23 雷霆の出撃
一方、雷霆の一撃のアジトでは、とある報告が挙げられていた。
「最近、体制派が魔王城周辺でバタバタしていましたが、どうやらルイスを始めとした重鎮たちが、揃って遠征をするようです」
彼らが警戒していたのは、体制派からデーモンコアを奪取していたことに対する報復や再奪還である。
そのため、今回の報告にも過敏に反応した。
しかし、報告を聞き進めるうちに、どうにも事情が違うようも感じられた。
雷帝の一撃の討伐やデーモンコア奪還であれば、精兵揃いの軍を動かすはずである。
当然、最大戦力であるルイスや、それに次ぐ重鎮たちが動くことには何の不思議もないが、軍を一切動かさずに彼らだけというのは理由が思いつかない。
デーモンコアを所持している雷霆の一撃が相手では、ただの兵士では役に立たないのは明白なので、余計な犠牲を出さないようにと考えている可能性もある。
しかし、それならそれで、使い潰しても懐も心も痛まない犯罪奴隷などを使うのが魔界での定石だ。
現段階で推測されるのは、目標が雷霆の一撃ではないか、そもそも討伐を目的としたものではないか、あるいは何らかの陽動かである。
残念ながら、諜報活動の要だったレベッカを失った彼らでは、これ以上の詳細な情報収集にはかなりの危険が伴う。
したがって、現状でできる範囲の分析をしてから今後の方針を決めることになった。
それが何らかの陽動か策によるものであったとしても、一斉蜂起も視野に入れて戦力を調えていて、その機会を窺っていた雷霆の一撃には、迎え撃つなら条件は五分以上だという自信があった。
とはいえ、彼らにとって体制派の打倒は最終目的ではなく、外界進出前の通過点である。
その通過点を越えるために、最終目標の達成に支障をきたすレベルの損害を出すようでは本末転倒で、場合によっては回避することも必要となる。
総合戦力では上回っている自負があっても、お互いに相手のキングを取れる切り札を有しているのだ。
油断などできない。
「行き先の心当たり――候補でも構わないけど、何かないか?」
「申し訳ありません。残念ながら行き先についての情報はありません。ただ、候補ということでしたら、最近の奴らの議題はゴブリンで作ったといわれている酒や甘味ばかりでして、そちらの調査に向かう可能性も」
「ああ、最近噂になってるアレか。大魔王が動くほどのものなのか?」
「はっ。幸運にも入手できた団員の話によりますと、『これまで食ってきたゴブリンは一体何だったのか……。例えるなら、初恋という甘酸っぱい夢から、真実の愛という、甘くもあり苦くもある大人の味に目覚めたということ。つまり、大人になった俺と、進化したゴブリンの奇跡のマリアージュ! これはもう結婚するしかねえ』などと供述しておりまして、世界観が大きく変わるほどの物のようです」
「ふむ。ゴブリンで酒を造るなど眉唾だと思っておったが……。だが、それではなぜ余らのところへ持ってこないのだ?」
「……はっ。実のところ、例のものを入手した団員とは黄金の御座のメンバーでして、体制派の巡回を警戒せずに自由に動けたところが大きいのです。初代様――いえ、クイーンのことを知る我々は思うように動けず、また供給量や販売箇所の問題もありまして……」
「いや、よい。冗談だ。許せ。そも酒など外界に出ればいくらでも飲めるだろうしな」
必要以上に慌てる諜報員に対して、クイーンは笑って流した。
とはいえ、この程度の冗談で慌てるようでは、練度が足りていないといわざるをえない。
初代大魔王の目の前で畏まっている男は、諜報部門とはいえ、現在はそのトップである。
ただ、諜報に関する能力は高くても、デーモンコアによる強化に適合しなかったため、戦闘能力は適合者に比べて格段に低い。
そんな環境では、彼が気後れしてしまうのも無理はない。
もっとも、適合者でも――だからこそというべきか、クイーンの前では萎縮してしまうので、これは彼に限った問題ではない。
