08 裏社会と裏世界
――第三者視点――
私立名城信賀大学付属高等学校は、地方都市にある幼少中高大一貫のミッション系名門校の高等部である。
近年の諸々の情勢には勝てずに、宗教色は薄れさせ、共学化に舵を取ったが、それでも名門の看板は健在だった。
始業式が終わった直後の三年A組の教室では、クラス替えの結果で一喜一憂する者たちが大勢を占める中、耳聡い者がある噂について話していた。
「そういや、このクラスに転入生が来るらしいぜ」
「え、マジ? てか、うちの学校転入生とか受け入れてたんだ?」
「聞いた話だと、結構いいとこのお嬢さんで、なんか強引に捻じ込んできたらしいぞ」
「女子かー! いや、女子なのは嬉しいけど、悪役令嬢みたいなのは勘弁してほしいけどな」
「すでに怖いのがひとりいるからなあ」
「綾小路さんなあ。美人なんだけど、いちいちきついんだよなあ」
「ついでに取り巻き――ってか、従者ってーの? 内藤さんも顔は可愛いのに怖いんだよなあ」
「下手に近づいたら殺されそうな雰囲気あるよな」
「転入生は普通の美少女だったらいいなー」
「何だよ、普通の美少女って。美少女って時点で普通じゃないだろ」
「ま、心配すんな。悪役令嬢でも普通の美少女でも、俺たちなんか相手にされないって」
「止めろよ。夢くらい見させてくれよ」
男子生徒たちのそんな他愛のない話を聞きながら、彼らの話題に上っていた【綾小路竜胆】は小さく溜息を吐く。
「シメてきましょうか?」
そんな彼女の様子を見て、彼女の従者であり唯一の友人である【内藤怜奈】が物騒な提案をする。
「放っておきなさい」
ここでもし「やれ」と命令したなら、怜奈は迷わず行動に移しただろう。
ふたりは、普段は友人として軽口も叩き合うような仲だったが、彼女の忠誠心はそれくらいに高かった。
綾小路家は古くから続く名家ではあったが、本家筋とはいえ末端も末端の竜胆には大した権力は無い。
ただし、容姿は整っていたために、その方面での利用価値を期待されてはいたが、彼女にとっては重荷でしかない。
彼らに家族としての愛情が無いわけではないが、家の特殊な事情がそれより優先されていたのだ。
綾小路家は代々続く陰陽師の家系で、一般人の知ることのない裏の世界で、世界の秩序を守るべく日夜活動している一族である。
その活動内容は、【闇払い】――世界に仇なす、この世ならざるものを駆除すること。
それを可能にする手段は陰陽術以外にも多く存在し、同様の組織は綾小路家以外にもごまんとある。
しかし、銃や爆弾などの物理的な干渉では払えない闇も多く存在し、特殊な才能によってのみ可能とすることから、選民思想のような意識を持つ個人や組織も少なくない。
綾小路家にも、そういった意識を持つ者が少なくない。
血筋的には申し分ない竜胆が冷遇されているのも、闇払いとしての能力が低いからだ。
竜胆自身は、ずっとそういった環境で育ってきたので、能力で人を差別するようなことはない。
また、生来の責任感の強さから、能力は低くても、「お役目」に対しても真摯に向き合っていた。
クラスメイトに冷たい態度をとっているのも、彼女の事情に巻き込まないためである。
そして、怜奈もそんな竜胆の優しさに救われた者のひとりだった。
内藤家は、綾小路家の分家筋に当たる。
ほかにもいくつかある分家と同じく、血が薄くなったためか陰陽術の適性が低く、さりとて全く使えないわけではないので、本家の者をサポートする形でお役目に当たる一族である。
そういった理由から、幼い頃から本家に仕えるために教育されていた怜奈が、同年同性の竜胆のお付となったのはある意味当然の流れである。
当然ではなかったのは、実力至上主義が当然の綾小路家において、分家の従者は本家の人間の道具でしかないところを、竜胆は怜奈を対等の立場の友人として扱ったことだ。
皮肉にも、竜胆が本家の人間として期待されていなかったからこそ許された振る舞いだったが、怜奈はそれによって救われた。
怜奈が主でなければ、奴隷のような――現代日本において決して許されない扱いを受けていた可能性もあったのだ。
そんなことが罷り通っているのは、偏に綾小路家がそれだけの力を持っているからだ。
権力しかり、財力しかり、武力しかり。
反抗や逃亡は容易ではなく、仮に成功したとしても、全てが明るみに出れば、世界をいたずらに混乱させるだけ。
下手をすると、一般人まで敵に回してしまう――その前に、それを嫌う全ての組織を敵に回してしまう。
その結果がどうなるかは考えるまでもない。
結局は、本家の者との間に優秀な子供ができれば立場が変わることもある――という希望があるだけでも、理不尽ではあっても本家の下にいるのが最もマシなのだ。
そして、残り僅かな期間であっても、自由でいられる竜胆と怜奈は恵まれていた。
竜胆は、新たなクラスメイトたちを見渡して、新たに溜息を吐く。
楽しそうに友人たちと話しているクラスメイトを羨ましく思うところもあったが、それ以上に、「よくもこれだけ問題児を集めたものだ」と変な感心をしていた。
