29 聖地
――ユノ視点――
アルとの添い寝は、何度か胸やお尻を触られたものの、寝惚けてというか無意識だったので、それ以上に発展することはなかった。
そうして、特に何事もなく朝を迎えた。
帰ってきた時間も遅かったし、やはり疲れていたのかもしれない。
よくよく考えてみれば、睡眠欲は性欲と違って生存に直結しているというし、どちらの優先順位が高いかなど考えるまでもないことだった。
興味本位で誘惑しようとした私が浅はかだったのだろう。
さて、睡眠時間は短かったものの、爽快な目覚めを迎えたらしいアルが起き抜け一番に用意してきたのは、女物の服――恐らく、サイズ的には私用の物だ。
見る限りでは、白のブラウスに黒のスカート――丈は膝上だけれど、ウエストラインが高い、いわゆるハイウエストとよばれるタイプの物で、特段おかしなところはない。
今日はこれを着ろというのか?
「今日は聖地に行くから、これを着てくれ」
アルが私の服装を指定してくるとは珍しい。
とはいえ、大人しめの服装ではあるけれど、聖地に行くには不適切では?
なので、一瞬「整地」かとも思ったけれど、それも不適切か。
「大丈夫。戦場になるから地雷は必要」
私の不安を汲み取ったのか、アルが補足を入れてきたけれど、安心できる内容ではなかった。
「この服で戦場に行くの?」
「ちょっとDTには刺激強いかもだけど、ユノなら大丈夫」
ふむ。
アルも礼儀やドレスコードくらいはわきまえているだろうし、そこまで言うなら信じよう。
◇◇◇
レストランで朝食を摂ってから、一度部屋に戻って外出の支度をする。
といっても、私には化粧やトイレの必要は無い。
髪のセットも、私専用の魔装を使えばあっという間に終わる。
それに、荷物も財布と携帯、それを入れるポーチがひとつだけ。
あっという間に準備完了だ。
聖地に行くにしてはカジュアルな格好のアルにエスコートされてロビーに行くと、ホテルのドレスコード的にはギリギリかな? という装いの真由とレティシアが待っていた。
ふたりは今日はイベントに行くのでは――ああ、移動の足を期待しているのかな?
「おはよう、ふたりとも」
「うわあ、これはあざとい。っていうか、その乳袋は何のつもり?」
「一緒にいると私たちが浮いちゃうので、あまり近寄らないでください」
ふたりとは朝食も別々だったので、まずは朝の挨拶をと思ったのだけれど、なぜか開口一番に非難された。
「まあまあ、ふたりとも。まずは、おはよう。よく眠れたかい? でも、似合ってるだろ?」
「アルフォンスさん、おはようございます」
「おはようございます。確かに似合ってはいますけど……」
「あざとすぎないですか?」
あれ、私には挨拶してくれないの?
「あの聖地じゃそんなに違和感ないんじゃないかな」
「そう言われるとそうかも?」
「でも、姉さんだし……」
お願いだから無視しないで?
◇◇◇
そんな心温まる団欒を経て、みんなで仲良く車に乗って、束の間のドライブを楽しむ。
しかし、車では聖地まで直接行けないそうなので、途中で降りて歩くことに。
なぜか、真由とレティシアも車を降りて一緒に歩いているのだけれど、特に困ることでもないので気にしない。
むしろ、久々の散歩だと思えば楽しいかもしれない。
「いつかは行ってみたいと思ってたんですよねー。電車とかだとすごく混むって聞いてましたし、助かりました!」
「女子ふたりだけだとなかなか勇気が出なかったんですけど……。それに、あんな良いホテルに泊まれるなんて、良い思い出になります!」
「ははは、喜んでもらえて何よりだよ。でも、これからが本番だから。暑さに加えて、結構臭いとかもきついから、体調悪くなったら無理はしちゃ駄目だよ」
しかし、真由とレティシアはアルにばかり話しかけていて、私に構ってくれない。
少し寂しい。
まあ、兄妹なんてこんなものかもしれないけれど――いや、今は姉妹で、しかもなりたてだから、距離感が掴めないとかそういうことかもしれない。
「それで、アルフォンスさんは向こうで何をするんですか?」
「うーん、適当にブラブラしつつ、何かネタになるものがないか探そうかなと考えてるよ」
「ああ、姉さんのアプリとかゲームですか……」
「うん、期待してる方たちのプレッシャーがきついからね。ああ、もちろんユノの面倒はこっちで見るから、君たちは自由行動でいいよ。何かあったら電話くれればいいし、もちろん《念話》でもいいよ」
「はい、ありがとうございます! この3日で悔いが残らないように見て回るつもりだったので助かります!」
真由は元気いいなあ。
「もう今年しか参加できないからね。でも、できれば見るだけとか買うだけじゃなくて、出す方でも参加したかったんですけど」
何のことだか分からないけれど、レティシアも積極的だなあ。
お姉ちゃん、嬉しいよ。
「その気になれば冬のに間に合うんじゃない? それか、湯の川でもそういうイベント開催するとか」
「あっ、それいいですね!」
「さすが、アルフォンスさんです!」
また湯の川で何かするつもりなのか?
