38 第一波
闘大副学長エイナール・ダンダリオンは、順調に推移する戦挙戦に満足していた。
そして、「公認親衛隊顧問」という華々しい未来を想像して悶々としていたところ、リディアから「テロリスト襲撃」の報を受けた。
そのおかげで、襲撃を受ける寸前に態勢と体裁を整えることができ、かろうじて襲撃の第一波を乗り切っていた。
しかし、エイナールは雷霆の一撃に「要注意人物」としてマークされていることもあって、すぐに追撃が行われている。
雷霆の一撃が戦力の逐次投入をしているのは偏に人員不足によるものだが、何度も同じ愚を繰り返すほど愚かではない。
エイナールの状況は、依然として危険――むしろ、人生で最大のピンチの真っ最中だった。
計画の完遂を目前に、エイナールが油断していなかったといえば嘘になる。
ほんの数か月前までは学園長の座を奪うことを目標としていたこともあって、バルバトス派の者やほかのライバルなど、敵の多さは自覚していた。
当然、暗殺などの報復に対する備えには余念がなかった。
しかし、それも過去のこと。
現在のエイナールは、彼の用意した駒を用いて闘大総戦挙で勝利し、その暁には意中の相手に告白しようと、気持ちの悪いことを考えている。
そのために多くの私財を擲ち、資材を注ぎ込んでいる。
その一環で、防衛設備の多くも現金化されて、消費されていた。
これはエイナールなりの婚活なのだが、独善的にすぎる上に、性格的にも物理的にも粘着質なところがある彼の気持ち悪さは、一般的な女性が受容できる限度を超えていた。
さらに、彼の出す粘液が若干生臭いことがそれに拍車をかける。
そうして、付いた二つ名が「餡かけ」である。
さらに、最近、頭頂部の毛髪が寂しくなってきたことから、「薄毛の餡」にマイナーチェンジしている。
そんな中傷紛いの二つ名を払拭しようと、暗闘すればするほど、彼の悪評は増していく。
それが、彼が結婚に至らない理由である。
むしろ、身形を清潔にして変な小細工をしなければ、家柄も良くお金持ちで身体能力も知性も充分と、かなりの優良物件だったはずである。
さておき、身の安全を削ってまで今回の婚活に懸けていたエイナールは、雷霆の一撃が送り込んできた複数のポーンからどうにか逃げ果せたものの、支払った代償は小さくない。
「……リディア君の警告がなければあのまま殺されていたところだったね。ふむ、もしかしてだが、彼女は私に惚れていたのだろうか? だが、私にはもうユノ君がいるので君の想いには応えられん……! すまんな。……さて、来るべき初夜に向けて禁欲していたのも幸運だった。だが、まあ、ここに逃げ込むまでに多くの駒を犠牲にしてしまったし、私の傷も浅くはない。次はさすがに――いや、手足の一本や二本失っても、イチャラブ新婚生活は可能。そもそも、いずれ生えてくるしな。そのためにも絶対に生き残らなければ……!」
この危機的状況に際して、エイナールの妄想は次のステージへとステップアップしていた。
「ふふふ、手足を失ったのは残念だが、その分君が奉仕してくれる……。いいよ、ああ、そこ……っ! あぁっ、そんなところまで……! らめぇっ!」
正常化バイアスを通り越して、現実逃避に近かった。
「おい、感じてるか? 何か知らんがヤバい感じがプンプンするぜ」
「ああ、さすが魔王級ということか。刺し違えてでも俺たちを殺す気なのか……」
「ここで俺らがやられると、ただでさえ遅れてる作戦が更に厳しくなるんだが……」
「やっぱ、ポーンでなくてもいいから増援を呼ぶのが正解なんだろうな……」
しかし、彼から漏れ出ていた気持ち悪いオーラが、彼を追い詰めていたはずのポーンたちの足を鈍らせていた。
◇◇◇
エイナールが襲撃を受け、エカテリーナが襲撃をやり過ごしていたのとほぼ同時刻、マクシミリアンチームもまた襲撃を受けていた。
戦挙戦について詳細な情報を得られていない雷霆の一撃にとって、現在首位である彼らが警戒の対象となるのは当然である。
もっとも、警戒とはいってもそれは「学生レベル」の範囲のものあり、優先目標であるルナのように、ポーンを投入するには至っていない。
それでも、元より雷霆の一撃の団員のレベルは高い水準にある。
少なくとも、一般の学生と比較するようなものではない。
さらに、ポーンほど安定していないものの、デーモンコアの恩恵を不完全ながら受けた「準ポーン」とでもいうような強化兵もいる。
彼らは、強化はされたものの水準には満たなかったとか、一時的にしか能力を解放できないなどの欠陥を抱えていたが、一般的な観点では充分に強者である。
