47 立候補
「あのっ、私じゃ手伝えないかな?」
苦悩していたリディアに声をかけたのはルナだった。
ルナも、アイリスの指揮の下、彼女にしかできない役割を十全に果していた。
といっても、囮である。
しかも、雷霆の一撃の作戦目標のひとつになっている彼女に、ほかにどのようなトリガーが設定されているのかも分からないため、戦闘は厳禁とさえていた。
アイリスは、彼女が初代大魔王の血筋ではないことを知っているが、「思い込み」も案外莫迦にできないことも知っている。
そうでなければ、彼女の階梯で領域を展開することなどできなかったはずだし、ライナーが初代大魔王と勘違いする存在を召喚できなかったはずだ。
ゆえに、ルナの扱いには細心の注意を払っていた。
しかし、ルナにとっては、理屈は分かっていても、そこまで過保護にされることは納得しづらい。
そのため、彼女としては、不完全燃焼というか、自分だけ何もしていないような心境に陥ってしまっていた。
さらに、皆が活き活きと楽しそうに暴れている中、それを見ているだけ――余計なことを考える時間があるのはなかなかの苦痛だった。
そこへきて、リディアが分かりやすく悩む様子を見て、「チャンスだ」と思ったのだ。
「……かなり危険なことになりますが、分かっているのですか?」
ルナの申出はリディアにとって有り難いものだったが、これ幸いと飛びつくわけにもいかない。
リディアは、アイリスほど深読みしてはいなかったが、合理性で考えれば、ルナを使う理由が弱い。
彼女も、ユノの訓練で強くはなったが、それはほぼ防御面においてのみのことである。
攻撃に関しては、魔力の扱いに難があったことが響いて、「学生が相手であれば通用する」程度でしかない。
その防御についても、初代大魔王クラスが相手になると、どこまで役に立つかは怪しい。
初代大魔王がユノと同格とは考えにくいが、ユノが相手では彼女の防御能力など無意味なのだ。
少なくとも、それらのリスクを充分に把握して、場合によっては――むしろ、何かしらの幸運が無ければ死ぬことが前提だと理解していなければ任せられない。
「お嬢様……。私としてはお嬢様の希望を叶えたいとは思いますが、さすがに初代様やデーモンコアを持つ者と対峙するのは、お嬢様の護衛としては認められません」
「私もジュディスさんと同じ意見です。元より言っておいたとおり、貴女が無謀なことをしようとするなら、私たちの手で止めることになります」
危機感が足りないようにも見えるルナに、ジュディスとアイリスが反対する。
ジュディスには、リディアの考えが全て理解できているわけではなかったが、初代様やライナーと対決する可能性が高いことくらいは理解できた。
ルナの意思を封殺するのは、彼女にとっても心苦しいものだったが、どう考えても彼女たちの能力で対処できるようなことではなく、ルナの身の安全には代えられない。
そもそも、話の流れからすると、《転移》の魔晶の定員はひとりだけだと思われる。
ふたり揃っていても厳しいものがより悪い条件になっては、どう考えても認められるはずがない。
アイリスは、リディアの考えていることはおおむね理解できていたが、アルフォンスへの報告であればユノの分体が行うか、既に行っているだろうと考えている。
だからこそ、万全の状態ではなく、ほかにもやるべきことがある彼女自身が協力することを拒否したのだ。
本音を言うなら、ユノの活躍を直に見たいところなのだが、もっと楽観できる状況ならともかく、欲望を優先できる状況ではない。
それに、いろいろと事情を知る彼女が現地に行って足を引っ張るようでは、ユノの晴れ舞台を茶番にしてしまう可能性もあるのだ。
だからこそ、ユノを手札として使うことをアルフォンスに譲ったのであり、同時に、それを「正妻の余裕」だと考えているのだ。
一方で、ルナの勇気ある意思表明には賞賛すべきところもあるものの、その中に確たるものを感じなかったため、当初の約束を盾にして反対した。
そして、それは愛する妻も同意見だろうと、アイリスはユノの意思を確認するべく様子を窺うが、バケツを被っているために表情は確認できず、微動だにしない身体からは何の意思も感じられなかった。
(……話を聞いていないのでしょうか? いえ、恐らく、「どちらでもいい」と考えているのでしょう。もっとも、私たちがルナさんのことで責任を負っているのは、「外界進出に関すること」だけですし、それに、現地にはグレイ卿もいます。彼の方でも対策は立てているでしょうし、どういう形であれ、事件が終息すれば《蘇生》も可能ですからね……。とにかく、結局は彼女の意志次第といったところでしょうか)
とはいえ、それも断固としたものではなく、ルナの意志が本物であれば退くことも考えている。
なお、アイリスの愛妻は、理解の及ばない展開に、特に初代大魔王関連のことにどう対処すべきか判断できずに困惑――思考停止していた。
そのため、誰かが方針を決めるか、自身に判断できる要素が揃うまでは様子見に徹するつもりだった。
「ふたりの言い分ももっともです。必要なアイテムの都合上、お願いできるのはひとりだけです。一応、魔王城に寄って、予備の魔晶を頂ければその限りではありませんが、そうしていられる時間がありません。最悪、私は自力でも行けますが、どちらにしても、魔王城に寄って陛下に報告してからになりますので、少し遅れることになるでしょう。彼への報告の後は離脱していただいても結構ですが、離脱できなかった場合は、私たちが到着するまでどうにかして凌いでもらうしかありません。もっとも、私たちが到着した後でも、私たちに貴女を護る余裕は無いかもしれませんので……」
リディアは、残された時間も少ない中、理解が足りていないであろルナに対して誠実に対応する。
