48 ぶち壊し2
「あまりゆっくり考えていられる時間はありませんので、最後にもう一度だけ確認します。初代様や、私と同等以上の強さの傭兵と戦闘になる可能性があり、かなりの危険が見込まれます。それでもやってくれるのですね?」
ユノが雰囲気をぶち壊したことを切っ掛けに、リディアがルナに最終確認を取る。
「……うん、やるよ。なんでかな、理屈とか抜きに、ここで頑張らなきゃ駄目な気がする」
ルナも、ユノの薄情にも思える切り捨て方に、むしろ、「できる」と信じられているのだと好意的に解釈して、かえって覚悟が決まった。
ジュディスも、ただ反対するだけではルナの意思を覆せないと悟って大人しくなったが、全てを諦めたわけではない。
この状況からでも何かできることはないかと必死で考えを巡らせていたが、だからといって結果に繋がるとは限らない。
「では、これを使った先にいる彼に事情を話して、敵襲に備えてもらってください。私も陛下に報告した後、陛下たちと応援に向かいますので、決して無理はしないようにしてください」
「彼って?」
「行けば分かります。……彼らに限ってはもう無害だと思いますが、まだどこで誰が聞いているか分かりませんので、念のため、必要以上の情報を口に出すのは控えてください」
ルナの当然の質問はリディアの慎重な対応で潰されたが、「考えてみれば当然のことだ」と素直に引き下がった。
なお、リディアの言った「情報」には、妨害下でも《念話》が使えるといったことも含んでいたが、ルナたちも当然のようにそれを理解していて、覚られるような軽挙には出なかった。
「はっ! 誰がどんだけ束になろうと初代様に敵うはずがねえ! お前らはもう終わってんだよ! っ!? あふぅん……」
軽挙に出たのは、リディアに無害――役立たずと言われたと感じたビショップだった。
肥大していた自尊心が、あまりの屈辱でまさかの再起動を果たしたのだ。
もっとも、頭に血が上ってつい口走ったものの、それが理由でユノに意識を向けられたため、呆気なく失神してしまった。
ユノとしては、特に害意などを向けたわけではないのにこの反応は心外だった。
もっとも、あらぬ誤解を受けないために、いつも以上に気合を入れて気配を消していたのだが、それがかえって朔の気配を強調する結果となっていた。
当然、感度三千倍状態のビショップが、それを感じてダメージを受けていたことなど知る由もない。
「……ひとまず、あまり時間もありませんし、《転移》妨害のない所にまで移動して――」
ビショップの大袈裟にも思える反応に違和感を覚える者は多かったが、リディアはこれ以上時間を無駄にするわけにはいかないと話を進めようとする。
彼女もかなり気にはなっていたが、この件が無事に終わればその後で確認すればいいことで、そんな楽しみがあった方が頑張れる気がしたのだ。
「ちょっと待っ――」
「何でしょうか、お姉様?」
そう割り切ってルナを連れていこうとしたところ、ユノから静止がかかった。
今は一分一秒が惜しい状況なのだが、リディアにとって、ユノの言葉はそんなものには代えられない価値がある。
そのせいか、食い気味に反応して、逆にユノを困惑させた。
「ええと、貴女たちが行く前に、まだ魔法の本質についての認識が足りていないようだから、少し正しておこうかと思ったのだけれど――」
「是非!」
それは、リディアにとっては何よりのご褒美だった。
当然、ルナたちにとっても、今この状況で言うのだから、この先役に立つものに違いないという信頼感があった。
「この辺りには《転移》の妨害が働いているから、妨害装置を破壊するか、その範囲外に行かないと《転移》できない。けれど、肝心の装置の場所が分からないし、範囲も定かじゃない――って考えている?」
ユノは、ひとまず朔から聞かされた状況で合っているかを確認する。
魔法の本質については誰よりも理解している彼女だが、システムに関する魔法については誰よりも無知なのだ。
「ええ、そのとおりです、お姉様」
ユノの問いに、リディアが代表して答える。
ビショップが健在であれば、リディアに対して憎まれ口のひとつでも叩いたかもしれないが、生憎と今の彼に意識は無い。
それどころか、意識が戻るかどうかも危うい。
