10 擬態
「困りましたね。これでは職員室に帰れないではないですか。さて、皆さんも御神苗さんのことが気になるのは分かりますが、先ほども言いましたように、当校の生徒に相応しい博愛と寛容の精神をもって、あまり困らせたりしないように」
その言葉とは裏腹に、困った風でも、帰る素振りもない藤林(彼女募集中)が、ユノの周りに群がる生徒たちに釘を刺す。
しかし、特に効いた様子はない。
ユノの周りには多くの生徒が詰めかけていたが、いわゆるクラス内カーストが低い、自分に自信の無い生徒たちは、興味がありつつもそこに割り込む勇気が出ない。
そのため、自らの席で大人しく聞き耳を立てることしかできない。
また、全てを持っているようなユノを羨むではなく、妬むことしかできない者も一部にはいて、彼女たちもまたユノを攻撃する機会を窺いながら聞き耳を立てていた。
「御神苗さんはどちらからいらしたんですの?」
『生まれは日本ですが、いろいろと事情がありまして、物心がつく前から世界を転々としています。直前にいたという意味では、マレーシアの方に』
(世界を股に掛けるエージェントですって……!? この歳でそんな実力を持っているってことですわよね?)
(私たちの業界では縄張り荒らしはご法度ですのに……。それを苦ともしない組織ということですか)
ユノの回答に、魔術師のふたりが戦慄を覚えていた。
ちなみに、ユノも朔も日本生まれで、朔に明確な自我ができてから異世界転移をして、異世界でもあちこちを転々としていて、地球を模した名も無い異世界での湯の川の位置がマレーシアの辺りということなので、ほぼ嘘では無い。
「御神苗さんの髪とかお肌、とても綺麗ですね……。どちらの化粧品を使っていらっしゃるのかしら?」
「それとも、お姫様がするような特別なお手入れとかあるのかしら?」
『お化粧はしていませんし、お手入れも特には。強いて言うなら、【ソーマ】という健康飲料を愛飲していますが」
「何もなさらないでこんなにもお綺麗なんて……」
「羨ましいですわ。私など、髪のお手入れだけでも――」
(ソーマの名前をここで出すなんて……。これは、私たちに釘を刺しているのですわよね?)
(一条や綾小路よりネコハコーポレーションに近いということ……? 調査では、そんなことは一切……)
魔術師のふたりは、ユノの回答に必要以上に反応していた。
ソーマというのは、ネコハコーポレーションの主力商品であり、界隈では霊薬などといわれている物である。
これについては、前者は事実だが、後者は嘘である。
むしろ、彼女こそが真の原料であり製造元である。
「お姫様ともなると、私たちのような庶民とは造りが違うのですね」
「そういう体質というだけですよ。まあ、世が世なら王女だった可能性もあるのかも?」
(体質って、優れた術者が綺麗だったり、ずっと若々しくいられるとか、そういう意味ですわよね。それが、このレベルということは……)
(家格が能力の強さに影響するのは業界の常識――それが王族級ですって!?)
魔術師のふたりは、ユノが冗談めかして言った言葉を、強引に彼女たちの認識と結びつけて邪推していた。
なお、魔王の娘という意味で、王女というのは間違っていない。
「御神苗さんは彼氏とかいるの?」
「ちょっと、団藤さん。そのような質問は失礼ではなくて?」
「うるせーな。お前には訊いてないんだよ」
「何ですって!?」
「あの、私なら構いませんよ」
団藤の、誰もが気になっていたものの踏み込めなかった質問に、ユノを神聖視し始めていた女子のひとりが反論して雰囲気が悪くなりそうなところに、当人が割り込んだ。
「そうですね、結婚のお申込みはいくつかいただいておりますけれど、特定の方とはお付き合いしていませんよ」
「そ、その、どういった方たちか伺っても?」
「ええ。王様、王族、貴族の方から一般の方まで、いろいろです」
踏み込んだ質問にも、ユノは嫌な顔をせずに答える。
もっとも、その内容はクラスメイトの予想を大きく超えていて、普通に考えれば嘘だと判断されるようなものだったが、「「「御神苗さんならあり得る」」」と納得されてしまった。
むしろ、一般人が交じっていたことに希望を抱いたからかもしれない。
「そ、その中のどなたかとご結婚されるのですか?」
「それはまだ分かりません。皆さん良い人ばかりですし、そうなる可能性もあると思いますが」
(まさか、これがかの有名な逆ハーレム……!? 私なんて、家に決められた分家の誰かを婿に迎えるだけだというのに……!)
