20 愛、覚えていますか?
――第三者視点――
世界の狭間、あるいは現実世界に出現していいない状態の種子。
その「可能性の海」とでもいうようなところでは、人々の想いや願いを素に様々なものが生まれ続けている。
そんな中に差し込まれた強い想いを受けて、ソレは目覚めた。
そこで何かが生まれること自体は珍しいことではない。
むしろ、明確な形にならないことが多いだけで、それが正常な状態である。
しかし、「目覚めた」という表現が適切なくらいに明確な形を持ったソレは、異例中の異例だった。
多くの人々の意識から生まれた「神」ですら、ここまで明確な形を持つことは難しい――むしろ、多くの人が関与している分、決まった形にはならないものだ。
それは、目覚めてすぐに自身の使命を理解した。
ソレを目覚めさせた想い――愛だ。
愛で世界を満たさなくてはならない。
同時に、それが極めて難しいことも理解した。
人間は何かにつけて愛を求める存在だが、争うことを止められない存在でもある。
むしろ、愛ゆえに争うこともある。
ソレがどれだけ強大な力を持っていたとしても、人間が抱えている矛盾を解消することはできない。
しかし、それを可能にするものには心当たりがあった。
矛盾の無い人間が「人間」なのかは別として、それにとって重要なのは「愛」だけ。
愛が全て。
愛さえあれば全てが正当化される。
勝てば官軍。
官軍とは愛。
勝って、勝って、勝ち続ければ、いずれは全てが愛になる。
何はともあれ、現実世界に出なければ始まらない。
そうして現実世界に進出したまではよかったが、それによってかなりの力を消耗してしまった上に、そこは基軸世界ではなかった。
前者については「愛」さえあればいくらでも補充は可能だが、後者は深刻な問題である。
もっとも、「基軸世界」についての認識は勘のようなものでしかない。
それでも、不思議と間違っていない確信がある。
そして、世界を遍く愛で満たすには、基軸世界を掌握する必要があることも。
しかし、ソレには基軸世界を愛で満たす自信あっても、基軸世界に渡る方法は分からない。
というより、ソレを目覚めさせた強い想いの発信源が基軸世界ではなかったのは想定外で、そういった場合を想定すらしていなかった。
それでも、「諦める」や「妥協する」という選択肢は無い。
ソレは世界を渡る方法を探す傍ら、無秩序に愛を振りまいていく。
精々が局地的に出生率が上がったり、新人バ美肉おじさんがバズったりした程度だが、それがソレの力になる。
その末に、ソレはひとつの手掛かりに辿り着いた。
ともすれば、ただのゴミだと見逃してしまいそうな、緑がかった灰色の小さな塊。
しかし、明らかにこの世界に属さない異質な物。
その塊には異世界に渡れる力は無いが、異世界――ひいては基軸世界が存在する証明にはなった。
であれば、今まで以上に探すだけのこと。
そうして決意を固めるソレの背後で、仲睦まじげな様子の親子がその様子を見ていた。
「ママ―、あの女の人、羽が生えてる」
「あら、本当。こんな所でコスプレかしら――み、見ちゃいけません!」
夕暮れ――には少し早い時間で、人通りも少ない場所とはいえ、人がいないわけではない。
その親子も、夕涼みに散歩していただけで、そんなものを見るとは思いもしない。
薄暗い鎮守の森の中、生まれたままの姿で行動していたそれは、紛れもない変質者。
しかも羽付きである。
ヤベーもの見た――と、子供を抱えて一目散に逃げていく親子を見て、ソレは悟った。
基軸世界に繋がるものを探す前に、服を探さなければならないと。
◇◇◇
理論上、可能世界は無数に存在するが、現実世界として存在するには「観測者」を必要とする。
ただし、「観測者」は誰にでも務まるわけではなく、世界の違いを感じられるような特殊な素養が必要になる。
基軸世界とは、観測者が「基となる」と認識している、若しくはそう確定させた世界を指す。
つまり、存在する世界の数は観測者の数と同じで、基軸世界は複数存在する可能性がある。
どれが正しい世界かなどという議論には意味は無いが、観測者同士が遭遇した場合、世界の統廃合が行われることもある。
しかし、ヤガミたちのような人の枠をはみ出したものが「観測者」になると、その法則は過去のものとなった。
本来であれば、世界と世界の間に上下関係は無く、どれだけ遠く離れていても根源を通じて繋がっているものだ。
しかし、種子によって創られた世界は明らかな上位階梯にある。
さらに、根源的にも独立――深いところでは繋がっているが、認識できるものではないため、「繋がりは無い」としても仕方がない。
むしろ、繋がっていない方がよかったのかもしれないが、彼らが彼らの故郷を基軸世界だと認識しているため、上位世界が下位世界を基軸世界に設定する奇妙な形になってしまっていた。
さらに、ヤガミたちのような特殊な観測者が出現したせいで、下位世界の可能世界が爆発的に増えた。
