61 主人公無双
――第三者視点――
伝承にある初代大魔王の姿は、銀髪赤眼の偉丈夫とも美女ともいわれていて、戦闘においては数十メートル級の魔装を纏い、刺々しいそれは触るもの皆傷付けるナイフのようで、目からビームを撃ち、口からは火炎を吐く、悪魔族の理想と希望の象徴である。
二千年を経て蘇ったそれの名は、【究極英霊合体ヨガ・マスター】。
見た目があまり格好よくないことは、ライナーや英霊たちも自覚している。
伝承どおりに再現したはずなのだが、思っていたのと違っていた。
それでも、大筋では合っているはずなのだ。
その証拠に、三十メートル強の巨体でも空を飛び、短距離《転移》も可能で手足も伸びるし、炎神【アグニ】の炎を操ることもできる。
そして、全てのチャクラが解放されれば、眼から《ブラフマーストラ》も撃てるという、破格の性能と将来性もある先史文明時代の秘法である。
なお、全てのチャクラを解放するには素体となるノクティスを除いて七人の英霊が必要で、完成すると【超究極英霊合体ヨガ・マスター―絆―】となる。
彼らにとって、見た目を莫迦にされたり笑われるのは想定内。
いくら笑われても、実力で黙らせてしまえば問題無い。
しかし、黙らされたのは彼らの方だった。
ユノの足元から立ち上がった影が、花の蕾のような形となって彼女を包み込む。
彼女を包んだ影は、一瞬で鮮やかな虹のような色彩へと変貌し、それがゆっくりと開花していく。
その光景は、神話の一場面といわれても納得してしまうような神性を感じさせるもので、それを見ている者たちの心を、感動とも恐れともつかないものでがっちり掴んだ。
「演出がパワーアップしてやがる……」
アルフォンスの呟きは、世界が変化したことを感じて息を呑んでいる者たちには届かない。
「はっ!? ライナー! 新たな《予知》が――戦っては駄目です! ひぃっ!?」
今まで忘れ去られていた《予知》能力者のイオが、ライナーに新たな《予知》を届けようとしたが、ほんの少し――かなり手遅れだった。
彼女が見た《予知》はこれまでにない形のものだったが、何を示唆していたかは誤解の余地がない。
快楽も幸福も、苦痛も悲哀も、全てを塗り潰す希望と絶望。
イオは、《予知》では見えなかった元凶を見ると何かが振り切れ、《予知》の内容を誰かに伝えることなく、すぐに夢の中へと旅立った。
新たな世界の中心にいたのは、背中から大きな射干玉の黒翼を生やし、髪もそれ同色に変化したユノである。
被り物はもう被っていない。
なぜそんな物を被っていたのかが、今になってよく分かる。
整いすぎている――この世界にあってはならない「正しさ」で、見る者の心を壊すのだ。
それが、アルフォンスの言う「ラスボス衣装」なるハイレグアーマーを身に纏い、鮮やかに咲いた巨大な花の中央に佇んでいる。
その花とは、いうまでもなくユノの領域である。
色がどうあれ本質はそう大きくは変わっておらず、ユノが発する魔素――神気を発するそれは、ただの飾りではないという説得力があった。
正体を現したユノを見た者たちは、表現できない感動で息が詰まってしまう。
敵であるライナーですらも敵対していたことを忘れ、英霊たちの回転も速くなる。
「銀髪じゃねえじゃねえか! でも、姫様より姫様だぞ!?」
「姫様が闇落ちしただと! うおお! 体制派、許すまじ!」
「姫様! 姫様!? 我々は味方です! 軍師的には黒い姫様も素敵ですが、白銀……黒……!? あああ、軍師なのに選べない!」
「ば、莫迦者どもが! 余はここだ! だが、あれが真の余なのか……!? 余も捨てたものではないのか……?」
正体不明の説得力に、英霊たちが錯乱していた。
『魔素出しすぎたみたいだね』
「…………」
ユノとしては絶妙に調整したはずの魔素の放出は、魔素に慣れた湯の川の住人たちを基準に調整したもので、それに馴染みのない悪魔族には刺激が強すぎるものだった。