デーモンコアによって総合的な戦力は増加したものの、なぜかクイーンたちと一緒では空回りして真価を発揮することができない。
そのため、運用面での問題を抱えている――というのが、雷霆の一撃の現状である。
「体制派が揃いも揃って酒に夢中になるほど腐っているとは考えたくもないですが、確認のため調査はするべきでしょう。どうです? 難しい相手でしょうが、気づかれずに更に踏み込んだ調査ができますか?」
そう提言したのは、現在雷霆の一撃で軍師のような地位にある、ビショップである。
体制派――特にそのトップであるルイスの動向は、彼らの活動の指針に大きな影響を与えるものであり、その情報は最重要事項である。
「はっ。ルイスに気づかれずにとなりますと、かなり距離をとらなければならないと思いますので、詳細までは調査できないと思います。ただ、もしかすると奴らの移動は《転移》の魔晶で行われる可能性もありまして、その場合ですと尾行の段階で不可能になるかもしれません」
「は? 《転移》の魔晶だと? ――なぜそれを早く言わない!?」
「もっ、申し訳ありません!」
語気を荒らげたビショップに、諜報員の男と、「頭脳労働は専門外」と気を抜いていたナイトとルークが竦んでしまうが、いつものことなのでビショップも気にしない。
そもそも、ナイトとルークは初代大魔王軍の英雄という肩書があるためこの会議に参加させられているが、ナイトは初代大魔王の命令なら盲従するだけ、ルークは自身の興味が向いたものに突撃するだけの猛獣であり、会議の重要性など全く理解していない。
ふたりと付き合いの長いビショップはそれを理解しているので、この場で彼らに何も期待していないのだが。
ビショップが、これほどまでに「魔晶」を警戒しているのは、軍師やそれに類する立場にある者なら当然のことだからだ。
お互いの持っている要素を吟味して作戦を立てているのに、それを台無しにするようなアイテムを見逃していては、なんのための軍師なのか分からなくなってしまう。
魔晶といってもピンからキリまであるが、基本的に《転移》の魔晶は最高級品に属する物である。
ただ《転移》するだけなら巻物でも事足りるが、魔晶にすることで術式の精度や秘匿性などが格段に向上する。
さらに、原料となる魔石の質次第では、時空魔法に適性が無い者でも安定して使用できるようになる上に、魔晶自体に膨大な魔力が蓄えられているため、魔力の無い者でも発動できる。
つまり、緊急避難手段としては非常に有効なアイテムである。
さらに、術式が秘匿されているために、発動前に転移先を特定することは不可能で、発動後の魔力の痕跡から術式を解析できるくらいの技量がなければ追跡もできない。
当然、追跡できたとしても、「時間」というアドバンテージを与えてしまうことは避けられない。
体制派との対決において、これを知っていなければ、せっかく追い詰めても逃げられいた可能性もある。
魔王の持つ《逃走妨害》のスキルは、敵対者と自分自身の逃走成功率を大幅に下げるが、絶対ではない。
逃走の成功率を大幅に上昇させるスキルも存在するし、パラメーター差や相性の差でも逃げられるのだ。
それに、クイーンは初代大魔王ではあるが、クラスとしては【英霊】であり、《逃走妨害》スキルは所持していない。
それでも、単発の《転移》程度なら自前の能力で妨害できるだろうが、予兆もなく瞬間的な試行が容易な魔晶で、それも複数用意しているとなると、妨害はほぼ不可能である。
実際には試してみなければ分からないところもあるが、自身も高位の時空魔法の使い手で、初代大魔王の能力も知るビショップはそう判断した。
できれば雷霆の一撃でも採用したい戦術だが、彼が時空魔法は使えても、魔晶を作るスキルを持つ者がいない――生産職を蔑ろにしてきた悪魔族の種族問題がここで圧し掛かる。
一応、魔晶は迷宮や遺跡などから発見されることもあるが、それに期待するくらいなら《逃走妨害》を自力で取得することに期待した方がマシなレベルである。
