26 デビル日暮
「アナタ、なかなかやるわね。操糸術なんて実際に見たのは初めてだわ。それもまさか、あの土方が力で敵わないなんてネ。珍しいもの見せてくれたお礼に、たっぷりと可愛がってあげるわ。でもその前に、せっかくだから名前を教えてくれるかしら?」
「……」
先に口を開いたのは日暮だった。
それに対するユノの返答は無い。
なお、挨拶くらいはした方がいいと悩んでいたが、変装している意味が無くなっては困ると朔に諭され、堪えている状況である。
「あら、残念。……まあ、無口な子も嫌いじゃないけど、そんな子を力尽くでってのも嫌いじゃないのよネ」
「……」
それで日暮が気分を害した様子はなかったが、意趣返しのつもりだった脅迫でユノが動じなかったことには不満を覚えていた。
日暮も、その言葉ほどユノを舐めてはいない。
そもそも、ユノの操る糸が見えるといっても、悪魔の眼を借りてやっとというレベルだ。
むしろ、それでも頻繁に見失うそれは、悪魔の力を上回る隠蔽の力が働いている証拠である。
さらに、単純な腕力ではナンバーワンの土方を封じ込めるだけの力がある。
つまり、その糸は呪具、あるいは神具である――と、彼や彼と契約しているこの世界の悪魔は当たりをつけた。
そして、現状では「脅威は糸の方で、本体はおまけ」と考えていたのだ。
それに、上手く言語化はできないが、違和感もある。
最初に感じたのは土方が力負けした時。
大神が上下に分割された時は油断していて見逃したが、土方の時は一部始終をつぶさに観察していた。
交戦場所は校庭の中央。
屋内や障害物の多い場所で、死角や糸を架ける対象が多数存在しているのであればまだしも、見通しも良く、糸使いには不利に思える環境である。
そもそも、ここで最も丈夫な校舎を利用していたとしても、土方の力なら校舎ごと粉砕できるはずである。
それを、「受け流した」ならともかく、「受け止めた」のは全く理屈が分からない。
もっとも、彼や悪魔がどれだけ頭を捻っても「世界にアンカーを打ち込んでいる」など気づけるはずもない。
次に違和感を覚えたのは、ユノが彼のいる屋上に登ってきた時だ。
日暮の眼にも、屋上のフェンスに糸が架かったのは分かった。
ただ、それより先に跳んでいたように見えた。
もっとも、跳んでから糸の力で身体を引き上げるパターンもあるだろうし、何かを見逃したパターンもある。
しかし、彼女が昇ってきた軌道から、前者は否定せざるを得ない。
この校舎より高い位置には糸を引っ掛けられるような物が存在していないため、落下防止用のフェンスを飛び越えるのは不可能なのだ。
糸がゴムのように収縮したのだとしても、人ひとりを屋上まで持ち上げるだけの負荷がフェンスに掛かるはずである。
そして、飛べるなら糸を架ける必要が無い。
いずれにしても「不自然」としかいいようがない。
なお、糸はただのカモフラージュで、純粋な脚力で跳び越えたなど考えもしない。
しかし、それも何かの勘違いだと無理矢理納得した。
少なくとも、対峙した状況で考えることではない。
現状では、はっきりとはしていないが違和感がある――油断禁物だと気を引き締めなければいけない。
何より、最大の違和感は対峙してからにあった。
まだ自身の方が格上だと考えている日暮でも、魔力を練って循環させてと、戦闘準備状態にある。
いくら力の差があったとしても、不意を突かれると思わぬ痛手を被ってしまうため当然のこと。
土方のような異常な身体能力を持っていても、寝込みや疲労困憊なところを襲われると、銃程度でも殺されるおそれがあるのだ。
それが、狐面の少女には何も無い。
そもそも、「準備」とはこの瞬間だけを指すものではない。
組織に所属するのも個人でできることには限界があるからで、マーダーKのような一騎当千の強者でも、実際に世界を敵に回すようなことはできなかった。
日暮がここまで強くなれたのも、上級国民から資金面や生活面に研究設備等の支援を受けることで、研究や訓練に没頭できたからだ。
現状に不満が無いわけではないが、つまらない意地を張って短い人生を浪費するより、今あるものを精一杯利用してステップアップを目指した方が建設的なのだ。
それを、狐面の少女は足蹴にした。
戦いに臨む姿勢どころか、組織に所属する意味すら理解していない――自由な少女に、首輪を付けられた彼が憤るのも無理はない。
社会を舐め腐っている小娘に理解させてやらねば――と考えるのも同様である。
一方で、ユノからしてみれば、いろいろと好き勝手に言われるのは慣れたものだ。
しかも、ろくに魂も籠っていないような言葉に揺さぶられるようなことはない。
攻撃してくれば対応するだけで、それまでは「語りたいことがあるなら語らせておけばいい」というスタンスである。
むしろ、今回の作戦目標は「敵の殲滅」ではないため、条件を満たすまでは聞く――聞き流す以外にない。
「そうね、ごめんなさい。今のアタシたちは敵同士で強者同士。だったら、語るのは言葉でではなく力で。アタシとしたことが――長らく強者と出会えていなかったから、鈍っていたのかしら?」
「……?」
ユノとしては、ひとりで話し続けて勝手に納得されても困惑するだけである。