(これだけ持っていて、更にリア充ですって!? 私なんて訓練とお役目の毎日で、そんな余裕は全く無いというのに! 爆発すればいいのに!)
魔術師のふたりの、これはただの妬みだった。
「じゃ、御神苗さんの好みのタイプは?」
ファッションチャラ男の団藤が、更に踏み込む。
「特には――強いて言うなら、どんなことでもいいので、頑張っている人が好みです」
「いや、男の――彼氏にするなら、顔が良いとか、身長高い方がいいとか、芸能人に例えるとどんなタイプが好きとか、運動神経が良いとか、そういうのは?」
人間的な好みで躱されたと感じた団藤は、必死で方向転換を図る。
「彼氏――はあまり意識したことがないのですが、容姿や身長にそれほど拘りはありませんし、芸能人は日本に来たばかりですのでよく知りません。運動神経や頭の良さ、社会的地位や収入にも特に希望は――。強いていうなら、私の本気を受け止めてくれる人でしょうか」
多少でも経験を積んだ大人であれば、それがよくあるリップサービスだと分かっただろう。
容姿や収入などを気にしないといっても、どれも優れているに越したことはないのだ。
特に、金の切れ目が縁の切れ目となるのは男女関係に限ったことではない。
それは、「優しい人」や「一緒にいて楽しい人」などという、極めて主観的なものや具体性のない回答と同じである。
それでも、さきの回答が足掛かりとなる分、ゼロ回答よりはマシかもしれないが。
「教師たるもの、生徒のことを第一に考えて、少しでも分かりやすい授業をしようと毎日夜遅くまで――少々眠いですが、生徒のためならこれくらいは」
聞き耳を立てていた藤林が、わざとらしくアピールをし始めた。
経験を積んだ大人であっても――むしろ、経験を積んだからこそ、それに疲れているからこそ抗えないものもある。
経験の末にそれ以外の可能性は狭まっていき、柵が増えるほど、癒しが欲しくなる――そんな大人もいるのだ。
「ご無理はなさらないでくださいね?」
生徒たちに白い目で見られてもおかしくないような浅ましいまねをした藤林にまで、律儀に温かい社交辞令を掛けるユノはマジ天使――最早女神だった。
そうなると、経験どころか免疫もない少年少女はコロッと騙される。
彼女にそういう意図があったわけではないので、「騙される」という表現は適切ではないが、結果として多くの少年少女に勝手な幻想を抱かせたのは事実である。
ユノの隣の席の少年が、寝たふりを止めて、人垣の隙間から彼女を窺おうと上体を動かす。
「ああ? お前、何勘違いしてんだ? 御神苗さんがお前みたいなオタなんか相手にするわけないだろ」
しかし、それが団藤の目に留まり、彼の不興を買う。
少年はそれだけで委縮してしまい、再び寝たふりに戻ろうとする。
「そんなことはありませんよ? 私の従妹もアニメやゲームが好きですし、一緒に遊べる機会があればと思っていますから」
ユノとしては、真由とレティシアとの関係の設定をカミングアウトする機会にしようと思っての発言だったが、ふたりの反応が芳しくなかったので、それ以上は踏み込まなかった。
しかし、多くの少年少女たちに勇気を与える言葉だった。
「御神苗さんはどういったものを嗜まれますの?」
「アニメの方は、こちらに来たばかりなのであまり存じません。お薦めのものがありましたら、教えていただけると嬉しいです。ゲームの方は、最近『アナザーワールドオンライン』というのを始めまして。ゲーム自体に慣れていませんのでとても難しいですが、それ以上に楽しいですね」
ユノの必死なアピールは続く。
転入前に何度も実家を訪れたのだが、夕食のリクエスト以外では妹たちに相手をしてもらえず、ゲーム内では魂や精神を上手く認識できず、アバター名すら分からなかったので探しようがなかったのだ。
(AWO!? いえ、それはやっていますわよね。魔術師にとってもいい訓練場になるのですから……)
(なるほど。では、AWO内で他人として近づいて――いえ、彼女ほどの人がAWO初心者ということは……。罠でしょうか?)
