22 人を呪わば穴ふたつ
――ユノ視点――
パイモンさんに転移で連れてこられた場所は、富士山の北西部に広がる森林地帯――いわゆる青木ヶ原樹海、その遊歩道への入り口。
樹海と呪界をかけているのか、猪口才な。
……えっ、遊歩道?
「ここから呪界に行けるの?」
「申し訳ありません、ここから少し歩きます」
だよねー。
こんな所から簡単に行けるようなら大問題だろうし。
というか、何かの名所になっていてもおかしくない。
「呪界は異世界でいうところの迷宮なようなものです。溶岩洞のひとつがその入り口になっているのですが、特定の手順を踏まなければ辿り着けないように結界が張られています」
なるほどねえ。
「それで、その手順は?」
「全てこのパイモンにお任せください。では参りましょうか」
パイモンさんが私をエスコートするためか恭しく手を差出してきたので、少し考えてからその手を取る。
私はイブニングドレスでパイモンさんはタキシードなので、ポーズだけは様になっているけれど、行先は樹海なんだよねえ……。
絵面的には「これから心中」だろうか。
目撃者がいれば間違いなく通報されるね。
それよりも、時期的には少ないはずだけれど、どうしてもこういった森林内には虫がいそうな気がして気持ち悪い。
なので、手を引かれるよりもお姫様抱っこの方がよかったかも――やっぱり後々調子に乗りそうだから駄目かな。
まあ、もしものときには盾にできると考えよう。
◇◇◇
そうして樹海を歩くこと一時間くらい。
パイモンさんは、時折立ち止まっては何やら操作か解除かしている様子なので、迷っているわけではないと思う。
ちなみに、青木ヶ原樹海では磁石や電子機器が狂うとか、そのせいで迷って出られなくなるなどという噂があるけれど、ほぼ全てが俗説である。
この辺りは大昔に噴火があって、その時に流出した溶岩の上にできた森林である。
したがって、地中には磁鉄鉱が含まれている――それで方位磁石が若干狂うことはあるけれど、迷って出られなくなるほどではない。
そもそも、森林の中では木が邪魔で真っ直ぐに進むことができず、似たような景色ばかりだと方向を見失いやすいらしい。
つまり、充分な準備もせずに踏み込めば迷うというだけのことである。
実際に、陸上自衛隊富士学校のレンジャー課程の大部分は青木ヶ原で行われているそうだし、準備ができていればその程度のもの。
そもそも、事故とは森林や山とかだけでなく、海でも川でも町でも起こり得るのだ。
それぞれに必要な準備は異なってくるし、時として例外的な事故も起きたりするので万全は無いけれど、考え無しでも考えすぎでも駄目だということだろう。
……何の話だったか?
などと取り留めもないことを考えていたのは飽きたからだ。
完全に思考を放棄していないのは、突然虫が出てきても対処できるようにだけれど、そうして意識していること自体が気持ち悪い。
それでも、万一を考えると警戒を解くわけにはいかない――最悪は朔がどうにかしてくれると思うけれど、それは自衛を放棄する理由にはならないし。
そうして気持ち悪さを我慢しながら進んでいると、パイモンさんが何かの操作をすると同時に景色が一変する。
色彩的に鮮やかになった――というか、生命力に満ち溢れている感じ?
あっ、虫がいる! 溢れすぎ!
「呪界から漏れた魔力がこの辺りの環境を活性化させているようです。この影響は呪界に近づくほどに顕著になります」
魔力濃度が濃くなったことにはなんとなく気づいたけれど、それ自体は「気のせい」で済ませてもいいレベル。
しかし、よく分からない違和感……というか気持ち悪さが無視できない。
虫のせいだろうか……?
無視だけに!
「……えっ、まだ呪界じゃないの? というか、漏れているって、それは大丈夫なの?」
余計なことを考えていて、重要なことをスルーするところだった。
「基本的に、程度の差はありますが、どんな物であっても魔力を放出しています。例外は姿を消されたユノ様だけで、どんなに隠そうとしても存在している以上は漏れるものです」
「私だって姿を消していてもリリーにバレたりするし、例外ではないと思うよ。というか、『見る』とか『話す』って行為にも意思――魔力は宿るのだから、それでバレているのかもしれないし。それこそ程度の差ってやつだね」
「そうでしたか、勉強になります」
パイモンさんは悪魔のくせに意外と謙虚だったりする。
……いや、「ユノ様の使い魔になりたい!」ってのはグイグイくるし、謙虚とはまた違うのか?