しかし、ユノは切り替えの早い女である。
「さて」
ユノの言葉に合わせて、彼女を中心に花弁状に展開していた鮮やかな領域が起き上がると、ライナーとヨガ・マスターに矛先を向ける。
「ま、待て、ユノ、その姿は?」
「……ルイス陛下、あれがユノの――いえ、ユノ様の正体です。本当のユノ様は、世界樹を司る女神様なんです。ただ、特殊な生まれと育ちの関係で、自覚の方はあまりありませんが――だからこそ、魔界の救済のチャンスが与えられたともいえるんですが」
アルフォンスが、ルイスの疑問にというより、朔の期待に応える。
「ごめんなさい。本当のことを言うわけにもいかなかったので、私としては不可抗力なのだけれど」
ユノとしては神扱いされたくはなかったが、そのあたりの扱いはアルフォンスに一任していて、その彼がこういう扱いをしてしまった以上乗るしかない。
もっとも、切っ掛けとなったのは、朔に唆されて彼女が本来の姿を暴露したことなので、自業自得ともいえる。
「分かってる。――いや、御意に、と答えるべきか。……なにぶん突然のことで、納得できることもできないこともありますので、後でお話を伺えれば有り難いのですが」
ルイスをはじめとした体制派の面々が、膝を突いて臣下の礼を執る。
「話せる範囲のことでよければ。それよりも、ほかの人の目がない所では、そんなに畏まらなくていいですよ」
「……助かりま――助かる。敬語なんて百年以上使ってなかったからな。ボロが出ないかヒヤヒヤしてたところだ」
「あはは、私も本当は神のまねごとなんてしたくありませんから、私以外の神族がいないときは今までどおり接してください。それより、ルイスさんたちも、彼らと一緒に外界進出を賭けて戦ってもいいですよ?」
「いや、遠慮しとく。お前がアルフォンス・B・グレイの方法が一番だって言うなら信じるさ」
「そうですか。嬉しいような、残念なような」
ユノはそこでルイスとの話を区切ると、ライナーたちに向き直る。
「さて、では改めて自己紹介を。私の名はユノ。初代大魔王ノクティスの娘で、不本意ながら世界樹の女神とかいわれています。まあ、それを証明するものは無いのだけれど――」
正確には、「ユノは証明できない」のではなく、「証明するつもりが無い」のだが、彼女の意図など関係無く、彼女が神であることを証明する事象が発生する。
光の柱と共に地上に降臨した、百を超える調和を司る神族と天使たち。
ユノの神気ほどではないが、はったりを利かすために展開している《神域》のおかげで、その存在に疑いを持たれることはない。
それがユノに向けて臣下の礼を執り、それを見て慌てた体制派の面々が更に平伏する。
「ユノ様は、我ら神族の中でも最も尊き御方。証明などされる必要の無い、いわば自明の理。それが分からぬ無知蒙昧な輩には天罰を下す所存である」
「は……、ええ?」
ユノが対応に困っていると、この機に乗じて追加の事象が発生する。
闇と共に現れたのは、二百を超える大悪魔だった。
中には貴族級悪魔も交じっている。
《神域》にも負けない妖気の奔流は、こちらもその存在の階梯の高さを証明するもので、ルイスたちは、吹き飛ばされないよう地面にしがみつくのに必死だった。
なお、アルフォンスはコレットを保護することで株を上げていた。
「ユノ様は、我ら悪魔にとっても至高の女王様である。ユノ様の拝顔の栄に浴しておきながら、その幸運を理解せぬ愚物など、コキュートス送りが当然である」
彼らもユノに向けて殊更優雅に礼を執ると、ユノと神族の間に割って入ろうと小競り合いを始める。
神族も悪魔も共に世界を管理する存在だが、仲はあまり良くなかった。
「何をしに来たの!? 帰って!」