そもそも、発見される魔晶は《転移》の物だけではない。
そんな貴重な物をかなりの数を揃えたということは、それが人工物であると考えるべきである。
というより、魔晶自体は錬金術の基礎で作れる物である。
《転移》という希少な特性と、膨大な魔力が必要になる物が、「秘宝」くらいの価値になるだけで。
そして、体制派がそれをこのタイミングで使おうとすることに、ビショップはひとつの可能性に行き当たった。
「もしかすると、単なる移動や逃走用ではない――!?」
彼の呟きは、本来なら順を追うはずの論理展開を何段階か飛ばしたもので、ほかの者たちには何のことか理解できなかった。
「どういうことだ?」
当然、それについての質問が飛ぶ。
「はっ!? 申し訳ありません。私としたことが少々取り乱してしまいました」
ビショップは己の醜態を謝罪しながら、どう説明するかに頭脳を回転させる。
「ご説明させていただきます。まず《転移》の魔晶ですが、複数――まとまった数を所持しているという点から、これが人工物であると考えられます」
一般的に、魔晶自体は人工物という認識の者が多い。
ただし、《転移》などの高等な術式が刻まれている物は作成難度が非常に高い。
そして、魔界ではそれが可能な魔晶を作れる者がいない。
そのため、それらについては「迷宮などの宝箱からまれに採れる物」という認識も一般的である。
ビショップの指摘は、まずはそこを正すものだった。
それで初めてその可能性に気づいた者もいたが、「侮られたら負けだ」という悪魔族の性質からか、分かったような顔で全員が頷いた。
「どうやって魔晶を作ったかにについては不明ですが、高位の錬金術スキルであることは間違いありません。魔界にそれほどの物を作れる者がいたことには驚きですが、問題はそこではありません」
魔界での生産職の地位や育ちにくさを知っているビショップにとって、この事実は彼らの時代には考えられなかったものとして、驚きと同時に喜びを覚えるものだった。
ただ、その後に続けた言葉が示しているように、事はそう単純ではない。
「ただの移動手段として魔晶を用いるのは、コスト的に過剰です。《転移》するだけであればスクロールでも充分で、仮にも体制派の重鎮が使うのであれば、術式の安定性を上げるための魔力の供出も苦にならないでしょう」
この時点で、「それが本題とどう関係しているのか」と考えているのはキングとクイーンのみ。
残りは目先の話で本題を見失っていた。
「当然、ただの資源の無駄遣いということもないでしょう。そもそも、無駄遣いをするならもっと実益に沿ったところにするはずです。となると、答えはひとつ。魔晶でなければならない理由があるのです」
ここでキングとクイーンもその「理由」に思い至らず脱落したが、やはり分かったような顔で頷いていた。
「ここからは何の裏付けもない想像の話となりますが、体制派にも姫様がいること、このタイミングで複数の《転移》魔晶などという宝具に匹敵する物を出してきたことから、外界進出の鍵である可能性もあるかと」
「「「!」」」
ビショップの「裏付けのない」という前置きを無視して、「外界進出」という部分のみに反応したキング以下の目の色が変わった。
「さらに、外界進出に際して、魔界を統一して大軍――烏合の衆を率いるより、信頼のおける、能力のある者だけで選抜された小隊の方が、動きやすく維持もしやすい。魔界の統一は、まずは外界に足場を築いてからと考えるのも間違ってはいないでしょうし、最悪は魔界を見捨てることもできる――外界進出の鍵が魔界の外に持ち出されたままでは、残された者にその機会はもう無いかもしれません。そして、デーモンコアがそのための目眩ましであった可能性も捨てきれません。我々がこれに夢中になっている隙に、奴らは外界に高飛びするつもりだったか――」
ビショップの頭脳は冴えていた。
冴えていたがゆえに、特に関係の無い事実も結びつけて、それっぽい推測に至ってしまった。
