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自覚の足りない邪神さんは、いつもどこかで迷走しています  作者: デブ(小)
第十三章 邪神さんと変わりゆく世界
463/725

30 キャップ

 事ここに及んでは、リディアが魔晶を所有しているか否かはもう重要ではない。


 むしろ、本隊の行動にタイミングを合わせて陽動を行うのは、事前に用意されていたプランのひとつである。

 そして、新たな指示が届いていない以上、有力な選択肢のひとつだった。

 動く理由が少しでもあるなら、強引にでも結びつけるだけだ。


 とはいえ、そのプランに限ったことではないが、彼らが大規模な行動を起こすための前提条件が達成されていない。

 それが、さきの分隊長の言葉にあった、《転移》阻止のための工作である。



「あっ、はい。昨日もお伝えしたと思いますが、想定以上に警備が厳重で、『絶対に覚られてはいけない』という制約もありましたので、予定よりも大幅に遅れておりまして……」


 この工作は、「いざ作戦開始」となった後で、リディアに逃亡されてしまうことを防ぐ目的で、潜入作戦当初から行っていたものだが、責任者の言ったように、工程に遅れが出ていた。



 もっとも、潜入班が《転移》の魔晶を持ち帰ることができれば無駄に終わるもので、保険的な意味合いが強い。

 それで本命の足を引っ張っては本末転倒である。

 そんな理由から、無理をしない方針になっていたのだが、(てのひら)返しに定評のある悪魔族に、そんな正論は通用しない。



「言い訳は要らん。進捗状況を訊いている」


「……全体の70%……いえ、それ以下ですかね。一応、この警備状況の中で、対魔晶用の《転移》阻害結界の構築と考えると頑張っている方ですが……」


「だから、言い訳は要らん。完成しなければ、努力だけでは意味が無い。とにかく、今夜中――いや、今日中に完成させるよう急がせろ」


「そんな無茶な!? 確かに、時間だけが問題ならどうにかなりますけど、うちら技術者は繊細なんですよ!? あんたらほど戦闘能力に長けてるわけでもないのに、妨害に警戒しつつ作業するとか絶対無理ですって! 護衛がついてたとしても、戦闘してるすぐ側で作業とか無理! 手元が狂う未来しか見えねえ!」


「そう『無理無理』言うな。ほら、よく言うだろう。『為せば成る』、『元気があれば何でもできる』、『弊社なら年内施工も可能です』とな。それに、明日はクリスマスイブだ。頑張った良い子にはサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるかもしれんぞ? 無論、技術班だけではなく、作戦に従事した全員にだが」


「……くっ、分かりましたよ。技術班の意地に懸けても何とかしてみましょう。あ、でも、護衛はつけてくださいよ!? 戦闘は意地では勝てませんから! それと、最後のはマジで止めて」


 作戦成功時のライナーからのご褒美や、技術班のせいでそれが御破算になった時に同志たちから向けられるであろう憎悪を考えると、技術班のリーダーも無理を通すほかなかった。



「分かっている。護衛には【ポーン】をつけよう。それと、今偵察に出ている者たちが戻れば彼らも」


「ポーンがついてくれるなら安心ですけどね。で、偵察班の奴らは今度は戻ってくるんですか?」


「今日は昨日のような強行は指示していないから大丈夫だろう。今日は敵戦力を把握するために、多くのハンター(捨て駒)を雇っている。偵察班の任務は、情報を持って帰還することだけだ。さすがに失敗は無い。……この段階でするような任務ではないが、昨日の偵察班の全滅は想定外だったからな。敵戦力の再評価は必要事項だ」


 昨日までの段階で、闘大の防衛力の評価は、想定以上ではあったものの攻略は不可能ではなかった。

 だからこそ偵察の範囲を広げる決断を下したのだが、結果は想定すらしていない惨憺(さんたん)たるものだった。



 神の視点で状況を把握できる立場であれば、「仕方がない」と割切ることもできたのだろうが、そうではない分隊長にとっては、敵戦力を見誤って、いたずらに部隊に損害を出したという現実があるだけだ。

