06 初体験
ひととおりの案内が終わると、セーレさんは「残念ながら仕事がありますので……契約に逆らえないこの身が恨めしい!」などと言い残して帰っていった。
仕事がなければ帰らないつもりだったのだろうか?
セーレさんが帰った直後、今度はアルが「早くやってみようぜ!」と誘ってくる。
主語が無かったので何のことか分からなかったけれど、どうやらゲームのことらしい。
少し肩透かしを食らった感はあるけれど、食事も終わったばかりだし、シュトルツもいっぱい食べた直後でお眠だし、ほかに特にするべきこともないので、触れてみることにした。
シートに座るというか寝そべるというか、微妙な姿勢で腰掛けて、オープンフェイスのヘルメットといった方が的確だと思えるヘッドギアを装着する。
それで分かった。
ヘッドギアの中に世界樹の欠片がある。
そういえば、コンピューターの宣伝などで「何とかチップ搭載」というのはよく聞くし、これが魔素を検知する装置なのだろう。
さて、ヘッドギアを装着すると、セーレさんが言っていたように、すぐにゲーム機が稼働し始める。
そして、ヘルメットのバイザーの内側に、個人情報に関する同意書や利用規約などが表示されては勝手に同意されていく。
大丈夫?
騙されていない?
まあ、いいか。
こっちの世界で過ごすのは一年だけだし、戸籍からして偽造だし、万一詐欺だったとしてもぶっ殺して回収すればいいだけだし。
あ、運営は悪魔がやっているのだったか?
それなら交渉で何とかなりそう。
そうこうしていると、ユーザーの身体データを測定するために、一度ヘッドギアを外して顔をスキャン。
それが終わると、服を脱いで下着姿になってから、もう一度ヘッドギアを被って身体をスキャン。
脱ぐのは正確な身体データを測るためで、それなら全裸の方が良いのでは――と思うのだけれど、一般的に、胸の大きな女性は下着を着けていないと自重で垂れるらしい。
私の胸は重力に負けないので盲点だった。
なお、この身体データの測定には、この非常に高価な筐体が必要になるのだけれど、経済的・抽選的な理由で購入できない人もいる。
そこで、提携大手家電販売店などでも比較的安価で測定できるようになっているらしい。
そうして集められたデータは、運営――アクマゾンと繋がりのある現地法人の情報収集手段として役立てられている。
怖いね、悪魔。
さておき、それで完成した身体データをアバターとして使うかどうかはユーザーの自由だそうだ。
ただ、このゲーム機でプレイできるゲームにはリアルな作りの物が多いため、現実と虚構の境界が曖昧になる人もいる。
そこで、悪意あるユーザーが、現実世界の誰かを再現したアバターを作って悪さをするようなことがあっては大問題になる――というのは想像できること。
なので、本人再現アバターと創作アバターは区別できるように、さらに、任意でその乖離率などの情報も表示できるようになっているらしい。
そうやって他者なりきりを防止しているのだとか。
なるほど。
よく分からない。
何にしても、私の容姿には問題は無いので「アバターに本人データを使用しますか?」の問いに「はい」と答える。
アバターを一から作れるといわれても、人体創造とか再構築とか面倒くさいだけだし、グロいのも苦手だしね。
さておき、プレイするゲームのタイトルは、「アナザーワールドオンライン」。
略して「AWO」。
直訳すると異世界オンライ――「オンライン」は日本語でどう訳すのだろう?
温羅院?
これだと和訳というより当て字か。
まあ、いい。
とにかく、異世界という名の仮想世界で、剣や魔法や銃を使って魔物を倒したり、対人戦を楽しんだりするゲームらしい。
……あっちの世界で現実にやっていることじゃないか。
それも、まあ、いい。
ゲームならではの楽しみでもあればいいなと期待して、早速ログイン。
ログインとか言う私、ちょっと格好いいかも。
プレイヤーネームは本名の「ユノ」で登録した。
なお、ファミリーネームは熟考の末、設定しなかった。
世界観の説明を兼ねたオープニングが終わると、チュートリアルとかいうのが始まった。
オープニングは特に記憶に残っていない。
いきなり人里離れた森の中に放り出されて、言葉も通じないとかでなければどうにでもなる。
さて、雰囲気から察するに、もう操作可能なのだと思うけれど、何をどうすればいいのか分からない。
モニター上にマーカーが設置されて、「マーカーの位置まで移動してみよう」とか指示が出ているのだけれど、足どころか、指の一本すら動かせない。
視野も超狭いし、視力も低すぎる。というか、全体的に情報量が少なすぎる。
故障だろうか?
『ユノの身体の使い方が間違ってるんじゃない?』
何を莫迦な。
私くらい身体の扱いが上手い人はほかにいないよ?
『間違ってるというのは正確じゃなかったね。普通の人間は、脳が電気信号を出して身体を動かすんだけど、ユノの場合は全身が脳であって手足でだから、わざわざ電気信号で動かしてない。むしろ、魂や精神までひとつのものとして、意志で直接動かしてる――意志と完全に連動――いや、意志もひとつだから、普通の人と同じ動作をするにも、無駄が何も無くて情報量が膨大で、根本的な認識のところから違うんだと思う』
そう……なの?
『まあ、存在を喰った時には、「要らない情報」だからって渡してなかった部分だしね。ボクと同化してみてくれれば、動き方のレクチャーをしてみるけど』
よく分からないけれど、言われるままに朔と同化してみる。
というか、同化するのも久し振りだな――って、動いている! 私が――アバターが動いたよ!
