17 堕ちた太陽
サンは最終的に成層圏を越えるか越えないかの辺りまで打ち上げられたが、ユノが保証したとおりに死んではいなかった。
朔のエネルギー弾もまた彼女の意を酌んでいて、最後まで魔法だったからである。
その後、サンの身体はエネルギー弾のノックバック効果が切れたことで落下を始め、地球でいうところのインド洋南方に着水した。
当然、領域やエネルギー弾以外のことはユノの保証には含まれないが、《落下ダメージ無効》スキルのおかげで死ぬことはなかった。
それでも、HPの負債は一千万超にまで膨れ上がっている。
結果、行動不能どころか強制的に人型(省エネモード)にされて、魚などに突かれながら流されるままになっていた。
身体は動かせないものの意識ははっきりしていたサンは、波に揺られながらとりとめもなく考える。
空を見上げていれば自然と目に入ってくる、青い空に燦然と輝く太陽と、夜の闇に浮かぶ星々。
ほんの少し前までは「美しい物」の代表格だったそれらが霞んで見える。
《回答者》などなくても理由は明確で、それ以上のものを知ってしまったからだ。
澄んだ空よりも透明感のある白い肌と、夜の闇より深い安寧を抱く髪と翼。紅い瞳は太陽とは比較にならないくらいに眩しく、月よりも静謐に満ちていた。
また、豊満な双丘は母なる大地を表しているようで、魂を擽られるような甘い声で語られる言葉には愛が詰まっていた。
彼をこんな状態にした攻撃にも悪意や敵意は一切感じず、むしろ熱意(※物理)しか感じなかった――つまり、彼女もまた彼のことを愛していたのだと、《回答者》がイカれた結論を出す。
視力や思考能力の低下など、いくつかの現象はHP負債が原因ではあるものの、サンは完全に堕ちていた。
頭にあるのは、どうにかして彼女の許へと戻ること。
それから末永く幸せに暮らしましたとさ――という妄想。
◇◇◇
「おっ母、あそこに男の人が打ち上げられとる!」
「あら、大変! まだ生きてるなら助けてあげないと――」
そんなサンが流れ着いたのは、複数の古竜災害で滅亡寸前のオージー西海岸だった。
ただし、彼の回復力をもってしてもHP負債はまだ健在で、動くどころか声を発することもままならない。
「おっ母、この人、生きてるみてえだけどピクリとも動かねえ……。てゆーか、チ〇コに魚が食いついとるのに、ニタニタ笑ってて気持ち悪ぃ」
「こ、子供は見ちゃいけません! っていうか、何で裸なの!? それに、竿だけで魚釣り……!? それでこんなに立派な魚が……!? と、とにかく、生きてるなら助けた方がいいのかしら……?」
この地域では、気紛れに襲ってくる古竜から逃げようと、海に出る者も少なくなかった。
当然、さしたる装備もなく海に出て無事でいられるはずもなく、その大半は海の藻屑と消えている。
一方で、幸運にも海棲の魔物から逃れて、こうして打ち上げられる者もいないではなかった。
問題は、そうして打ち上げられたものへの対処だ。
打ち上げられたのが物資であれば、持ち帰るなり放置すればいい。
死体であれば、更なる魔物を誘き寄せるとかアンデッドになる前に処理しなければならない。
生者であれば「助けたい」――と考える者も多いが、それは平時のこと。
生産力がガタ落ちして流通もほぼ機能していない状況にあっては、それぞれが生きていくだけで精一杯な状況で、自らを「自警団」などと称して略奪を働く者たちもいる。
そんな中で、見ず知らずの人を助けるために、自身を苦境に追い込める者はそうそういない。
それに、やっとの思いで助けた相手に、恩を仇で返された事例もひとつやふたつではない。
だからといって、まだ生きている者を殺すとか見捨てるのもハードルが高い――というのが大勢で、サンを発見した母娘が極めて善良だったことは非常に幸運だった。
「と、とりあえず、悪い人には見えないし? 連れて帰って看病するしかないかな……?」
また、人型のサンの容姿が非常に優れていた――全裸で、股間を魚に食いついかれながら笑みを浮かべていてもなお色褪せない美男だったことも、早くに夫を亡くしていた母の判断のひとつになったのかもしれない。
