25 カーチェイス
――ユノ視点――
朔の能力実験がどういったものかは分からないけれど、台から玉がでなくなった――いわゆる打ち止めなのは分かる。
さすがに朔でも無から有を生み出すまではやらないらしい。
さて、膝を突いて放心している胡散くさい人をこれ以上追い詰めるのもまずそうだし、お金に困っているわけでもないので、これ以上稼ぐ意味も無い。
というか、救出予定の人が変な薬を打たれそうになっていたので、それを阻止すべく回収。
これをもって、本当に打ち止めとする。
何もするなと言われていたけれど、これはやむを得ないよね?
「……何か出た」
とりあえず、玉の代わりに彼が出たという演出に見せかけたけれど、納得してもらえるだろうか?
「玉川!? やはり無事だったのだな! 今までどこにいたのだ!?」
これに、清水さんが逸早く反応した。
「や、止めろ――! え、あ、あれ? 清水に――柳田さん? あ、あれ?」
どうやら、この人の姓は「玉川」というらしい。
玉の代わりに出たからというわけではないはずだけれど、妙なところでの偶然に少し頬が緩んでしまった。
「だが、なぜこんな所から……? 不思議なこともあるものですね。まさか、これがギャンブルの沼というものでしょうか? ねえ、ジェイさん。ぷ……くく……!」
柳田さんも、事情も分からないまま合わせてくれる様子。
英語なので、話の内容は分からないけれど。
ただ、煽っていることだけは分かる。
「え、ええ……。ええ……?」
胡散臭い人は状況が呑み込めていない様子。
まあ、パチンコ台から人が出たとなると、これが普通の反応なのだろう。
あれ?
パチンコって、出玉と景品を交換する遊戯だったか?
そうすると、この人と景品を交換するのか?
このまま持って帰ってもいいものだったか?
「では、ジェイさん。部下の健康状態などが気になりますので、今日のところはこれで。ご協力、感謝申上げます。清水君、彼を頼む」
私の心配を余所に、柳田さんが彼の回収を進めていく。
私に分かったのは、日本語で話していた「清水君~」以降だけだけれど、きっとそういう流れなのだろう。
「いえ、私の両手は塞がっておりますので」
私の眷属を抱えていた清水さんは、それを理由に命令違反をしていた。
もしかすると、大量のチップの方が原因かもしれないけれど、上司相手に一歩も退かない構えだ。
というか、チップを換金するためか、現場を離脱しようとしている。
「では、私が彼を護衛しましょう」
そこへアルが名乗りを上げて、帰り支度が整った――いや、清水さんがチップの換金に手間取っていた。
私のチップは、お金に困っているわけでもないので預けておこうと思う。
決して、英語が話せなくて換金できないからではない。
◇◇◇
カジノを後にして、帰りの車の中。
運転は柳田さんで、助手席には清水さん。後部座席にアル、玉川さん、私の並び。
サイズの大きな車なので、車内スペースには余裕はあるけれど、防弾仕様ではないそうなので、一応、襲撃や玉川さんの洗脳だとか乱心などに備えた配置らしい。
玉川さんの魂や精神には異常が見られないので、洗脳はともかく乱心については私には分からない。
むしろ、眷属以上に借りてきたネコ状態なので、その心配は無さそうけれど、追手が出ているのは事実である。
ただ、私は領域を展開してはいけないので、分かる範囲は朔の領域である半径300メートルまでで、実際に襲撃されるかも不明。
まあ、銃撃程度なら私とアル、それに私の眷属で充分対処可能なので、特に心配する必要も無い。
ただ、夜間とはいえ、明かりも人目もある町中で襲ってくるほど無茶な組織ではないのか、それとも隙を窺っているのか、距離を保ったまま追跡してくるだけで仕掛けてくる様子もない。
もしかして、過剰なお見送りサービスとかだろうか。
などと油断していたら、ハイウェイに入ったところで追いついてきて、車をぶつけてきた。
事故を起こして、そのどさくさに紛れてやろうというのか。
もっとも、アルの魔法障壁のおかげで、ぶつけてきた方の車が吹き飛んだだけで、こちらは無傷である。
