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20 悪魔の誘惑

「お金を出してもらっている身で言うのもあれですけど、ユノさんってお金の使い方が大雑把すぎません?」


 二時間ほどあちこち回ってから休憩目的で入った喫茶店で、姫路さんがそんなことを言ってきた。



 確かに、ネコハコーポレーションの資金は社会に還元するために雑に使っているけれど、ここで使っているお金は私のポケットマネーで、特にそんなつもりはなかったので寝耳に水である。


 ちなみに、このポケットマネーは、夏休み中にあちこちで仕事をした報酬と略奪した物の売却益である。

 どちらも悪魔たちを通じてのものなので名目上のものでしかないけれど、所得を申告できるようなものでもないので全て現金で受け取っている。


 なので、この場合は「大雑把」というより「マネーロンダリング」が適切である。

 もちろん、公然と言えることではないので反論はしないけれど。



「そうですか? まあ、稼ぐのはともかく、上手く使うのは難しいですね」


「いえ、そういう深い感じの話じゃなくて、お得なキャッシュレス決済とかポイ活とか――そう、普通の意味で!」


 ああ、そういう意味だったか。


 もちろん、クレジットカードなども持っていて、使ったこともある。

 しかし、今は意識的に現金を使っていかないと減らないのだ。

 銀行などに預けるわけにもいかないしね。



「確かにキャッシュレス決済は便利だと思うけれど、現金にも良さ――というか、現金でなければできないこともありますし」


「もちろん災害時とか、平時でもキャッシュレス決済に対応してないお店もありますけど、お得な方を使うのが普通ですよ」


 ああ、もしかすると、アルが昨晩言ったこと――「普通」を教えようとしてくれているのか?


 気持ちは有り難いけれど、いくら私でもそれくらいは知っている。

 むしろ、姫路さんの知らないことまで知っていると思う。



 世の中には、ただのポイントカードでも「おっ、お嬢ちゃん、ポイントがいっぱいになったから次回は500円引きにさせてもらうぜ! それと、これはおっちゃんからのサービスだ。気持ち程度の物だけど、贔屓にしてもらっていつもありがとうな!」などと言って婚姻届を渡されることもあるのだ。

 特に、カードを作る際に個人情報の登録が必要な物はその部分が記載されていることもあるので、扱いに注意しないといけない。


 そして、そうなった時には洗脳や記憶操作をしなくてはいけなくなるので、小銭と引換えにするには非効率的なのだ。



「私には『普通』は難しいのかもしれませんね」


「そんなことは――いや、でも、ユノさんが特別なのは事実だし、そこを認めてからでないと――」


 そのあたりの事情をありのまま話すわけにもいかないので適当に煙に巻こうとしたのだけれど、姫路さんが葛藤を始めてしまった。


 しかし、それもすぐに中断される。




「ふざけんなよ! これまで俺がいくらお前に貢いだと思ってるんだ!」


 私たちから少し離れた所にいた年配の男性が、連れの若い女性に向けて声を荒げた。


 その内容からすると痴話喧嘩だろうか?


 まあ、「喧嘩するほど仲がいい」ともいうし、感情が揺れるのはそれだけ本気なのだと思うけれど、時と場所は選んでもらいたいところだ。



「そんなの知らないわよ! っていうか、あんたみたいなオヂがあたしみたいな若くて可愛い女の子と付き合うのにお金がかかるのは当然でしょ! いい夢見させてあげたんだから感謝してほしいくらいよ!」


 相手の女性も負けじと言い返す。


 これも言い方はどうかと思うけれど、経済力も魅力のひとつだと思うので、言いたいことは分かる。


 当然のことだけれど、現実とはとても現実的なので、愛とか希望だけでは生活はできないのだ。

 それは姫路さんのお母さんも証明していることで、お金の使い方には問題があったけれど、娘を愛していなかったとかそういうことではないらしい。



「若くて可愛いだと!? そういうのはあっちの娘らを見てから言え! 特に銀髪のあの娘に比べたらお前なんかゴミだぞ! クソ! マジであっちの娘に課金しときゃよかった!」