過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉もあるように、そこには神の威厳などどこにも無かったが、小競り合いで巻き起こる暴威は本物だった。
「後で相手をしてあげるから、帰って!」
ユノのこのひと言で争いは収まったが、にこやかに健闘を称え合う神族と悪魔の姿に、ユノは「嵌められた感」が拭えなかった。
確かに仲は良くないが、目的のためには手を組むくらいの分別はあったのだ。
「さて」
神族と悪魔たちが帰って仕切り直しとなったが、残された者たちの受けた衝撃は大きすぎた。
特に、ユノの敵になろうとしていたヨガ・マスターは、過度のストレスで痩せ細り、英霊たちの回転は止まり、彼らの召喚主であるライナーも心なしか目が潤んでいる。
何しろ、ひと柱でヨガ・マスターを木端微塵にできそうな強大な神魔がバーゲンセールのように現れて、彼女のひと言で大人しく帰っていったのだ。
彼らの切り札が、全く脅威と看做されていない。
いざラスボスとの最終決戦だと息巻いて乗り込んでみると普通に負けて、更に止めを刺しにくる裏ボスの登場――しかも強制敗北イベントが待っているなど、ゲームだと言い訳できないレベルでクソである。
それが現実ともなれば、心が弱い者はそれだけで成仏してしまうくらいの絶望しかない。
ユノも、「これはもう期待できないな」と諦めつつも、『今更言葉による対話に切り替えたところで遺恨が残るよ』と朔が唆すため、方針転換はない。
ユノの可視化された領域は、ノクティスの魔装やアイリスのファルスのように、自己の魔力――可能性を最大限に濃縮したものではない。
むしろ、ユノの魔素が現実世界に影響を与えすぎないようにと、効果範囲と効力を限定するためのものである。
想像力不足で余計な問題を起こさないようにと、全力を出す以上に本気で加減しているのだ。
その本来の色ではない鮮やかな領域は、その神々しさとは裏腹に、更に効力を弱めているがゆえである。
朔的には『こういうのでいいんだよ』というそれは、「神として」のユノが最高に手加減をした領域なのだ。
花弁状の領域のひとつが、ゆっくりとヨガ・マスターの表面を撫でる。
もっとも、「ゆっくり」と見えたのは、その巨大さゆえと、全く歪みやブレが無かったからだ。
そして、ぶっ飛ばさなかったのは、彼らを倒すことが目的ではなく、その意志や覚悟を測ることが目的だからである。
その加減を誤った黄竜は酷いことになった。
ユノなりの学習の成果である。
ユノの領域での攻撃は、ヨガ・マスターに避けられない速度ではなかった。
ただし、既に戦いはそういう階梯にない。
中ることは最初から決まっていて、回避や防御といった対処には何の意味も無い。
それができるなら、その時点で合格なのだ。
それができない彼らが、それでも立ち上がれるか、挫けず向かってこれるかが、とりあえずの判断基準となる。
《魔装》に痛覚は無いとか、《苦痛耐性》などを無視した激しい痛みと恐怖と理解不能の何かが、直撃したわけでもない英霊たちを襲う。
ユノの領域が彼らの存在を問い、英霊たちが自身の存在について認識が甘い部分について侵食を受けた結果である。
英霊たちにとって、自身の存在をグチャグチャにかき回されたような苦痛と恐怖などを、肉体と魂と精神に味わわされたことになる。
肉体と魂と精神、そして自己と世界との境界が曖昧になり、大事な何かが奪われるような感覚は、神や悪魔でも耐え難いものである。
実際には、奪われっぱなしではなく補填もされているのだが、「抵抗もできずに奪われる」時点で絶望を覚えてしまう。
どこの世界でも、「殴っても、治したらセーフ」とはならないし、「だからまた殴ってもいいよね」とはならないのだ。
彼らの声にならない叫喚と、人様にはお見せできないような表情は、共感性を通じてルイスやアルフォンスたちにも伝わっていた。
