40 善戦
ユノの攻撃は、物理的なものだけではなく、魂や精神にまで干渉する。
ユノとしては、朔の「能力を使いつつ、スタイリッシュな戦闘」という条件を満たすために、突進してくる伊達を、アポート(に見せかけた領域干渉)で掌打の間合いに引き寄せての、絶妙な一撃で仕留めた。
それは、タイミングも角度も完璧で、アポート部分を除けば、格闘技や近接格闘術に精通している者を思わず唸らせるような玄人好みのものだった。
しかし、朔のリクエストは、アニメや漫画のように派手でスタイリッシュなものである。
当然、朔もそういったイメージは何度も伝えているものの、成長をしない、あるいは遅いユノにものを教えるのは、非常に根気の要る作業だった。
そして、肉体が強化――変質して、それに精神が適応できずにある種の障害を抱えていた伊達が、ユノの攻撃を受けて想定外のダメージを受けたのは、お互いにとって不幸な事故だった。
ユノとしては、いつもと同じように攻撃しただけ。
伊達の精神が少し壊れていたのは、彼女からすれば個性の範疇である。
それなのに、彼女の何でもない攻撃で、伊達の精神が非常に大きなダメージを受けた。
彼女としては、青天の霹靂である。
伊達は、このままでは、廃人――いずれ、精神の状態に引き摺られて肉体や魂も死に至るのは確実である。
ユノとしては、こんなことで禍根を残すのは本意ではない。
たとえ、ここにいる者を皆殺しにしても、問題の解決にはならない――どころか、大きくするだけ。
彼女は、伊達を死なせないために、やむを得ず伊達の精神に干渉した。
ユノに精神を補強された伊達は、精神の崩壊による死は免れた。
しかし、少しばかり補強が過ぎたため、一時的に精神だけでの存在が可能になってしまった。
これが、彼女が幽体離脱のような状態になっている理由である。
当然、いつまでもこのままというわけではなく、いずれは彼女の肉体との繋がりも復旧して、その魂とも馴染むはずだ。
しかし、現在の剥き出しの精神だけとでもいうような状態は、吹けば消えてしまう蝋燭の火のようなものである。
無論、それは精神を認識できて、干渉できる存在がいればという話だが、それはすぐそこにいるのだ。
理屈は分からないが、伊達には確信のようなものがあった。
というより、それを幾重にも取り巻くように展開している「神の見えざる手」とでもいうようなものが、砂井の弾倉を奪い、観を引き寄せていたのが理解できた。
もっとも、それはユノの領域ではなく、彼女の領域の扱い方を学ぼうとしている朔の領域なのだが、さすがにそこまでは理解できていない。
また、上井たち忍者衆を襲ったネコやフクロウも、見た目どおりの可愛いものではなかった。
とにかく圧がヤバい。
精神体になっていた伊達には、普段目には見えないものが見えて――精神で直に感じていた。
あれは、猛獣――というより、災害が小動物の形をとっている魔獣である。
あんなものが世に放たれれば、確実に世界が終わる。
地震を止められる人間がいないように、あれを止めることはできない。
しかも、それがいっぱいいる。
そして、その親玉があれである。
(なるほど。あの災害級の小動物は眷属なのね)
理解させられた伊達。
(それで、災害を従えるあれは「終焉」か? 圧の桁が――次元が違う。ああ、逃げて、マスター! 戦っちゃ駄目!)
あれに向けて構えをとる安倍に、伊達は必死に呼びかけるが、声にならない想いは届かない。
伊達の目に見えているのは、戦う前から「神の見えざる手」によって包囲されて、ほぼ詰んでいる安倍の姿。
完全に詰んではいないのは、それの余裕の表れか。
それでも、勝ち筋を拾うには、宝籤を何度も連続で中てるような綱渡りが必要になる。
ユノと対峙している安倍は、居合の構えを維持したまま動けない。
伊達が倒された時は何が起きたのか分からなかったが、その後に観が割りこんできたことと、多少の考える時間があったことで理解した。
彼女のアポートは、近接戦闘でも応用できるレベルにあるのだ。
NHDを潰したように、正面からの火力戦でも強く、能力的に暗殺もお手の物――と、反則級の能力である。
しかも、伊達をあっさり倒したように、格闘術にも組み込んでいる隙の無さ。
どれも回避も防御も不可能なもので、予兆すら分からない。
アポート打撃で脳を揺らされては、伊達より耐久力に劣る安倍では耐えきれない。
それでも、ネタが割れていれば、多少の対策はできる。
安倍は、簡単には脳を揺らされないように、居合の構えのまま、顎を引いて首の筋肉に力を込める。
そうすると、自然と視界は下がり、ユノの全体像を捉えにくくなるが、そのメリットを考えると甘受せざるを得ないデメリットである。
それに、どのみち彼の方から踏み込んで斬ることはできない。
伊達が簡単に倒された理由のひとつは、恐らく、前進中の流れる視界の中で、アポートによる変化を察知するのが遅れたためだろう――と推測したからだ。
ゆえに、彼は動かない。
視界が変化した瞬間に、打撃に耐えつつ斬る――彼の勝ち筋はそれだけだと考えていた。
それは、ユノが、相手の視界や思考まで盗んでいる――そう評価してのことで、安倍の勝負勘が非常に冴えていることの証明でもあった。
ユノも、安倍の狙いにはすぐに気がついた。
そして、ほんの僅かな抵抗だとしても、間合いを理解して、最善手かそれに近い手を探っていることに、心の中で賞賛を送る。
ちなみに、安倍が動いた瞬間に終わらせる――という読み筋は正解だが、正確には視界の変化を利用してではなく、意識そのものの変化を利用している。