 おい、止めろ。

 こっちを巻き込むな。


 相手の女性だけじゃなくて、ほかのお客さんたちまでこっちを見ているじゃないか。



「――っ! ――――――――――! 莫迦ぁ!」


 そして、相手の若くて可愛い女性もこっちを見ながら何か言い返そうとワタワタしたものの上手く言葉が出なかったようで、代わりに罵倒の言葉と拳が出ていた。



 しかし、それは悪手だと思う。

 語彙ごい力の無さはともかく、パンチ力が足りない。

 全く腰が入っていないことに加えて狙いも悪い――あれでは大して効かない。

 物理的なものだけでなく話の筋も通っていないし、恐らく相手を怒らせるだけだ。



「ぐおっ、やりやがったな! ――もう我慢の限界だ、ぶっ殺してやる!」


 これが痴情のもつれか。

 そして始まる人情劇ではなく刃傷沙汰。

 まさかこの目で実際に見る時がくるとは。



 それはそうと、素人の喧嘩はただでさえ加減が分からない人が多いのに、刃物まで持ち出すのはよくない。



「ユ、ユノさん」


 姫路さんも怯えている。

 もっとも、昨日の今日でのこれでは無理もないのかもしれない。



大事おおごとにはなりませんので大丈夫ですよ。それと、さきの話の続きですけれど、こんな時でもお金があれば安心です」


「えっ、これをお金で解決するんですか?」


「いえ、解決はしません」


 解決どころか、別の事件が起きる。

 迷宮入りするけれど。



 とにかく、口頭で説明する時間の余裕は無さそうなので、早速行動に移る。



 まずは伝票の金額を確認するふりをしながら小銭を取り出しつつ、防犯カメラの位置を確認する。

 後者の方は特に問題にならないと判断して、遅ればせながら刃物を出した男性に気づいて驚くふりをしながら小銭をぶちまける。


 それと同時に、テーブルやら身体やらの死角から十円玉を指で弾いて撃ち出して――男性の脇に命中。



 こんな感じで、硬貨が物理的な飛び道具として使えるのは当然として、使い方次第で紙幣やカードもちょっとした刃物の代わりにもなる。

 もちろん素手で攻撃した方がよほど効率的だけれど、特に指弾は動作が小さいので、他人の目がある所などではできると便利な技術である。


 それに、低威力低精度だとしても、クマくらいなら充分に撃退できる――というか、した。

 回収しなくていいのなら虫退治にも使える――妹たちに見つかると怒られるけれど、とにかく、現金には電子マネーではできない使い道があるのだ。


 ちなみに、今回はかなり加減したので骨折くらいで済んでいるけれど、神経が集中している部位らしいので症状以上に痛いと思う。

 ついでに、“喧嘩両成敗”という言葉もあるので、女性の方も攻撃しておいた。

 「お金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあるけれど、



 こうして、気がつけばひと組のカップルが脇腹を押さえてうずくまっている状況が完成した。


 もちろん、誰にも犯行の瞬間は見られていないし、防犯カメラにも映っていない。

 事前の演技で小銭が散乱していてもおかしくない状況な上に、肋骨はくしゃみでも折れるくらいに脆い物だし、あざもまあ、適当に理由をつけてくれるだろう。

 つまり、完全犯罪の達成である。



「今のうちに逃げましょうか。あ、お勘定はここに置いておきます。お釣りは結構です」


「え、え? は、はい! 愛の逃避行ですね!」


 ……姫路さんはまだ少し混乱しているようだけれど、手を差し出すと迷うことなく取りにきた。

 とにかく、今は逃げの一手。

 やり逃げというと聞こえが悪いけれど、確かに楽しいものだ。


◇◇◇


――第三者視点――

 莉奈にとって、昨晩からのユノとの時間は至福のひと時だった。


 ゲストルームを宛がわれて一緒の布団で眠れなかった――あわよくばあんなことやこんなこともと期待していただけに落胆したところもあるが、母や実家の件を差引いても幸せだった。