それが神々しい領域と合わさって、彼らの正気はガリガリと削られていく。
ユノにとってはまだ小手調べの段階だったが、受け止めきれなかった感覚と感情に耐えられなくなったナベリウスが、逃げるように脱落する。
ヨガ・マスターの会陰部から落下する彼の姿に何かを思った者は多かったが、それを揶揄するような度胸は誰にもなかった。
ユノは、英霊たちの反応を確認してから、再度領域を動かしていく。
彼女は、コウチン戦でやりすぎたことを反省して、イメージを鮮明にすることで更なる手加減を身につけた。
そうして、根源に影響するほどの干渉は少なくなったものの、イメージが鮮明になった分、痛みや恐怖も鮮明になっているという副作用もあった。
ユノの手加減は、いつでも手探り状態なのだ。
ゆっくりと迫ってくる領域は、英霊たちにとっては避け得ぬ死よりも恐ろしいものだった。
「余がファイヤー!」
ヨガ・マスターが、反射的に炎神アグニの炎を吐いた。
花なら火で燃やせるとでも考えたたのかもしれないが、消えたのは炎の方だった。
そんな常識的な対応でどうにかなるなら、こんな状況には陥っていないのだ。
2度目は耐えられないと判断したアモンが、逸早く《魔装》から這い出てきて、「姫の犠牲は無駄にしねえ!」と言い残して地面へ向かってダイブする。
一瞬の躊躇の後、シトリーも《魔装》から抜け出し、「僕はマスターを守護らなくては!」と、肩の上から助走をつけて大きく飛びだす。
「うっ、裏切り者ぉ!」
ノクティスの悲痛な叫びが響く中、第二第三の花弁がアモンとシトリーを追って動き出し、ついでに第四の花弁がライナーに向けて動き出す。
「「「うわああああああ!?」」」
そこに英霊としての威厳などどこにもない。
絶望に染まった顔で、背を向けて逃げようとする英霊たちの様子を見て、体制派の面々も神の恐ろしさを思い知らされていたと同時に、敵であったはずの彼らに「逃げ切ってほしい」と願う。
ただひとり、アルフォンスだけは湯の川でよく見た光景だったが、彼はいつもと違う行動に出る。
アルフォンスの持つ神弓ガーンディーヴァから、それとセットで購入した神矢【パシュパタストラ】――神でも「マジでヤバい」と思って使用を躊躇う兵器が放たれる。
ガーンディーヴァにもパシュパタストラにも認められていない彼は、ただ撃っただけの反動で上半身のほとんどが吹き飛んだが、口に咥えていたエリクサーRの瓶が割れたことで瞬時に蘇生する。
彼の突然の凶行――というより奇行にユノもドン引きして、一瞬領域の動きがブレた。
アルフォンスの放ったパシュパタストラは、射出直後に七つに分裂し、ユノの領域がブレた隙に追い越してライナーと英霊たちを吹き飛ばし、彼女の領域から遠ざけた。
神器の能力を解放していれば、英霊たちどころか魔界を滅ぼしていたかもしれない攻撃だが、神器に認められておらず、ただ放っただけの攻撃ではそれが精一杯だった。
「ぐうぅぅ……っ! やっぱ、お前に神様させるわけには……、いや、お前にはもっと自由に……、楽しく過ごしてほしいんだよ!」
アルフォンスは、神器使用の反動に耐えながら、思いの丈を紡ぐ。
ユノは、湯の川でも魔王や古竜と戯れるのに領域を展開することはあるが、それは飽くまでユノとしてであり、神としてではない。
そして、ユノが神として扱われることを嫌っていることを知っていたアルフォンスは、彼女がそうせざるを得ない状況に追い込まれているのが嫌だった。
それもこれも彼女が好きだからにほかならないが、それを拗らせすぎた今では、単純な男女関係になりたいというわけでもない。
彼はこれまでの多様な人生経験から、愛の形には人一倍繊細で柔軟だった。
「?」
しかし、残念なことに、アルフォンスの想いは、人の心の機微が分からないユノには理解されなかった。
