46 ぶち壊し1
――第三者視点――
リディアにしてみれば、無知蒙昧な警備員たちが、彼女が敬愛するお姉様を差し置いてアイリスを女神扱いしていたことが面白くなかっただけのこと。
そんな彼女らしからぬ、幼稚な――ある意味ではとても彼女らしい感情から出た言葉だった。
本来なら、そう断定できるような確証もなく、そもそも、常時バケツを被っているような変人がそうだと言われても、鼻で笑われるだけである。
それでも、次期魔王候補の一角であるリディアが言うと、ただの冗談とは切り捨てられない説得力があった。
「今度は女神様かー。でも、初代様っていうより説得力あるかも?」
「ふっ、もちろん拙は最初からそう思ってましたが」
「そういえば、『魔法の本質』とか、誰も知らないようなことを知ってたしな……。規格外の強さといい、否定できないな」
そして、それに賛同するような強者の声が説得力を底上げする。
当のリディアも、特に考えて発言したものではなかったものの、いざ口に出してしまうと妙に納得できてしまった。
そして、当然のように彼女の中で確定事項と化した。
「えっ? つまり、ここには女神様がふたりもいるのか?」
「マジかよ。最高じゃね?」
「がはは、勝ったな!」
その雰囲気は警備員たちの間にもあっという間に伝播し、恐怖に震える雷霆の一撃の強者たちの様子も相俟って、場全体が奇妙な熱を帯びてくる。
それで困るのが、当事者であるユノとアイリスだ。
ユノは、自身の正体や、それを暴露することについて、アイリスやアルフォンスの目的達成のための手札とすることを認めているため、彼女自身は肯定することも否定することもできない。
アイリスも、巫女というクラスに就いている彼女が、公の場で神を否定することはできない。
だからといって、この場で認めるのも時期尚早である。
今の段階でユノを神だと認めてしまうと、本来なら悪魔族やアルフォンスが対処しなければならない問題が、神の手に委ねられてしまうことになりかねないのだ。
「あはは、私なんかを女神だなんて持ち上げすぎですよ。冗談もそのあたりにしていただかないと、本当の神様に怒られてしまいます。それよりも、『雷霆の一撃』でしたか。彼らが初代様を召喚しているのが事実だとすると、陛下たちも危ないかもしれませんね」
アイリスにできたのは、自身が神であることを否定することと、話題を逸らすことだけだった。
それで有耶無耶にできるかは相手次第ではあったが、深刻そうな表情で言ったアイリスの雰囲気に、流されやすい悪魔族の性質が嵌って誘導に成功する。
「だったら、応援に行かなきゃ! って、どこに? いつ?」
「いえ、さすがに初代様が相手では、拙らの実力では足を引っ張るだけでしょう」
「戦闘では役に立てなくても、何かできることがあれば協力したいんだけど……」
「場所についてはリディアが知っていると思いますよ。《転移》の妨害はリディアをそこに行かせないためでしょうし、《念話》の遮断や学園の封鎖は外部への――特に体制派への情報漏洩を防ぐため。戦力や準備が不十分なのに実行したということは、そう先の話ではない――恐らく、もう始まっているか、数時間内に始まるというところではないでしょうか」
この機を逃すアイリスではない。
想定していた流れに戻すため、若干危機感を煽るような言葉を選ぶ。
『ただのテロリストだったら心配は無いんだけど、初代大魔王を召喚したって話が本当なら、初代大魔王抜きでもかなりの実力者なんだろうね。そっちで負けると、これまでの流れが全部無駄になるかも……。困ったなあ』
そこに朔が乗っかり、更に煽る。
朔にとって、ユノの正体暴露は、目下最も楽しみにしているイベントである。
しかし、今ここで認めても盛り上がりに欠ける――望んだ展開にはならないと予想している。
それならば、テロリストの団長や初代大魔王がいい感じに危機感を演出してくれることに期待しようと、そこへの繋がりを作るべく、リディアとユノを誘導したのだ。