だからなのか、体裁を取り繕うのも止めて、窓から身を乗り出して銃撃を始めたけれど、これもアルの障壁でシャットアウトされている。
「まさか、こうも堂々と仕掛けてくるとは――」
「柳田さん、前見て! 前! くおー、ぶつかるーっ!」
「ええと、大丈夫なんですよね!? せっかく解放されたのに、ここで殺されるとか、また捕まるとかないですよね!?」
皇の人たちは顔色を悪くしているけれど、この程度の豆鉄砲でアルの障壁が破られることはないと思う。
とはいえ、いくら口頭で説明したところで、「はい、分かりました!」となるのは狂信者くらいだ。
というか、狂信者は、最初から恐れなど抱かない危険な存在である。
とにかく、安心させるにはその元凶を断つしかないと――と、こちらも対抗して銃撃しようかと思ったけれど、思い直して清水さんに抱えられている眷属に「行け」と指示を出す。
今更だけれど、キャリーケージとか出してあげた方が親切だっただろうか。
さて、「急に道路に飛び出したネコを避けようとして事故を起こした」というのはよく聞く話だ。
どう見てもネコの体当たりで車が吹き飛んだけれど、そんな話をしても信じる人はいない。
どう頑張っても「ハンドル操作を誤った」と判断されるだろうし、頑張りすぎると、お酒や薬物の使用が疑われるだけだろう。
というか、あちらも非合法の組織なので、莫迦正直に事後処理をすることもないだろうし。
それよりも、確認できる範囲で、追手の数は車3台で14人。
追跡は継続しているけれど、手は出してこない。
というか、乗り出していた身を引っ込めて、しっかりとシートベルトを着けている。
襲ってくる気配はないけれど、戦域を離脱するつもりもないようで、どうしたものか判断に困るところ。
とりあえず、ホテルまでついてこられると面倒なので、眷属を仕掛けることにした。
◇◇◇
――第三者視点――
錯乱したジェイは、部下に、皇の関係者――せめて玉川だけでも処分しろと命じて送り出した。
その部下たちも、皇はまだしも御神苗に手を出すのは御免被りたかったが、命令を拒否すれば彼に殺される。
それを免れても、彼が失脚すれば道連れになる可能性を考えると、拒否できる状況ではない。
とりあえず、出撃するしかない。
ジェイの失脚はもう避けられないだろうが、彼らにはまだ「上司が莫迦だっただけ」という逃げ道が残されている。
ただし、無能だとか忠誠心が無いと判断されてしまうと間違いなく一緒に処分されてしまうため、「上司と相手が悪かった」としなければならない。
だからといって、御神苗とまともにやり合う気など全くない。
プライド的には憤死しそうなほど傷付けられているが、物理的に憤死するくらいなら、プライドや金銭を失う方がマシだった。
こういった組織に属していて、人間の枠を超えた力の存在を知っているからこそ、「敵に回してはいけない存在」というものが嗅ぎ分けられる。
だからこそ、皇には舐めた態度をとれていたのであり、御神苗だけは絶対に敵に回してはいけないと理解させられていたのだ。
もっとも、アルフォンスが偽装をしていた場合や、ユノだけが同行していた場合は違った展開もあり得たが、前者の実力を垣間見てなお敵対できる者はこの世界にはそう多くないし、後者の眷属に挑もうとする者はまずいない。
力と恐怖で成立していた組織が、それ以上の力と恐怖を前に機能不全に陥っていた。
先頭車が皇の車に並ぶと、運転手の男が覚悟を決めた。
「おおっと、ハンドルが滑った!」
そんな言い訳を口にしつつ、車をぶつけようとハンドルを切った――無論、軽く当てるだけのつもりだったが、車体のかなり手前で障壁に弾かれ、想像以上の反動に車が宙を舞った。
しかし、その吹き飛び方こそ想定外だったが、やることをやった上で離脱できたのは文句なしの結果である。
乗員に多少の怪我はあるものの、御神苗を相手に死者ゼロは最早勝利といっても過言ではない。
NHDのように問答無用で殺されていたかもしれないことを考えると、その先陣を切った彼らの勇気ある行動は武勇伝となるレベルのものである。