しかし、筋は通っていて、否定できる要素が見当たらない。
さらに、仮に彼の推測が当たっていて、体制派が魔界を見捨てた場合、魔界に残された者たちの外界進出機会が永遠に失われるかもしれないとなると、焦りも出てきて更に正常な判断能力を失わせる。
そして、途中から全くついていけなくなった者たちには、ビショップの焦りも説得力に変換されてしまう。
「民を見捨てて逃げるなど、それが仮にも王のすることか……!」
初代大魔王の英雄譚に憧れているキングは、大いに憤慨した。
そんな彼も、目的のために多くの無関係の人々を犠牲にしているのだが、そんなことは気にせずに相手の失態だけを責めるのが悪魔族スタイルである。
しかも、責めるためには、推測でしかないものを確定した事実として扱うことも厭わない。
「落ち着け、キングよ。それはまだビショップの推測にすぎん――が、確かに現実味はある。むしろ、余らもそうすべきだったかもしれんと反省しておる」
逆に、初代大魔王は体制派の合理的判断に感心していた。
一部例外はあるものの、彼女の主観による現在の悪魔族は、大半が大局観を持たず、協調性も無いという点で、二千年前と大差ない。
力のある者には従うが、強者の目が届かないところでは好き勝手をすることも珍しくない。
当時の記憶はほとんどないが、それでもなぜか統率に苦労していたような気がする。
末端の統率に気をとられて、全体の進捗が滞り、大事なところでミスを犯す――詳細は思い出せないが、そんなこともあったのだろう。
ほかにも、まともな兵站など無い決死行だったため、食料の確保だけでも難儀したことは覚えている。
それからすれば、能力が高く統率の取れた者たちだけで外界へ侵出、橋頭堡を築いてから人員を送り込む――それで問題の全てが解決するわけではないが、大軍――大群で一斉に侵攻するよりは現実的だと思える。
歴史に「if」はないが、彼らのやり方ならあるいはとも考えてしまう。
「そうですな。――だが、監視はつけるべきです。《転移》先が分からないので無駄かもしれませんが……。どうにか魔晶そのものを入手できればいいのですが、逃げられては元も子もない……。だが、チャンスがあれば強奪も視野に入れて……」
しかし、体制派だけが、若しくは選ばれた一部の者だけが、魔界を見捨てて外界へ脱出するという懸念も払拭できない。
ビショップは、無駄だと分かりながらも、《転移》魔晶を持つ者の動向を探らせるとにした。
「魔晶を持っている者に関してですが、ルシオ・バルバトスの孫リディアが、先だって使用していた――恐らくテストしていたのだと思いますが、まだテスト用の物を所持している可能性が――」
「なぜそれを早く言わないんです!?」
「ひっ!?」
ビショップが再び声を荒げ、再び調査員の男と、話を聞いていなかったナイトとルークが委縮する。
「調査能力だけでなく、察しも悪いとは……。まあ、いいです。それで、そのリディアとやらの動向は?」
「……はっ。先日までゴブリン酒や甘味を調査するふりをして町を巡回していましたが――」
「ふりというのは?」
「商品を購入するでもなく、出所を調査するでもなく、よく分からない暗号のようなものを仕掛けて回っていたので……。恐らく、どこかの誰かに何かの合図を出していたものだと思われます。相手や目的についてはまだ調査中ですが、暗号には、確認できたものだけで『過去』『否定』『報復』『三途の川』『分からせたい』『大勝利』とありましたので、もしかするとビショップ殿の仰ることが当たっているのかもしれません」
諜報員の諜報能力はそれなりだったが、暗号解読能力と作文能力は並以下だった。
若干ビショップの《威圧》による無意識の誘導があったとはいえ、彼はアルフォンスが「過去のことは水に流して話し合いたい」と読み解いたものを、「過去の恨みは忘れない。基本は倍返し。三途の川が見えるまで分からせたい」――要約すると「反攻の準備が整った。勝つのは我々だ」と解いてしまった。