「はい。初代様以外にも、団長のライナーもかなりの手練れです。彼は以前の私と同格――今はデーモンコアを所持していることを考えると、かなり危険かもしれません。やはり、なるべく早く報告か、応援に行かないと……。まずは陛下に報告して、それから現場へ――やはり、多少無理してでも《転移》を使うしかないようですね」
朔の思惑に、リディアが乗せられた。
その言葉と雰囲気は、警備員たちの浮ついた雰囲気を落ち着かせるには充分なものだった。
リディアは更に考える。
学園での騒動は序章――ですらなく、本筋から見れば幕間か、精々が余興程度のものだ。
初代大魔王やデーモンコアを持ったライナーが敵だとすると、大魔王ルイスとその側近、そしてアルフォンスだけでは勝ち目は薄く、そこにリディアが加わったくらいでは大勢に影響はないと考えるべきだろう。
ライナーだけならともかく、「初代大魔王」という存在は、魔界においては「絶対者」と同義なのだ。
学園を襲撃した雷霆の一撃の目的が、彼らが口にしていたように、リディアの説得や《転移》の魔晶の取得、ルナの身柄の確保だとすると、間違いなく失敗である。
一方で、ライナーの視点で考えると、最も警戒すべきユノを――絶対者に対抗できる唯一の存在を学園に足止めしている時点で成功なのだ。
予想される戦場は、アルフォンスの農場である。
魔界の未来を考えると、絶対に失ってはいけないものがふたつあり、農場はそのひとつ――の付属物である。
農場を失っても、アルフォンスが健在であれば再建は可能だろう。
ただし、人族であるアルフォンスにそこまでする義理があるのかと考えると疑問符が付く。
むしろ、この状況で内乱など起こされるような無能は見限られると考えるのが普通である。
そうすると、アルフォンスは絶対として――最悪は逃げてもらうことも視野に入れて、農場も死守するくらいのつもりでいなければならない。
そして、失ってはいけないもののもうひとつが、大魔王ルイスである。
アルフォンスと彼の農場にどれだけの可能性があろうと、時の大魔王の方針と相容れなければ、潰されてお仕舞いになってしまう。
ルイスのような理解ある大魔王(※魔界基準)は非常に稀で、強硬派の見本のようなライナーが大魔王の座に就いたりすれば、ただ奪うか、最悪はアルフォンスを捕まえて奴隷にしようとするだろう。
当然、そんな展開になると、アルフォンスも自衛のために戦うだろう。
そうして、神器を持つ者同士が戦えば、魔界にどれほど影響を与えるのか、それをわざわざ警告してくれたユノがどう思うかを考えると、今ルイスに斃れられては困る。
そして、直近の問題は、元より選択肢が多くはなかったことに加えて、ここから先はリディアにしかできないことが多々あることだ。
目下しなければならないのは、ルイスとアルフォンスに対する報告である。
今からでは万全の準備はできないとしても、事前に知っているかどうかだけでも大きな差が出る――少なくとも、奇襲で一網打尽などという最悪の事態は避けられるだろう。
状況的に、アルフォンスへの報告は、《転移》の魔晶を持っているリディアが適任である。
無論、《転移》の魔晶さえあれば彼女以外でも可能になる。
しかし、《転移》妨害結界の影響が残っている状況では、魔晶のセーフティが働いて《転移》できない。
妨害の範囲外に出るにしても、時空魔法の適性がなければその有無が感知できない。
強引にセーフティを外すことも不可能ではないが、それにも高い時空魔法の適性や能力が必要となるため、やはり彼女以上の適任はいない。
魔王城――ルイスへの報告も、立場や知名度を考えると、リディア以上の適任はいない。
こちらも、ルナやアイリスといった、ルイスとの面識がある者であれば代役も務まるだろう。
また、走ってでも行ける距離と地形な点も、人選の幅を広げる要素となる。