無論、名門というだけあって、前時代的な「不良」のような存在はいないのだが、ある意味ではそれ以上に厄介な存在もある。
そのひとりが、「ザ・成金」という渾名がぴったりの男、団藤核である。
彼は、地元では有名な土建会社――実体は反社会的勢力のフロント企業会長の次男坊で、素性と名前からしていろいろな意味でヤバい男だが、本人は至って小悪党――オラついているだけの小物である。
ただし、両親と兄には非常に不穏な噂――綾小路家の調査では一部事実と確認されたものもあったため、上層部案件とされて、竜胆は下手にかかわることを禁じられていた。
そして、もうひとり――否、ふたりが彼以上の問題だった。
そのふたりは、猫羽真由と猫羽レティシアという、血が繋がっていない姉妹である。
といっても、問題が姉妹にあるということではなく、姉妹の家業の方にあった。
姉妹の両親が設立した会社、ネコハコーポレーションで作られている、「健康飲料」と言い張るナニか。
成分は確かにどこにでもある健康飲料だ。
しかし、効能が明らかにおかしい。
それは、一般人でも違いに気づくくらいの物だったが、竜胆たちのような魔術師や異能力者にとっては、勘違いでは済まされないような霊薬だった。
この霊薬は、本来は瞑想などでしか回復しない魔力を、ひと口――ほんの一滴飲んだだけで全快させるのだ。
1本(65ミリリットル)飲み干せば、時間限定ではあるが超人になれる。
綾小路家も、この霊薬のおかげで助かったことが何度かある。
しかし、綾小路家では、どれだけ調べてもこの霊薬の再現を――それどころか、解析することもできなかった。
また、ネコハコーポレーションがこんな物を流通させる意図も分からない。
そして、それはほかの組織も同じだったようで、裏では当然のように壮絶な争奪戦が起きている。
当然、何らかの手掛かりを求めて調査も継続するものの、ネコハコーポレーション及び唯一の取引先の株式会社大魔王の背後関係も分からない。
社員に至っては、突然湧いてきたとしか思えないくらいに過去が消されている。
それはつまり、誰ひとり尻尾を出さない精鋭揃いで、下手をすると、関係者もことごとく消されているということだろう。
そこまでの相手となると、綾小路家でも迂闊には手を出せない。
そうして、自力生産できないならば、せめて独占しようと考えた組織も多かったようだが、どれだけ趣向を凝らしても見抜かれる謎の個数制限に弾かれて上手くいかない。
中には実力行使に出た組織もあったが、ことごとくが返り討ちに遭った――それどころか、工作員が消される、若しくは生きてはいるが記憶が消されていることも珍しいことではなく、情報すらろくに手に入らない。
ネコハコーポレーションは、業界では早々に不可侵なものとして認識された。
しかし、今では業界の事情に疎い一部の一般人や、私設武装組織などもネコハコーポレーションに注目を始めている。
竜胆は、そんな最前線のひとつにいる。
各組織とも、姉妹には、直接ネコハコーポレーションの秘密に繋がる要素は無いと、ほぼ確信している。
もっとも、それはネコハ関係者によって《洗脳》された結果の誤認なのだが、元よりその可能性も考えての情報収集で、ネコハ関係者の能力が彼らの想定を遥かに上回っていた結果である。
それでも――という疑念も当然残っているが、これ以上深入りしてネコハコーポレーションを敵に回すことだけは避けなければならない。
新たに与えられた竜胆の役目は、姉妹と、姉妹に接触するものの監視。
場合によっては、姉妹を護衛することも含まれる。
当然、そんな重要な役目が竜胆ひとりに任されるはずもなく、不自然にならない程度にサポートがつけられている。
というより、名城は綾小路家や関係者の子弟が通うことも多いため、出入り業者や非常勤講師などに協力者を潜り込ませているのだが、そういった者たちの能力は竜胆と大差ない。
したがって、彼らが協力するのは綾小路家に対してであり、竜胆にとっては実質的に監視である。
竜胆にとって、お役目を果たすために最も効果的な手段が、猫羽姉妹と友達になることだ。
しかし、それはふりとはいえ、他人を拒絶し続けていた彼女には非常に難しいことだった。
それ以前に、根が善良な彼女は、友達になるのに「お役目」などという余計なものがあっていいのかとも悩んでしまう。
無論、それは姉妹が外部入学してきた時からそうだったのだが、今まではクラスが違うこともあって、接点が無いという理由で逃げ続けていられた。
それが、ここにきてまさかの同クラス。
しかも、ふたり一緒である。
どうやれば友達になれるのか。
それ以前に、何と話しかければいいのか。
お役目と訓練ばかりが日常だった竜胆に、同学年の女子が喜びそうな、流行のファッションだのドラマだの恋愛だのという話はできない。
それ以前に、話題があったとしても、テンパった挙句に、彼女の姉をまねたきつい口調が出て傷付けてしまうかもしれない。
(まずはコミュ障を治さないといけませんわね。まずは、アナザーワールドオンラインで知らない人に話しかけてみるのがいいかしら? ……私にそんなことができるのかしら?)