それも、夏と冬? 大坂の陣?
よく分からないけれど、シャロンとしっかり相談してからにしてほしい。
そんな感じでしばらく歩いていると、徐々に――いや、急激に同じ方向に向かう人たちの渋滞――人でできた川に遭遇して、私たちも流れに呑み込まれてその一部になった。
電車でもないのに満員電車状態。
都会ってすごい。
それはもう、人で道が見えないレベルの混雑ぶりなのだけれど、なぜか私たちの周辺だけは微妙にスペースができている。
理由は分からないけれど、知らない人たちが防波堤となってくれているのだ。
その代償に、彼らの顔が苦痛に――案外素かも? 歪んでいるけれど、同時にやり甲斐のようなものも見て取れる。
時折、その防波堤の人から、チラチラ盗み見られているけれど、私たちの無事を確認しているのだろうか。
「さすがDTキラーだな。この混雑でもDTが近づけないとは」
アルがボソリと何事かを呟いたけれど、その意味はよく理解できなかった。
DTというのは何かの略?
それとももう作戦行動中なのかな?
そうすると、もしかして防波堤の人たちは現地協力員とか?
とりあえず挨拶でもしておくか?
そう思って、とりあえず会釈をしてみたところ、「ふぉひっ」と変な挨拶で返された。
ふむ、作戦を前に緊張しているのだろうか。
笑顔が――いや、笑顔を作ろうとしたつもりか、「ニチャア」と擬音がしそうなくらいに引き攣っていたし。
「お姉ちゃん、余計なことをしない」
「そうやってすぐに人を誑かすのは止めてください」
妹たちから怒られた。
というか、人聞きが悪い。
会釈をしただけなのに。
「でも、そのおかげで、この混雑でもみくちゃにされないのは助かるよ」
「それはまあ、そうですけど。アルフォンスさんはお姉ちゃんに甘すぎません?」
「感謝してるところはありますけど、どこかで歯止めはかけないと……」
もっと素直に感謝してくれていいのに。
感謝されたくて何かをしているわけではないけれど、感謝をされると嬉しいものなんだよ?
こんなふうに――と、別の人にも会釈してみると、「ぶひぃ」というブタの鳴き声のようなものが返ってきた。
威嚇でもされているのだろうか?
そうやってしばらく歩いていると、この集団の目的地らしい、特徴的な建物が見えてきた。
どうやらそこでは何かのイベントが行われているらしく、それが真由やレティシアが参加するつもりのものなのだというのは分かる。
それはさておき、私の戦場はどこだろう?
イベント会場から近いとなると、非常にやりにくいのだけれど……。
そうこうしていると、私の予想どおりに真由とレティシアは会場内へ。
「それじゃ、気をつけてね」
「ありがとうございました! お姉ちゃんをよろしくお願いします!」
「本当に助かりました。ここまでとは思っていなかったので……」
アルにお礼を言って、意気揚々といった感じで会場内に消えていくふたり。
「それじゃ、俺たちも行くか。よそ見してて逸れるなよ」
ふたりが見えなくなると、アルも行動を再開する。
というか、私は子供ではないのだから、逸れるほどよそ見することなんてないのだけれど?