魔界のためと、そこで実際に生活している人を見ていなかった頃の彼女であれば、騙し討ちのようなことでもやったかもしれない。
しかし、ユノと出会ってその呪縛から解かれたことで、別種の呪縛に掛かっていた。
リディアは、ルナに話しかけながらも無意識にその呪縛の原因に意識を向けるが、それは黙して何も語らない。
その意に反した時には「がっかりさせないで」と言われたことを考えると、恐らくは間違ってはいない。
最悪は、自身にできることを、可能な範囲でやるだけだと覚悟を決めた。
「分かってます――いや、分かってないかもしれないけど、私の立場だと、陛下が負けたりしたら結局危ないんだよね? だったら、少しでも勝算が上がる方がいいかなって思うし、それに、私がそこにいることで相手の攻撃が制限される可能性もあるんじゃないかなって」
ルナは、皆が感じていたほど考え無しではなかった。
もっとも、考えていたのは理屈だけで、やはり動機であったり決意のようなものは感じられない。
彼女たちの訴えるような視線がユノに注がれる。
アイリスとリディアとしては、ルナの能力不足や危機感の欠如を見るに、「本人の意思を尊重する」というのは不安でしかない。
ルナも、ユノが実力行使でとなると諦めざるを得ない。
何より、彼女たちの間で不毛な議論をするくらいなら、ユノに決めてもらった方が納得がいく。
しかし、「みんな頑張れー」と、思考放棄気味だったユノにとっては、突然何かを求められても困るだけだ。
慌てて朔からおおよその流れを聞いて、求められていることを把握するも、何も印象に残っていないために、正直なところ、「好きにすればいい」としか思わない。
「本人の意思を尊重すれば?」
それでも、自身が何かを言わなければ話が進まないのだろうと割り切って、消極的な賛成を表明した。
聞く者によっては投げやりにも聞こえる意思表明に、アイリスやリディアは少しばかり驚き、ルナは認められた嬉しさよりも困惑が勝った。
「まあ、私の教えたことをきちんと理解していて実践できるなら、そこにいる人たち程度なら身を護ることくらいはできるだろうし――」
ユノも、彼女たちの予想外の反応は心外だったため、一応の理由のようなものを話し始める。
「この件に限っては、私たちが貴女を護る条件から外れるから、無謀だからといって止めはしない」
ユノにしてみれば、ルナたちを護るのは基本的にアイリスの役目である。
その補佐は行うが、自らが主体となるつもりはない。
そして、彼女の役目についても、「アルフォンスの代わりに」という条件下のものであり、アルフォンスがいるなら彼自身がやるべきだと思っている。
もっとも、状況はそれほど単純ではないのだが、多少の困難であれば打開できる材料は与えていると思っているため、いちいち考慮しない。
何より、それぞれの意思で頑張っているのは分かるので、可能な限り応援してあげたいと思っている。
「ただ、アイリスの《蘇生》魔法を当てにしているのだとしたら、よく考えた方がいい。魔法で生き返ったとしても、副学長先生みたいに変質する可能性もゼロではないし、見た目には変化がなかったとしても、魂や精神が以前と同一かは分からないよね? それに、仮に無事に生き返ったとしても、『一度死んだ』という因果が無かったことになるわけじゃないから、その齟齬を埋めようとする『世界の修正力』みたいなものが働くと思う――といっても、そういう場面になると『死』という結果に転びやすくなる程度だけれど。アイリスに《蘇生》してもらった人たちの中にも、心当たりのある人もいると思う。二度目以降は、思いのほかあっさり死んだ、とか」
ユノの見解は、魂や精神、そしてそれらと繋がっている根源を認識できているゆえのものである。
当然、それらが認識できず、彼女の正体を知らない人たちからすると、裏付けるものが何も無い妄言でしかない。
それでも、関連性が不明ではあるが、異形化しているエイナールの姿や、アイリスがそれを否定しないこと、そして、相手が強かったことを差引いても死にすぎた――と、今更ながらに恐れを感じている警備員たちの姿が説得力を与える。
「まあ、死ななければ問題無い話だし、死なないように頑張って」
考えた方がいいと言っておきながらも、協力することが決定事項のように激励するユノに、ルナは退路を断たれてしまった。
もっとも、ユノにはそういう意図はなく、「協力するなら頑張って」程度の軽い気持ちだったのだが、悪魔族の性質的には「それくらいできるだろう」と煽られているようにしか聞こえない。
そうすると、衆人環視の中で言い出したこともあって、今更退くことなどできはしない。
「……はい、頑張ります」
「お、お嬢様!? やはりお嬢様を危険な目に遭わせるわけには――私が、私が代わりに!」
「いや、抑止力になれるのは私だけだから……、ジュディスはここに残って後のことをお願い」
「ですが――」
「だから――」
元は自身が言い出したことで、理屈の上でも間違ってはいないはずで、エイナールのようになる確率は極めて低いはずだと、ルナは覚悟を決める。
当然、主の危険な行いを見過ごせないジュディスが代わりを申出るが、ここまでくるとルナも引き返せない。
「うーん、単純な戦闘能力で比べると、ジュディスさんの方が生存率は高いかもしれないけれど、不可能を可能にする期待値でいえば、ルナさんが一番だと思いますよ」
しかし、そんな主従愛、若しくは家族愛に満ち溢れたやり取りを、ユノは効率的に切り捨てた。
ユノにそういった感情が全く理解できないわけではないが、彼女の能力的には共感しづらいことである。
それでなくとも「それはそれ、これはこれ」と割り切る彼女に、人の心の機微はなかなか理解できない。




