59 這いよる混沌
キャンプ地に残っていた、大爆発の余波に備えて警戒していた皇麾下の魔術師と異能力者たちだが、いつまで経っても津波どころか爆発音さえも届かない。
それが魔術か異能力で発生したものだというのは、離れていても感じ取れた異質な魔力のせいで疑いようがない。
ただ、それが御神苗アルトのものか、マーダーKのものかが分からない。
御神苗兄妹の実力の一端は目にしたが、まだ見ぬ「世界最強の傭兵」も同レベルかもしれないと――だからこそ、正気を疑うレベルの大爆発が起きたのだと誤解して、警戒していたのだ。
そんなところに突然開いた《転移》の門。
過剰にビビる術師たち。
そこから姿を現したアルフォンスや、憔悴しきった捕虜たちを見て安心しそうになったのも束の間のこと、異様な魔力を発する肉塊が現れて言葉を失った。
中には意識を失った者もいる。
ひと足先に現地に戻ってきていたユノたちだが、アルフォンスたちが戻ってくることを伝え忘れていた。
公安は公安で、悪魔出現や内通者の件を含む事後処理に追われていて、現地にいるのは送迎役として志願した伊達だけだった。
車の運転であれば清水にも可能だったが、彼女の勢いに押しきられていた。
そうして場所を移した彼女たちだが、話題はもっぱら領域について、特別訓練の予定についてで、組織への報告などは頭から抜け落ちていた。
彼女たちの所属組織も、ユノの不興を買ってまで報告を優先させることはできない。
本当はいろいろと話を聞きたくてうずうずしていたが、後でいくらでもチャンスがある。
それとも、誰かが先陣を切ってくれれば――。
そんなところに戻ってきたアルフォンスを見て、ようやく報告を忘れていたことを思い出して「あっ……」となった彼女たちが、異形化した呂布を思い出させるマーダーKを見て「あっ……」となった。
グロが苦手なユノもそれを見て顔を顰めるが、上手く答えられなかった彼女たちの質問攻めから逃げるように、「少し兄と話してきますね」とアルフォンスの方に歩きだす。
残された彼女たちも、「逃がすものか」とその後を追う。
「お疲れ様です、お兄様。随分とスッキリされたようで何よりです」
「そっちもお疲れ。そっちは悪魔が出たんだって? 災難だったな。悪魔の方が」
ふたりの何の気負いも感じられない挨拶に、アルフォンスにガツンとやられて憔悴していた捕虜たちが、更にガツンとやられて体調不良に陥っていた。
ショックを受けたのは、日常的な挨拶にだけではない。
御神苗アルトも少々整いすぎた容姿をしているものの、妹の方はその次元が違う。
ものすごく遠くから見れば、兄妹に見えるかもしれない――が、近距離で見ると、妹の星空を映すくらいの銀の髪と比べれば、兄の白髪は藁半紙を思い出すくらいに濁っている。
強そうに見えるのは、とんでもない密度の魔力を完璧に制御して身に纏っている兄の方だが、何の気配も感じないのに目が離せない妹の方は、お伽噺か神話の登場人物のようで、やはり別次元の存在である。
こんな少女が、アバドンのような大悪魔を斃したなど、とても信じられない。
というより、戦いの痕跡すら見当たらない。
そうして、ギャップに頭と心がついていかず、今日の出来事が全て悪い夢のように思えてきて、早く目覚めてほしいなどと考えていた。
「それで、それは一体……? ターゲットの数も少ないようですし……」
「ああ、ターゲットには、思った以上に抵抗されたから、ちょっと見せしめにした。で、彼は他人の異能力をコピーできる有名な傭兵らしいんだけど、ちょっと魔力の循環乱してやったら能力が暴走してこうなった」
「能力のコピー? うーん、『ご愁傷さま』というべきでしょうか? いえ、他者の可能性を覗けるのは、自身の可能性を客観視できて、深掘りする役にも立つと思うのですけれど……。やはり、魔力を循環させるのが正しい使い方だと勘違いしている段階ですと、能力の種類が増えれば強くなると勘違いするのかもしれませんね」
