54 予感
――ユノ視点――
さっきの虫は何だったのだろう?
というか、何か喋っていたよね?
慌てていたので、何を言っていたのかは聞きとれなかったけれど。
もしかすると、あれが「虫の知らせ」というものだったのか?
そんなサービスは頼んでいないのだけれど……。
それよりも、私が虫が苦手な理由を、特に子供たちに対して「まともな意思疎通ができないから」と誤魔化していたのだけれど、さっきのような言葉を操るのがいるとなると、言い訳として使えなくなるかも。
どうしたものか。
「御神苗さん、さっきのは一体……?」
……清水さんは虫を知らないのか?
そんなことがありえるのか?
そういえば、北海道とか寒い所には虫が少ないとかいないと聞いたこともあるし、実物を見たことがないとか、そういうことかもしれない。
羨ましいことだ。
「あれは『虫』っていう生物です。私、虫は苦手なんです」
「いえ、そうではなくて、まあ、私も苦手ですが、あれはアバドンの眷属とか使い魔ですよね? そんなのを一瞬で溶かした液体のことなんですが……、私たちに影響が出たりはしませんよね?」
ああ、そっちか。
確かに、市販品には見えないし、彼女の立場では「禁止薬物かも?」とか、そういう心配が出てくるのも仕方がないのか。
「あれは友人から貰った物で、使ったのは初めてなので、よく分かりません。とはいえ、即効性が強いみたいですし、今死んでいないなら大丈夫だと思いますよ」
今回のは、前回使った物よりも、即効性は随分と上がっていた。
パイパーもやればできるじゃないか。
みんなと力を合わせたのがよかったのかもしれない。
というか、可能性と可能性が合わさるといろんなことができるようになるとか、そういうことだろう。
きっと、根源的にも良いことだと思う。
「そ、そうですか……。そんな物をぶっつけ本番で……」
「莫迦かおめー。それが無きゃ死んでたかもしれないんだぞ!? ボスに感謝しろよ!」
「というか、きっと御神苗さん流の冗談ですよ。和ませようとして……ええっと、和むって何だろう?」
心配性の清水さんに、伊達さんと観さんがフォロー? を入れる。
確かに、どこかで実験してからの方がよかったのは間違いない。
こんな閉鎖空間で、魔界の時のように効かなかったら大惨事になっていただろうし。
「それはそれとして、これはアバドンが活動を始めたということでしょうか? ……うちの安倍や、綾小路と一条のお嬢さんたちは大丈夫でしょうか?」
観さんがそんなことを訪ねてきたけれど、領域の展開を禁止されている私には分らない。
全部朔にお任せしている。
というか、さっきのような大きな虫がいるかもしれないとなると、禁止されていなくてもできない。
朔は呼びかけに応えてくれないし、ちょっとピンチかもしれない。
クラスメイトがいなければ、ここにいる人たちを連れて脱出したいところだけれど……。
「あの、私たちのことは大丈夫ですので、安倍たちの救出をお願いできませんか?」
どうしたものか考えていると、手当てを受けていた人のひとりがそんなことを言ってきた。
安倍さんたちが要救助者なのは確定しているのだろうか――という疑問はあるけれど、清水さんや観さんたちの表情を見るに、同じ気持ちらしい。
「……残してきた人たちが分断されている可能性もありますので、その場合はクラスメイトの救出を優先します。それと、これ以上分断されると強引な手段を採らなければならなくなりますので、多少つらくてもついてきてもらいます」
「……いえ、我々のことは気にせず、置いていってください。我々のことは、我々でどうにかしますので、どうか安倍をよろしくお願いします」
しかし、要救助者だった人のひとりがそんなことを言う。
反論が出ないところを見るに、みんな同じ意見なのだろうか?
「……莫迦なんですか? そんなことができるわけないでしょう」
二重の意味で。
いや、まあ、考えていることは分かるよ。
足手まといになる彼らを連れていると、安倍さんたちの応援に駆けつけられるのが遅れるとか、そんなところだろう。
けれど、こっちは朔が引き籠ってしまったので領域が使えないのだ。
もちろん、自前の領域を展開することもできるけれど、こっちの世界では極力控えると約束している。
まだ目的も達成できていない時点で約束を破るのは望ましくない。
最悪、「友達も領域で創った」とか思われても困るのだ。
そして、この人たちを見捨てられないのも、明後日からの旅行――友達を作るための大事な予定に、無意味な影を落とさないためなのだ。
そのためには、綾小路さんたちは当然として、公安の人たちが犠牲になるのも極力避けなければいけない。
「さすが、ボス! 敵には非情だけど、味方には優しい! 素敵!」
何か――いろいろと勘違いしている人が。
というか、味方だとは思っていないよ?
せめて、虫除けになってくれればそう思えたかもしれないけれど、現状では保護者のような気分。
「ボス? 伊達、貴女、うちを辞めるつもりなの?」
「っていうか、そんなことができるのか?」
「いや、だけど、相手はあの御神苗――さん。何か裏取引でも――」
そして、更に誤解をする人たち。
面倒くさい……。
それに、朔が不在? になった途端に虫とか飛んでくるし、嫌な予感しかしない。
朔、早く帰ってきて!
◇◇◇
――第三者視点――
朔は、表現しようのない感覚を抱いたまま、ユノの切実な呼びかけも無視するくらいに深い思索に耽っていた。
領域についての認識は、個体差や非論理的な要素が多すぎて、「これ」といった法則性を見いだすことはできない。
もっとも、領域――それを構成する魔素や魔力が「本人の可能性そのもの」であるとするなら当然のことである。
それでも、根源ごと、世界ごと、民族ごとのような方向性のようなものは存在しているはずで、それをもっと細かく分析すれば多少の法則性を見いだせるかもしれない。
それが分からない現状は、論理的な思考を好む朔にとっては面白くなく、それでいて解明し甲斐のあるものだった。
そうして、様々な領域に触れて、更にユノのアドバイスを受けた結果、今まで気づきもしなかった矛盾が朔の前に立ち塞がっていた。
そのひとつが、何かをなすには相応の「論理」が必要なはずの朔が、ユノに関することだけはその制限が緩いことだ。
ユノの特異性が原因ともいえなくもないが、それだけでは説明がつかないことが多くある。
例えば、異世界でのユノの衣服に関する裁量権。
いくらユノが裸族で衣服に対する興味が薄いといっても、両者の力関係を考えると、「委託」という形であるならともかく、朔が主導権を持っているのはおかしい。
また、後付けの魔法なども、冷静に考えると道理に合わない。
そもそも、肉体も魂も精神も合一されているユノに、「精神世界」などという精神だけの世界は存在しないはずなのだ。
つまり、朔が何らかの能力を用いて、彼女に干渉するための領域を構築していると考えられる。
それも、本来であればあり得ない関係性だ。
ほかにもいくつもの矛盾点があるが、結局のところ、朔は自身でも理解していない能力を、無意識に使っていた可能性が高いことに気がついたのだ。
それが何かは分からないが、心がときめくような感覚の素であることは間違いない。
一方で、それは朔の特性――「解析」と「再現」とは相性が良くないことも理解できる。
もっとも、理解不能の能力を伸ばしたからといって、それらを完全に失ってしまうことはないはずだが、前者の能力を開花させてしまえば、ユノと同様、それ以外のものの成長は著しく鈍くなってしまうだろう。
朔は、開化の予感を前にして、「やりたいこと」と「やれること」、そしてユノとの関係性について悩んでいた。




