24 三千鬼vs三戦姫
――第三者視点――
太古より存在している百鬼夜行だが、その存在理由や目的などは現在でも解明されていない。
判明しているのは、「遭遇すれば死ぬ」といわれているが、免れる術も多くあること。
また、人を殺すことが目的ではないようで、積極的に人を襲うこともない。
それも個々の妖怪ごとに差はあるものの、それより先に「百鬼夜行」としての性質が優先されるようで、少なくとも群れから離れて好き勝手をするような妖怪はいない。
結局のところ、不幸にも遭遇してしまった人が被害に遭うだけのこと。
ただ、人口密度の高い都市部などに出現した場合を想像すると放置はできない。
人口の増加や科学の発展に伴って都市部での闇の発生率は下がっているのが現状だが、それでもゼロにはなっていない以上、万が一に備えるのは当然のことだ。
現在では、綾小路家等の魔術師たちが行っているように出現場所をコントロールすることも可能になっているが、今回のような大量出現もあるとなると、やはり油断はできない。
ちなみに、今回の妖怪大量出現は、一部悪魔たちの暗躍が原因である。
日本でユノのサポートを行っている悪魔の大半は、「ユノ様ファースト」をスローガンに彼女の利益を最優先に行動している。
しかし、アクマゾン等の企業に所属している悪魔の一部には、その利益も追求している者がいる。
今回は、パイモンと彼の直属の部下が「ユノ様の出番を増やして差し上げねば」と、特に誰に頼まれたわけでも悪気すらもなく仕込んだものだった。
その結果は上々。
むしろ、ユノの能力を考えればもっと多くてもよかったのだが、「百鬼夜行」というカテゴリー内で昆虫系やグロテスクなものを除外するとこれ以上は望めない。
彼らに全く悪気は無いので、そういった配慮を忘れることもないのだ。
◇◇◇
綾小路らによる先制攻撃と同時に、彼らに帯同していた真由とレティシアの姿が消え、次の瞬間には彼らの放った魔術を追い越して妖怪たちと接敵していた。
そして、彼らの魔術が最大限の効力を発揮するよう妖怪たちを押し込んでいく。
一拍遅れて、次々と着弾する炎や氷などの多種多様な魔術群。
見た目には派手だが、着弾範囲は三千ほどいる妖怪群のほんの一角。
魔術師たちにとっては渾身の一撃で、猫羽姉妹のおかげで実力以上の効率を発揮したが、崩せたのは精々が1%ほど。
「……えっ? いつの間に!?」
「まさか、これが縮地――いや、縮地ってあんな長距離移動できる技術だったか!?」
「縮地っていうか、体当たりされたら死ぬやつやん。こっちの寿命のが縮むわ」
真由とレティシアの百メートル走のタイムは1秒前後。
スーパーカーも顔負けの加速力である。
当然、魔力で身体能力を強化してのものだが、異世界の勇者や英雄でもここまでの強化できる者は少ない。
アルフォンスは更にその上をいくが、姉妹の伸び代を考慮すると追い越されるのも時間の問題かもしれない。
「ただ速く移動しただけで、そんな大層なものではないですよ」
姉妹の速度は決して目で追えないものではないが、それは対象との距離が充分にある場合のこと。
魔術の行使に集中していた者たちが見失うのも無理はないし、それを「縮地」と勘違いするのも同様である。
もっとも、相手に反応される前に間合いを詰めることを「縮地」というのであれば、姉妹のそれも立派な「縮地」である。
しかし、相手に認識させないように間合いを操るユノからしてみれば、その言葉のとおりだ。
頭では反応はできなくても反射で身体が動くことはある。
彼女はそれも込みでの戦術の組立ても教えているが、より無防備な相手を攻める方が有利なことは説明するまでもない。
ただし、彼女のそれが高いレベルで成立しているのは、相手の魂や精神の状態が把握できる――下手な「心を読む」能力より性質が悪い能力のおかげである。
また、それは領域の構築や展開とは別系統の「根源に干渉する能力」であるため、その素質があったわけでも訓練を積んでもいない姉妹では、姉ほど自信満々に動けない。
ゆえに、姉妹は相手の反応を制限するために、ある程度単純な速度や腕力で押しているのだ。
「……それにしても、あんな密集地であれだけ動けるとは……。というか、後ろに目が付いているとかそういうレベルではない……」
「妖怪同士は連携してこないとはいえ、あの数ではそういう問題ではないはずなのですが、同士討ちを狙って動く余裕まであるとは……」
「一方で、おふたりの連携は凄まじいですな。約束組手や殺陣でもあれほど攻め込めないと思いますが……。尻尾の訓練を続けていれば、我々もああなれるのでしょうか?」
「もちろん――というか、まだ序の口ですよ。いつもより連携も甘いですし、どちらかというと力と速度で押していますね。百鬼夜行側に隙が多いのでどうにでもなっているのが現状でしょうか」
猫羽姉妹に実戦経験は無いが、訓練ではユーリ若しくはユノを相手に組み手を行うこともある。
それと比べれば、数しか取り柄のない有象無象は物の数ではないどころか逆に武器にできる。