もっとも、ここまでの道程ほどではないにしても人口密度が高いので、油断していると姿を見失うことくらいはあるかもしれない。
それでも、朔の300メートルの領域は有効なので、それ以上離れる前に気づけは大丈夫。
アルが、手元のメモを見ながら足早に歩き始めるので、遅れないように後を追う。
アルが頻りに周囲を観察しているのは、もしかすると、ターゲットがこのイベント会場内にいるということなのだろうか?
これだけの人ごみの中で、特定個人か集団かを捜し出して始末するの?
さすがに難度高すぎない?
ああ、ある程度強引に行くつもりで――それで戦場になると言っていたのか?
いや、しかし、ここには真由とレティシアもいるのだけれど――まさか、巻き込んだの?
それはさすがに駄目でしょう。
いくらふたりが同意したからといって――いや、もしそうでも、ふたりが参戦する前に私が片付けてしまえばいいこと。
ところで、誰がターゲットで、何をすればいいのだろう?
「これください」
「はい、ありがとうございます」
そんなことを考えながら周囲の人を観察していると、アルが何かを買ったらしい。
何を買ったのかに興味を惹かれて、そちらに意識を向けてみると、表紙に複数の半裸の女の子が大きく描かれている薄い本が。
「ハーレム――」
「タイトルを声に出すな」
アルに口を塞がれたので、目でどういうことなのかを問うてみる。
「資料だ」
目と目で通じ合ったけれど、意味はよく分からなかった。
「時間が惜しい。次に行くぞ」
そして、説明を求める間もなく、どこかに向かって歩き出した。
そして、行列に紛れて、また本を買っては次の行列へ。
買っているのは、やはり可愛い女の子のイラストが描かれた薄い本。
資料とは一体どういうことなのかと、売り子さんにひと言断りを入れて――なぜかすごく恐縮されてしまったけれど、内容を検めてみる。
そこには、可愛らしい絵柄の女の子が、ちょっと口に出しては言えないようなドギツイ絡み方をしているシーンが描かれていた。
思わず真顔になってアルの方を見てみたけれど、澄まし顔で「資料だ」と返された。
まさか、これを奥さんたちに――もしかすると、私にも実践しようというのだろうか?
百戦錬磨っぽい奥さんたちはともかく、私は初心者なのだけれど?
いや、アルが本気で臨むなら応えるべきか。私もアルにもっと激しいことをしたしね。
しかし、私があんな白目を剥いて涎を垂らすようなことになるのだろうか?
アルの神殺しは止まるところを知らないな。
けれど、アルがその気なら受けて立とう。
(ユノ、この本欲しい)
そんな決意を固めていたところに、朔が頭の中に語りかけてきた。
というか、朔なら領域内にある一切合切を再現できるのだから、私に断りを入れる必要は無いと思うのだけれど。
(何を莫迦なことを言ってるんだ! ユノには倫理観ってものが無いの? いや、ユノにはこの本に込められた想いが分からないの!? これだけの想いをまとめ上げた作者には、代金という形で敬意を払うべきだよ!)
えっ、朔に倫理観についてお説教された!?
それに、これは想いというか、欲望――いや、それもまた想いだと思うけれど、かなり重めのやつだよ。
(いいから! アイリスよりは軽いし、アルフォンスの想いにも応えるつもりなら、ユノも勉強しなきゃ駄目でしょ! というか、これくらいの我儘聞いてくれてもいいでしょ!)
あっはい。
「この本、下さい」
「ありがとうございまー……えっ」
何だか分からないけれど、売り子さんが私の顔を見て固まってしまった。
『作者さんの情熱、しっかりと伝わってきました。これからも頑張ってください!』
更に朔が熱の籠った感想と声援を送ると、売り子さんがちょっと引いてしまった。
「は、はい。ありがとうございます! 頑張ります!」
それも一瞬のこと、何か満面の笑みを浮かべて返事をしてくれたのだけれど、本の内容を実践しない程度に頑張ってほしい。
「朔か。分かってるな……」
そんな様子を見ていたアルが、感慨深そうに呟いた。
何が分かっているというのだろう?
そんなことを、お昼過ぎまで続けたところで気がついた。
もしかして、アルもイベントを楽しんでいるだけなのかな?
その後も、アルと朔に促されるまま薄い本を買い漁って、その予感は確実なものとなった。




