25 キツネの討ち入り
「ふふ、キツネ狩りとは洒落が利いていますね。さて、あの可愛らしいお嬢さんはいつまで逃げられるでしょうか」
「能力者の確保は我々でもひと苦労ですからなあ。キミには荷が重かったのかもしれない。とはいえ、こういう趣向もたまには悪くない」
「くくく、案外、【土方】のような特異能力持ちの一般人かもしれませんよ? いや、さすがに土方レベルはないか」
ユノがフィールドに向かうためにその場を離れると、上級国民たちは早速マウント取りに精を出し始める。
上級国民たちに、彼女を警戒対象だと認識している者はいない。
資産や権力は腐るほどある彼らだが、個人レベルの戦闘能力や魔力についての知見まではない。
それらは彼らに仕えている魔術師や異能力者を通じての判断になるが、その上で「大した能力者ではない」という意見で一致していた。
もっとも、どれだけ注意深く観察したところで、神や悪魔をも欺く彼女の擬態を人間が見抜くことはまず不可能である。
また、所作の美しさも体幹の強さなどとは別のところにあるため、違和感は抱いても強さには結びつかないのだ。
そして、それは詳細を明かされていない公安の協力者である上級国民についても同じで、彼やそのコレクションの反応も、その判断に説得力を与えていた。
ゆえに、彼らは全力でマウントを取りに行く。
「せっかくですので、ひとつ賭けでもしませんか? 彼女が何分もつか――なんてどうです?」
「ははは、それでは賭けにならんでしょう。そんなことをして鬼の諸君にあまりやる気を出されると、あっという間に終わってしまう」
「うむ。久々の見世物なのだから、もっと長く楽しませてもらいたいものだね」
「それなら、【野村】君の残りの手駒も全て参加させてはどうかね? 結構いい勝負になるのではないか?」
「……その必要は無いですよ。彼女だけでも、充分に皆さんを楽しませてくれると思いますから」
ほかの上級国民に何を言われても、弱気なところを見せたり、下手に認めてしまうと今の地位を失いかねない協力者は、ただ虚勢を張ることしかできない。
この観月会の獲物に選ばれた時点で後がなかった彼にとって、公安の提案は最後の希望だった。
公安が何を考えているのかを探る余裕も無かったが、提案を拒否しても破滅が待っている以上、それに縋るしかなかったのだ。
「ふふふ、大した自信だ。そうなることを私も願っているよ」
「くくく、そんな素晴らしいコレクションをどこで手に入れてきたのかね? 伝手の無い私にも教えてもらえないだろうか?」
「本当にいいのかい? グズグズしていると羊の数も更に減って、【日暮】も動けるようになってしまうよ?」
上級国民のひとりが言ったように、生贄の数が減ってフラッグを守る必要が薄くなると、最強のコレクションが動き出す。
日暮は様々な悪魔と契約していて、一時的に悪魔の力をその身に宿して力を行使できる魔術師である。
彼は元より高い魔力を持っているおかげで攻撃力・防御力に優れている上に、消耗を考えなければ複数の悪魔の能力を同時に使うこともでき、更に特殊能力も豊富――と隙が無い。
持ち合わせていないのは、ファッションセンスと彼の体力に付き合える恋人くらいのもの。
不足分のうち、上級国民の力で解決できる部分は補ってくれるためこのようなくだらない余興にも従っているが、本来は戦いが――弱い者虐めは好きではない。
彼はただ、戦いも、恋も、全力でぶつかれる相手を探して、精進を続けた結果強くなりすぎてしまっただけの愛の悪魔である。
そんな日暮が屋上から校庭を見下ろすと、狼男の【大神】がAパーツとBパーツに分割されていた。
やったのは巫女服に狐面を被った銀髪の少女。
得物は恐ろしく細い糸――というところまでは分かったが、彼女自身の髪だとまでは分からない。
ユノが髪を使って操糸術をしているのは、先日のアバドン戦で糸が武器になることを知ったのと、糸の扱いには人一倍心得があったこと。そして、アイリスが「織物の中に体毛を混ぜる――むしろ、体毛のみで織るのが尊いんです。ツルの恩返しだってそうでしょう?」と言ったことが合わさった結果である。
それはさておき、ユノの強くしなやかで透き通るような髪は、操糸術との相性が抜群だった。
さらに、彼女の銀の髪は夜の闇を映し、物理的な視認性を著しく阻害する。
そもそも、神の髪を使ったそれは紛れもなく領域操作で、正しく神技である。
大神を捕捉したユノが、彼を取り囲むように髪の檻を展開すると、獲物を見つけた彼は深く考えずに見えざる神の領域に飛び込んできて、ものの見事に上下に分割されてしまった。
とはいえ、その程度の負傷は強い生命力を持つ人狼にとっては致命傷にはならない。
それどころか、止めを刺されなければ数分もあれば再生する。
その「止め」にも、弱点である銀製の武器などが必要になる――が、特に魔術師は銀製の武器を携帯していることは珍しくないため、実際には絶体絶命のピンチだった。
