戦力を消耗するだけで、得する者は誰もいない。

 そもそも、逃亡を阻止したところで戦力になるわけでもなく、神頼みも神殺しの前では空しいだけで、ただただグダグダになっていた。

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