ユノの故郷のような、「魔術や異能力が存在する世界」もそのひとつである。
むしろ、基軸世界が上位世界の影響を受けた末の可能世界は特に珍しいものではない。
しかし、観測者としても特殊なヤガミたちにはそのような認識はない。
とはいえ、召喚された勇者などの存在を通じてその由来となる世界を認識するのはユノでも難しいことである。
雰囲気で種子を扱っている彼らにそれを期待するのは酷というものだ。
さらに、現在では更なる上位世界に侵食された結果、上位世界が好きなだけ増やせる状況にある。
そちらに意識が向いて、既存観測が疎かになるのも無理はない。
それ以前の、偶然などで認識した、若しくはノクティスや雪菜のように可能世界の人間からヤガミたちに接触をしてきた場合は、可能な限りの観測を行っている。
その手段として、ヤガミたちの基軸世界に存在した技術や文化、上位世界の環境を模したゲームなどが用いられているが、可能世界の人間も根源的に擽られるものがあるのか非常に順調である。
大半の世界では情報収集だけで終わるものだが、この世界ではもう少しだけ利用価値があった。
「最近、あちこちでユノ様っぽい存在の目撃報告があるんだが……」
「こちらでは分体は使っていないそうだから、何かの間違いだとは思うが……」
各世界に観測者として派遣されているのは、上位世界で生まれた悪魔である。
彼らは各所から集まってくる情報を精査し、必要があれば上位の悪魔、若しくは主神に報告する。
ここ、ユノの故郷となる世界にも彼らは存在していて、何かあるごとに――何もなくても彼女たちの生活をサポートしていた。
担当している悪魔たちは末端も末端で、彼女と直接交流できる立場にはなかったが、忠誠心は本物だった。
「朔殿が新たな能力に目覚めたらしいので、その影響かもしれんな」
「一応、情報操作しておくか。ユノ様には心穏やかに過ごしてもらいたいしな」
「“恐らくそれは幻覚でしょう”……これでよし、っと。今日もいい仕事をしたぜ」
「ユノ様がユーリちゃんだった頃から始めてもう十年。すっかり慣れたものだな」
この世界での悪魔たちの活動歴は、主神がこの世界の存在を認識してからのおよそ十年。
ユノのおかげでこの手の処理には慣れたものだ。
それ自体は問題無い――というより、社会秩序の維持のためにもやむを得ないが、そこに喜びを感じていることはあまり褒められたことではない。
とはいえ、本来はさして楽しくもなく、やり甲斐も感じない異世界監視任務が、ユノのおかげで可愛い動物動画を見続けているようなものなのだ。
十年も見ていれば、悪魔でも親心のようなものが湧いてくるし、脳もやられる。
彼らにとって、これはもう仕事ではない。
人一倍ユノを見続けてきた彼らにとって、アイドルになってからの彼女に熱を上げている者たちなど「ニワカ」でしかなく、むしろ、「儂が育てた」気でいるのだ。
そうして、彼女の観測は生活の――人生の一部となっていて、誇りを持ってやっていた。
「ユーリちゃんがこの世界から消えた時には世界の終わりかとも思ったが……」
「ああ、まさか、可愛さがパワーアップして帰ってくるとはな。しかも、今では異世界での活躍も配信で見れる。良い時代になったものだ」
「その分、俺たちの仕事も増えたがな。だが、やり甲斐がある――ユノ様には感謝しかないな!」
「ああ、だが、そんなユノ様に良からぬ想いを抱いている奴らはどうにかせんとな。特に、自らを『上級国民』などと称してイキがっている不届き者どもの行動は目に余る」
ユーリが異世界に召喚されると、彼らの仕事は一気に減った。
同時に、仕事への意欲や生きる気力も。
「おっ、見ろ。ユノ様がAWOにログインされたぞ! 俺たちも急ぐぞ! キャラクターの向こう側にいるのがリアルの人間だと思いもせず、莫迦なことをする奴も多いからな」
「そうだな。ユノ様に近づく悪い虫には、ガンガン制裁を加えなければならん。特に最近は大会成績上位だからと調子に乗っている輩がいるしな」
「お前らがいくらAWOで強くても、現実世界のユノ様にはワンパンなんだぞって言ってやりたいものだ」
「だが、現実世界のクソザコを叩いてもつまらんだろう。いっそ、何か理由をつけてBANするか?」
また、大人気オンラインゲーム「AWO」の運営も彼らがやっている。
ユノの周辺では騒動が起こりやすいので、ゲーム内でも観測するのは当然のこと。
とはいえ、わざわざログインしてゲーム内で観測する必要は無いのだが、そこは彼らの立場でも彼女と触れ合える貴重な場である。
現実世界の観測などやっている場合ではない。
「クックックッ……! ユノ様も、まさか今殴っているNPCの中に我らが入っていることには気づくまい!」
「まさか、見ていることしかできなかったユノ様の経験値になれる日が来るとは、俺たちは幸せ者だな!」
彼らは、彼女の成長をその身で感じ、糧になれる環境を満喫していた。
そんな彼らのおかげで、世界は今日も平和だった。