「料理はできないのにレシピはいっぱい覚えてるとか、楽器を弾けないのに楽譜は覚えてるとか、なのに、『料理ができる』とか『楽器が弾ける』って思い違いしてる感じなのかもな」
「そうかな……そうかも……? どちらにしても、良い見本にはなりませんし――」
ユノはそこで一旦言葉を切ると、アバドンの領域を潰したように、パチンとひとつ拍手をする。
その直後、マーダーKが貯め込み、歪んで捻じれていたものが全て解放され、一般人的には膨大な魔力となって吹き荒れる。
激しい魔力の奔流に、吹き飛ばされまいと踏ん張る者たちの傍で、ひとり平然としていたアルフォンスが簡易領域を構築すると、それだけを封じ込め、爆縮させる。
さきの《流星》の後処理を小規模にしたものだが、彼が領域らしきものを構築したところを初めて見たユノは、嬉しさで顔を綻ばせる。
その天上の微笑みと現実とのギャップで、多くの者が精神を侵食されそうになったが、それを食い止めたのが、全てから解放されたマーダーKだ。
といっても、彼が能動的に何かをしたわけではない。
マーダーKの、ただ使えるようになっただけで、「自分のもの」といえるほどに最適化されていない能力は全て剥奪されていた。
ついでに、異形化――肥大化した時に弾け飛んだ衣服も元に戻ることはなく、毛髪も抜け落ちている姿は、「生まれたままの」といっても差し支えないもの。
むしろ、魔力や身体強化能力に任せて全く鍛えていなかった身体は弛みまくり、長らく日焼けもしていなかった生白い肌も合わせて、立派なブタのようですらあった。
それが、穢れを知らない乙女との対比でとても醜いものに見え、以前の彼の言動とあいまって、殺意を抱いてしまっても無理はない。
「――と、視野を広げるのはいいことです。けれど、それに振り回されて大事なものが見えなくなるのはいただけません。兄とその方の最大の違いは、魔力の量でも才能でもなく、魔力や自身に対する認識ですよ」
ユノは、そんな雰囲気を気にするでもなく、竜胆たちの方へ向き直ると、先ほどまでの彼女たちの質問の答えとするべく、駄目な例を示して幕引きを図る。
「俺に言わせれば、魔力の量にも、才能――いや、努力にもちゃんと意味はあるんだけどな。うちの妹はちょっと特別だから、感覚ずれてるんだよ」
それに対してアルフォンスが人間目線での補足を入れるが、ユノの意図したところは汲んでいた。
「それはそうと、教団幹部数人と主要な戦闘員はこのとおり連行しました。ここにいない関係者はみんな行方不明で、一般人は施設で眠らせています。連行した人たちはそちらに引渡しますが、後のことはどうしましょう? うちに任せてくれるのなら、まあ、上手くやりますが――」
「い、いえ、御神苗さんのところほど上手くはできませんが、それくらいはこちらで――彼らのところと協力して行いますので!」
アルフォンスが仕事の話――教団の後始末のことに触れると、顔を青くした柳田が食いついた。
彼も、「あるいは御神苗に任せてしまった方が面倒がないかもしれない」と思いながらも、一般人がどうなるかを考えると頷くことはできない。
皇は、非合法なことも行う秘密組織とはいえ、一応は国家機関である。
当然、国民や国家に害が及ぶ可能性があることを認めるわけにはいかない。
たとえ御神苗と敵対することになっても、簡単に引き下がるわけにはいかなかったのだ。
もっとも、本当に敵対すると国家が滅ぶ可能性があるので、金銭や特別な便宜などで譲歩を引き出すのが関の山だが。
「そうですか。では、後のことはお任せします。じゃあ、明日も早いし、帰ろうか」
「はい、お兄様。では、皆様、ごきげんよう」
恐々としていた柳田や公安の派遣員を余所に、アルフォンスはあっさり主導権を手放すと、ユノを連れて《転移》でさっさと消えてしまった。
残された柳田は、またも混乱した。