「なるほど。作戦開始の合図ということ――いえ、万全を期すのであれば、決行日は満月か新月にするでしょうし、その前段階、実験の開始か進捗状況の報告をいったところでしょうか。いずれにせよ、あまり猶予は残されていないと考えるべきでしょう。――と、それではリディアの報告の続きを」
そして、ビショップに誘導された諜報員に更に誘導されたビショップも、その答えに引っ張られる。
「――は、リディアは現在、闘大に戻り戦挙の管理をしているようです」
諜報員の男は、自分が報告を遮っておいて責めるように急かすビショップにひと言申上げたくなるも、どうにか平静を装ったまま報告を終えた。
彼の報告のとおり、リディアはルシオに引継ぎを済ませた後、速やかに闘大での選挙管理の仕事に復帰している。
当然、敬愛するお姉様の側に帰りたかっただけなのだが、報告はそこにまでは及ばない。
というより、雷霆の一撃は、迂闊な調査でユノに悪感情を抱かれることを嫌い、踏み込んだ周辺調査はできていない。
そのため、交友関係などは伝聞頼り、その他の行動についてはクイーンを基にした推測である。
「この期に及んでまだ戦挙とは……。事情を知ってると茶番にしか思えないな」
キングは、「戦挙」と聞いて鼻で嗤った。
戦挙といえば、闘大の序列付け以外にも、大魔王もそれで決定される。
しかし、体制派に属さない一般人や、キングたちのような反体制派にとって、戦挙で大魔王やどこかの部署のトップが変わっても、何かが良くなったという実感を抱いたことは滅多にない。
当然、客観的に良くなったものはたくさんあるが、その場限りの喜びで消費されたり、慣れてしまったりで記憶に残らず、その反面、不満は溜まり続ける。
それゆえに、戦挙そのものを疑問視、若しくは無駄なものだと決めつけている者も多い。
なお、戦挙で大魔王が変わっても、極端な悪政を敷くような王が現れないのは、戦挙で勝つ――すなわち戦闘で勝利するためにレベルを上げると、一部例外はあるものの、パラメーター上には表れないが、知性にも高い補正が掛かるからである。
当然、知性が高ければ善政を敷くわけではないが、少なくとも、現状が魔界を健全に統治するために適当な環境であることを理解でき、欲望を満たすための代償も同様に理解できる。
そんな事情から、大魔王を継いだ者が大きく方針を変更することは滅多にない。
元異世界人であるルイスのように、個人の能力に応じた分業化、それに基づいた組織や社会作りなどを掲げる方が異例だった。
もっとも、ルイス自身にそれらを推進するためのノウハウがないため、大して浸透していないのが実情だが。
対して英霊たちは冷静である。
「言うてやるなキングよ。まだ奴らが魔界を見捨てると決まったわけでもない」
「だがよ、今の魔界はあん時ほど切羽詰まった感じはねえし、俺らの時とは状況が違うんじゃねえか? 少なくとも、俺らの時代にゃゴブリンの養殖なんて無かったしな。弱くても食ってけるなら、無理して外界を目指す必要もねえんじゃねえか?」
「そうだな。でも、決して状況が良くなってるわけじゃない。平和そうに見えるのは中央だけ。辺境ではもう人が住めないほど瘴気に汚染されてる所もある。それに、人はゴブリンのみで生きているわけじゃないんだぞ?」
「確かにゴブリンの養殖は画期的ですが、魔界全体の状況を改善するには生産力不足は否めませんし、生産力を拡大するためには、労働力もそうですが、瘴気に汚染されていない土地の確保も必要です。残念ながら焼け石に水といったところでしょう」
英霊たちの時代の魔界は、弱肉強食以外の秩序らしい秩序もない修羅の世界だった。
強い者が弱い者から奪う。
弱者は強者に恭順して、自らの生殺与奪の権と引き換えにその庇護下に入るか、更に弱い者から奪うか、意地や矜持と引換えに命を捨てるかしかなかった。
そんな夢も希望もない状況を変えようと、ノクティスは武力により魔界を統一して初代大魔王となり、悪魔族全員で生きるために外界を目指したのだ。