「それにしても、リリー殿は優秀なのですね。将来、我々の研究に協力していただけると有り難いのですが」
そして、私の心を擽るツボをよく知っている。
それが分かっていても嬉しくなる私がチョロいのか、悪魔の手練手管が優れているのか。
「そう、リリーは頑張り屋さんで優秀。でもそれはリリーの意思次第かな。無理矢理は駄目だよ」
「もちろん心得ております。ですが、リリー殿が経験を積めばこのような異変も解析できるかもしれませんし、この能力を磨くことは世界にとってもリリー殿にとっても益となるはずです――といったところをプレゼンテーションする機会を頂きたく存じます」
「それならまあ、いずれね」
子供のうちから使命とか義務を課したくはないので、リリーが就職活動を始める頃になったらかな。
というか、学園も「様々なものに触れられる場」とか「同年代との触れ合いの場」として作ったけれど、決して義務にしたつもりはない。
そこで「やりたいこと」が見つかればそれでいいし、「やりたくないこと」や「合わないこと」が見つかってもそれはそれでいい。
なんだか少し方向性を間違った気がするけれど、湯の川では学力が無くても腕力が無くても、やる気さえあれば生きていけるしね。
しかし、湯の川で「なりたい職業」を子供たちに訊いた結果、「巫女」「騎士」「事務員」――と、学力とか教養、知性とか品性が求められるものが上位を占め、そのための授業を疎かにする子はいない。
なお、「事務員」の人気が高いのは、お城で働ける職業の中では競争率が低いからだそうだ。
また、「戦闘だとリリーに勝てないけど、勉強なら勝てるから」というような声もかなり聞いた。
リリーは、戦闘能力は桁違いで読み書きは並程度、残念ながら計算能力は低いので、総合力では多才なレオンくんに軍配が上がる。
それを認めつつも負けじと頑張る彼女が可愛くて可愛くて仕方がないのだけれど、基本的に余計な手は出さずに見守るだけに徹している。
彼女以外もそんな感じで、勉強が嫌いとか苦手でも諦める子はいない。
とてもいいことのはずなのに、目指しているのが「巫女」「騎士」「事務員」……。
湯の川の未来は明るいのか、それともヤバいのか、どっちだ?
……何の話だったか?
「分析というと、朔様も得意だと伺っておりますが……」
『この環境を分析して再現することならできるけど、ここからだと呪界がどんなものなのかは分からないなあ』
「朔様でもですか……。我々は呪界直前までは行ったのですが分析不能でして、更なる調査のためにやむを得ず、呪界内部に部下を送り出しました。ただ、内外で連絡できないことはよくあることですが、一か月以上が経過していまだに帰還せず、連絡も無し。事故が発生したと判断して救助用の使い魔を送り込みましたが何の進展もなく……」
『とにかく、呪界を認識できる所まで行ってからにしようか。それまでに分かってる範囲のことを報告してもらえるかな』
「かしこまりました。では――」
そうだ、呪界の調査の話だった。
といっても、現状は核心に迫るような情報は無いに等しい。
だからこその調査なのだけれど、分かっていいる範囲では、呪界は異世界での異界型迷宮のようなもので、調査に入った悪魔が戻ってこないことから危険度が高いと推測されることくらい。
ちなみに、本来は富士山自体が龍穴であると同時に天然の要石だった――といっても、当時は信仰も適当だったため、特別な効果などは無かったと思われる。
それが、一千年以上前の延暦噴火や貞観大噴火で「こりゃヤバイ」となって、当時の魔術師とか呪術師たちが山を鎮めるために新たな要石を設置したのが呪界の始まりらしい。
なお、悪魔たちの調査では肝心の要石は発見できず、恐らく呪界内にあるのでは――とのこと。
この状況が要石設置時の意図どおりなのかは分からない。
以降、江戸時代に起きた宝永大噴火まで噴火がなかったことを成果というべきか、抑えられなかったことを瑕疵というべきか、そもそもそんな先のことまで考えていなかったのかもしれないし、今となっては知りようがない。
現在からも分かることといえば、異界型迷宮が接点周辺に影響を与えることは珍しくないけれど、このレベルとなるとさすがに異常なことか。
いつからこんな状態なのかももう調べようがないけれど、当時の魔術師が未熟だったとしてもこれを異常だと思わないのはおかしいので、当初はもっとマシだったと思われる。
過去のことはともかく、呪界を迷宮のようなものとして考えると、千年くらい存続していることに関してはさほど不思議ではない。
異世界でもアルスの迷宮の例もあるし、迷宮核の性能とメンテナンス次第で、その十倍くらいはいけるとか。
しかし、この呪界ほど魔力が漏れ出している迷宮はほかに類を見ない。
むしろ、迷宮というよりは暴発寸前の魔石に似ているとのこと。
魔石の場合は属性ごとに効果が変わってくるけれど、単純に漏れ出ている魔力量から計算すると――というのが最悪のケースの根拠となっている。
異世界では燃料として重宝される魔石だけれど、少し加工するだけでそれ自体が魔法道具や兵器になる。
そして、扱いを間違えて怪我をする人というのはどこにでもいるものだし、それは魔石に限ったことではない。
「人間とは愚かな生き物ですからね、間違っていると理解しながら突き進むこともあります。これもその類のものだと思われますが……、全く困ったものです」
『それでこんなになるまで放置してたキミらも大概だけど。うちには被害出ないって言っておいて、身内に被害出してるようだとね』
「ははは、これは一本取られましたな。もっとも、あの者も常に『ユノ様のお役に立ちたい』と抜かしていましたし本望でしょう」
うん?
私の役に立ちたくて、呪界に入って消息不明になるのが本望?
どういうこと?
『あまりやりすぎないようにね。ユノ風に言うと、「いつか因果が巡ってくる」よ』
「心得ております」
朔は何かに気づいているようだけれど、パイモンさんは何か企んでいたのか?
というか、呪界に近づくにつれて虫が増えている気がするし、しかもヤバい感じに進化していて、そんなことを気にしている余裕が無い。
こんなのを調査とか正気の沙汰ではない。
昔の人はなんてものを作ってくれたんだ。
もう生き残ってはいないと思うけれど、せめて呪っておくか。