 その上、原因究明もできないまま損害を拡大させるようでは、指揮官としての資質を疑われかねない。


 なお、彼は「強くてほかの者たちに命令を聞かせやすい」から指揮官に任命されただけで、その資質があるわけではない。

 彼個人としては、前線で好きに暴れている方が性に合っていると思っているが、それがライナーからの信頼だと思うと投げ出すことはできない。




「さきに言ったように、作戦の詳細は偵察班が戻ってからとなるが、《転移》妨害装置を本日中に完成させ、夜明け前までには学園の制圧を完了させる。これは変わらん」


 分隊長には、作戦立案能力や、その権限は無い。


 ただ、ライナーが重要視していて、現在はその補佐をする英霊ナベリウスが担っていることのまねをすることや、「彼らの考えていることを理解している」ムーブが楽しいだけで、その意味はあまり理解していない。

 彼らもまた、雰囲気で活動する者たちだった。



「なお、本作戦の第一目標は《転移》の魔晶の奪取だが、対象はリディアが所持、若しくはその《固有空間》に保管されている可能性が高い。一応、そうでない場合も考えて捜索も行うが、我らが団長は、いずれリディアを同志に迎え入れるつもりらしい。したがって、原則敵対行動は禁止だ。もしも戦闘になった場合には、【ビショップ】を前面に出して遅滞戦術に努めろ。最悪、リディアに《転移》の魔晶を使わせなければいい。もっとも、リディアが体制派の応援に行ったところで大勢は変わらんだろうが、我々の真の目的は体制派の打倒ではなく、その後にある。ゆえに、無駄な損耗は避けるべきである」


 したり顔で話している分隊長だが、内容の大半は、この闘大攻略作戦が始まる前にナベリウスが訓示したことそのままである。

 それでも、憧れの英雄のまねをするのは心地よく、「これが初代大魔王軍のやり方か!」と思っている団員たちのテンションも上がる。



「また、学生についても将来的に同志となる可能性があるため、可能な限り危害を加えないこと。無論、やむを得ない場合は現場の判断に任せるが、大半は学生としては優秀でも、プロの我々からすればまだまだヒヨコ。無力化させるくらいは簡単だろう」


 彼らの気分は、初代大魔王軍の一員である。

 もっとも、気紛れのような意識の高さが規律を生んでいるので、悪いことではないが。



「第二目標は、ルナ・グレモリーの確保。――第二目標とは言ったが、彼女は初代様の覚醒に必要な鍵となる可能性があるため、重要度は第一目標と同等か、それ以上である。その効果に即時性が期待できないという理由で順位が下げられているだけだ。こちらも穏便に確保するのが望ましいが、彼女らの戦力は当初の予想を大きく超えていて、あれは我々でも油断できん。血筋だけならスペアもあるゆえ、最悪は死体でも構わん――が、そこはリディアの反応次第か。バルバトスの者が大義に私情を挟むとは思えんが、感情はまた別だろうしな」


 それでも、全てが受け売りでは満足できなかったのか、「ルナの殺害もやむを得ない」など、裁量権を逸脱していく。



「なお、本作戦名は『ウィウィッシュアメリクリスマス』とする。……我々の作戦が上手くいけば、魔界の全ての人が恩恵を受ける。無論、我々にも団長からのご褒美があるだろう。我々はサンタクロース団長にプレゼントをもらう良い子になり、魔界の全ての人は雷霆の一撃サンタクロースから繁栄というプレゼントを受け取る。みんなで幸せになるのだ!」