「だが余は感動しておるぞ。まだ道半ばとはいえ、悪魔族にこれほどの秩序を浸透させた当代の大魔王はなかなかの傑物であろう。個人の才覚に基づいた明確な役割分担は、ただの効率化というだけではなく、やる気や責任感を醸成しておるようだ。ゴブリン養殖などという自由すぎる発想が出てくるのも、あの者らがそうやって治安を維持していてこそ。外界に出ずともこれだけのことができる――悪魔族の可能性も捨てたものではないと知れた。かつての余の行いが、少しでもこれに寄与しておったならいいのだがな」
一方で、クイーンは現在の魔界と悪魔族の状況を絶賛する。
客観的に見れば、現在の魔界は、少なくとも彼らが活躍していた時よりも安定している。
それが緩やかに滅びに向かう流れだったとしても、魔界においてそれがどれほど難しいことであるかを、彼らはよく知っていた。
彼らが魔界を統一した当時は、瘴気汚染こそ現在ほどではなかったが、彼らだけで魔界の全人口の生活を支えられるような状況にはなかった。
そのため、じっくりと改革に取組める状況になかった。
その後、人族との接触から契約、そして泥沼の戦争の間に、魔界はそこに残っていた悪魔族たちの努力もあって、僅かに環境が改善していた。
さらに、大魔王と勇者が相討ちになった後、どさくさに紛れて略奪行為に及んでいた素行の悪い悪魔族たちが、魔界を覆う結界の完成で結果的に魔界から追放された形になった。
そうして、更に魔界の治安が向上することになった。
つまり、初代大魔王の功績は、悪魔族に集団行動を実践させたことと上記のふたつであり、尊敬されているのは悪魔族を統一した強大な力である。
「だが、悪魔族はゴブリンのみで生きるものではない。儘ならぬ世界に抗うための牙を抜かれ、ゴブリンと共に生きるのが悪魔族の正しい姿か? その先に悪魔族の望む未来はあるのか?」
しかし、それは初代大魔王が望む悪魔族の姿ではなかった。
当代大魔王の推進する組織作りが始まってから数十年。
能力に応じた分業などの改革と、それに基づいた組織作りは、体制派だけではなく、黄金の御座や雷霆の一撃といった民間の組織にまで採用されるほど普及している。
むしろ、フットワークの軽い中小零細ほど採用されていて、体制派の方が遅れている。
ゆえに、彼の就任以降、特に在野での専門技能の進化は著しく、その効果を目の当たりにすると、不満など出るはずもない。
ゴブリンの養殖も、その副産物のひとつである。
クイーンもそれを頭ごなしに否定するわけではないが、そればかりに傾倒し、悪魔族としての矜持も忘れて、ゴブリンの養殖だけに生きる悪魔族が増えることは看過できなかった。
「いいえ。弱い者にも生きる術があるのは結構なことですが、それのみが持て囃されて、悪魔族の本分が疎かになってはいけません。いつまた人族との全面戦争が起こるかもしれないのですから、それに備えて力を蓄えておかなければなりません」
クイーンやビショップたちにとって、人族との戦争は歴史上では負けた事実は理解していても、それを望む民衆がいて、挑戦が可能な状況にある以上はまだ終わっていない。
「おっ、話は終わったか? んじゃ、やるか。で、誰をやりゃいいんだ?」
「キング、ご命令を」
それは積極的に会議に参加していなかったルークとナイトも同じで、彼らはそろそろ会議が終わろうかという雰囲気を察して、やる気を出し始めた。
「待て、貴様ら。向こうにも姫様がいるのだぞ。いくら貴様らが莫迦でも、下手に動いて刺激するのはまずいことくらいは分かるだろう?」
そんなふたりをビショップが諫める。
「でも、動くなら今しかないってくらいのタイミングですよね。体制派が大きく動き出して、どうやら向こうの初代様は別行動。リディアを――いや、《転移》の魔晶をどうにか確保できれば……。彼女も有能なので、できればこちらについてもらいたいけど――どうにか黄金の御座の立場を利用できないか?」