少なくとも、マクシミリアンチームを夜襲から守るために配置されていたチームや、エイナールから提供された防衛設備では止めることができなかったくらいには。
マクシミリアンたちが異変に気づいたのは、彼ら以外の制圧がほぼ終わっていた段階だった。
雷霆の一撃の団員と一般の学生や傭兵とは圧倒的な戦力差があり、それほど大きな戦闘には発展しなかったとはいえ、それなりに戦闘音や魔力の動きなどは発生していた。
それに気づかなかったのは、勝利を目前に、そして防衛網があることに油断して、遅くまで羽目を外していたせいだろう。
不注意の一方で、マクシミリアンたちにとって幸運だったのは、襲撃者がルナチームではなかったことと、雷霆の一撃に彼らを傷付ける意思が無かったことだ。
もっとも、後者に関しては「積極的に」というだけで、抵抗を試みた者には重傷者もいる。
ただ、現状では死者がいないというだけで、マクシミリアンたちの出方や雷霆の一撃の気紛れ次第ではどうなるかは分からない。
「我々は真に魔界の未来を憂う組織、雷霆の一撃である! 来るべき聖戦に備え、この学園は我々が制圧した! 諸君らにはしばらく迷惑を掛けるが、これも魔界の未来のためと理解してほしい!」
「無駄な抵抗はしないでくれ。大人しくしていれば危害は加えない。こちらとしても、将来同志になるかもしれない君たちを傷付けるのは気が進まない」
「今日のところは大人しくこの【魔封じの枷】を付けてもらうことになるが、我々の正義が証明された時点で解放すると約束する」
「大罪人ルイスを頂点とした、腐敗した魔界は本日をもって終わりを告げる。そして、君らは真に自由となるのだ!」
制圧が順調に進んだため、団員たちはあらかじめ用意してあった口上を述べる。
畏まった口調は威厳のようなものを演出するため、複数人で順番に喋っているのは、ひとりでは覚えきれないからと分担した結果である。
それでも、一部台詞が抜けていたりしたものの、彼らの主張はおおむねマクシミリアンたちにも届いた。
しかし、届いたのは言葉だけ。
少なくとも、マクシミリアンは黙って雷霆の一撃に従うつもりはなかった。
(見たことない奴らだと思ったらテロリストかよ。――なるほど、《念話》は封じられてるわけか。たった5人でここまで侵入してこれた手際といい、ひとりも殺さずに制圧した実力といい、なかなかのものだ――が、黄金の御座の人たちほどじゃねえな)
マクシミリアンは、心の中で随分と上から目線の講評をしながら、初めのうちは大人しく成り行きを見守っていた。
しかし、「あまりにも隙だらけだ」と思ってからは早かった。
◇◇◇
「アイリスさんもやっぱりヤバいね……。《蘇生》の成功率100%って……。回復魔法の腕前は身をもって知ってるつもりだったけど、これほどとはね……」
「教会の儀式魔法でも50%がいいところだと聞いていたのですが……。しかも《無詠唱》で連発ですよ。その気になれば大司教――いえ、教祖にもなれそうですよ」
アイリスたちは、キリクが先行して偵察していた詰所を順に回り、そこで殺されていた警備員たちを《蘇生》魔法で復活させては指揮下に組み込んでいた。
しかし、ルナたちが驚いているように、本来、個人レベルの《蘇生》魔法は成功率が非常に低い。
成功率以外にも、魔力量についても異常としかいいようがない。
《蘇生》は、ただでさえ膨大な魔力を必要とするのに、術者と対象のレベルや能力の差によって更に魔力消費が増える。
少しでも魔力が不足すれば、失敗は当然として、対象が灰化や消失してしまうこともある。
そのため、通常は設備の整った教会などで、高位の術者が複数で行うものである。
また、成功したとしても、代償としてレベルやパラメータが下がることもあり、常識では、戦場での《蘇生》魔法が作戦に組み込まれることはない。
アイリスは、それをお寝坊さんを起こすくらいの気軽さで死者を《蘇生》しているのだ。
なお、消費魔力については、彼女がユノと朔から貰った誕生日プレゼントの魔力回復効果で賄えている。
分類上は神器ではないが、下手な神器よりも性能が高かった。
一方で、《蘇生》の成功率については、曲がりなりにも自力で領域を構築したことで、彼女の階梯が上昇していることが理由である。
アイリスの常識ではあり得ない魔法の使い方は、基本的に信仰心が低い悪魔族でも奇跡と認めざるを得ないものである。
そして、奇跡に耐性が無いからこそ、極端な反応に振りきれる。
