19 再訪
大空洞最下層。
女神ヘラの欠片を探して徘徊している悪魔を恐れているのか、最下層には虫やワームは近づいてこないらしい。
とはいえ、絶対ではないので、できれば近づきたくない場所である。
しかし、ここには魔界を覆っている結界の管理者がいて、優先順位は高くないものの、協議が必要な案件もあるので、必要があれば行かなくてはならない。
簡単な連絡程度ならアドンやサムソンを使えば済むのだけれど、そこには私の創った世界樹の苗も存在する。
基本的に放置していても大丈夫なはずなのだけれど、問題を解決する際に手を加える必要があるとなると、やはり私か朔が出向かなければならない。
もっとも、今回ここを訪れたのは 気分転換をしたいというアルを連れてきただけだ。
魔界では、アルも私も気軽に外を歩けない身である。
それぞれ理由は違うけれど。
もちろん、魔界の外に出るという選択肢もあったのだけれど、アルとしては、魔界救済のためのヒントは魔界の中で見つけたかったようなので、それらの条件を満たしたここになったというわけだ。
……そこを魔界といっていいのかには疑念も残るけれど、本人が「いい」と言うなら、それでいいのだ。
さて、そこまでの移動手段は、私の瞬間移動である。
アルの――というか、システムの《転移》では、大空洞の地形が変わっているとファンブルを起こす可能性がある。
経路についてはさほど影響は受けないとはいえ、瘴気が絡んでくると予期せぬ事故の可能性が上がる。
もちろん、それらの状況を調べるオプションなどもあるそうだけれど、その分の魔力を余計に消費するし、どれだけ注意しても瘴気の濃い場所では事故の可能性は無くならない。
というか、管理者の領域は空間的に連続していないので、ファンブルしないと直接は行けない。
その点、私の瞬間移動では――というか、私の領域は、私が認識している場所では連続性とか一切無視して展開できるため、地形が変わっていたりとか瘴気がどうとかは全く障害にならない。
無視できないのは虫だけだ。なんちゃって。
もちろん、管理者の領域に直接出現することも可能だ。
ただし、それは礼儀的にあまり褒められたことではないし、特にアルゴスさんの場合は、見られると不適切なあれこれを片付ける必要もあるだろう。
なので、どちらにしても一旦大空洞最下層を経由する必要があって、そこまでの安全性が理由で、私の瞬間移動の出番となった。
危険という意味では、そこに虫などの私の苦手とするものがいたりすると、非常につらい思いをすることになる。
先に世界を改竄して安全な場所にしようとしても、結局私の領域でそれに干渉しているということなので、あまり意味が無い。
移動先の安全確認という意味では、門を作って空間を繋げるタイプの《転移―門―》の方が優秀かもしれない。
ただ、ここではやはり瘴気が障害になるので、無意味な無理はさせられない。
ここは適材適所ということで、私が移動を、アルに虫除けを担当してもらう。
虫除けは使い魔たちでもいいのだけれど、アイリスが言うにはアルも悪い虫らしいし、排除されかねないので彼に任せる。
幸いにも、一か八かの瞬間移動先で、虫に囲まれているなどということはなかった。
とはいえ、この先もそうであるという保証は無いので、私は聴覚以外を遮断して、アルにお姫様抱っこされた形で護ってもらう。
『今ならちょっとくらい悪戯しても気づかれないよ?』
「いやいや、さすがに弱ってるところに付け込む気は無いよ。っていうか、こうやって甘えてくれるのも俺を信頼してくれてるからだろうし、裏切れないよ」
多少鼻息が荒くなっているようだけれど、良い男である。
ひとまず、辺りを巡回していた悪魔を捕まえて、警備主任のラードンさんに取次いでもらう。
それから、管理者の空間へと案内してもらう――という名目で散歩する。
今頃、アルゴスさんは必死で部屋を片付けているのだろう。
というか、基本的にそこは職場である。
礼儀はともかく、プライバシーに配慮する必要は無いはずなのだけれど、彼は公私混同が激しくて、そのくせ繊細なところがあって、臍を曲げるととても面倒くさい。
彼を宥めるより、ラードンさんと散歩でもしていた方が気が楽だ。
査察目的でもなければ、藪をつついて蛇を出すようなまねをする必要は無い。
あてもなく歩きながら、アルの紹介や、ここに来た目的を話す。
ラードンさんは、アルのことを噂で聞いて知っていたらしく、彼が本人だと分かると、とても丁寧に対応してくれた。
「ほう! 貴殿があの――。我々も貴殿の英知の数々に世話になっている。この場を借りて深く感謝を」
「恐縮です――が、品質や価格については湯の川の職人たちの努力の賜物ですし、流通についてもアクマゾンの力なくしては成り立ちません。何より、全てはユノ様の魅力あってのことですので、私の力など微々たるものですよ」
ついでに、アルが私をプロデュースしているという事実も知っていたらしく、敬意も抱かれていた。
なお、私がアルの希望に沿ってここに連れてきたのは、彼の――というか、魔界の抱えている問題について、ラードンさんやアルゴスさんにも一緒に考えてもらおうという魂胆もある。
彼ら悪魔は、腐っても人族より上位の存在である。
下手にアルをあちこち連れ回すよりは有意義な情報収集ができると思う。
それに、悪魔ならではの、世界の裏側についての知見もあると思うので、アルには思いもつかない抜け道を示してくれるかもしれない。
また、アルにも魔界の抱えている問題のひとつについて考えてもらえればとも思う。