 むしろ、際どいところで母の暴走をとめてくれたことには感謝しかない。


 その恩に報いるためにも、普通ではない彼女が普通に過ごせる手伝いをしようと決意した。

 単純な好奇心や疑問も多いが、詮索しないのもそのひとつである。



 しかし、それでは価値観の違いは埋まらず、お金の使い方程度のことでもなかなか難しい。


 財布の中に大量の現金を入れ、「棚のここからここまで全部」などという豪快な買い物は女子高生のそれではなく、昭和の成金である。

 むしろ、キャッシュレス決済に慣れている現代の店員にとっては、セルフレジの取扱い上限を超えるような高額現金決済は嫌がらせに近い。



 莉奈はそういったところからやんわりと指摘していこうとしたが、ユノの金遣いの荒さは物理的な側面もあったりして――しっかりと視認したわけではないが、下手な演技と状況からそう判断せざるを得ず、逆に理解が及ばない。


 それでも、結果としては「最悪」を阻止していることもあって、結局何が何だか分からなくなった。

 そうして、「可愛いからいいか」と一周してきたところである。


◇◇◇


 夕方になってマンションに戻ってくると、莉奈のための部屋が用意できているとのことで、彼女は「夕食の準備をする」というユノと一旦別れることになった。


 少しばかり寂しくもあるが、この半日全力で推しを堪能していたので疲れているのも事実――頭ではまだまだイケるのだが、身体が言うことを聞かなくなっている。

 これが思考能力にまで影響を及ぼすようになると、理性を失った獣になってしまうかもしれない。

 少なくとも、「いろいろと助けてもらっているのに信用を損なうまねはできない」「ヤるなら合意の上で」と考えていられるうちに引くのがケジメだと諦めた。




 莉奈に用意された部屋は、独りで住むには広すぎるものだった。


 それ自体は、「日本でのユノの生活をサポートすると同時に有事ライブに備える」という目的上、多くの悪魔たちが利用する詰め所としての役割を考えるとどうしようもない。

 ひと柱でも多くの悪魔を現実世界に止めるために、キッチンやバスルームなどを共用化することでその分を居住スペースに回すことは合理的な考えだった。

 悪魔にもプライバシーという概念はあるが、それよりも優先されるものがあっただけのこと――むしろ、どうしようもないのは悪魔たちの浅ましい性根の方である。




 しかし、悪魔がそんな貴重なスペースを莉奈に提供したのはただの善意からではなく、相応の目的があってのことだった。


「さて、姫路莉奈さん。我々から貴女にひとつ提案があります」


 物件内の案内や説明も一段落したところで、その役を任されていたパイモンが彼女に提案を持ちかけた。



「そう身構えないでください。まず誤解のないように言っておきますが、ユノ様が貴女に見返りを求めているわけではありません――強いて言えば、貴女が何者になるのかを楽しみにしているだけでしょう」


「……ユノさんになら何を求められても差出すつもりですけど、とりあえず、聞くだけ聞いてみます」


「そんな貴女にうってつけの取引ですよ。なに、我々にユノ様のプライベートな時間の様子を報告してくれるだけでいいのです」


「……はあ?」


 パイモンの瞳に邪悪なものを感じて身構えてい莉奈だが、あまりに意外な提案に思考が停滞する。



「そんなの私が知りたいですよ」


 そのせいか、咄嗟とっさに本音が出た。



 一方のパイモンはそれを聞いて非常に満足そうに、そして邪悪に微笑む。



「その機会はこちらで作りましょう。もちろん、ユノ様の事情に配慮した上での話になりますが」


 莉奈にとって、それは正しく悪魔の誘惑だった。

 それでも、旨い話には裏があるのではとギリギリのところで踏み止まる。



「我々はユノ様に仕える立場にありますが、心情的には貴女と同じなのですよ。ユノ様に心穏やかに、楽しく過ごしてもらいたい。そんなユノ様を愛でていたい――それだけなのです。ですが、我々は契約上の制約でユノ様のプライベートに踏み込めません。というよりも、我々が踏み込めばプライベートではなくなってしまいます」