トレーラーをどうすればいいのか、組織の人には話が通っているのかなどなど。
しかし、すぐに「悩んでいる時間は無い」と判断すると、公安と連携を取って教団施設を制圧。
そして、情報操作等の工作に奔走した。
◇◇◇
アルフォンスたちが転移した先は、郊外にある人気の無い駐車場だった。
ふたりがそこに到着すると同時に、どこからともなくストレッチ・リムジンが出現すると、運転席から降りてきた男が後部座席の扉を開いてふたりを招き入れる。
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
「お疲れさま。ところで、セーレさんって暇なの? こんなに頻繁にこっちに顔を出していていいの?」
ふたりを迎えに来たのは、ふたりと親交のある大悪魔のセーレだった。
「私の権能は人や物を運ぶことですので、ユノ様のような尊きお方をお運びすることが使命といっても過言ではありません」
「え、そんな特別扱いはしないでほしいのだけれど」
セーレは移動に関する特殊能力を持っているため、軸の異なる世界間の移動ができた。
それゆえ、異世界での情報収集や工作などを担当していた彼だが、今はその能力を使って越権行為を繰り返していた。
「伝承では似たような能力を持ってる悪魔もいますけど。バティンとか」
「ふはは、アルフォンス殿、それは言わない約束です!」
「『尊い』とか言いながら、無視するのはどうなのかな?」
ただ、完全に同一の能力ではないが、世界を超える能力を持った者はほかにもいる。
バティンといわれる悪魔もその一柱だが、セーレより役職が上の彼は現場に出なくなって久しく、勝手に現場復帰できる立場ではなくなっていた。
それでも、簡単には諦めきれなかった彼は、セーレに格別な便宜を図ることで何かしらの恩恵にあずかろうと画策していたが、それはまた別の話である。
『あ、バティンとかいう悪魔ならさっき倒したけど』
「え、アバドンって言ってなかった?」
『そっちも撃退した。2柱いたんだよ』
「ふむ、アクマゾン所属のバティンとはまた違う、こちらの世界に属する悪魔かとは思いますが、別にアクマゾン所属のバティンでも構いません。権力を振りかざして無理な要求を押しつけてくる糞野郎ですので。むしろ、ユノ様の手で滅ぼされたなら本望というものでしょう。アバドンも同様です」
「こっちの世界でも独自の悪魔がいるんですね――ってことは、神様もいるのかな?」
「恐らくは。ただ、現状は人々の意識の中というか、信仰の中だけの存在ですので、何かしらの切っ掛けをこちら側で作らないと顕現できないと思われます」
「……フラグは立てないでね」
特別扱いについては諦めたユノが、どうにか話題に追いついて口を挟んだ。
『フラグといえば、「ユノに愛を教える」っていうのはどうなったの? 結構御膳立てはしてあげてると思うんだけど。領域も様になってきたし、諦めたわけじゃないんだよね?』
しかし、すぐさま流された。
「諦めるわけないだろ! 俺は諦めの悪い男だからな! ……でもなあ……」
とはいえ、ユノにとっても興味のある話題であるため大人しく答えを待つが、アルフォンスの態度がはっきりしない。
「くはは! アルフォンス殿は、さきのユノ様との対話で一気に階梯が上がってしまったため、それまで考えていた『愛』では太刀打ちできないと気づいてしまったのでしょう! 例えるなら、歴戦のセクシー女優に、短小早漏童貞が挑むようなもの!」
その理由をセーレが説明する。
アルフォンスや、ほかの多くの者が考える「愛の営み」は、多様性はあるものの人間基準のものだった。
しかし、邪神式高次コミュニケーションを体験した後では、セーレの出した例以上に「身のほど知らず」だと思えてならない。
領域による侵食には、言葉による、肉体的接触による、心による――それらと、それ以外の様々なものを混ぜ合わせた感動があった。
そこには、苦痛や恐怖だけではなく、快楽や喜びも確かにあったのだ。