「あ、俺もそれやってるよ! もしゲーム内で会ったらよろしく!」
「俺も俺も!」
ひとりの少年の発言を切っ掛けに、ユノの思惑も魔術師のふたりの思考も押し流される。
「そういえば、AWOっていえば、【伊藤】が大会に出てたよな。世界でベストエイトだっけ? すごいよなー!」
「ああ? つってもゲームの中の話だろ? リアルじゃ何もできないモヤシじゃねえか。それが何の自慢になるんだよ」
少年のひとりが、他人の名前まで使ってユノの気を惹こうとしたが、先に団藤の不興を買った。
しかも、その矛先は伊藤である。
彼にしてみれば堪ったものではない。
伊藤は、ゲーム内や大会などでは堂々としていたが、それ以外ではいたって普通の、団藤のようなオラついた輩の苦手な少年である。
「え、ええと、そうだね。運が良かったのもあるし、実際リアルじゃ何もできないしね……」
伊藤は、その直前にも団藤に絡まれていたこともあって、元より小柄な身体が消え入りそうなほどに縮こまっていた。
「私なんて転んでばかりですのに、世界でベストエイトなんて、すごいことだと思います。相当努力なさったのでしょう?」
「う、うん」
「でしたら胸を張るべきです。努力だけを誇るのはいかがなものかと思いますが、それで勝ち得た勝利は正しく誇らないと、ご自身にも相手にも、それにかかわる全ての人に失礼ですよ。負けた時に相手の方を認められればもっと素敵ですけれど」
「え、でもゲームの中の話だぜ? リアルじゃ何の役にも立たないじゃん」
ユノの伊藤を擁護するような言葉が気に食わない団藤がしつこく食い下がる。
「伊藤さんは、努力してひとつの可能性を示したのでしょう? まだ道の途中ですとか、そこがゲームか現実かはあまり関係無いと思います。努力した先からでないと見えない世界というのもあると思いますし、それが見えればほかのことへの応用も効くでしょうし。私としては、努力して何者かになろうとしている人を、大して努力もせず、何者でもない人が腐すのは好きではありませんし、生まれついてのものに胡坐をかいているだけの人も好きではありません。それに、努力をしていない人は、能力の有無にかかわらず、肝心な時に役に立たないことが多いですから――」
ユノとしては、努力している人の足を引っ張るようなまねは好きではない。
それゆえに、思うところがあった団藤の言葉に思いのままに反論したのだが、妹たちがリセットしようか迷っている雰囲気を察して途中で話を切った。
「ええと、僕の場合はただゲームが好きなだけで……」
「いいではありませんか。『好き』という気持ちはとても大切なものだと思いますよ。“好きこそものの上手なれ”とも申しますし、努力と好きとは矛盾しませんから」
(これだけ持っているのに才能至上主義ではない――いえ、持っているからこその余裕? これが真の王たる器なのでしょうか。格好いいですわ……)
(王になるべくして生まれて、それに相応しい努力も誰よりも重ねているからこその能力と自信? 悔しいけど、格好いいわ……)
『変な雰囲気にしてしまって申し訳ありません。もちろん、私たちの歳で、伊藤さんのように「これ」というものを持っている方が少ないでしょうし、それが早いか遅いかもさほど重要ではありません。私たちも、伊藤さんに負けないように頑張らないといけませんね』
二の句が継げない団藤に、「面倒な奴に絡むんじゃない」とプレッシャーを送る真由とレティシア。
それを察してフォローを入れる朔。
「さ、さすが御神苗さんですわ。ご見識が広くいらっしゃる」
「大人の女性という感じで、とても素敵ですわ」
