41 圧力
「……見た?」
巴が訊かなくても分かることを訊いたのは、自身の目で見たものが信じられなかったからだ。
「ええ、武器を持って異能も使う強化人間を、素手で制圧しましたね……。近接戦闘もかなりできるとは思っていましたけど、これほどまでとは思いませんでした」
「というか、飛びつき後三角絞で決めるとか、立ち回りが渋すぎますよね。それに、プロの格闘家でも、あそこまできれいに決められませんよ」
竜胆や怜奈は、そんな巴の言葉に律儀に答える。
信じられないものを見たのは彼女たちも同じであり、口に出すことで確認し、共感を示すことで安心したかったのだ。
ユノが行ったのは、言葉にすれば単純なもの。
まず目潰しで視力を奪い、刀を蹴り上げることで反撃を逸らす。
そこから更に踏み込んでボディーブローで体勢を崩すと、無理な体制で刀を振り下ろす安倍の身体を駆け上がっての後三角絞。
それを強化人間を相手に、一切の異能力を使わずにやってのけたのだ。
その直前の霊獣を使った立ち回りの隙の無さからすると、手加減してのことなのは疑いようがない。
御神苗がいくら強くても、マーダーKと同様に、「いざとなったら力尽くで、奇襲ならワンチャン」などと考えていたのは、どこの組織でも同じである。
当然、綾小路家や一条家でも考えられはしていて――いまだに検討されていたが、これを目の当たりにすると、それがいかに甘い考えだったかを思い知らされた。
そんな主張を支持していた綾小路家のエージェントもこの現場にいる。
竜胆が彼らのいるテントに目を向けると、テントから顔だけを出してユノの様子を窺っていた彼らと目が合った。
彼らは、気まずそうにテントに引っ込んで、しばらくゴソゴソしていたかと思うと、テントの外に一台のビデオカメラを置いて、今度こそ沈黙してしまった。
その様子を見る限りでは、彼らが莫迦な考えを改めたのは間違いない。
そして、そのビデオカメラでユノを撮影していたことも間違いない。
それをテントの外に置いたことは理解できない――したくない。
しかし、放置するのも悪手に思える。
「え、まさか、あれを持って、私たちに謝罪してこいとでもいうのですか?」
「お嬢様、『たち』なんて言って、ナチュラルに巻き込まないでくださいよ」
「むしろ、貴女の仕事だと思っていたのだけれど?」
「なんでですか!? 私みたいな下っ端が謝っても、『上の者を出せ』って言われるだけですわよ!?」
「貴女たちも大変ね。あ、貴女たちが取りに行かないから、ビデオカメラこっちに投げてきたわよ」
綾小路家のふたりのやり取りを冷ややかに見守っていた巴が、状況が動いたことを報せる。
「一条さん、この現場では仲間だと――何でも協力するという約束でしたわよね」
「残念だけど、この現場での協力は教団関係だけよ。御神苗さんは教団関係者じゃないから、協力する義務は無いわ」
「でも、一条家だって、どこかで御神苗さんをマークしてますよね? いいんですか? きっと、後からひとりで謝罪に行かされると思いますよ?」
「うっ、それは……」
怜奈の言うように、今日の報告を受けた上層部がそういう指示を出すケースが、無いとは言い切れない。
むしろ、「悪気があったわけじゃないんだって、君の方からどうにか謝っといて」と、切り捨てに近い形で指示が出る可能性もある。
一条家全体と巴ひとりを天秤にかければ、一条家に傾くのは当然のこと。
一条家としては、彼女は稀代で期待の新人だが、御神苗と争ってまで守るものでもないのだ。
親子の情などが無いわけではないが、お役目もある家が一家心中しては、無関係の一般人にも迷惑が掛かる。
「……やっぱり、私も一緒に行ってあげるわ」
結局、ひとりで謝罪に行くのも怖く、放置しておくのも得策ではないと判断した巴は、竜胆たちと一緒に謝罪に向かうことにした。
◇◇◇