それを知った後では、快楽と喜びだけを武器に「愛」を語れそうな気がしない。
それでも、おねショタもののように優しく受け止めてくれそうではあるし、それはそれで非常に魅力的だったが、諦めの悪い彼はそれを素直に受け入れられない。
「言い方! いや、なんとなく的を射てるけど!」
「おっと、失礼しました。何分、悪魔なもので――はともかく、相手のことを知らなければ蛮勇もあったのでしょうが、知ってしまった以上、無理はできないのですよ」
「うーん、アルにできる精一杯を見せてくれるだけでいいのだけれど」
ユノとしては、アルフォンスに限ったことではないが、背伸びや無理をしてほしいわけではない。
彼女が求める「可能性」はその言葉の先にあるもので、必ずしも無理をしなければ手に入れられないものではないのだ。
当然、アイリスやアルフォンスのように、大きな代償を支払って成果を得た者もいるが、どちらも運が良かっただけである。
強いていえば、魔力や目指す可能性についてしっかりと認識していたところも一助になっているが、普通はマーダーKや呂布のように鍍金が剥がれるだけだ。
「そこはまあ、繊細な男心というものですよ。まあ、我々『ソフト百合教徒』としましては、『ざまあ』感で胸がいっぱいですが。くくく、だが、さすがアルフォンス殿。身体を張った良いネタを提供してくださる! ふはははは!」
ただ、“男心”というワードが出たところで、それが理解できないユノは反論を封じられてしまう。
当然、“ソフト百合”にもツッコめない。
「くっ……! でも、確かに想像してたイチャラブの段階をすっ飛ばしてわけ分からん状況になってるけど、方向性は間違ってないと思うんだ! 前人未到の領域で、今は何をどうしていいのかさっぱり分からなくなってるけど、いつか絶対に理解させてやるからな!」
思わぬ形でチャンスをふいにしてしまった、そして、今更人間視点での愛を語ると敗北宣言になりかねないアルフォンスだが、まだ諦めたわけではない。
それに、邪神視点での「愛の営み」を発見できれば、一発大逆転もあるかもしれない。
「期待して待っているよ」
ユノとしても、焦って結果を出してほしいわけではない。
ただ、こうして前向きに進んでいる人を見ているだけでも満足で、カルト教団や悪魔のことなど、すっかり「どうでもいいこと」になってしまっていた。
当然、竜胆たちに指導をする約束もすっかり忘れているが、さしたる問題になるものではない。
対応が遅れたせいで取消せなくなったりもするが、その程度のことである。
「朔もね」
その期待は朔にも向けられる。
開花した朔の能力は、ユノにとって極めて危険なものにもなるが、それはそれである。
朔がユノの付属物ではなく、対等の存在であろうとして開花したことは彼女にも伝わっている。
その形が少々過激なだけで、その想いが本物なら受けて立つのが彼女のあり方である。
昆虫やグロテスクな物など、受けて立てない物もあるが、それもやはり「それはそれ」である。
『まあ、まだまだ可能性を追求しないとだけど、退屈させないように頑張るから期待してて』
アバドンの領域内での出来事は、その中にいた者にしか分からない。
セーレをはじめとした、ユノを監視する役目の者たちでも、他者の領域内に侵入するのはリスクが高い。
単純な生命の危険だけではなく、存在が発覚することで世界に影響を与える可能性なども考慮してでのことである。
したがって、朔が開花していることはユノしか知らない。
ユノと朔のやり取りは、アルフォンスやセーレが若干の違和感を覚えるものだった。
それでも、朔が何かを企んでいるのはいつものことでもある。
ゆえに、日常のひとコマとして流された。
もっとも、知ったからといってどうにかできるものでもない。
そして、真に危険なものは、往々にして目に見えず、気づかないうちに忍び寄っているものである。