人間の思考力は有限で、完璧なマルチタスクも不可能――シングルタスクを高速で切り替えているだけである。
仮にスキルや特殊能力等で補強したとしても、それら自体にリソースを割くことになる。その分の消費も合わせると、効率的とはいい難い。
したがって、安倍が「動く」ことに意識を割いた瞬間に、防御の意識が幾分薄くなる。
無意識でもある程度の行動はできるのでゼロにはならないが、現状を正確に認識できなければ対処できないものについては無力である。
そうして、どれだけ工夫を凝らしたところで、ユノにとっては数手増える程度のこと。
しかし、その数手を諦めないことが、そして、そこにある可能性こそが彼女の大好物である。
動かない安倍に対して、ユノが一歩、また一歩と、無造作に間合いを詰めていく。
それでも彼は動かない。
動けば負ける――という構図は変わっていないのだから、当然である。
そして、ついにユノが安倍の刃圏に踏み込む。
攻撃するなら「ここ」というタイミング。
しかし、それは相手が罠を張るにも絶好のタイミングでもある。
安倍も、手を出さずに負けるというのは避けたいが、焦って――自身の弱さに負けるのも避けたいところ。
そういった冷静な判断ができているのは、視線を下げて、ユノを直視していないからだ。
もし、恐怖や誘惑に負けて直視すれば、その争いごととは無縁な穢したくなる無垢さに、「いける!」と判断を誤っていたことだろう。
機を窺う安倍に対して、ユノの歩みは止まらない。
安倍の狙いは、ユノが攻撃に移る瞬間。
後出しでも、彼女の攻撃が届くより先に、自身の攻撃が届けばいい。
最悪は、相討ちでもいい。
スマートではないが、身体能力の差で勝てるだろう。
そして、安倍にはそれを可能にする手札がある。
彼が手にしてる刀は、ただの武器ではない。
それは刀と鞘が対になっている呪具であり、使用者が魔力を充填することにより、レールガンに似た原理で、刀身を高速で撃ち出すことができる。
当然、撃ち出しただけではただの射撃で終わるのだが、安倍の強化された肉体は、それを制御することが可能だった。
そうして実現したマジカル&フィジカル電磁抜刀であれば、ユノにも通用するはず――通用しなければ困る。
ユノの間合いに入ってからが勝負だと、安倍は瞬きもせずに、彼女の運足に注視する。
そうして、伊達が倒された間合い――ユノの打撃の間合いまで数センチメートルというところで、安倍の目に何かが飛び込んできた。
ユノからすれば、安倍の間合いの取り方と覚悟は、なかなかに好ましいものだった。
それだけに、観ることに囚われすぎていることと、隠しもせずに刀に魔力を注ぎ込んでいることが残念でならなかった。
ユノのように魔力や精神などが見えている存在にとっては、それは会話しているに等しいものだ。
なので、掌打の間合いより少し遠い、貫手の間合い――意識の外から安倍の目を突いた。
ユノにしてみれば、居着いている相手に対する必中の攻撃。
安倍にしてみれば、隙ともいえないところに差しこまれた、まさかの一撃。
とはいえ、指先が僅かに触れただけで、失明するようなものではない――むしろ、ユノが触れたことで気持ち良いまであるが、安倍は不意の衝撃に動揺してマジカル電磁抜刀を発動してしまう。
刀を手放さず、辛うじてフィジカルもついてきたのは、彼がこれまで積んできた研鑽の賜物だろう。
ただ、一手届かない。
安倍のマジカル電磁抜刀は、ユノの頭上を通過していた。
ユノが、安倍の目を突いたとほぼ同時に、柄頭を蹴り上げていたことで射線をずらしていたせいである。
それでも、安倍の異能力は「運動エネルギーの操作」である。
それで、マジカル電磁抜刀からの更なる加速や急停止など、ベクトルを操作しての変幻自在な剣術を可能としている。
ただし、その際に掛かる負荷は全て彼自身の身体で受け止めなければならないし、他者の運動エネルギーを操作することもできない。
理論上では、銃撃だろうが砲撃だろうが、彼の身体に触れた瞬間に反射することも可能なのだが、実際には、認識できていない物に干渉できるような便利な能力ではない。
認識できたとしても、運動エネルギー操作に要したエネルギーは魔力となって消費されるため、決して無敵になれるようなものではない。
ゆえに、安倍はユノの攻撃を見切れないと判断した上で、それに備えていたのだ。
安倍は、盛大に空振りした刀を、ベクトルを変えて下方向へ切り返す。
彼の独特な剣術を最大限活かすために、刀は峰側にも刃がある鋒両刃造になっていたが、人体の構造上、この攻撃はただの打撃にしかなりえない。
斬るためには刃筋を立てればいいのだが、空振りの際に既にユノに潜り込まれていて、きついレバーブローを食らっていたのだ。
身体が「く」の字に折れ、膝の力が抜ける。
息が詰まり、何かが込み上げてくる。
刃筋を制御する余裕など無い。
強化人間もびっくりの一撃である。
それ以上に、一撃で心を折られそうになったことが問題だった。
これ以上、彼女のペースで戦ってはいけないと、安倍は崩れ落ちそうな身体に活を入れて踏み止まり、強引に剣を振り下ろす。
安倍が最初に感じたのは、腹部への軽い刺激。
さきのレバーブローの恐怖が魂に刻み込まれていた彼の腰が少しばかり引けて、フラフラになりながらも振り下ろされる刀は止まらない。
ただし、振り下ろされる先にユノの姿はない。
安倍がユノの姿を補足する前に、彼の首に纏わりつく優しい何か。
回る視界。
そして、安倍の意識は安らかな闇の中に沈んでいった。