コミュ障を自覚している竜胆は、猫羽姉妹と友達になるにはまだ一年の猶予があると曲解して、長期戦で挑む覚悟を決めた。
(けれど、転入生って、きっとどこかの組織のエージェントですわよね? 先を越されたりするのは――いえ、転入生からおふたりを護って、それが切っ掛けで仲良くなることも――)
AWOで見知らぬ人に話しかけることも難しい竜胆は、軽く現実逃避していた。
しばらくすると、予鈴と同時に三年A組の担任である二十代後半の男性教師が現れ、騒いでいた生徒たちを席に就かせる。
オラついていた団藤核とその取り巻きたちも、何も言われなくても素直に従うあたり、名門としての教育が行き届いていることを感じさせる。
「あー、一年間このクラスの担任を務める【藤林】です。よろしくお願いします」
担任の藤林が頭を下げると、生徒たちも「お願いします」と頭を下げる。
「えー、既に知っている人もいるようですが、このクラスに転入生が来ます。皆さんもクラス替え直後でいろいろあるとは思いますが、当校の生徒に相応しい博愛と寛容の精神をもって、助けになってあげてください」
元は――宗教色は薄れたとはいえ、今でもミッション系の学校である名城は、特に教師にその影響が強く残っている。
しかし、昨今の社会情勢では、いくら私立であっても特定の思想を強制、又は否定するような言動が発覚すると、インターネット上で大炎上したり、抗議の電話がひっきりなしにかかってくる可能性がある。
それを避けるためにも、特に教師はその言動に誤解の余地を与えないように、当たり障りのない対応を求められていた。
「では、早速紹介しましょう。入ってきてください」
藤林の合図を受けて、腰まである黒髪が目を惹く可憐な少女が教室に入ってきて、教壇に立つ藤林の隣に並んでクラスメイトに向き直る。
「では自己紹介を」
「両親の仕事の都合でこちらに通うことになりました、【一条巴】と申します。よろしくお願いいたします」
そう言って深々と頭を下げる巴を見て、竜胆と怜奈は秘かに頭を抱える。
それもそのはず、一条家は綾小路家と同じく裏世界に生きる一族で、その中でも、巴は竜胆たちでもその名を知るほどの才女である。
彼女がその気になれば、竜胆も含めて、十秒もあればクラスを制圧できるだろう。
猫羽姉妹を除いてだが。
姉妹が強いかどうかは分からないが、ネコハコーポレーションが何の対策もしていないとは考えにくい。
そんなことを知らないクラスメイトたち――特に男子生徒は、美少女の登場に色めき立っている。
「あー、浮かれる気持ちは分からないでもありませんが、学生としての本分は忘れないように」
藤林の注意で表立った騒めきは収まったものの、巴の登場から変わった雰囲気は変わらない。
「それじゃあ、席はあそこの――」
藤林の言葉に、竜胆の心臓が大きく跳ねた。
現在の席順は、ひとまず出席番号順――氏名の昇順に席が決められていたため、“綾小路”は女子の1番で――つまり最前列である。
そして、空いている席は、彼女の後ろふたつ。
“一条”がどこに来るのかは考えるまでもない。
(だ、大丈夫ですわ。同じ闇払いとはいえ、格が違いすぎますもの。私ごときの名前など知っているはずがありませんわ!)
「初めまして、綾小路竜胆さん。よろしくお願いしますね」
(知ってらっしゃった!? ――いえ、エージェントなら調査していて当然ですわ!)
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ……」
「そんなに緊張なさらなくても――」
――敵対するつもりはありませんよ。私の邪魔をしない限りは。
巴は、魔術師にだけ聞こえる声で、確かにそう言った。
猫羽姉妹にも聞かせるつもりで。
ただ、全く反応が無かったために肩透かしを食らった気分だったが、姉の相手で鍛えられている姉妹が、この程度で動揺することがなかっただけである。
一条家も、綾小路家と同じレベルでネコハコーポレーション周辺を調査をしており、似たような結論に達していた。
組織的な規模では綾小路家には劣るため、この時期になるまでエージェントを送りこめなかったが、送り込んでしまえばエージェントの差で有利になる。
もっとも、荒事は最終手段だったが、巴の利点は異能力だけではない。
竜胆が巴に勝っている点といえばバストサイズくらいのものだが、それは猫羽姉妹との接触において利点とはならない。
「ああ、もうひとつ――いえ、もうひとり転入生がいるんですが、そちらは事故で少し遅れるそうですので、先にホームルームを始めます」
藤林の言葉に、竜胆と巴が反応する。
まだいるのか、私以外にもいるのかと。
「それでは、出席番号順に自己紹介と、それが終われば学級委員を決めましょうか」
そんな彼女たちを余所に、表向きは普通の日常が過ぎていく。
そんな日常が壊れるまで、後僅か。