もっとも、再生が一向に始まらないのがそもそもの問題で、大神は当然として、手加減を誤ったユノもとても焦っていた。
「な、何をやった!? あの女は何をやったのだ!?」
「……恐らく操糸術です! それも、すさまじく訓練されてる!」
「しかも、大神の再生能力を封じる効果もあるのか……!」
「おっ、おい! あの娘、大神のお腹を縫い始めたぞ! 石とか砂とか、すげー異物を巻き込んでるけど、『赤ずきん』の再現か何かか!?」
「……野村さん、貴方、とんでもないのを連れてきましたね。それでも、土方には通じないでしょうが」
「ああっ! 土方が拘束されて吊り上げられたっ!? 止めろ、乱暴する気か!?」
「なぜ羊まで拘束している!? ――指名手配されていたロリコンを殺した!? 気持ちは分からなくもないが、ルールを聞いていなかったのか!?」
「野村さん、あんた本当に何を連れてきたんだ!?」
「クックックッ、くろまて――」
「おい、ボス! しっかりしてくれよ!? っていうか、俺たちにも説明してくれよ!」
離れた場所で、現場の各所に取り付けられているカメラから送られてくる映像でその光景を見ていた上級国民たちには何が起こったのか理解できなかった。
彼らのコレクション内における大神のランキングは「中の中」程度だが、一方的に撃破された上に玩具にされる異常事態である。
さらに、ランキング上位の土方ですら、彼女に触れることも敵わなかった。
それも、上級国民たちの視点では、コレクション一の剛腕で殴りかかった彼が、弾力の強いゴムに押し返されたように弾き返され、きりきり舞いにされたまま体勢を立て直すこともできずに無傷で捕獲されたのだ。
傍目にはコントにしか見えない。
その上、囮とするべき羊までをも拘束して、ランキング1位の日暮を挑発している。
これまでに下剋上がなかったわけではないが、ここまでのものは初めてである。
この異常事態に、マウント取りが本分の上級国民たちも動揺を隠せない。
「うおおー! ボスかっけえー! 操糸術までできるとかすげえー!」
「こら、真紀! あんまりはしゃがないで! っていっても、もう彼らにこっちを気にする余裕は無さそうだけど」
「御神苗さん、マジやべえな。土方って、業界やと結構な有名人やで? それをこうも……あん時、自棄になって手え出さんで正解やったで」
一方で、ユノの強さを知っている公安のメンバーは大はしゃぎしていた。
「まあ、大悪魔を片手で捻るような嬢ちゃんだし、このくらいは当然なんだろうが、アポートも領域も無しとはなあ……」
「操糸術もかなり難しいはずなんだけどな。呪具を使った呂布より上とか、本当に多才だな」
「気持ちは分かるが、あまり気を抜くなよ。御神苗さんに限って『もしも』はないと思うが、イレギュラーが起きた時にはフォローに入るんだからな」
別働班でも反応は似たようなもの。
イレギュラーが起きた際の対処というのも、上級国民やそのコレクションに対してではなく、ユノがやりすぎないかの方なので、緊張感に欠けるのも致し方ない。
「……だが、まだ日暮が残っている。あのキツネ女が何をやろうと、日暮を倒すことは不可能だ!」
「そうだ! 大神も土方も近接タイプ! キツネ女との相性が悪かっただけだ。日暮は遠距離でも強い!」
「いや、接近戦でも負けはしないが、簡単に終わってもらってはつまらないからな!」
「……では、お言葉に甘えて残りの手駒も投入させてもらうとしましょうか。フラッグを――いや、日暮を倒して完全勝利というのも悪くない」
この状況でも「日暮」という最強のコレクションの存在を心の拠り所にする上級国民たちに、野村がマウントを取りにかかる。
「よし、行け」
「「「はっ」」」
「くっ、貴様――」
野村の命令を受けて彼のコレクションたちが動き始め、下剋上を恐れる上級国民たちに焦りの色が出る。
しかし、それも束の間のこと。
「くっ、ははは! 君の手駒も拘束されているではないか! 飼い犬に手を噛まれるとはこのことか! いや、キツネだったか!」
「くくく、君の器では彼女クラスを従えるのはまだ早いということだ。身のほどを知りたまえ」
「まあ、彼女ほどの逸材を探してきたことには感謝しないでもないが、後は私は躾けてやるから――」
「おい、ちょっと待て! それは私の方が適任だ!」
カメラから送られてくる、鬼ごっこのフィールドに侵入した野村のコレクションたちがユノに拘束される映像。
彼女の意図は不明で、それで特に状況が変わったわけではないが、上級国民たちは大喜びである。
当然、現場では「何してんだ、てめー!?」「こっちは味方だぞ!?」「早く下ろせ!」などと非難の声が上がっていたが、ユノはそれを無視して日暮の方へと向かう。
自動で発動したとか誤爆などではなく、明らかに故意犯である。
そうして、廃校舎屋上でユノと日暮が対峙する。