「やっべ。転入生は聖女様だった。誰だよ、悪役令嬢とか言った奴」
「ふふ、私も何者でもありませんので、クラスメイトとして仲良くしていただけると嬉しいです」
((よく言うわ……))
(((でも可愛い……)))
魔術師のふたりに限らず、ユノの言葉の前半は誰もが信じなかったが、後半は微笑みもプラスされたことで、誰もが魅了された。
そうこうしていると再び予鈴が鳴り、生徒たちはさきのものよりぐずついたものの、藤林のわざとらしい咳払いで自分たちの席に戻っていった。
そうすると、ユノと伊藤との間に遮るものがなくなり、彼が盗み見るように彼女の方に目を向けると当然のように目が合ってしまい、慌てて目線を戻す。
伊藤は、ゲーム内で美少女アバター(※中身が男性を含む)など見慣れていて、ゲーム内では「現実の女はクソ(※彼女いない歴イコール年齢)」などとイキっていた、現実の女性と向き合うと舞い上がってしまう猛者である。
二次元から飛び出してきたような美少女が相手では、目を合わせることさえ――同じ空気を吸っていると思うだけでも舞い上がってしまい、それが挙動不審な動作に表れる。
「伊藤、何踊ってるんだ? 役員に立候補でもしたいのか?」
「い、いえっ! なんでもない、です!」
当然、教師の藤林に注意されたが、それが冷静さを取り戻す切っ掛けになった。
その様子にクラス中が軽く沸いたが、彼を笑い者にしたり、見下したりするような意図は無い。
確かに彼のリアクションは少々過剰だったが、その犠牲のおかげで醜態を曝さずに済んだ者も少なくないのだ。
伊藤以外の生徒や、教師の藤林から見ても、ユノは異質すぎた。
良家の子女が多い名城では、幼少時より文武両道を目標として、容姿や身嗜みにも惜しみなくコストがかけられている生徒が多い。
例えるなら、原石を磨いて立派な宝石とするようなものだろう。
それが高校三年生ともなると、輝きも一入である。
同年代の平均を大きく上回るような、見目麗しい紳士淑女も多い。
そんな中にあって、ユノの存在感は別格だった。
何をやっていても、そこにいるだけでも華がある。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――魅力的な女性を形容するのによく聞く諺だが、それを一分の乱れもなく実践するにはどれほどの研鑽が必要だったのか。
そして、化粧や整形などの誤魔化しが全く無い容貌やプロポーションの良さは、生まれる前からの積み重ねが違うことを意味しているとしか思えない。
張り合おうにも、最早今世での挽回は不可能。
どれだけ磨こうが石ころは石ころで、空に輝く太陽や星々には届かないのだ。
その上で、名城的アウトローの団藤を諫めて、スクールカースト底辺の伊藤にまで優しく接するなど、性格的にも叩ける隙が無い。
ただ、後になって学力の方は芳しくないことが判明したが、それは容姿の美しさや人当たりの良さに影を落とすほどのことではない。
むしろ、それすらも愛嬌にしか映らない。
なお、一条巴が転校生として認識されたのは、ユノの衝撃に周囲が慣れ始めてきた一か月くらいが経過した後だった。
彼女は、ユノを警戒して派手な動きは控えていたとはいえ、その間ずっと転校生だとは認識されないまま過ごしていたのだ。
「魔術師でも異能力者でもない、しかも同年代の子供には興味は無いわ」
そんなことを常日頃から公言していた巴も、これには結構堪えた。
神をも騙すユノの擬態は、経験の乏しい学生は当然として、社会人とはいえ外部との接触の機会が少ない教師に見抜かれるようなものではなかった。