ひっくり返った車の中でガッツポーズをするのも、決して奇行ではない。
そして、皇の車に障壁が張られているという事実は、後続車を勇気づけるものだった。
銃撃しても被害を出さず、御神苗を本気にさせずに済む可能性があるという意味で。
後続の者たちは、本気で狙っていないことが分かるくらいに皇の車から距離を取る。
「くそっ、スピードが出ねえ! 何かの魔術か!?」
保身のために車間距離を確保しただけだが、車内では、後でドライブレコーダーの記録を確認された場合を考えて、運転手が芝居を打っていた。
魔術の発動を感知する道具もないではないが、さすがに気軽に車載できるような安い物ではない。
つまり、こうして芝居を打っておけば検証のしようがない――彼らの戦闘経験は、変なところで活かされていた。
「ここから撃つしかねえってことかよ!」
「くっ、何て強力な障壁だ!」
「これじゃ、ミサイルでも持ってこなきゃ話にもならねぞ!」
そして、自車や後続車のドライブレコーダー対策に適当な演技をしつつ、フェードアウトする機会を窺っていた。
もっとも、彼らが自発的にフェードアウトするより早く、皇の車から飛び出してきた霊獣によって撃破されるのだが、負傷者は霊獣の攻撃で車外に放り出された3人のみだったことで、車体の安全性とシートベルトの重要性が明らかになった。
無論、後続の車の乗員がシートベルトを着用したことは言うまでもない。
◇◇◇
「このたびは本当にありがとうございました」
皇関係者と御神苗兄妹が、黄龍会の追跡を振り切って元いたホテルに戻ると、前者の三人が後者に丁寧に頭を下げた。
玉川は事情が呑み込めていないが、助っ人のおかげで助けられたことくらいは理解していたし、この助っ人が途轍もなくヤバい存在であることも理解しているため、とにかく柳田と清水に追従した。
「いえ、お役に立てたようで何よりです」
「思い切って御神苗さんにご相談してよかったと思っています。失礼ですが、まさかこんなに早く解決するとは、思ってもいませんでしたよ」
御神苗が深入りしてくる気配が無いので、その心配は無いと思いつつも、玉川に余計なことを話させないように柳田が立ち回る。
皇の上層部としては、黄龍会との付き合いは継続していく予定なので、変に拗れて黄龍会を潰されるような展開は避けなければならなかったのだ。
普通ならそんな心配は無用なのだが、御神苗に理屈が通用しないことは、この数時間で充分に理解できていた。
なお、全面的な御神苗の協力を得られるなら黄龍会など不要になるのだが、そんな交渉を仕掛ける度胸と権限は柳田には無い。
「それで、これから皆さんはどうされるので?」
「こういう状況ですので、準備ができ次第すぐにでも国に戻るつもりです」
黄龍会がこれ以上手を出してくるとは考えにくいが、彼らのメンツを重要視する民族性を考えると、「絶対に無い」とは言い切れない。
特に、御神苗が離脱すれば、その可能性は格段に高くなる。
したがって、「一刻も早く安全な場所に移動する」という判断は妥当なものだろう。
展開が早すぎて引き揚げの準備ができていないが、やるしかないのだ。
「まあ、それがいいでしょうね。では、私たちは次の仕事がありますので、ここで失礼させていただきますが――それはお守り代わりに預けておきますね」
アルトの言うそれとは、清水の腕の中で大人しくしている、先ほど黄龍会の追手を撃退した霊獣である。
黄龍会に本気になられると戦力的に不安のある彼らには願ってもない申出である。
しかし、この霊獣が盗撮盗聴などの能力を持っていると、御神苗に余計な情報を送ることになってしまう。
「ああ、大丈夫ですよ。ご心配されているようなことは無いとお約束します。それに、そんなことをしなくてもいくらでも手段はありますから」
柳田が躊躇ったのはほんの僅かな時間だったが、アルフォンスがその懸念を無用のものだと保証する。
もっとも、後半は挑発めいたものだったが、彼らのような実力者が言うと説得力しかなかった。
「……では、有り難くお預かりします。それで、その――」
