17 帰還不能点
――第三者視点――
ユノたちが帰った後の柿木企画事務所内では、いろいろな意味での後始末が行われていた。
麻婆焼きそばを頭から浴びせられた柿木がシャワーを浴びているのもそのひとつ。
そして、身綺麗になった彼が出てくると、新たな後始末が始まる。
「……お待たせして申し訳ありません。ですが、ケジメ付ける前にいくつかお聞きしても?」
ヤクザにとって、親が「白」と言えば、黒い物でも白くなるのが道理である。
柿木にとって、若頭が頭を下げていたのでそれに倣っただけで、この結果には納得していない。
ユノたちの本性を少しでも見ていれば違ったのだろうが、一瞬で制圧されたことも含めて常識の範疇。
分が悪くても、「喧嘩は気合でやるものだ」と考えている彼にとって、何もせずに引き下がるのは屈辱以外の何物でもなかったのだ。
彼が上の言いつけに背いたことも事実だが、それはこの世界で名を残そうという上昇志向ゆえのもの。
違和感を覚えながらもユノに吹っ掛けたのも、それに加えて、不意打ち気味とはいえあっさりと制圧されてしまったことに対する反発だった。
そして、その判断を今でも間違っていたとは認めたくなかった。
彼に「ヤクザは舐められたら終わりだ」と教えたのも上の者なのだ。
「まあ、そうだな……。やはり詳細は話せんが、裏社会に生きてる俺らでも――いや、裏社会にいるからこそ手を出しちゃいけないものがある。といっても、本当にヤバいのはそう多くないんだが、あれはそん中でも特別にヤバいところでな」
「ヤクザはイモ引いたら仕舞い――生き方だけじゃなく、死に方にも拘るもんだって教えてくれたのカシラじゃないっすか!」
柿木が聞きたかったのは、そんな弱腰の一般論ではない。
もっとも、言葉にした加賀も「説得力ねえなあ」と思っているが、基本的には体験しないと理解できないことである。
そして、体験させると怖気づく者も少なくない。
ヤクザとして命を懸ける覚悟はしていても、銃も毒も爆弾も効かない化物を相手にできるかと問われると、「そういうことじゃねえんだ」となるのだ。
「……堅気は当然として、同業相手ならそうなんだけどな。で、ここから先はヤクザの世界じゃねえ。聞いたらもう引き返せねえぞ」
「俺はこの世界でのし上がって名を残したいんですよ。覚悟なんざとっくにできてます!」
加賀にしてみれば、数えきれないほど聞いた言葉である。
そして、次に聞いた言葉は、「俺、もうこの世界でやっていく自信が無いです」だ。
最近では組長までもが口にしていて困り果てている。
特に、さきの観月会の後は酷かった。
それまでは少し血腥いファンタジーだったものが、誤解の余地が無い「死」が出現したのだ。
最早ゲームでもファンタジーでもない。
その圧倒的な死の前では夢や希望もファンタジー側だった。
「そういう野心的なのは嫌いじゃねえんだがなあ……。でもな、名を残したいんならなおさら気をつけなきゃいけねえ。ヤクザ――つうか半グレの延長みたいな奴らだが、『団藤』って知ってるか?」
「ええ、盆にBBQやってたらガス爆発でボーンってなってこんがり焼けたって笑い話になってましたね。それがどうか――まさか!?」
団藤家で起きた惨劇は、公安の懸命の情報操作などもあって、関心が無い者にはすぐに忘れ去られる、あるいは彼らの素性を知る者には十年は語り継がれるような笑い話になっていた。
しかし、その話がこの場で持ち出されたことと、さきの制圧された時の手際の良さが合わさって、柿木の中でひとつの可能性が浮上した。
「まあ、噂だがな」
もっとも、それは加賀でも理解できない――というよりも、信じたくない部分がある情報だった。
戦っても勝てないことと、戦えないことはイコールではない。
特に、団藤程度の家格で御神苗の素性を知っているとは考えにくく、応戦しない理由が無い。
しかし、戦闘が発生していれば銃声や怒声悲鳴などの騒音が出ていたはずで、ロケーションや時間的にそれを聞いた人もいるはずだ。
そうだとすると、報道されているような内容での隠蔽は無理がありすぎる。
あるいは暗殺された可能性もあるが、時間帯と被害人数を考えるとそれはそれで信じたくない。
少なくとも、加賀たちのトラウマにもなっている「死」を使っては不可能――あの圧倒的な存在感は暗殺には不向きだと考えている。
気配を消せる可能性が無意識に除外されているのは、それでは「世界の理」そのものだと本能的に理解しているからかもしれない。
「噂じゃないわヨ」
そこに、日暮がラーメンを食べる手を止めて口を挟む。
「!? 日暮さん、知ってるんですか? いや、ここではまずいか」
加賀にとっては非常に興味がある話題だが、まだ柿木に聞かせるべきかの判断ができていない。
むしろ、自身が聞くべきなのかもじっくりと考える必要がある。
「ええ、本人から聞いたのヨ。『内緒ですよ』って言ってたけど、バレても開き直るつもり――あんなに心が籠ってない『内緒』は初めて聞いたワ。そりゃあ、公安も情報操作に協力するわよネ」