それでも彼は挫けない。
「お前がしたくもない神の仕事なんかする必要は無い! 悪魔族が滅びたいなら勝手に滅びさせとけばいい! 救いたいなら俺が救ってやる!」
ユノにもアルフォンスが何かに本気なことは分かるが、その「何か」が分からない。
それが彼女にとってどうでもいいものならユノも大人しく引き下がっただろうが、この時は興味が勝った。
「よく分からないけれど、それはアルにとって大事なことなんだよね?」
ユノにも感情はあるが、生物的な本能がゴッソリと欠落しているため、それに由来するものについては知識で補っているだけのところが大きい。
それでも、アルフォンスが彼女に好意を抱いていることは理解している。
彼の魂や精神を見れば、何かに本気になっていることも理解できる。
その詳細は分からなくても、彼女の大好物である。
ただ、恋愛感情と欲望の違いや共通点は彼女には理解し難く、直接的な言動以外からそれを察することもできない。
ゆえに、迂遠な言葉と好意を結びつけられない。
「何だよ、よく分かってないって顔しやがって! くそ、めっちゃ恥ずかしいじゃねえか……! 俺がお前のことを好きだから、ずっとお前に幸せでいてほしいってことだよ!」
ユノは、ここまで言われてようやくアルフォンスに口説かれていたことに気づく。
それでも、ユノに任せていれば「ありがとう」のひと言で完結してしまうことである。
『アルフォンスも本気みたいだし、ユノも少し本気で応えてみれば?』
しかし、ここで朔がユノを唆した。
もっとも、それが単純な「告白に答える」ことではなかったことは、ユノの領域がアルフォンスに狙いを定めたことからも明らかだった。
「おう、いいぜ! 来いよ! 俺がお前に『愛』ってやつを教えてやるぜ!」
アルフォンスがそう言って不敵に笑うと、ユノも領域を彼女の本来の色に戻し、衣装もラスボス第二形態に変更されて、微笑みを返す。
それが開始の合図となった。
◇◇◇
「うおおーーー!」
アルフォンスは、英霊たちに向けられたものとは全く違う、容赦というものが一切感じられない領域に向かって迷わず突っ込んでいく。
本来のユノの領域には、防御にも回避にも意味が無い。
彼女と付き合いが長く、彼女のことをそれなりに理解していた彼には分かっていた。
この状況で、彼女に殺しにくることはまずない。
彼女はうっかりが多いので絶対ではないが、基本的には痛みや恐怖に耐えること、自分自身としっかり向き合って見失わないことと、絶対に諦めないことが要求されるだけだ。
攻撃も、システム的な攻撃力は意味が無い。
これは、相手を屈服させるための戦いではなく、自身の想いをぶつけて相手の想いを受け止めるだけのコミュニケーションなのだ。
領域に突っ込んだアルフォンスが受けたのは、彼の存在の全ての破壊と再構築。魂を焼き尽くすような苦痛と、精神を塗り潰される恐怖、それ以外の様々な感覚と感情の濁流。
人間にしてみれば、「ただのコミュニケーションにそこまで必要か?」と思うかもしれないが、人間も暴力や情交で語り合うこともある。
そして、そこには肉体的、精神的な苦痛や快楽が発生する。
邪神的には、「それらを統合して、少々激しくなっているけれど問題無いよね」というのがこれなのだ。
階梯が違いすぎて問題しかない。
あらゆるスキルや耐性も効果が無く、保険として使ったエリクサーRも気休めにもならない。
確固たる自己の確立と過去の失敗を乗り越える強さがあれば負担は軽減され、認められない自分の弱さや向き合えない過去があると負担は増加するが、人間はそれほど強くはない。
アルフォンスでも、ただの一度で足が止まり、意志も意地も粉砕された。
想像していたよりきつい――というか、想像の及ぶところにない衝撃は、一瞬で彼の髪を白く染め上げ、その光景を見ていた体制派と雷霆の一撃も「ひえっ」となる。