「回収は時期を見てこちらで行いますので、それまで、好きに――いえ、大事に扱ってください。その子が嫌がらなければ、長期になるかもしれません」
「……重ね重ねのご配慮、感謝いたします」
柳田には、その霊獣に、実際どれほどの力があるのかは分からない。
しかし、黄龍会の追手を撃退した能力や、部下たちの様子を見るに、尋常のものではないことは分かる。
それを長期貸出しなど、しかも対価の話にもならなかったとなると、理解が及ばない。
柳田は、混乱する頭でどうにか御神苗のふたりを見送った後、部下のふたりが見ている前にもかかわらず、大きな溜息を吐いた。
「ええと、部長。自分が助けていただいたことは分かるんですが、一体何がどうなっているのか教えてもらっても? というか、あのふたりが御神苗なんですよね? どういう経緯で――というか、黄龍会に捕まってた時より生きた心地がしなかったんですが?」
「ああ、詳しいことは本部に戻ってから話すが……。ところで、一般人である私には彼らの実力などは分からなかったんだが、君たちふたりの目から見て、彼らはどんな感じだった?」
「噂以上――いえ、底が全く見えませんでしたので、評価できるような段階にありません。この、霊獣――様だけでも、今まで遭遇したどんな闇災害より強い圧力を感じますし、飼い主のおふたりについては想像もできません」
「兄の方のヤバさは能力者なら誰でも感じられますが、妹の方は――何も感じられないのが逆に怖かったですね。状況的に、自分がアポートされたっていうのは分かるんですが、そういった実感とか違和感が何もないんですよ。能力者にも察知できない能力って何なんですかね……?」
実際にアポートを受けたらしい玉川の所感に、柳田と清水は言葉も出ない。
少なくとも、予兆すら分からないようでは防御のしようがない。
今回は「捕虜の救出」だったからよかったものの、いつでもどこでも拉致や暗殺ができる能力で、正面から戦っても強いとなると、打てる手が何も無いのだ。
「御神苗さんとは、今後も仲良くするよう上申しておこう」
「「そうですね……」」
それが「上申」になるのか「脅迫」になるかは分からないが、上の判断で彼らを敵に回すような展開は避けなければならない――それが彼らの共通認識だった。
「それで、とりあえずは、離脱の準備を――荷物は後で取りにくるとして、監視の無い今のうちに適当に移動するか。玉川には無理をさせられないしな」
「部長、その前に、霊獣様のお食事を用意しませんと!」
「……そうだな。……猫缶でいいのだろうか?」
「最高級の物を用意しましょう! 今なら懐具合に余裕があります!」
「そうですね。霊獣様さえいてくれれば、大抵のことは解決しそうですしね。自分も賛成です――が、清水のその重そうなアタッシュケースは……?」
「にゃー」
「ふふふ、内緒です。それよりも、霊獣様も賛成しておられるようです」
「まあ、事情が事情だから申告しろとは言わんが、代わりに霊獣様のお世話は任せるぞ。――では、行くか」
御神苗の能力を疑っていたわけではないが、それでも即日解決するとは考えていなかった皇に、真っ向からの実力行使に対抗する戦力や撤退の準備などあるはずもない。
それは黄龍会においても同じだが、地の利がある分黄龍会の方が有利である。
それらの不安要素が、この霊獣1匹で解決するのだ。
その霊獣については、ユノがそれほど力を与えずに創った愛玩用ではあるが、力の基準が彼女である。
皇の基準で、闇払いの対象と仮定した場合は、少なく見積もっても特級――皇であろうと黄龍会であろうと、一組織で対抗できる存在ではない。
つまり、この霊獣を所有している限り、彼らに手を出すのは自殺行為にほかならないのだ。
ただし、外見がネコなので、気紛れを起こされないかという点だけが懸念材料だが、ユノの眷属である霊獣は、彼女の役に立つために静かにやる気に燃えていた。
そんな彼らの心配を余所に、黄龍会が追撃を仕掛けてくるようなことはなかった。
黄龍会も、命は惜しい。
結局、彼らは翌日早朝には無事に帰国の途に就くことになる。




