60 一件落着
翌日、都内某所雑居ビル。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪」
その1階にあるメイド喫茶で、公安系特殊組織のエージェントである伊達真紀が、職務中の彼女からは想像できないにこやかな顔で接客していた。
「お、お、おや? 真紀ちゃん、今日はちょっと元気ないでござるか?」
しかし、常連客ともなると、人気上位のメイドのちょっとした違いにも気づいてしまう。
「……あれ、分かっちゃいます? 昨日ちょっと寝るのが遅くなっちゃって――」
伊達は、そんな常連客の相手を、内心では鬱陶しく思いながらも愛想よく対応する。
なお、強化人間である伊達は、数日程度の徹夜で参ったりはしない。
彼女がショックを受けているのは、ボスに置いていかれたことだった。
当然、宿泊先などは把握しているため、帰巣本能を発揮して会いに行こうとしたが、マスターである安倍に止められ(※物理)、日常に復帰させられていた。
その安倍は、同雑居ビル内にある寂れた探偵事務所で、依頼者を装っている上司に昨夜の件を報告していた。
公安の中でも更に特殊な組織である彼らは、同じ公安の職員にもその存在を知られていない。
したがって、拠点もこの雑居ビルのような、一見してそうとは思えない物を利用している。
当然、見かけとは違って、セキュリティも万全である――だったというべきか。
昨夜の御神苗の能力を目の当たりにすれば、こんなものは吹けば飛んでしまう藁の家でしかないと理解させられてしまった。
なお、近年では、環境に配慮したストローベイル建築が見直されていたりもするが、それを否定する意図ではなく、単なる比喩である。
若しくは「鋼の要塞でも吹き飛ばす天災の前でも同じこと言えんの?」か。
「ううむ、にわかには信じられんが……。NHDへの攻撃や黄龍会への脅迫も、まだまだ本気ではなかったということか。危険すぎる――が、やはり対策は無いのか?」
「はい。『敵対しない』ということ以外はですが。ただ、我々とは違う価値観ですが、世界のために動いているようですので、ある程度の対話は可能……かもしれません」
「そうか。だが、昨夜の『星落とし』のようなことを何の予告もなくやられると――いや、予告があっても隠蔽が難しい」
アルフォンスの《流星》は、国家権力によって「ただの火球とその爆発」「珍しい現象ではあるが、人的にも物的にも被害は無し」として処理されている。
当然、高度情報化社会においては、様々な要素から異論を唱える者も出てくるが、その都度催眠なり洗脳なりを使って握り潰す。
昨晩から公安系秘密組織職員は大忙しだった。
「それで、やはりあれも魔術なのか?」
「恐らくは。……解析班の話では、現場付近からは残留魔力は検知できなかったとのことですが、あの兄妹はふたりとも領域展開ができますからね。それでも簡単なことではないはずですが、実際にマーダーKが――と、あの動画はご覧になられましたか?」
ここでいう「動画」とは、アバドンの領域内で撮っていた物とはまた別の、領域脱出後に伊達が個人的に撮っていたのを押収した物のことだ。
当然、伊達は納得できずに抗議(※物理)したが、却下(※物理)された。
「あ、ああ。あのマーダーKがあんな――『特撮だ』と言われれば、間違いなく信じてしまうだろうな」
「あの現場でも残留魔力が検知できませんでした。アルト氏の領域展開――というのも、我々の知るものとは違いますが、恐らく、その能力によるものでしょう」
完璧に近い状態で制御されていたアルフォンスの領域は、魔法の全てが領域の中で完結していた。
領域外に痕跡が残らないのはその精度を証明するもので、彼らの知る「領域展開」では痕跡が残ることも合わせて、彼らを混乱させていた。
「もうひとつの動画も、飛ばし飛ばしで見たが――妹の方も領域展開できるのだな」