また、対ユノ用の高度な戦術は、戦術の「せ」の字も知らない妖怪相手には無駄が多すぎる。
そうして妖怪基準に最適化していくと「レベルを上げて物理で殴る」状態になっていく。
さすがに治癒能力以下の攻撃を無視するとかダメージレースで競り勝つような戦術は採れないため、回避や互いのフォローはしっかりと行っているが、それもほぼ無意識でこなせる程度のこと。
特に、コンビネーションやミスに対するフォローはユノとの訓練での生命線である。
彼女くらいになると「階梯を上げて領域で殴る」くらいしか攻略法がなく、それに戦術で対抗しようというのだからコンビネーションの組み立てには気を遣うし、ミスも極力少なく、フォローも大事にしないといけない。
そうした常識では測れない苦労が、ふたりの生存能力を大幅に向上させていた。
小物の妖怪程度であれば特に必要が無い技術ではあるが、小さなミスでも蓄積していくと致命的な隙になると心身に深く刻み込まれているため、先が見えていない状況では手を抜かない。
それに、姉妹がいくら規格外の能力を持っていても、まだまだ精神的には未熟で実戦経験も無い。
ユノとの訓練では味わえない暴力の快楽はゲームのそれとは一線を画すもので、「つい力が入りすぎてしまう」くらいは可愛いもの。
パートナーが暴走しすぎないように気を配っていることで、それ以上がないのは充分以上である。
「しかし、本当に術も無しにここまで戦えるものだったのか……」
「だが、錫杖で霊体をぶん殴るには魔力強化は必須……。それも高等技術で、それとあのレベルの格闘技術の両立は非常に困難といわざるを得ない」
「格闘を例の尻尾操作で補えば――」
『魔術というか、魔法は使ってますよ。得物を魔力で強化してることも一応そうですし、攻防や立ち回りの全てがそうですよ。といっても、まだまだ未熟なので粗も目立ちますけど、こうして経験を積んでいけばもっと伸びるでしょうし、今のところは充分でしょう』
領域にも階梯の差は存在するが、「できる」と「できない」ではそれ以上の差が存在する。
拙いながらも領域を構築している姉妹に死角は無く、身体的な弱点も無い。
領域のことを理解できていない妖怪たちが姉妹にダメージを与えるのは困難――物量を頼りに魔力を削りきる以外にないが、回復手段があるうちは望みは薄い。
百鬼夜行として出現した妖怪の大半は、種としての性質や個々の性格が控えめである。
その理由はさておき、綾小路ら魔術師もそういう傾向にあることはおぼろげながらに理解していて、ほぼ確実に成功する先制攻撃などに活かされている。
ただ、攻撃してしまうと自我の乏しい妖怪たちも反撃を始めるため、後は各々の実力が試される。
当然、妖怪側にも自我を有しているものもいる。
そちらは例外なく大きな力と知性を有していることが条件で、「ぬらりひょん」とよばれる妖怪もその一体である。
ぬらりひょんの伝承には諸説あるが、有名どころとしては「妖怪の総大将」というものだろうか。
それが事実かどうかは重要ではない。
ただ、百鬼夜行が存在していて、その中にぬらりひょんがいるという事実に、綾小路ら魔術師たちが何を想ったかが影響しているのだ。
ぬらりひょん自体は悪性の妖怪ではない。
伝承では、忙しくしている人の家に勝手に上がりこんでお茶を飲んだりするだけだ。
しかも、それを誰も認識できない――と、被害どころか実在しているかも怪しいものだ。
しかし、実在していると仮定すると、その認識阻害、あるいは擬態能力は、敵対者にとって非常に厄介なものである。
姿が見えない相手との戦闘がどれほど難しいかは想像に難くない。
どんなに優れた魔術師や戦士でも、不意を突かれてしまうとその力を十全に発揮することなく無力化、あるいは殺害されてしまう可能性がある。
もっとも、それは最悪の場合を想定してのことで、実際にぬらりひょんに殺されたと推測される者は意外と少ない――が、それは安心材料にはならない。
そうして、対抗策として魔術による知覚強化や探知などの強化改良が進められているが、目立った成果は挙げられていないというのが現状である。
ちなみに、ぬらりひょんの能力は、「認識できない存在」としてある種の領域を構築していることによるものである。
ぬらりひょん自身も正確に認識していないため効果は限定的だが、それ未満の者が手を焼くのは当然のこと。
そして、ぬらりひょん――というより妖怪全般に共通していることだが、伝承等で触れられていない限り人間に対する特別な害意などは無い。
さすがに襲われれば反撃はするが、ある種の可能世界の住人である妖怪は、現実世界で討伐されたからといって本質的には影響が無い。
むしろ、妖怪の自己保存的に必要な要素は、人間からの信仰や恐れ、あるいは愛憎などの感情である。
基本的に、前者は存在としての格に影響し、後者は「個」として現実世界での存在が可能になる。
ゆえに、どちらかといえば、人間には生きていてもらわなければならない――人間に依存しているといっても過言ではない悲しき存在だった。