「「「……」」」


 分隊長のオリジナル部分となる作戦名は盛大にスベった。


 しかし、「自分たちがサンタクロースになる」というアイデアに惹かれた者は多かった。

 意訳すると、「サンタクロースのように――初代大魔王のように、二千年以上語り継がれる伝説になろう」ということなのだから。




 彼らの作戦は、多少なりとも集団行動に携わったことがある者からすれば、随分と御粗末なものに見えるだろう。

 しかし、根拠もなく「自分なら上手くやれる」と暴走する者が多い悪魔族では、これでもかなり優秀な方である。



 雷霆の一撃や大魔王軍に「規律」が存在するのは、リーダーたるライナーやルイスの能力――特にカリスマによるものであり、団員や兵士それぞれの人格が変わっているわけではない。


 分隊長が調子に乗って暴走を始めているのが悪魔族の本来の性向によるもので、完全に暴走しないのはライナーの影響力の強さの賜物である。

 これ以上の統率は、彼自身が常に全員を監視するくらいでなければ望めないが、彼が人間である以上、それは不可能である。


 もっとも、本当に常に見守ることが可能だったとしても、「見守られてるはずだからもっと頑張ろう!」と暴走する信者を止められない女神もいるので、人の身である彼らのなしたこととしては上出来である。




 いい感じに自分に酔っている分隊長はさておき、《予知》の詳細を知らない団員たちは、「希望」に繋がる内容を聞き逃すまいと耳を澄ませていたが、分隊長の話は一向にそこには及ばなかった。


 そして、分隊長が一旦話を止めたタイミングでそれ以上がないことを悟り、再び不満を口にし始める。



「……あれ? それだけかよ? もうちょっと良い感じの《予知》でもあったのかと期待してたのに!? 俺らがサンタクロースになる云々はなんかいい感じだけど、マジでそれだけじゃねえか!」


「リディアから魔晶を奪うとか受け取る方法を観たんじゃないのか……。で、その条件だとお手上げじゃん。夢見る前に、俺たちにも秘策をプレゼントしてくれよ」


「実質、作戦目標はルナ・グレモリーに絞られるってわけか。まあ、何にも無しってよりかはマシだけどなあ……。俺も団長たちと一緒に頂上決戦に参加したかったなあ……」


「じゃあ、俺、ルナ・グレモリー捕まえる役で。サンタさん、ありがとう!」


「待てよ、それは俺らポーンの役目だろ。お前ら雑魚は雑用してろよ」


「んだと、この野郎!? ついこの前までお前が雑用だったくせに! 棚ぼたで貰った力で調子に乗るんじゃねえよ!」


「うるせえ! 棚ぼたで何が悪い!? デーモンコアに適応できなかったお前らが悪いんだろ!」


 このように、カリスマの届かないところでは士気や統率は容易に失われ、悪魔族的な性向が強く出る。



「お前ら、ちょっと黙れ。配置は俺が決める。異論は認めない」


 それでも組織としての体を保っているのは、分隊長もデーモンコアの恩恵を受けて強化されていてるからである。

 ただし、説得力を持っているのはライナーのようなカリスマではなく、戦闘能力の一点だけだが。



 分隊長は、デーモンコアとの相性が非常に良かったため、ポーンと呼ばれる団員たちより遥かに強い力を授かっている。


 その能力は、魔力量のみでポーンの五倍近い。


 ポーンが束になって歯向かったところで勝ち目は薄く、そもそも、ライナーが絡まなければ、徒党を組むという発想もなかなか生まれてこない。

 ゆえに不満があっても従うほかない。



「さきにも言ったが、技術班と指名したポーンは、《転移》妨害結界の構築。完成後は、その維持。ビショップはリディアをマーク。ただし、必要以上に敵対はするな。彼女は我々の同志となるべき存在だからな。ナイトには独自判断での遊撃を任せる。残りの者たちで学園の制圧と物理的な封鎖を行う。《転移》阻害結界が完成しても、包囲網を突破されては意味が無いからな。強敵との戦闘は望めんが、重要な役目だと心得ろ」