しかし、雷霆の一撃にとってはチャンスともなる状況である。
ルークやナイトのような直感も無く、ビショップのような論理的思考も苦手なキングは、状況を整理するために考えを口に出す。
「動くべきタイミングだということは間違いないですが、第一目標はリディアではなくルイスにするべきですね。彼を斃せば高確率で魔晶も手に入るでしょうし、残された勢力を――それこそ件のリディアや、向こうの姫様も吸収することもできるかもしれません。ただ、ルイスをその残された勢力と分断した状態で叩くことが難しいのですが……。分断していない状況――総力戦では、勝ったとしても被害の予測もできません。ですので、隊をふたつに分け、我々主力部隊はルイスの追跡――上手く術式の解析ができればそのまま撃破まで。無理そうなら帰ってきたところを待ち伏せする形で――できれば撃破したいところですが、合流されそうなら魔晶の入手を優先して、撤退も視野に。もう一部隊は、闘大にいるリディアから魔晶の入手、若しくは彼女自身を攫いましょう。当然ですが、向こうの姫様を可能な限り刺激しないように細心の注意を支払って、余裕があればルナ・グレモリーも攫ってもいいかもしれません。彼女の血でクイーンの記憶や能力が解放される可能性もあります――望み薄ですが、試せるものは試しておきたいですし、飽くまでほかが失敗したときの保険として。こちらの隊は、相手はいくら優秀とはいえしょせんは学生。【ポーン】を主力とした一般の団員で充分でしょう」
ビショップが、キングを補佐するように即席で策を立てる。
正面からの総力戦も視野に戦力増強に勤しんできた彼らだが、質は補えても数はそう簡単には補えない。
その質も直接戦闘に直結するものが主で、その質の差で短期決戦に持ち込めればいいが、ずるずると長引いたりすると継戦能力の差が響いてくる。
彼らも決して兵站を疎かにしているわけではないが、こればかりはデーモンコアの力をもってしても一朝一夕でどうにかなるものではなく、地力と積み重ねてきた時間がその差となる。
何より、最終的に勝てたとしても、被害が嵩むと本末転倒である。
場合によっては、勝っても外界侵攻どころの話ではなくなってしまう可能性もある。
しかし、ルイスを上手く分断するなりして各個撃破できたとすれば、魔王軍の大半が統率を失って烏合の衆と化すことは想像に難くないし、中には雷霆の一撃に寝返る者も出るだろう。
《転移》先の解析などの問題はあるものの、非常に魅力的な状況である。
もし解析できなかったとしても、分断できている間にできることもあると考えると、実行しない理由は無い。
それも、すぐにでも取りかからなければならない。
「じゃあ、ビショップにはもう少し詳細な作戦を考えてもらって、俺たちは部隊の編成を」
ビショップのサポートを受け、今こそ動くべき時だと確信したキングは、すぐに作戦に取りかかる。
キングの決意を察したクイーンたちも、ひとつ首肯して彼に続く。
雷霆の一撃にとっては悲願の成就に向けて、英霊たちにとっては夢の続きを見るために。
天王山を目前に士気は高い。
当然、体制派の打倒が最終目標ではないことは全員が理解している。
しかし、「デーモンコア」という局地戦では無敵に近い性能を持つ神器がある以上、人族相手ではよほどの不運に見舞われない限りは負けはない――と、根拠の無い自信がある。
現状唯一の不安材料は、体制派の初代大魔王である。
体制派がデーモンコアを手放した理由次第では、デーモンコアを使うメリットが無いどころかデメリットが生じるおそれすらあるのだ。
その不安要素が分断された、雷霆の一撃にとって都合の良い状況。
決してそれに目が眩んだというわけではない。
彼らは悪魔族では考えられないくらいに慎重を期して、最悪も想定した上で行動を開始した。
ただ、世界には人知の及ばないことがあるだけで、彼らの行動がそれにピタリと嵌りこんだだけだった。




