18 悪魔の罠
「私は何者にもなれる」
姫路莉奈には自信があった。
そんな彼女が目指していたのは「役者」という職業だった。
本格的な演技指導などはまだ受けたことはないが、勉強も運動も音楽も――努力すれば大抵のことは高いレベルでできるようになった。
演技が例外になるとは考えられない。
少なくとも、表現力や表面的に取り繕う能力には人一倍の自信があった。
莉奈が過剰な英才教育の数々を受けていく中で身につけたものだが、彼女は他人の望んでいることを察したり、更には嗜好や思考を読むことに長けていた。
当然、相手が望む「姫路莉奈」を演じることなど造作もない。
ネコを被り続けるのも楽ではないが、多くの人からの賞賛や愛されることと引換えなら悪くはない。
妬まれたりなど良いことばかりでもないが、学園内カーストの上位にいれば実害は無い。
そして、それらは役者として非常に大きな武器になる。
上手く活用できれば、ヒーローでもヒロインでも悪役でも、どんな役でも演じられる。
当然、舞台の、あるいはテレビや銀幕の中でのことだが。
さすがに現実世界でやるには足りないものが多すぎる。
もっとも、大国の大統領だったとしても映画に出てくるスーパーヒーローにはなれないことを考えると、恥じるようなことではないが。
しかし、それを現実の世界でやった者がいるのだ。
窮地にあった莉奈を救ったのは間違いなく白馬の騎士である。
さらに、本人曰く「世が世なら王女」とヒロイン力も抜群。
そして、裏社会の人間が恐怖する悪の組織の女幹部――それ以上の地位にあり、国家権力すら忖度させる。
創作だと「リアリティの欠片もない」とボツにされること必至である。
「私はユノさんになりたかったんだ」
帰りの車中で、母と話し合うべき事柄を考えていた莉奈がそんな結論に至っていた。
この事件において、莉奈の母が想像以上に莫迦だったことは間違いないが、その理由や背景はいくら考えてもさっぱり分からない。
とはいえ、聞いたところで理解できる気はしないし、折り合いがつかずに莫迦を強行されると、自立できていない莉奈には対処できないことも多い。
そういう意味では、莉奈の母に凶悪な縛りを課したユノの措置は非常に効果的だったといえる。
少なくとも、「御神苗」を知る組織の中で「姫路」はブラックリストに載ることになるのは間違いない。
そして、彼らの影響力を考えると、莉奈の母にできる愚行の幅は大きく制限される。
ついでに、表社会の真っ当な組織が莉奈の母に協力することはない。
そもそも、そこで相手にされなかったのから裏社会に頼ったのだ。
これ以上は病院か刑務所くらいしか行き先がない。
しかし、客観的には、将来の目標が「ユノになりたい」というのは母に負けず劣らず頭がおかしい。
莉奈にとっては充分な理由がある目標だが、他人には理解できない類のものだという認識もある。
幼い子供がニチアサのヒーローやヒロインになりたいと言うならまだしも、成人手前の女性が同級生になりたいなどと本気で言うと即入院を勧められるレベルだろう。
少なくとも、本人の前では絶対に言えない。
それ以前に、「なりたい」といってなれるものでもない。
莉奈の観察眼でも、ユノが何を考えているのか分からないし、何を求めているのかも分からない――というより、欲らしい欲が見えない。
それだけなら、人間性の欠如しているつまらない人間、あるいは意思のない人形になってしまうところだが、それを補って余りある何かがあるため、むしろ神聖な印象を受ける。
それも、そこらの宗教家や聖地などとは一線を画すレベルのものである。
どう考えても個人の才能や努力でどうこうできる類のものではない。
「だったら、せめてユノさんの影になろう」
そうして悩んだ末に至った結論がこれである。
何がかは分からないが末期だった。
観察眼が優れていたがゆえの不幸――あるいは人間が階梯を上げるための第一歩かもしれないが、現状の人間社会では理解されない考えである以上、やはり不幸なのだろう。
もっとも、当人が「不幸」だと感じていなければ、他者がどう思っていようが関係無い。
事情はどうあれ、自力ではどうにもならない悪夢のような状況から助け出してくれたのがユノである。
大きなストレスから解放された直後の夢見心地な状態で、いろいろな想いが混ざり合って閃いた――莉奈にとっては天啓のようなものだった。
それは彼女の中では全てがひとつに繋がっているため、何も知らない他人に何を言われたところで愚にもつかないものでしかない。