「……あんたはどうすんだよ? 俺らに雑用させて、ひとり高みの見物か? で、そうやって体力を温存しといて、あわよくば頂上決戦に参加しようってか?」


 しかし、暴力に訴えるような反抗はしなくても、諾々(だくだく)と従うほど素直ではない。

 そんな殊勝な性格なら、テロリストになどなっていないのだ。


「それがあんたのやり方か? ちょっとズルいんじゃねえの? あんたにとっちゃ、俺たちも捨て石なのか?」


 そんな不満を持つ者のひとりが、暴力での制裁の対象にならない範囲を見極めながら、更に不満をぶつける。



「……俺は初代様に会いに行って、状況を説明しようと思う。会ってどうなるかは全く分からん。『触らぬ神に祟りなし』ともいうらしいし、下手に関与すべきではないのかもしれんが、偵察班の全滅に初代様が関与した可能性もある以上、放置するのは得策ではないと判断した。最悪の場合、俺も問答無用で殺されるかもしれん。……だが、デーモンコアとの――いや、初代様との相性が良い俺が行くのが最善だろう。もっとも、偵察班が学園側戦力の詳細など、新たな情報を持って帰ってくれば変更もあり得るが――」


 分隊長に不満を抱いていた者たちも、彼の覚悟のほどを聞いてしまっては、それ以上の不満を吐き続けられない。



 本来であれば、弱った相手はとことんまで追い込むのが悪魔族の流儀である。


 しかし、彼らが「初代様」と呼ぶ存在や、その眷属の力は、強化された彼らでも想像の及ばない領域にあり、冗談であっても敵対の可能性など考えたくもない。



 分隊長も、可能であればやりたくはなかった。

 しかし、彼が現場責任者である以上、団員のひとりでも「初代様」の怒りに触れてしまうようなことがあれば、責任を問われる立場である。

 そんな彼の声音には心情がたっぷりと込められており、言葉や暴力以上の説得力を持って団員たちの不満に蓋をした。



「……やっぱり、ナイトにもついてきてもらおうかな」


 しかし、実際に口にしてしまったことで不安が爆発してしまった分隊長がヘタレた。


 腕っぷしだけで分隊長に選ばれた彼は、初代大魔王のような天上人に対する礼儀作法などは持ちあわせていない。

 友好的な初代大魔王にも、緊張して「はっ!」と「光栄です!」しか喋れなかった男である。

 状況説明や、場合によっては弁明など、考えただけでも嘔吐しそうなくらいに緊張してしまう。



「え、いや、俺じゃ役に立てねえからひとりで行けよ。ってか、そろそろ偵察班帰ってくる時間じゃねえの? まだ希望はある! 諦めんなよ!」


 巻き込まれそうになったナイトが必死に拒否する。

 彼も、初代大魔王と敵対する可能性がある場になど同席したくない。


 自分なら上手くやれると、根拠の無い自信を理由に暴走することが多い悪魔族にも、限度というものがあるのだ。




「ほ、ほら! ちょうど帰ってきた――って、おい、どうした!?」


 そこに、偵察に出ていた昆虫型悪魔族の男が、タイミング良く帰ってきた――というより、落ちてきた。



 墜落の衝撃で、その昆虫型悪魔族の手足のいくつかが欠損し、黒く変色して粘ついた――タールのような体液を撒き散らす。


 どう見ても異常事態だが、敵の姿は見えないし、追撃してくる気配も無い。

 それによって、何らかの攻撃を受けた男が、どうにかここまで逃げてきたのだと理解する。



 当の男は、かろうじてまだ息があるが、どう見ても死戦期呼吸だった。

 それでも、回復魔法などのあるこの世界では、充分に助かる余地のある状態である。



「どうした!? 何があった!? 誰にやられた!?」


「衛生兵! メディーック! サンタクロース! 誰でもいい、こいつを助けてやってくれ!」


「大丈夫だ! 諦めるな! もうすぐクリスマスだ、奇跡だって起きる!」


 弱った者には追い打ちをかけるのが悪魔族の性分ではあるが、さすがに作戦行動中の仲間にはそのようなまねはしない。