「ここまでに随分糸を使っちゃったみたいだし、せめて先手は譲ってあげるわ。アナタの力、存分に見せてちょうだい!」
日暮としては、生意気な小娘に挫折と屈辱を味わわせるために必要なことだったが、受け身で対応するつもりだったユノとしても困惑が増すばかりである。
糸を消耗品だと思われていることはともかく、そんなことをすれば、さきのふたりと同じ展開にしかならないのだ。
元より、ユノには「傭兵は当然として、上級国民にも分かりやすい形で力の差を示す」という目標があるだけで、細かいところはノープランである。
魔術師や異能力者だけなら領域を展開してみせれば充分だが、一般人にも分かる領域となると、特に朔の能力で展開するものは非常に刺激が強いものになるおそれがある。
操糸術なら見栄えがいいかと試してみたものの、ユノがやると彼女に合わせてしっかりと最適化されるため、多少遊んだとしても効率的に――地味なものになってしまう。
朔がユノの身体を操るにも、領域下でなければユノのような超精密操作はできない。
それに、ただ操作しただけでは感動は生まれないのは証明済みである。
最悪は、相手の攻撃を凌ぐことで実力の証明としようとしていたところを、先手を譲られてしまった。
つまり、日暮に手を出させるためには、彼を殺さずに、いい感じに認められる程度に実力を示さなければならなくなったのだ。
当然、ユノにそれができるなら、最初からやっている。
それが難しいから苦労しているのだ。
ある意味では最高の先制攻撃だった。
とはいえ、ユノは切り替えの早い女である。
それに、朔に「糸は見た目が地味な上に、人間には危険すぎるね」と指摘された時点で、代替手段にも目星を付けていた。
ユノが「攻撃しますよ」という合図の意味も込めてゆっくりと腕を振るうと、日暮の足下の校舎が音も無く切断されて崩れる。
ゲーム開始前に、「校舎や設備の至る所にカメラが設置されているので、必要以上に壊すな」と命令されていたが、話を聞いていない彼女には関係無い。
日暮も、上級国民の命令をこうも堂々と無視する図太さと、一切の振動を感じさせずに鉄筋コンクリート造の校舎を切断した技量には驚きを隠せない。
そのせいで、糸の動きは目で追えていたにもかかわらず、ほんの少し反応が遅れてしまった。
もっとも、そのまま崩壊に呑み込まれてしまうほど鈍間でも虚弱でもないが。
日暮の背から、コウモリに似た巨大で禍々しい翼が振袖を突き破って出現すると、その巨体が宙に浮かぶ。
ユノとしては、翼を持つ人型生物程度は異世界の悪魔や悪魔族などで見慣れている。
しかし、人間が――しかも日本で、性自認が女性らしく化粧と髭の剃り跡が濃い筋骨隆々とした男性が、更に振袖が破れて着崩れを起こし、その下から荒縄で縛られた屈強な肉体が露わになって恥ずかしそうにしているとなると困惑を隠せない。
こんなに属性過多なのは、魔界でもそうお目にかかれない。
もっとも、驚きはしたものの、攻撃の手は止めていない。
ユノは崩れ落ちていく大小様々な瓦礫を糸で掴むと、日暮目がけて投げつける。
流星錘のように糸で掴んだままにしないのは、彼に回避や防御ができる機会を与えるためである。
日暮はそれを悪魔の翼で空を飛んで躱す、あるいは悪魔の拳で破壊しつつ、情報収集を試みる。
まず、少女が校舎の屋上には上がれていて、空に上がった彼には投擲で攻撃していることから、糸の射程は二十メートル以下だと当たりをつけた。
また、糸自体は見えにくいものの、速度の方は大したことがない。
最初に足場を崩したのも、彼を確実に捕らえるための布石だと考えれば納得もいく。
巨大な瓦礫を事もなげに投げるパワーや、一切の振動もなく校舎を切断する切れ味はすさまじく、捕まれば彼もただではいられないだろう。
しかし、射程内に入らなければ危険度は一気に下がり、追いかけてこないことを考えると、空を飛ぶ手段が無いことや機動力はさほどではないと推測できる。
ただ、少女の能力に見当がつかない。
身体能力の強化だけでは糸をこれほど操ることはできないだろうし、魔術や異能力にしてはその気配を感じない。
ギリギリ推論として成立するのが、「この少女はただの憑代で、本体はキツネの面である」というものだ。
キツネ――特に「銀狐」といえば、神の使い、あるいは神の化身の象徴である。
糸との関連性は不明だが、その銀の毛を――御神体を使っているのであれば、この性能の高さにも納得がいく。
それなら、大神を治療しようとしたことや野村の送り出した増援を拒絶したことなども、「善狐」ともいわれるその性質にあるのではないかと推測できる。
少なくとも、このデスゲームは日暮から見ても悪趣味――「悪」そのものだ。
彼のような強者であれば、能力の実験や強化などの恩恵もあるが、実験材料にされる者たちからしてみれば――彼らが社会的にはクズだったとしても許されることではない。
もっとも、日暮たちのような魔術師や異能力者はそんなことは理解している上で、強くなるためには必要なことと割り切って参加している。
神や仏であっても譲るつもりはない――と、またひとつ理解させる理由が増えた。