ただ、体制派にとって重要なイベントをすぐそこに控えた状況で、すんなりとルイスと面会できるかというと、難しいといわざるを得ない。
恐らく、後回しにされるか――要件を先に伝えるのもひとつの手だが、下手に混乱を煽って視察が中止になっても困る。
片方だけを失っても、両方を一度に失ってもダメージは同じであり、「失わない」という勝利条件を満たすためには、戦力を集中させておくことが最善なのだ。
そういう意味では、リディアもほかの者たちと条件は変わらない。
ただ、強引に突破することも考えると、彼女が最適だというだけだ。
なお、どちらにおいても、鬼札であるユノを動かすのが一番である。
ただし、農場へ行かせるのはほぼ不可能。
魔法をほぼ完全に無効化する彼女を《転移》させることは不可能で、魔法道具を誤作動させることに定評のある彼女に、《転移》の魔晶を使わせることにも不安が残る。
ユノにメッセンジャーとして魔王城に赴いてもらうのもひとつの手段だ。
しかし、末端の兵士にまで絶大な人気を誇るユノなら、ルイスの所にまで顔パスで行けるだろうが、大人気すぎて、違う理由で引き止められる可能性もある。
それに、肝心の報告という部分においては信用していいのか分からない。
ユノは決して莫迦なわけではないが、口下手な上に重要なことを忘れることが多々ある。
逆に、一般人には理解できない真理のようなものを口にすることもあれば、説明に困ると諦める癖がある。
ただそこにいるだけで人々を幸せ(若しくは不幸)にする存在ではあるが、メッセンジャーの役目を果たせなくても、「可愛いから問題無い」とされるような存在に託していいことではないのだ。
「誰かひとり、協力してもらうのは必須――能力的にはアイリスさんが適任なのですが、一か八かの《転移》をお姉様と親しい方にお願いするのは――。せめて、《転移》妨害の影響の無い所を探して――いえ、それで時間切れになっては元も子も――」
追い込まれていたリディアは、考えが声に出ていることにも気づいていない。
もっとも、聞こえていた者たちの多くは、彼女の考えが理解できていない。
もっともらしく頷いている者もいたが、当然のようにポーズだけである。
それでも、一部には、リディア以上に事態を理解している者たちもいた。
「申し訳ありませんが、私はここから動けません。ここにはまだ死傷者が大勢いて、私でなければ《蘇生》はできないでしょうし」
そのひとりがアイリスである。
彼女の言うとおり、彼女の《蘇生》の効果は、他者の追随や理解の及ばないものである。
それでも、時間の経過――というよりも、魂の根源への還元が進めば、彼女の救いの手も届かなくなってしまう。
教会勤めの経験から、数時間程度で急激に状況が悪化することはないことは理解しているつもりだが、彼女も階梯が上がった自身の能力を完全に把握しているわけではない。
アイリスも、ここが魔界にとっての分水嶺だと分かっているし、可能なら手助けしたいとも考えている。
それでも、魔界を救うために、目の前の人々を救うことを後回しにしてもいい――とはならなかった。
「ですが、事は魔界の一大事で――犠牲になった方は残念ですが、負けられない戦いが――魔界の未来が懸かっているんですよ!?」
リディアとて、学園内でどれくらいの犠牲者が出ているか、アイリスがどれだけ救っているかは理解しているし、魔界や彼らの未来を考えると痛ましく感じる。
それでも、少しでも勝算を上げようとすると、ある程度の犠牲は止むを得ないと考えていた。
「貴女の言い分も理解できますが、それでも私の答えは変わりません。魔界の未来のような壮大なものは私の手には余ります。私にできるのは、世界がどうあろうと私にできることをすることだけです。それが、私と世界との関係です」
「そう、ですか……」
リディアには、アイリスの言葉の全てが理解できたわけではない。
納得できないことも変わらない。
それでも、アイリスの決意が固く、絶対に折れないことは理解できた。