 というより、これほどの深手を負っても情報を持ち帰ろうとした者を叩くようでは、さすがに組織として成立しない。




 死力を尽くした男を救おうと、多くの者が駆け寄ってきて手を尽くしていた。


 そこには統率など全く無かったが、仲間を救おうとする団員たちの意思は本物だった。



 その想いがどこかに通じたのか、少しばかり状況が改善した。


 もっとも、それも根治には至らない程度の傷の治療や、苦痛の低減といった対処療法が主で、僅かばかりの延命処置にすぎなかったが。



 そうして死の寸前、朦朧(もうろう)とした意識の中で、苦痛からだけは解放された男は、義務や使命からではなく、反射で答えた。


「黒い……帽子……サン……タ……」


◇◇◇


 情報を持ち換えることを最優先に、金で雇った多数の捨て石を動員して、彼らは作戦に臨んでいた。


 予想外のタイミングでのことで、集められた捨て石の数は充分ではなかったものの、現状ではそれ以上を望めないこともあって、作戦は強行されていた。



 男は特に隠密系のスキルに長けているわけではなく、「地中に潜伏できる」という理由だけで選ばれていた。


 それでも、作戦内容は「振動で地上での異変を感知し、可能であれば詳細を探って帰還するだけ」と、彼の種族であれば誰にでも可能なものである。

 それゆえ、「できないの? ん?」と煽られると、「できらあ!」となってしまうのも仕方がない。

 さらに、やるとなると「自分なら上手くやれる」と思ってしまうのも、悪魔族なら当然のことだった。



 彼は逸早く地中に潜み、地上での出来事に意識を傾けていた。


 足音などは個人によって癖があるため、彼のように地中で活動できる種族にとっては、ある程度の聴き分けは容易だった。

 しかし、多くの人が行き交う場で、全ての判別をしようとすると難度は跳ね上がる。

 それでも、戦闘で生じる音など、重要性の高いものを聴き逃すようなことはないし、その中での敵味方の判別くらいは可能だった。




 そうしてしばらく待機していると、少し離れた所で騒動が起こる。


 それが作戦の開始の合図であることは間違いない。



 動員されている人員の数の差を考えると、警備網に穴が空くのは確実。

 何かが起きる可能性があるとすればここで、何も起きなければ更に侵透するのもいい。


 情報を持ち換えることが最優先だが、それ以上の成果を持ち帰ることが禁止されているわけではないのだ。


 男も、異変のひとつも漏らすまいと集中力を高めていた。




 異変はすぐに訪れた。


 男には、それを異変というのかも分からなかったが、彼がこれまで経験したことのない状況であることは間違いなかった。



 騒ぎに乗じて、雷霆の一撃のメンバーのひとりが位置取りを変えようとしていたところ、一切の振動が消えたのだ。

 熟練の暗殺者に襲撃されたのだとしても、ここまで振動を消すことは不可能である。



 目視による観測ができない男には、まるでそこだけ世界が消失したかのような感覚に陥った。


 そして、危険だとは分かっていながらも、その危険から目を逸らすことができずに、半ば反射的に飛び出してしまった。



 そこにいたのは、怪しくも妖しい存在。


 それが、ポーンほどではないものの手練れの団員を、一切の音もなく制圧していて、それをなぜか大きな袋に詰め込んでいる。

 しかも、それにも音は一切発生しておらず、それどころか白と黒のみで構成されたそれの印象が強烈すぎて、男は世界から色を失われたかのような錯覚に陥っていた。



 男にとって、そこは間違いなく異界だった。


 彼は、自身の見ているものが理解できなかった。

 任務のことも、現況すらも頭の中から抜け落ち、この世ならざる存在感を放ち、彼の理解の及ばぬ格好と行動をしていたものに意識を奪われていた。



 男の知識の中には、このような光景を生み出す存在はなかった。