日暮もそれを察して、御神苗の手段については語らない。
ちなみに、ユノは興味が無いものに対して「何も考えていない」、若しくは「余計なことを考えている」ことが多い。
ただし、そんな時でも自然体で全くブレないため、人によっては「余裕」や「挑発」しているようにも見える。
さらに、口に出すことを忘れていたり、朔が勝手に話していたりもするので、相手には非常に高い理解力が求められる。
「公安って――っつうか、今更なんですけど、こちらの方は?」
「うちのお得意さんの客分――という扱いになるのか……? まあ、日暮さんだ。今はそれ以上は訊くな」
「あら、つれないワネ。でもいいワ。この子、あまり好みじゃないし」
「……可愛げが無くてすんませんね。これでも人間の雌にはモテるんですがね」
「おい、止めろ! その人も手ぇ出したら駄目な人だぞ! ――ヤクザが相手にできるのは人間だけなんだよ! 銃も毒もミサイルも効かない化物に切った張ったはギャグにしかならねえんだよ!」
「……?」
加賀の取り乱す様子に柿木は混乱した。
確かに日暮の風体は異様だが、さすがに銃や毒やミサイルが効かないようには見えない。
ゆえに何らかの比喩だと察したが、何の比喩かが分からない。
「あら、化物だなんて失礼しちゃうわネ! でも、よおく覚えておきなさい。綺麗な花ほど棘があるものなのよ」
「「……?」」
加賀と柿木は混乱した。
御神苗がどうかは別として、目の前の怪異が綺麗かどうかは議論の余地がある。
むしろ、筋肉的にキレッキレで、棘というより瘤である。
「本当に失礼ね! 肉体美だって美しさのひとつでしょうに!」
「す、すみません。それは理解してるんですが、あまりにカテゴリーが違うんで脳がバグっちまいまして……」
「俺は逆にあの娘が危険だって方がピンときませんがね。いや、確かにボディーガードの方はプロっぽかったですけど……特に、『パイもん』とか名乗ってた奴はヤバい感じがしましたけど、マジで何者なんだ」
「『パイモン』――有名な悪魔の名前ね。ふふっ、彼女なら本当に悪魔を従えてても不思議じゃないわネ」
「……うっ」
「どうしたんすか、カシラ!?」
日暮の冗談めかした言葉にトラウマを刺激された加賀が、立っていられないほどの心と身体の痛みで蹲った。
「ごめんなさいネ。さすがに無神経だったワ。あれはアタシでもチビりそうになるくらい怖かった――実際に漏らしてた子も多かったしね。でも、アンタが狙われてたわけじゃないんだし、あんなのが何人もいるわけじゃないんだから、もうちょっと肩の力を抜きなさい」
「……それは頭では分かってるんですがね。というか、あの人ってネコハと関係あるんですよね? うち、何度かちょっかいかけてるんですけどね? あんたらの指示で。……うちの前にこの辺仕切ってた組が潰れたってのも、もしかして物理的になんじゃないんですかね? そう考えちまうと、ろくに眠れねえんですよ」
「てへっ」
「全然可愛くねえし笑えねえよ!」
この曰くのある地域に新たに進出してくる組織の多くは、ネコハコーポレーションを狙う上級国民などの手先、あるいは息がかかったものである。
九鬼組もそのひとつで、過去にはネコハコーポレーションに手を出そうとしてユーリに返り討ちに遭っている。
ただ、その詳細は当時の恐怖及び彼の家族や悪魔たちの記憶操作や洗脳によって暈されていた。
また、ユーリ(ユノ)の方も彼らのことを覚えていない。
生来の異常な忘れっぽさもあるが、彼(彼女)にとって、敵対している、あるいは解散に追い込んだ組織の名前には興味が無かったのだ。
彼(彼女)にとって重要なのは有害か否かである。
有害な組織をひとつ潰したところですぐに新手の組織が進出してくるようではキリがないし、それを記憶しておく意味も無い。
そうして、「活かさず殺さずで存続させれば無害化できる」と気づくまでに数多の組織が潰されたのだが、当人は「終わり良ければ総て良し」とご満悦である。
客観的には記憶操作や洗脳に奔走した関係者がMVPだが。
「そう言われても、その当時はアタシはいなかったし、アンタたちにも相応の報酬や恩恵もあったでショ。というか、アンタらみたいな有象無象を消すのに過去のことなんか持ち出さないわヨ。何かするならその場でヤる――アンタも運が良かったわネ。アタシたちが出てこなきゃどうなってたことやら」
突然水を向けられた柿木だが、御神苗が恐れられている理由などが分からないため、いまだに納得できないところがあった。
法を無視するところがあるのは彼らの業務に口を出さなかったことからも窺えるが、人殺しに何の躊躇もないどころか公安に忖度させるなど、冗談にしても性質が悪すぎる。
何より、それが事実だった場合、まだ清算していない件があるというのは非常にまずい。
そんな柿木の葛藤はすぐに日暮たちにも伝わり、彼は再び中華に塗れることになった。