かつてのリディアであれば、強引に力で従わせたかもしれない。
しかし、戦いとは多種多様なものだと理解した今では、強く否定することはできなかった。
何より、それを教えてくれた神愛なるお姉様の最も近くにいる者が、ただの我儘で反論しているはずがない。未熟な自身には分らないだけで、そこには必ず意味があるのだと、よく分からない信頼性があった。
むしろ、彼女自身も、いつか戦い以外のことで胸を張れるようになりたいと、堂々としたアイリスの姿に強い憧れを抱いたくらいだ。
リディアは、アイリスに頼ることは諦めたが、だからといって全てを諦めたわけではない。
アイリスが駄目ならほかの人に頼むしかない――と周りを見渡すが、適任といえる人材がいない。
副学長エイナールが氷漬けの異形でなければ候補に挙がっただろうが、意味の無い仮定をしてみたところで現実は変わらない。
むしろ、現状は最も不適格だ。
ルナは、アルフォンスとも面識がある可能性が高く、メッセンジャーとしての適性は高いが、実力不足は否めない。
それに、彼女自身が雷霆の一撃の作戦目標のひとつだったことを考えると、現場に向かわせるのは非常に危険である。
ジュディスも、グレモリー家繫がりでアルフォンスへのメッセンジャーとしては適役といえるだろう。
しかし、手元にある《転移》の魔晶はひとつ――ひとり分だけ。
彼女がルナの許を離れられるか、ルナの身の安全を保障した上で離れたとして、その状態で満足な仕事ができるかとなると疑問符が付く。
エカテリーナは論外だった。
空気の読めなさや大雑把な性格は、この緊急時には致命的な欠点となる可能性があり、戦闘能力の高さという長所を上回る。
メアとメイは、セットでなければ半人前――メアはエカテリーナほどではないものの空気が読めず、メイは人見知りが激しいため、トライアンかメアが側にいないと置物と化してしまう。
そして、両者ともナチュラルに口――言葉のチョイスが悪い。
本人には悪意は無いらしいが、それがかえって相手を煽ることが多々あるのだ。
キリクは余計な柵を避けるために単独、若しくは少数での活動を好む、ある種の合理性を持ちつつも、人当たりも悪くはない。
メッセンジャーとしては申し分ない上に、危険察知能力にも長けているため、単純な戦闘能力以上に貢献してくれそうな人材だ。
しかし、ひとりでビショップたちをまとめて足止めをするという無茶をした反動か、疲労の色が濃い。
ポーションや魔法で回復させたとしても、魔力酔いを起こされては使いものにならないし、そうならなかったとしても、酔いの素となる不適合魔力は蓄積される。
アイリスくらいの回復魔法の使い手であればかなり軽減されるが、現場では彼女の支援が期待できない以上、多少なりとも限界が近い彼を現場に送り込むのは躊躇われる。
リディア自身も動かなければならない以上、悩んでいられる時間はそう多くないが、僅かなミスが命取りになる状況で、解決に必要な駒が足りない。
こういう状況も想定しなかったではないが、急に人材が生えてこない以上はどれだけ考えても解決しない。
今になって、「お姉様との散歩を諦めて、魔王城に向かっていれば」と後悔しても後の祭りである。
さらに、こういった場面で使うために雇っていた私兵団が実は敵であり、それどころか自身が情報漏洩の窓口だったのかもしれないと考えると、リディアの心は悔恨と屈辱で塗り潰されていた。
そこに焦燥感が加わって、いつもの自信に満ち溢れている態度は見る影もない。
自棄を起こさないのは、お姉様が見ているから。
そして、お姉様を見ていると、安心できる(※現実逃避気味)。
力だけでは解決できない問題に直面して、またひとつお姉様やアルフォンスたちの立ち回りに感心するところではあったが、時間は待ってはくれない。
もっとも、決断を迫られていたのはリディアだけではなかった。
ユノに鍛えられた者たちは、この状況でそれぞれができることを考えていた。