「ええ、しかも、我々では手も足も出なかったアバドンを子供扱い――上から目線で説教をするレベルでした。領域の完成度でいえば――主観になりますが、アルト氏とアバドンでは後者の方が完成度が高く、脅威度も上ですが――正確に表現する言葉が思い浮かびませんが、前者の方が可能性に満ちているように感じました。人間と悪魔の違いでもあるのかもしれませんが……」
「そうか。それで、妹の方は?」
「……彼女は別格です。我々に測れる次元にありません。大悪魔でも知らない知識を持っていて、大悪魔でも抗えない力を操る――最後にアバドンが言いかけたのが、『神』か奴以上の『大悪魔』であったとしても納得です。というか、高校生で――公表されている年齢が本当なのかどうかは分かりませんが、あの清純さと色気ですよ。我々と違う生き物だとしても驚きません」
「……そうか。まあ、動画を検分させた解析班の何人かの言動がおかしくなっていたが、それだけ圧倒的な力と美貌があれば、本人にその気がなくても――映像でも人心を惑わせるのだろう。お前のところの伊達もやられたのだろう? その後どうだ?」
「どうにもこうにも……。一応、『綾小路や一条のお嬢さんたちに指導をするという彼女の提案に、我々も参加できないかかけあってみる』という名目で大人しくさせていますが……」
「それも聞いたが、御神苗は本気なのか? 秘密結社や術者個人は手の内を隠すのが常識だぞ? 我々の弱みを握るとか、離間工作とか、何か裏があるのではないか?」
上司が疑うのも無理はない。
この業界で最も恐ろしいのは「未知」である。
未知であるうちは独立独歩でもいけるが、綾小路や一条のようにある程度手の内を知られてしまうと、横の繋がりを求める必要が出てくる。
当然、彼らにも「奥の手」は存在するが、それだけでやっていけるほど業界が甘くないのは、良くも悪くもNHDで実証済みである。
「我々の業界で敵に塩を送るなどということはありえませんし、普通に考えればそうなのでしょうが、ネコハコーポレーションもやはり彼らの仕込みで、異能力者――まだ見ぬ可能性を持った者たちの発掘を試みていたようですし、我々凡人ではその理由は想像もできないかと。それこそ、『神のみぞ知る』ことで、彼らが人類の進化を促すために神に遣わされた天使だとしても納得してしまいそうです」
「ははは、お前がそんな冗談を言うとはな。……だが、やはり、誘いであっても乗るしかないのだな」
「同感です。礼儀をわきまえるのは当然として、参加者も命令ではなく、自主性を尊重するべきだとは思いますが」
「……呂布のこともあるしな。能力に対して責任を押しつけた反動か……。それで実際に内通者が出ているのだから、反論もできん」
「ですが……」
「そうだなあ。昨今はどこの業界でも人材不足だが、うちのように特殊な能力が必要になると、余計になあ。完全に未経験の者を育成する余裕も無いからなあ……」
彼らの組織の人材不足は深刻だった。
国家や国民、そして社会の安寧を守るため、生命の危険が伴う現場で、時には通常兵器では対応できない理不尽と戦わなければならないのだ。
彼らも改造強化を受けているとはいえ、術師の家系や生来の異能力者に比べると、対応できる幅に限りがあるのは否めない。
ユノが言うように、志があればどうにかなるようなものではない。
しかし、御神苗がやろうとしていた無能力者の覚醒を促そうとする計画は頓挫――というか、時期尚早と判断されたようだが、次善の策として「綾小路や一条の令嬢の指導を手始めに、業界全体の底上げを行うつもり」なのかと考えると、罠であっても参加せざるを得ない。
むしろ、それらとユノの言葉を合わせて考えると、「魔力を持たない者は存在しない。そう見えるのは、見る能力が足りないだけ」、「基本ができていれば、現在の安倍たちを倒すくらいは誰にでもできる」のだ。
そんな旨い話は無いと分かっていても、そうだった場合のメリットは計り知れず、不参加で被るデメリットも同様である。