 ただ、不可解な被り方をしていた特徴的な帽子と、使い方を間違えているような気がする大きな袋、そして時期的な要素から、サンタクロースを連想した。


 しかし、直後に感じた猛烈な悪寒のせいで、それ以上を考える余裕は無かった。




 そこでようやく正気に戻った男は、その悪寒の正体を、徐々にHPを蝕まれていく感覚から、毒を食らったのだと判断した。


 悪寒の強さからして致死毒にも思えたが、即効性はないのか、HPの減少速度は緩やかだった。


 この程度なら、アジトに戻れれば――回復魔法が得意な同志による《解毒》が間に合えば充分に助かる。

 その想いだけで、郊外にある基地を目指して一直線に飛んだ。



 しかし、当初は充分に助かる見込みがあったHP減少ペースだが、アジトに近くなるにつれてHP減少速度が加速していく。


 男はそれを時間の経過による、若しくは激しい運動による症状の悪化だと判断したが、だからといって新たな選択肢が生まれることはない。



 命のあるうちに、可能な限り体力を残して基地に辿り着くしか、生き残る道はない――男はそう考えて、懸命に飛んだ。


 そして、アジトの遥か手前に、多くの同志たちが集結している場所を見つけて、自身の悪運の強さに感謝した。


◇◇◇


「サンタ!? サンタってどういうことだよ!? まさか、サンタにやられたってのか!? しっかりしろ! まだ死ぬんじゃねえ!」


「どういうことだよ!? 俺たちがサンタじゃなかったのかよ!? つーか、黒って何だ!? 闇落ちしてんのか!?」


「マジでサンタだとしたら、まだクリスマスイブにもなってねえってのに気が早すぎだろ!? あわてんぼうどころじゃねえよ!」


 偵察から戻ってきて早々に、ひと言だけ残して逝ってしまった男――今は地面に残る残骸と、彼が遺した言葉の内容に、団員たちは大いに混乱した。


 しかし、それも束の間のこと。



「おい、しっかりしろ! 死ぬんじゃ――あ、れ?」


「身体に、力が、入らな……」


「お、おまっ!? お前らどうしたんだ!? ――まさか、毒か!? みんな離れろ!」


 息絶えた男と親交があり、彼を心配して側に駆け寄っていた同族の男を始め、近くにいた昆虫系の悪魔族に次々と異変が現れ始めた。



 黒く変色した体液を、身体中の穴という穴から溢れさせ、それが周辺の外骨格を腐食させる。


 発症するとあっという間に絶命に至り、後には黒く濁った粘液だけが残る。


 被害者の症状が皆一律であったため、すぐに多くの者が感染性のある毒だと気づいたが、驚異的な感染範囲と速度の前には大した意味は無かった。




 彼らが受けたのは、毒や疫病などの災害の化身である黒竜の毒である。



 対策が万全であれば、古竜最弱などと言われていたのも過去の話。


 基本的に、ほぼ全ての魔法やスキルには対抗手段が存在していて、黒竜の得意とする毒や疫病に至っては、予防法から治療法まで幅広く揃っていた。

 しかも、《解毒》の魔法ひとつで、レベル次第ではあるが様々な種類の毒に対応できるなど、システムが人間のために造られたものであることが、彼の能力に大きな影を落としていた。



 しかし、黒竜は、魔法の深淵――魔法の本来の姿というものを目の当たりにした。

 そして、その体現者から手解きを受けた彼は、幾多の生と死の狭間を乗り越えた末に、その階梯を上げるに至っていた。



 いくら対抗手段が揃っていたとしても、存在する階梯が違えば対抗しきれないのは当然のこと。

 予防など気休めにもならず、治療はほぼ不可能。


 それに加えて、現代知識を持つ英雄からのアドバイスを受けて完成した魔法が、この《終焉の黒(ブラックキャップ)》である。


 愛する彼女が苦手とする昆虫の排除――殲滅を目的としているため、その日から効き、メスの持つ卵にも効き、薬剤抵抗をも貫通するが、感染者が巣に帰ってから本格発動するために、巣ごとの殲滅が可能となっている。