「魔法の本質が何なのかは以前に話したとおりだけれど、それを踏まえて考えると、魔法の効果範囲と発生源に違いなんてないよね。まあ、現実には位置とか効力とかが違っているのだけれど、それこそが魔法の本質を理解していないということで――あれ?」
ユノの認識では、魔力とは本人の可能性であり、魔法とはその一部、若しくは全部を実現した世界である。
現実には、個々の概念や世界にも階梯が存在するため、言葉どおりのものにはならないが、まだそこまで説明する段階でも、彼女に説明できることでもないため先送りされている。
なお、ここで彼女が言おうとしたのは、「魔法」はどこを切り取っても「魔法」なのだということだ。
中心だとか、距離減衰などというものは存在しない――そうあるべきものなのだ。
それは、魔法の本質について教えられていた者たちにとっては、分かるような分からないような話だった。
言わんとしていることはなんとなく分かるが、それがここで何の意味があるのかが分からないという意味である。
一方で、魔法の本質について理解しているはずの本人は、言語化することで発生した本質とのずれに混乱して、説明が止まってしまった。
そして、その修正もできないまま思考が停止して、しばらく沈黙が続いた。
当然、誰ひとりとして意図を正確に汲めた者はいない。
「……つまり、こういうこと」
そして、このまま途中で話を打ち切るのはさすがに良くないと思ったユノは、実演という暴挙に出る。
ユノがパチンとひとつ拍手すると同時に、《転移》の妨害が蒸発したかのように消失した。
ユノにとって重要なのは、魔法の発生源やその効果範囲などではなく、その存在についての認識である。
特に戦挙期間中だからと、参加者の魔法などに干渉しないように配慮していたが、本来は彼女と結界系の能力の相性は非常に悪い。
確定後に世界を上書きする性質を持った《時間停止》魔法の仮想世界のような、概念攻撃一歩手前の強い魔法は、その強さゆえに、「世界を上書きできない」矛盾を、「発動しない」ことで解消する。
それ以下の結界が、彼女の干渉を受けて壊れる、若しくは発動できないのも当然のことで、《転移》妨害結界が無事に発動したのは、彼女がそうならないように配慮していたからにすぎない。
それを、魔法の本質を説明するために、能動的な「領域の喰らい合い」を、少しばかり高い階梯で行った。
そうして、魔法の本質の実演と共に、本質に至っていない魔法がいかに脆いものかを証明してみせたのだ。
それは、アイリスやリディアのような多少の覚えがある者には、ユノが軽く打ち合わせた手の間で潰された世界を幻視させるほどの強い魔法だった。
ただし、消された魔法はそれだけでは済まなかった。
エイナールを拘束していた魔法の氷も消えていて、彼の異形化も元どおりになった。
更には、ビショップやポーンたちのデーモンコアによる強化も消え失せていて、ついでに警備員たちの《蘇生》に纏わる因果も誰にも知られることなく消えた。
そしてもうひとつ、アイリスに掛けられていた幻術も解けて、彼女の額から飾りの角がポロリと落ちた。
明らかにやりすぎだった。
「「「どういうこと!?」」」
あっさりとしたアクションに対して効果が異常極まりないことに、事情を知らない者たちの心がひとつになった。
魔法無効化能力は、特殊な才能が必要になる完全無効化に近いものとなると稀だが、そこそこの能力であれば、所有者はごまんといる。
後者であれば、闘大の警備員レベルとなれば半数以上は所有しているし、リディアは当然として、魔法が上手く使えないルナでさえも所有している。
それこそ、《固有空間》と同様に、よほど高レベルでもなければわざわざ申告しないようなものである。
そんな彼らから見て、ユノのそれは魔法無効化能力とは明らかに違う何かだった。
何が違うのかを言葉にはできないが、とにかく違う――再現は当然として、レベルの差を考慮しても似たようなことができる者は皆無である。
それ以前に、味方であるはずのアイリスにまで効果を及ぼしたことは、全くもって理解できない。
「嬢ちゃん、人族だったのか……?」
「まさか……。でも、人族って、みんな勇者みたいな筋肉ゴリラじゃなかったのか……?」
「アイリスっちが人族だったなんて……」
「せ、拙は最初から知ってましたが?」
悪魔族のホームにおいて、人族であることを暴露するなど、フレンドリーファイアどころの話ではない。