しかし、朔が私のアバターを操作する感覚は非常に不思議――というか、雑だ。
「えっ、普通の人は身体を動かすのにこんなに滅茶苦茶なことをしているの? こんなに雑だと、思ったとおりに動けないでしょう? 冗談だよね?」
『その「思ったとおり」の定義も違うからね。例えるなら、普通の人間が紙飛行機を飛ばして「飛んだ」って言ってるのを、ユノは最新鋭戦闘機が限界ギリギリの曲芸飛行しているのを「飛んだ」って言ってる感じかなあ。とにかく、普通の人間はこんな感じで身体を動かしてると思って』
なるほど?
とにかく、この違和感の酷い操作に慣れないとゲームができないらしい。
すごいね、人間ってこんなに不自由だったのか。
それから三十分ほど費やして、どうにかチュートリアルを終えると、ようやくスタート地点に転送された。
チュートリアルだけでもうお腹いっぱいだったけれど、「アルと一緒に」という約束をしていたので頑張った。
「お、来たか」
スタート地点には、先にチュートリアルを終えたアルが待っていた。
アバターの名前は【アルフォンス】で、身体も本人データをそのまま使っている――いや、ちょっと身長と足が伸びているのかな?
アバターデータにも、本人データではない旨と、乖離率が「小」と出ているし、間違いない。
これが「盛った」というものなのか。
ちなみに、日本でのアルの偽名は【御神苗アルト】だ。
キラキラを通り越してピカピカしている。
それならいっそ、「アルフォンス」のままでもよかったのに。
「お待たせ」
「いや、俺もさっき来たとこだよ。ってか、やっぱアバターでも可愛いけど、本物の方がいいな」
「アルも、本当のアルの方が素敵だよ。変に盛らなくてもよかったのに」
「まあ、せっかくのゲームだし、理想の自分とか演じてみたくならないか?」
「うーん、それはよく分からないけれど」
アルの首に手を回して、背伸びをして顔を近づける。
「この身長差だと届かないよ」
このアバターの身体能力と身長差では、ほっぺが遠い。
顎は何か違う気がするし、首だと吸血鬼っぽくて様にならない。
まあ、アバターでそんなことをする意味も無いのだけれど。
「お、おう」
アルが迎撃に来たので、手を解いてひょいと避ける――つもりだったけれど、逃げ遅れて腰に手を回されてしまった。
むう、抜け出せない……。
この身体、非力すぎる。
「何で避けるんだよ……」
『こういうイチャイチャ好きなんでしょ?』
「大好物だ!」
超良い返事。
「てか、フルダイブシステムすげーな。視覚とか感触とか――柔らかさとか熱とかちゃんと感じるわ。さすがにユノの匂いまでは再現できないみたいだけど、すごい技術だな。めっちゃリアリティある」
「これがリアリティ……? 視界は狭いし、身体は上手く動かせないし――というか、そろそろ離して」
「身体に関しちゃそうだな。でも、昔の感覚思い出して、これはこれで新鮮でいいわ。ってか、力でユノに勝てるとかめっちゃ新鮮なんだけど!」
離すどころか腕の力を強めてきたよ。
「お、おい、あんた。止めてやれよ。その娘嫌がってるだろ!」
そんなことをしていると、何かを勘違いしているような人が助けに来るし。
というか、何だか分からないけれど、続々と来るのだけれど?
「あ、じゃれてるだけなんでお構いなく」
「ほら、誤解されたじゃないですか。はしゃいでいないで行きますよ、お兄様」
「え、兄妹なの? あ、ちょっと待って!」
「「失礼しましたー」」
囲まれる前に逃げる。
うわ、この身体、足遅い。
アルの足も遅くて笑える。
というか、まだ初心者専用のエリアだからか、みんな足が遅い。
あはは、ちょっと面白い。
さて、追いかけられた原因が、私がアルに乱暴されているように見えたことらしい。
なので、仲が良いところをアピールするために、腕を組んで歩くことにした。
もちろん、それなら手を繋ぐだけでもよかったのだけれど、アルがこっちの方が好きなのでそうしただけだ。
少し歩きにくいけれど、そもそも歩きにくいので杖代わりにちょうどいい。
それに、追跡者さんたちも諦めた――というか、力尽きたように突っ伏してしまったので結果オーライ。
ひとまず、異世界と同じく、冒険を始める前の準備として、武器や防具のお店に向かう。
そういえば、武器はともかく防具を買ったことはなかったな。
さておき、アルは現実とは違うことをやってみたいと、ゲームでは近接攻撃主体のスタイルで行くらしい。
そう言われてみると、確かに現実と同じではゲームの醍醐味を味わえない気がする。
ということで、私は魔法専門でやることにした。
私が購入したのは、魔法の威力が僅かに上がる杖を一本だけ。
“耐久度”という項目に一瞬身構えたものの、ゲームの中なので適切に処理されることを願うしかない。
残りのお金は、アルが大剣一本と軽鎧のセットを購入しようとしてお金が足りなかったようなので、貸してあげた。
これでふたりとも無一文だ。
この感覚もなかなか新鮮だ。
ひとまず、今日のゲームはここまで。
アルは試しに敵と戦ってみたかったようだけれど、そうすると時間がズルズルと伸びていくのは妹たちで経験済みなのだ。
試されるのは武器の性能とかではなく、本人の意思の強さなのだ。