「私なんかまだまだですよ。ある程度死体が残っていなければ《蘇生》できないのですから」
アイリスは、ルナたちの素直な賞賛を謙虚に受け流す。
それがまた奇跡に耐性の無い悪魔族たちに刺さる。
アイリスとしては、計算しているところもあり、本音でもある。
アイリスの知る範囲でも、ユノという例外の除いても、トシヤという回復魔法のエキスパートがいるのだ。
もっとも、後者の方は回復魔法以外に取り柄がなく、隙あらば全裸になっているような歩く猥褻物である。
生死が絡む場面よりも精子が絡む場面の方が似合うという、全く尊敬できない人物だった。
しかし、客観的に見れば、アイリスも「心のチ〇コ」を生やすくらいにヤバい奴である。
世の中には知らない方が幸せなこともあるという好例だろう。
「いやいや、嬢ちゃん。ある程度って、こいつ肉片から《蘇生》してたじゃねえか」
「ああ、奇跡を見せられたっていうか、むしろドン引きだったぜ」
「え、何? 俺そんな状態で死んでたの? ヤベえな――いや、残りの肉片どこよ? 持って帰ってチビたちのお土産に――っていうか、俺、もしかしたら分裂できる?」
最初は混乱していた犠牲者たちも、すぐ側で仲間が《蘇生》されている様子を見せられると、感情はどうあれ現実として認めざるを得ない。
そして、疑うことなく彼女たちの言い分を受け入れ、行動を共にしていた。
「身体だけなら復元できると思いますけど、魂が無いので動きませんよ?」
「復元できるのかよ……。まあ、こんな奴増やしたところで大して役には立たないけどな。肉だって、ほかの奴の方が美味そうだし」
「……そんなことありませんよ。あ、次の詰所にはテロリストが待ち伏せしているそうですので、また手筈どおりにお願いしますね」
現在、アイリスたちが巡回した詰所の数は5か所になる。
殺されていた講師や常駐の警備員、そして臨時雇いのハンターたちを漏れなく蘇生していて、特殊技能のある一部の者を別行動させているのも含めて、率いている集団は既に三十名を超えている。
巡回した詰所の中には雷霆の一撃の団員が潜伏していた所もあったが、戦闘になり、怪我を負ったとしても、即座に回復魔法が飛んでくる。
たとえ命を落としたとしても、成功率100%の《蘇生》魔法があるのは証明済みである。
そして、この規模にまで膨れると、詰所に潜んでいる少数のテロリストなど、数の力で磨り潰すだけである。
そういうシチュエーションが大好物な悪魔族にとって、この状況はご褒美のようなものであり、士気は非常に高かった。
「ああ、任せといてくれ! やられた借りは返さなくちゃいけねえしな。倍返しにしてな!」
「むしろ、その機会をくれたことに感謝しなくちゃだぜ。それに、《蘇生》のペナルティもほとんどないしな。ちょっとナニが小さくなったくらい、受け入れないとな」
「それは元からだろ。だがよ、ありえねえような《蘇生》の成功率といい、嬢ちゃん、もしかして神様の遣いか何かか?」
「……遣いではありませんよ。むしろ、神様は《蘇生》があまり好きではないようです。頑張って生き抜いた人への冒涜だとかで」
アイリスは、悪魔族的食事や下ネタに辟易しながらも、彼らの手綱を握っておくために、それをおくびにも出さずに丁寧に対応する。
「うーん、神様の考えてることは分かんねえけど、俺は《蘇生》してもらって嬉しかったけどな」
「そうだな。あのまま嫁や子供に会えなくなると思ったら、やっぱ寂しいしな」
「まあ、死ぬのはきつかったし、もう一度あれを味わうのは怖いけどよ、それでも俺はギリギリまで生きてたい――せめて股間の伝家の宝刀を使うまでは死ねないって、神様に伝えといてくれよ」
「……ええ、必ず伝えておきますね。ですが、私の《蘇生》も絶対成功するわけではないので、命は大事にしてくださいね」
アイリスは、この様子をユノが観ていることを知っているし、ユノが《蘇生》に対して否定的なことも知っている。
それでも、この状況を乗り切るためには必要な手段と信じて行動しているのだ。
なお、蘇生の是非は、価値観の基準が「個人」にあるか「根源」にあるかの相違であり、ユノも決して蘇生を認めていないということではない。
蘇生を乱用することで命の価値が下がったり、次代へ受け継ぐことの重要性が薄れることを嫌っているのだ。
もっとも、最大の要因は、ユノの蘇生が、アイリスのように前提条件を必要としないところにある。
ユノは、本人の肉体や精神や魂が残っていなくても、対象を知っている人や根源に刻まれている情報から、連続性を無視して再現したり、改竄できたりもする。