安倍を絞め落としたユノは、すぐに彼に活を入れると、同じく気を失ったまま――実際には精神がずれて幽体離脱のような状態になっている伊達の許へと向かう。
単純に意識を失っただけの安倍や、彼女の眷属に攻撃されてダメージを負っただけの者であれば、彼女以外でも治療は可能である。
しかし、伊達に関しては、ユノか彼女本人でなければ回復できないのだ。
むしろ、下手に手を出されて、遷延性意識障害などと判断されると、ユノにとってはとても困ることになる。
そうなる前に対処しなくてはいけないと、手持ち無沙汰だったので介抱に向かおうとしていた砂井を押し退け、伊達の許へと辿りつく。
伊達にはそれが、彼女に止めを刺しにきたように見えた。
どうにかして逃げようとするも、意識の無い肉体は当然として、精神体も動かない。
そうして死を覚悟した次の瞬間、世界に色や音などが戻った。
彼女は、その懐かしい感覚に理由も無く感動を覚えて、少しの間それに浸っていたが、ふと、彼女に活を入れた存在のことを思い出して、恐る恐る振り向く。
いた。
気配も何も無いのに、そこにあるのが当然のような――幽体離脱していた時に感じた印象と合わせて、世界が彼女に追従していると錯覚するほどの存在感がある。
そんな存在に刃向かおうとしたことに対する後悔と恐怖で胸が高鳴る。
そこに、正常性バイアスや吊り橋理論などが作用し、何かが壊れた。
伊達は、素早く仰向けに寝転がると、シャツをまくり上げてお腹を出した。
改造手術によって人狼の因子が埋め込まれていたせいかは分からないが、それが彼女の考え得る最高の服従姿勢だった。
しかし、そんなことをされると困るのがユノである。
これまでにもいろいろなものを屈服させてきた彼女だが、人の目がある所でこんなまねをされると、非常に世間体が悪い。
ある意味では、非常に効果的な攻撃である。
朔にとっても、ただ実力を認めて「ユノすげー」してくれればよかっただけなのだが、そんな想像とはベクトルの違うリアクションには困惑するばかりである。
そして、どんなに悪知恵を働かせても、ここから「ユノすげー」に持っていくことは難しい。
ユノは、そんな伊達を見なかったことにして、山本の許へ戻ることにした。
しかし、伊達は素早く起き上がると、彼女の進路を妨害するように回り込んで、再び服従姿勢をとる。
これを見なかったことにするのは無理がある。
だからといって、どう対応すればいいのかは、ユノたちでなくても分からない。
むしろ、伊達本人にも分かっていない。
そんなところへ、いわれのない謝罪のために近づいていたクラスメイトたち。
ただでさえ足が重いのに、向かう先の理解不能な状況に、更に足が鈍る。
しかし、止まってしまっては不信感を与えかねない。
それでも、これ以上状況が複雑になると、更に困ったことになると考えた竜胆は、勇気を出して足を前に出す。
「あ、あのっ、御神苗さん――」
「くぅーん」
竜胆が声をかけたのと、伊達が鳴いたのはほぼ同時だった。
「ごきげんよう、綾小路さん。一条さんと内藤さんもごきげんよう」
ユノは伊達を無視して、竜胆たちに向かって挨拶をした。
「あっ、ごきげんよう、御神苗さ――」
「くぅーん!」
ユノに倣って挨拶を返そうとする竜胆に、伊達が負けじと被せる。
その圧がすごくて、竜胆もそれ以上は踏み込めない。
怜奈と巴も、竜胆を盾にするように足を止めてしまう。
「くぅーん」
「「「……」」」
満足そうに鳴く伊達と、困惑する三人。
困ったユノは、山本や安倍たちの集まっているところに視線を向けて、「引き取りに来い」と念を送る。
傍目にはただ見詰めているだけだが、先ほど完膚なきまでにボコられた安倍たちからすると、無言ゆえの圧がすごい。
そうして、比較的ダメージや症状の少ない砂井が慌てて回収に来るも、服従姿勢のまま「ぐるるるる……」と唸って威嚇する伊達の圧力に負けて、退散してしまう。
結局、安倍が嫌がる伊達を無理矢理回収して、ようやく彼女の周りは静かになった。