 黒竜の現住地では、彼以外にも階梯が上がっている者が多く存在するため、効果は限定的なままなのだが、その脅威は、ただの昆虫や外部の者に対しては計り知れないものである。




 感染を免れた雷霆の一撃の団員たちは、キャンプを放棄して魔界村の外にまで逃げ落ちていた。


 犠牲者は昆虫系悪魔族のみであり、彼らにのみ効果がある毒だと気づいたのはその後のことだったが、それが判明した後でも、物資や設備を取りに戻ろうと考える者はいない。

 頭では理解していても、あの凄惨(せいさん)な現場を見てしまった後では、心がそれを拒否してしまっていた。



「まさか、我々の方が先制攻撃を受けるとは……。計画が洩れていた――とは考えられんし、やはりそれだけ重要な物を守っているということだろうが……。だが……体制派のクソどもめ、ここまでやるか!?」


 この非常時に、愚痴を垂れている暇などないことくらい分隊長にも分かっていたが、それでも口に出さなければ収まらなかった。



「……最早、これは単なる任務ではなくなった! 散っていった同志たちの弔い合戦でもある。我々には立ち止まることは許されん!」


 むしろ、口に出したことで余計に怒りが湧いてきたが、それを原動力に、復讐を果たそうという気持ちも強くなる。



 とはいえ、被害は決して小さくない。

 部隊の中で昆虫系悪魔族が占めていた割合は一割強で、その全員が死亡した。

 工作班の人員も多かったため、そちらに影響が出るのも必至である。

 肝心の《転移》の妨害も、ギリギリの強度にまで落ちることが予想される。

 さらに、物資なども失っているため、作戦遂行能力は二割以上は減少しているであろう。


 それで作戦続行が不可能というほどではないが、支障が出るのは間違いない。



「体制派の奴ら、サンタまで使役してやがるとは……。良い子にはプレゼントと油断させておいて、後ろからグッサリとか、こんな外道が許されていいのか!?」


「しかも、奴らのいう『良い子』ってのは、奴らにとって『都合の良い子』ってことだからな。汚ねえ奴らだぜ……!」


「もうウィウィッシュアメリクリスマスなんてしない。絶対にだ! 体制派も絶対に許さない! 百倍返しだ!」


 体制派の知らないところで、彼らの株が大暴落していた。




「聞け、同志たちよ!」


 奇襲を受けたことでスイッチが入ってしまった団員たちを前に、分隊長が演説を始める。


「同志の多くが犠牲となり、物資も失った我々だが、作戦の中止は当然として、遅延も許されていない。この先、多くの困難が予想されるが、さきの予定どおり作戦を実行する――いや、ひとつ作戦目標を追加する。作戦名『ジングルヘル』。ナイトを中心に編成した部隊で、怨敵サンタクロースを狩る――奴に地獄の鐘の音を聞かせてやるのだ! 本作戦は、ポーンにはかなりの危険を強いることになるだろうし、ほかの者の負担も大きくなるだろう。だが、やられっ放しで泣き寝入りしてしまっては、雷霆の一撃の看板に――団長の顔に泥を塗ることになってしまう。それを良しとする奴はいないよなあ!? ……何より、団長はこれから世界の命運を決する戦いに臨むのだ。その先鋒たる我々が、この程度の困難で躓いていいはずがない!」


 その作戦内容には具体性はなく、感情論や精神論に偏った演説だったが、想いを同じくする団員たちの心に響くものだった。


 むしろ、響きすぎてすぐにでも暴れだしそうな団員たちもいるほどで、軽口や不満を漏らす者は皆無であった。

 彼らはここにきて、雷霆の一撃結成以降最高の団結をするに至った。

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