「彼らの話が本当なら、人材不足も解消できるかもしれません。ただ、業界全体が底上げされることで、国家間、組織間のパワーバランスが変わることと、それらによって魔術師や異能力者の存在が明るみに出ることが懸念されますが、やはり『取り残される』危険性を考えると、賭けに出る価値――いえ、必要があると思われます」
「……そうだよなあ。仕方がない、上への申請と予算の確保、皇への申入れは私の方で行っておこう。人選は君に任せる――ああ、当然、本人の意志は尊重してもらう。呂布のような者を連れていってトラブルになるとか、見る目がないと思われても敵わんからな。今はまだ、君が信用できる人物だけに絞ってくれ」
安倍も、上司の判断に異存はなく、了承の意を返す。
というより、昨夜の彼らのように、御神苗を侮って突っかかられると困る。
それを思い出すと恥ずかしくて死にそうになるが、上司の前であることも思い出して、どうにか堪えていた。
同時刻、綾小路家や一条家でも同様の会議が開かれていて、やはり似たような結論に至っていた。
もっとも、こちらは両家共に長らく領域展開ができる術者を輩出していなかったことと、そもそもの「領域展開」が彼らの家に伝わっていたものとは異なるもので、遥かに強い関心を抱いていた。
魔術師の家系に生まれて、その深奥に触れられる好機をふいにできるはずがない。
そこに「友人として」という条件さえなければ、参加したいと考えている高弟も多い。
それこそ、今まで蔑ろに扱っていた竜胆に頭を下げてでも。
他方、日本での最大規模の拠点を、一夜にして、しかも大した抵抗も許さず、更にマーダーKという鬼札までまとめて完膚なきまでに潰された教団は、大混乱に陥っていた。
教団の裏を知る幹部や戦闘員は、全員が殺害されたか拘束された。
生き残ったのは一般の教徒だけだが、「ガス漏れ事故による中毒患者を病院に搬送した」として当局に確保されてしまった。
日本の組織にしては随分と思いきった行動に出ていたが、「火球」の件も含めて見事な手並みと情報操作だった。
そのせいで、教団には詳細な情報が一切入ってこない。
現状での情報の入手は他組織を経由するしかなく、それは日本の皇や公安が意図的に流したものが大半である。
そこに、御神苗と敵対したくない組織の、憐憫や嘲笑の加えられたものが彼らの許に届く。
「あのマーダーKが、御神苗に料理されて肉団子にされたり、ブタにされたりしてたらしいぜ。次に会う時は麻辣Kになってるんじゃねえかな。世知辛いねえ」
「教団の奴がネコハの霊薬使って悪魔召喚したけど、その悪魔は御神苗妹に説教されて魔界に逃げ帰ったらしい。おたくの教祖はどうすんの?」
「空を駆けるひと筋の流星は、例えるなら御神苗兄の領域。彼、空を飛ぶし、テレポートもするし、魔力が爆発的に上昇したりするし、宇宙から来た戦闘民族かもしれん。おたくの教祖の戦闘力いくつ?」
当然、こんなものを教祖に報告するわけにはいかない。
せめて御神苗から声明や要求でもあれば対策も立てられたのだが、NHDなどの時と同じくやりっ放しである。
力では敵わず、金には靡かず、何がやりたいのかさっぱり分からない。
こんなに性質の悪い組織は、見たことも聞いたこともない。
それから3日後、憔悴しきった教祖がひと言「出家します」と宣言して教団を解体し、世間を騒がせることになるが、それはまた別の話である。
一方、深奥を知る者たちは、欲望渦巻く三日目の聖地で休暇を満喫していて、監視者や関係者を多いに困惑させていた。
お読みいただきありがとうございます。
日本編前半はここで終わりで、いつものように幕間を挟んで次章はまた異世界が舞台になります。
ただ、本話投稿時点でストックが無く、ある程度先が見えるくらいに書き貯めてから投稿しようと考えていますので、多少間が空くことになると思います。
できるだけ早く再開できるよう頑張りますので、以降もよろしくお願いいたします。