「でも、私の力で車まで運べるかしら……?」
「おっ母、手伝うよ! おら、こっち持つね!」
「お前は本当に良い子ね、ありがと――そこを握っちゃいけません!」
こうして、サンは根は善良な母娘に保護されることとなった。
◇◇◇
サンのHP負債が完済されたのは、母娘に保護されてから三日後のことだった。
その間、サンの《固有空間》から漏れ出る温泉卵や饅頭、そして金塊のおかげで、彼自身や母娘の命を繋ぐことができていた。
そして、この「HPがマイナスになっても《固有空間》が解除されなかった」という不可解な現象が、彼の回復速度と勘違いを加速させていた。
一方で、母娘にとってのサンは単なる金の卵を産む鵞鳥ではなく、不幸続きの彼女たちの許に舞い降りた神の遣いだった。
あるいは、会話が可能なまでに回復した彼から聞かされた、世界樹を司る女神の存在が刷り込まれた結果だったのかもしれない。
神の遣い曰く、世界樹を司る女神「ユノ」が治める地は、地上どころか天上にも比肩するもののない豊かな地であり、母娘が感動のあまり一昼夜涙が止まらなくなった温泉卵等もその産物である。
また、その地には多くの種族が争うことなく平和に暮らしていて、自身はその一員なのだと、推測や妄想も交えられた、お伽噺にも出てこないような楽園の話に母娘は夢中になっていた。
そうなってしまうと、痘痕も靨とでもいうか、魚を引っこ抜いた後も屹立しっぱなしのモノも有り難いものに感じられてしまい、朝な夕なと礼拝するくらいに乱心してしまった。
サンも、母娘とのコミュニケーションの中で、オージーが置かれている状況を把握していた。
行方不明となっていた古竜たちだけでなく、緑と紫までもがここで暴れている理由に思い当たるところはないが、放置しておける問題ではない。
それこそ、以前の彼であれば、動けるようになればすぐに古竜たちの粛清に向かっただろう。
しかし、さきのユノとの邂逅と、この地に下されたばかりの神託が、ここにきて結びついてしまった。
「創世の女神とは、いうまでもなく世界樹を司る女神ユノのことだ。この地が竜の怒りを買っていて、それを鎮めるのに彼女の許しが必要だというのであれば、その原因がお前たち人間にあったということ。ただ古竜どもを駆逐したとて、それでは何の解決にもならん」
創世の女神と世界樹を司る女神を結びつけるのは当然のこと。
彼女の全てを肯定することもまた当然。
「ユノが司っているのは世界樹――つまり、その根底にあるのは『愛』なのだ。お前たち人間は、『愛』を取り戻さねばならんのだろう。親しい者に対してのものだけでなく、同胞への、世界への、そしてユノへの」
そして、恋愛脳に罹っているサンの思考は、すぐにそっち方面へ結びつけようとする。
しかし、母娘も年齢はともかく女性である。
恋だ愛だの話になると、なんとなく共感性が発揮されてしまう。
「聞いたところによると、ユノは歌や踊りが好きらしい。とある町では、彼女自身がそこの人間に歌って踊って見せたらしい。頑張っている人間に対する褒美だということだが、確かにあの地の人間たちは好感を覚える者が多かった。それにしても、それほどまでに人間が好きだとは、頭が下がる思いだ!」
「でも、そうだとすると、女神様を怒らせた私たち人間はどれほど罪深いことをしでかしたのでしょうか……」
「案ずるな。お前たちのように心の清い……? 者もいる。俺がここに流れ着いたのも、ユノの大いなる意思によるものかもしれん――いや、そうなのだろう!」
サンは、自身の股間を拝む母娘に「清らかさ」があるのか少し悩んだが、ありもしないユノの意図の気づいて話を進める。
「ろくに動けぬ俺では古竜どもを撃退するのは不可能だ。当然、人間どもの技術がどれだけ発展しようと同じこと。だから、歌え。踊れ。人間への、世界への、ユノへの愛を込めて! ロックンロール!」
そして、《回答者》がアクロバティックな解を出す。
「「はいっ!」」
サンとまだ見ぬ女神に毒された母娘がそれを真に受ける。
それだけの下地と充分すぎる説得力があったことも事実だが、こうして事態は誰もが予期せぬ方向へと動き出した。