「あらら、バレちゃったよ……!?」
「くっ、こんな時に――」
「まあ、彼と会った時からそんな予感はしていましたが……」
当初からアイリスが人族であることを知っていたルナやジュディス、そして、アルフォンスとの邂逅からその繋がりを予想していたリディアは、対応に困惑しているものの驚きはない。
「んー、難しいことはよく分からないっすけど、アイリスはアイリスっす」
「確かに、嬢ちゃんが何であれ、受けた恩は変わらねえからなあ」
「おうよ。嬢ちゃんに害をなすような奴は、俺が相手になってやる!」
「「「俺も俺も!」」」
この場でアイリスが襲われなかったのは、彼女が彼らの基準では強者に該当することと、ここまでで積み上げてきた信頼関係があったからである。
同時に、本能的にこのふたりには逆らってはいけないとも本能的に理解していた。
とはいえ、分かっていても暴走することがある悪魔族が大人しくしているのは、やはり根底にあるのが信頼関係だからだろう。
「……皆さん、ありがとうございます。できればその時まで隠しておきたかったのですが、バレてしまっては仕方ありませんね。確かに私は人族ですが、皆さんと積極的に敵対しようとは思っていません。もちろん、身を守るために自衛をしないという意味ではありませんが。――ええと、それでですね、私のような考え方は人族でも少数派ですが、人族の中にもそういう派閥があると知っていただくための活動中で――いえ、地盤造りの最中だったというべきでしょうか」
ユノのやらかしは、様々な事態に備えていたアイリスにとっても想定外のものだったが、それでもこの程度で破綻するほど能天気に構えていたわけではない。
アイリス自身が神聖視されたのは想定外だったが、人族であることがバレる状況については、いくつかのパターンを想定していた。
今回のケースは、比較的条件が良い――それに、アイリス自身が神族ではない証明にもなるなら、渡りに船だったといっても過言ではない。
そこで彼女は、自身が人族であることを強調しながら、更なる好感度稼ぎ――当然、悪魔族に対してではなく、ユノに向けたものを試みた。
それがライバルであるアルフォンスの援護射撃になることも理解しているが、殊ユノ攻略に際して、足の引っ張り合いは無意味――むしろ、マイナスに働くことを理解しているので問題視はしていない。
アイリスの正体暴露は、そこにいた者たちに大きな衝撃を与えた。
人族という種に対しては思うところのある者が多いが、アイリス個人に悪感情を抱いている者はいない。
抱く可能性が高かったポーンたちは、力を剥奪された際の精神への負担が大きすぎたために昏倒中である。
そんな状況で、人族だからという理由でアイリスを排除しようという動きは起きない。
それでも、それまでは当然だった考えをいきなり180度変えることは難しく、ひとまずアイリスだけを例外とすることで心の均衡を図ろうとしていた。
そうして落ち着いてくると、次に気になってくるのが、この事態を引き起こした元凶である。
むしろ、最初から何より気になっていたのだが、気安く触れていいものなのか判断できず、アイリスの方に興味を向けることで逃避していたというべきか。
ここまでくると、ビショップたちのように感度異常を起こしていない彼らでも理解できる。
ビショップたちがあれほど怯える理由が彼女にあるのだと。
既にユノの異常性の一端を知っていた者たちは、気になっているもののユノへの信頼が上回っているか、知るべきではないとわきまえているかのふたつに大別され、どちらにしても平静を装っている。
しかし、ユノとの交流がほとんどない警備員たちは、簡単には割り切れない。
(あれ? もしかしてあの娘、本当に女神様だったりして? ってか、デネブ討伐にも貢献したんだったか?)
(そういや、ユノ――様って、ヘラ様の別名だっけ? 眷属? どっちにしても――)
(俺らかなり無礼だったような気がするけど、不敬で殺されたりしないよな……? ってか、心の中読まれたりしないよな!?)
(嬢ちゃんの話題を続けてれば誤魔化せるか……!? こうなっちまうと、嬢ちゃんが人族で助かったぜ……。とりあえず、驚いとくか!)
警備員たちは、アイリスの正体に注目していれば直視したくない現実から目を逸らしていられると、話題をループさせて嵐が過ぎるのを待っていた。