 ここを機とみたパイモンが莉奈の共感性に訴えかける。



「それに、貴女が協力してくれれば、ユノ様をより長く日常に繋ぎ止めておけるのです。――どうです? お願いできませんか?」


 そして、とどめとばかりに「ユノのことを想って」という感じで方便を操る。


 とはいえ、パイモンは嘘を言っていないし、莉奈にもそれは分かる。


 ただし、「ユノを日常に繋ぎ止めておく」ことが良いこと――だというのは彼女の思い込みである。

 彼はその是非についての判断はしていないし、「ユノのため」などとも口にしていない。

 話の流れと、彼女の察しの良さを利用して、そう思い込ませるよう誘導したのだ。


 これが悪魔のやり口である。

 といっても、ほかの候補者の存在をちらつかせたり、母のことなどを持ち出さないあたりは良心的だったが。



「……分かりました。それがユノさんにとっていいことで、恩返しになるなら」


 パイモンの話を額面どおりに受け取れば、「主人想いの部下の老婆心」だろう。


 しかし、姫路には「何がどう」とは言えないが疑念が消えなかった。

 少なくとも、この程度のことならばわざわざ「提案」などと言わないはずなのだ。



「もちろんです。そして、貴女にとっても。これを渡しておきましょう」


 満足げに微笑むパイモンが、莉奈に部屋の物とは別のカードキーを手渡す。



「これは?」


「このマンション1階にある、我々の宝物庫――通称『驚異の部屋(ヴンダーカンマー)』の鍵です。きっと貴女も気に入ると思いますよ。さて、カードキー以外にも手順や作法がありますのでご案内しましょう」


「……はい、お願いします」


 昨日のこともあって、莉奈は「宝物庫」という言葉に少し警戒感を覚えた。

 あの大量の現金やその入手方法などを想像すると、あまり良いイメージは湧いてこない。


 それでも、ここまできて「ついていかない」という選択肢は無い。

 どのみち、ユノや彼らの助けがなければ今の彼女はないのだ。

 パイモンからは犯罪の匂いがプンプンするが、毒を食らわば皿までと覚悟を決めた。


◇◇◇


 カードキーでの開錠の後、複数の生体認証を登録、過剰なまでに消毒された末に辿り着いた部屋は、莉奈にとっては正に驚異の部屋だった。


 壁や天井一面に貼られたユノの高精細な写真に、本物に限りなく近く中身が気になる着せ替え人形。そして、使用済みだと思われる品物の数々。


 犯罪かどうかは微妙なところだが、情状酌量の余地があるのでギリギリセーフ。

 むしろ、同じ志を持った者同士、心情的には惜しみない称賛を送りたいところである。


 同時に、パイモンの意図を察して警戒を解いた。

 彼は実家と一緒にコレクションも燃えてしまった彼女に配慮をしているのだと。

 そして、「力を合わせてこの驚異の部屋を更なる驚異で満たそう」と誘ってくれているのだと。



「どうです? なかなかのものでしょう?」


「感動しました。これだけの物を集めるのは相当苦労されたでしょう。私もお役に立てるように頑張ります」


「素晴らしい! ――では、ひとつアドバイスを。ユノ様は努力する人を好みます。勉強でも、アルバイトでも、何でも構いません。無茶にならない程度にやってみるといいでしょう。そうすれば、時折甘えることくらいは許されるはずです」


「分かりました。ありがとうございます!」


 もっとも、パイモンには「莉奈のため」などという目的は一切無い。

 これは徹頭徹尾自分自身のためで、最終的にはこのコレクションの大半を独占するつもりでいる。


 彼女が誤解するのも計算のうちで、もしバレたとしても「いい思いもできたでしょう」と開き直るだけである。



「ご健闘を」


 パイモンは便利な手駒が増えたことに内心でほくそ笑みながら何食わぬ顔で莉奈に手を差出し、彼女と固い握手を交わした。



 なお、莉奈の「ユノの私物収集能力」はパイモンの想像以上だったが、「まずは私自身の驚異の部屋を充実させてからです。あそこのは持ち出しも使用もできないんですから当然でしょう?」と提供を拒否されて「ぐぬぬ……!」となるのだが、それはまた別の話である。

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