もっとも、そのためにどうすればいいのかまでは彼女自身も分かっていないが、これまで以上に努力するのみだ。
◇◇◇
そうして静かにやる気に燃えていた彼女たちが姫路家に着くと――盛大に燃えていて辿り着けなかった。
出火からそれなりの時間が経過しているようで、現場では消防車や救急車が消火や救助作業を、そして警察が道路を封鎖している。
「わ、私が考えたんじゃないですよ!? あいつらが、多少なりとも回収するためにって――まさか、本当にやるなんて!」
莉奈の母の慌てようを見るに、ろくでもない理由があるのは明らかだった。
ユノたちとしても、多少であれば各方面に顔が利くものの、ここまで派手なことをされると大きな借りを作ることになってしまう。
「まさか、火災保険を当てにしたのでしょうか? 普通は抵当権が設定されている物件なら質権も設定されているはずですが――家財の方での小銭稼ぎでしょうか?」
「それで回収できる額など微々たるものでリスクと見合っていませんが――まあ、罪に問われるのが貴女だけなら問題無いということでしょう」
悪魔たちが柿木企画の企みの大部分を一瞬で見抜く。
というより、パイモンは直前の調査でこの計画のことまで知っていたが、とある理由があって報告せずにいたのだ。
そして、セーレもそれを知りつつ黙認している――が、旗色が悪くなれば彼を売るつもりである。
「そんな!? あいつら、そんなことはひと言も――。私、どうなるんでしょう!? 逮捕されるんですか!? そんなことになるなんて知らなかったんです!」
「ママ、本当に何をやってるの!? 家を燃やすとか正気なの!? 信じられない!」
そんな悪魔たちの推理に、莉奈の母が酷く狼狽する。
自身が逮捕される可能性については聞いていなかったので当然といえば当然なのだが、保険金詐欺が犯罪であることは一般常識の範疇である。
また、「法の不知はこれを許さず」というのも有名な言葉である。
知らなかったでは済まされない。
捕まるよ、マジで。
一方で、莉奈が激怒しているのは母の常識や良識の無さ――ではなく、これまでコツコツと蒐集してきたコレクションの焼失についてだった。
ユノの後をつけ回し、何かあるたびに甲斐甲斐しく世話を焼く――それと同時に戦利品まで手に入れる手腕は悪魔たちからも賞賛されるレベルである。
勘が良い方とはいえないユノでも、さすがに強引すぎたり下心を見せすぎたりすると違和感を覚えて警戒する。
彼女は極めて自然な演技でそれを掻い潜れるのだ。
当然、精神の状態も認識できるユノを演技力だけで騙すことは不可能だが、彼女の場合はユノといるだけで有頂天なので変化が認識しづらく、「世話好きが世話を焼いて喜んでいるのかな」くらいに思われていた。
「困りましたね。ここまで浅慮ですと、このまま解放するのは考えものかと……。だからといって、我々が監視しておくわけにもいきませんし――ここはさきの柿木にでも面倒をみさせてはどうでしょうか? 無論、娘さんの方まで預けるわけにはいきませんが」
そこに悪魔たちが仕掛けていく。
「娘さんの方は――この時期からひとり暮らしというのも現実的ではありませんし、うちのマンションを一室空けて、卒業までそこに住んでいただくというのはどうでしょう?」
ユノは悪魔たちの意外な提案に違和感を覚えたが、その内容には「一理ある」と素直に認める。
はした金欲しさに家を燃やすような母親と、抗う術の無い娘を一緒にさせておくのは不安しかない。
だからといって、悪魔たちの言うように監視し続けるのも現実的ではない。
それに、家事には手間と時間がかかるのは彼女もよく知るところで、ひとり暮らしとなるとその全てを負担しなくてはならなくなる。
進路の心配が無い彼女とは違い、受験を控えた莉奈に押しつけるのは「支援する」と言った手前もあって心苦しい。
そうなると、悪魔たちが何かを企んでいるとしても、却下するだけの理由が無い。
何より、当の莉奈が非常に喜んでいて、既にそうできる雰囲気ではない。
「とはいえ、すぐには用意できませんので、今日のところはユノ様の所に泊まっていただいて――」
「いいんですか!?」
パイモンが押し切ろうとしたところに、思わぬ流れに興奮した莉奈がアシストを決める。
こうなると、対案を持たないユノに拒否することはできない。
「……では、それで。細かいところは任せます」
「「はっ」」
こうして、状況を巧みに利用した悪魔の企みが進行していく。