それでも、アルフォンスがもう一歩を踏み出せたのは、「ユノが好き」だという想いの力だ。
なぜここまで好きになったのかは、彼本人にも分からない。
容姿的には、好みのタイプのストライクゾーンど真ん中の剛速球。
それだけで命を懸ける価値は充分にあるが、拷問が温く思える仕打ちを受けてまでかというと、「遠慮したい」というのが本当のところ。
それなのに、足が――想いが止まらない。
その想いを支えるのは、アルフォンスが経験してきた全ての出来事と、縁を紡いだ大事な人たちの存在だった。
それがあるから前に進める。
当然、それで苦痛や恐怖が和らぐことはなく、形振り構っていられない彼の顔は醜く歪み、涙や鼻水、そして吐瀉物で汚れている。
血が流れていないのは、ユノの能力で破壊されると同時に再構築されているからで、回復魔法や再生魔法による治療であれば、何百リットル流れているか分からない。
一歩進む間に何十回と死ぬよりつらい目に遭っているアルフォンスの姿に、その苦痛の一端を味わった者も、そうでない者もドン引きしていた。
時間にして三十分ほど。
ユノの領域が解除された。
アルフォンスが彼女に手が届く所にまで到達したのだ。
倒れ込むようにユノに手を伸ばすアルフォンスを、ユノはしっかりと受け止める。
それで気が抜けたのか、アルフォンスはユノの胸の中で意識を失った。
ユノは、アルフォンスの存在をたっぷりと喰らって、彼のことを知った。
アルフォンスも、そんな余裕は無かったとはいえ、いくらかはユノのことを知った――こちらは「刻み込まれた」というべきか。
ただ、これでユノが愛を理解したかというと、そうでもない。
それでも、アルフォンスの想いと行動が無駄だったかというと、そうでもない。
彼女はいまだに愛を知らない。
それでも、アルフォンスを通じて、「彼にとっての愛」についての情報は得た。
それは彼女にとってもなかなかに心地よいもので、彼は愛を教えることはできなかったが、それに繋がる一歩は確かに刻んだ。
少なくとも、「愛」には不可能を可能にする何かがあるのだと。
「ふふっ、本当に莫迦だなあ」
それらを踏まえて、ユノの感想はこれである。
アルフォンスの望みに対して、ここまでの代償を支払う必要があったのかというと、誰がどう考えても採算が合わない。
ユノの所感では、彼の受けた苦痛や恐怖は人間の許容量を遥かに超えていて、廃人になっていないのが不思議なレベルだった。
古竜ですら、アルフォンスより遥かに早い段階で精神を壊している。
途中で――かなり初期の段階で心配になったが、彼を評価しているからこそ、彼が本気だからこそ手は抜かなかった。
何があっても最後まで見届けようと、生死はこの世界と彼自身に委ねた。
死にたくなければ足を止めればいいだけで、誰に強制されているわけでも、諦めたからといって責める者もいないのだと割り切って。
それなのに、何かが特別強いわけでもないアルフォンスがここまで耐え抜いた理由が全く分からない。
というか、魂は燃え尽き、精神は擦り切れているのに、なぜ生きているのか分からない。
ユノの理解したアルフォンスなら、その理由を「愛の奇跡」だと言って笑うだろう。
ここまでくると、愛すべき莫迦である。
「神殺し、お見事です」
神殺しをなしたアルフォンスに、ユノが祝福を送る。
これは、完全に彼女の予想を超えた結果――不可能を可能にしてみせた彼の勝利だった。
なのに何も解決していないが、それがまた彼らしくて、彼女を愉快にさせる。
『完敗といってもいい出来だったね』
朔も、アルフォンスに美味しいところを持っていかれたこの結末は完全に想定外だったが、これはこれで悪くない結果である。
そして、これからを考えると面白くできそうなので、素直に負けを認めた。