それは、その本人の生死とは関係無く、複製を創れるという意味でもある。
そして、《蘇生》という魔法を習得するのに必要な努力や、《蘇生》される側の「生きたい」と願う意思、そこまでしても運否天賦であることなどが欠落しているため、彼女が行う分にはどうしても安易な手段だと感じてしまうのだ。
「とにかく、今はひとつひとつこなしていくことが重要ですので、局地的な有利で気を抜かずに、命を大事にしっかりと頑張りましょう。では、行動を開始します。合言葉は『ご安全に』です」
「「「ご安全に!」」」
アイリスの号令で、雷霆の一撃に奪われた陣地を取り戻すべく、危険な部隊が進軍を始めた。
この光景をルシオが見ていれば、「これこそ、戦挙に求めるものだ! アイリス君こそ初代大魔王の再来で、つまり、ユノ君はヘラ様に代わる存在なのだ!」と喜んだかもしれない。
◇◇◇
メア、メイ、エカテリーナの3人は、アイリスからの指示に従って、所定の位置についていた。
そこから確認できる地点には、一見すると何も無い――が、注意を凝らして見てみると、直径一メートル、高さ五メートルほどのトーテムと、それを守っているであろう5人の姿が確認できた。
彼女たちが事前に知らされていなければ、そして、魔法の本質について教わっていなければ発見できなかったであろうことを考えると、敵はかなりの実力者である。
しかし、さきの話に出ていたような飛びぬけた強者の姿は見当たらず、5、6人であれば問題無く勝てると言ったアイリスの予測を超えるようなものではない。
彼女たちは、アイリスの予測の精度に感心しながら、開始の合図を待っていた。
しばらくすると、遠くの方で爆発音が上がった。
それは、アイリスたちが用済みになった詰所を陽動のために爆破したものだった。
彼女たちは、そんな予定は聞かされていなかった――アイリスがその場で思いついた策を、「連絡した方がいいでしょうか? ですが、その連絡を合図と勘違いされそうですし……」と悩みながら実行したことだったが、合図と間違えて飛びだすようなことはなかった。
日頃の躾の勝利である。
一方で、不可視化しているテロリストたちは若干浮つき始め、その直後、彼らの意識が北側――男子寮のある方へと向いた。
その頃、男子寮の屋上では、制圧が終わっているはずの貴族用女子寮に、一斉に灯りが灯るところが観測されていた。
このような状況は雷霆の一撃にとって想定外である。
回収班が灯りを点けたのだとしても、全ての部屋がほぼ一斉にというのは理由が分からない。
そうして、何があったのかを見極めようと目を凝らしていた観測手が狙撃を受けた。
もっとも、観測手には命中せず、特に被害は無かったものの、狙撃手がいるのが制圧したはずの女子寮であることに驚きを隠せない。
これもアイリスの指示による攪乱である。
女子寮の学生の身の安全を考えると、さきの一撃で観測手を無力化するのが最善だったのだが、それは彼女たちの能力では難しい。
そもそも、それが可能なら、最初からすんなりと制圧されていなかっただろう。
そうなると、「狙撃しない」という選択肢が最も被害が少なく済む。
アイリスも、当初は彼女たちに陽動を行ってもらうだけのつもりだった。
しかし、それはそれで彼女たちから不満の声が上がったのだ。
彼女たちも、「やられたらやり返す」――むしろ、「やられる前にやる」悪魔族なのだ。
アイリスにとって面倒なことこの上ないが、気分を損ねられて好き勝手に動かれたりすると、非常に困ったことになるので無視もできない。
それなら、いっそ捨て駒に使ってしまおうかとも考えたのだが、テロリストの方針からして、直接的な被害が出ない程度の反撃であれば、再び拘束されるだけで済む可能性が高いとも予想した。
最悪、非常に不本意な展開ではあるが、事が終わってから《蘇生》してもいいのだ。
何にしても、彼女たちを再度拘束するための部隊がすぐに送られるかは、テロリストの人数を考えると五分五分といったところ。
少なくとも、現在進行中の作戦行動があれば、それが終わってからとなる可能性が高い。
観測手はその間、女子寮の観測にも注力しなければならない。
そして、そことは別の場所にいた観測手は、アイリスたちの手で無力化が終わっている。
ダブルチェックをしているから大丈夫とか、学生程度にやられるはずがないという油断――というには些細な綻びが、アイリスの予定していたタイミングだった。
<作戦を開始してください>
そして、メア、メイ、エカテリーナが待ちに待っていた合図が下された。