問題というのは、魔界と外界を区切る結界が、私が手を入れたことで超安定してしまって、行き来ができなくなった件である。
もっとも、こちらについては、新月と満月の特定の時間に人為的に綻びを作って行き来できるようにする予定――という結論には達している。
問題は、どうやってそれを実現するかという技術的な部分である。
まず、結界に関する術式には、プロテクトとかいう鍵のようなものが掛けられているそうなので、改変するには一度それを解除する必要がある。
解除ができれば術式の改変を行えるのだけれど、その専門知識が、アルゴスさんとラードンさんやその周辺には無い。
外部の協力者を募るにしても、機密性の高い案件なので、ただ能力があればいいというわけではなく、気軽に募集も出せない。
もちろん、上位の悪魔にも分からないことが人族のアルに分かるかというと望み薄なのだけれど、違う視点でものを見るというのは、時として驚くような発見に繋がることもある。
それに、デーモンコアが女神ヘラの一部といえるならば、それから発出した結界も女神の一部である。
そして、人間には「神殺し」という、人間だけが持つ特権がある――まあ、本当に人間だけの特権なのか検証はできていないし、この世界の神や悪魔がここでいう「神」に該当するかも微妙なところだけれど。
とにかく、人間の中でも優秀なアルなら、奇跡くらいは起こせるかもしれない。
アルゴスさんの準備が整うのに要した時間は一時間半くらい。
前回よりも時間がかかった理由は、それだけ物を散らかしていたか、物自体が増えたか、その両方か。
などと考えていたのだけれど、正解はライブ用のステージの設営をしていたからだった。
やられた。
こんな悪魔が管理者で、魔界は大丈夫なのだろうか――いや、調和を司る神々も大差なかったし、この世界は大丈夫なのだろうか。
さておき、アルとアルゴスさんは知り合いだったので、自己紹介は省いて、再会の挨拶と、各々の問題の概要だけ確認する。
そのままステージは見なかったことにできればよかったのだけれど、話題はステージ造りのことばかり。
仕方がないので、「問題が片付いたらそのご褒美に」と餌をぶら下げたところ、みんなの目の色が変わった。
「魔界における食糧問題が解決すれば、外界進出する理由も薄れるだろうな。それに、それが改善すれば、ほかも良くなるかもしれん」
「だけど、ゴブリンの有効活用とか、普通は思いつかないぞ? お前、悪魔より悪魔っぽいな」
「悪魔族全体に平和的に普及すればいいんですけどね。最低でも、暴力による略奪を抑制できれば……」
「しかし、それが悪魔族の性質でもあるからな。そこを無理矢理曲げるのは健全ではない――場合によっては禁忌に触れるかもな」
「まあ、問題はそこだわな。いくら種族の未来がかかってるとはいえ、当事者の意向を無視してってのは、お前がゴブリンにしてることと変わらん」
「ですよねえ。そもそも、そういうのは救済じゃない――救済のつもりなら皆殺しにしろってユノ様が仰ってますし」
議論は、私を除いた3人の間で行われている。
基本的に、私はこの件に干渉するつもりはない。
妙案を思いつかないというのもあるけれど、タイムリミットを延ばしているだけでも充分に救済であるはずだ。
これ以上の干渉は、湯の川と同じ轍を踏むことになりかねない――悪魔族の性質を考えると、ろくなことにならない気がする。
私ほどではないにしても、大きな力を持つ悪魔が干渉するのも不適切かもしれない。
なので、あまりに直接的な干渉は止めさせてもらうつもり。
もちろん、こうやって口を出すだけなら問題視しない。
現状、アルが相談できる現地の人は限られているし、人脈を広げるのも難しい。
というか、今は人脈を広げるための下地というか利益を作っている段階で、それの出来次第で、直接体制派に売り込める。
なので、「発覚のリスクを背負って下手に人脈を広げるより、一気に解決できる道を探してみよう」という方針なのだ。
さて、アルの言う「救済が皆殺し」というのは、私が意図していたところと少し違う。
安易な物質的救済で悪魔族の可能性を腐らせてしまうくらいなら、嫌でもあがかなければいけない状況にして奮起に期待するか、アルの可能性の足しになってもらう方がマシということだ。
死そのものが救済ということではない。
釈明しておくべきかと悩んだけれど、そこの理解が重要でもないし、何より面倒くさいので止めておく。
『じゃあ、作り上げたゴブリンに付加価値を持たせる方向はどうかな? 例えば、これを外界進出と結びつけるとか――いまだに解明されてない初代大魔王の外界進出には、特殊進化した魔物の能力が必要だった。アルフォンスは当時の技術の再現してるってことにして、適当に技術を流出させる。で、単純な略奪を防ぐために、ブリーダーと魔物の絆が必要ってことにでもするとか』
おっと、私は干渉するつもりはなかったのだけれど、朔はそうではなかったようだ。
しかし、アイデアとしては面白い。
上手く形にできればふたつの問題が一度に片付くかもしれない。
特定の状況下で誕生する魔物に特殊な能力を植えつけるだけなら、世界樹の苗だけでも可能である。
そして、結界の術式の解析や改竄は私にはできないけれど、世界樹の苗の制御なら余裕である。
詰まるところ、新種の魔物に限定的な魔法無効化能力でも与えればいいわけだ。
「さすが朔殿。良いアイデアだと思います。情報をどこにどれだけ出すかなど細部を詰めなければなりませんが、これはもう解決したも同然でしょう」
そう言いながら、チラッとステージを見るラードンさん。
「情報の流出先は現体制派にしてコントロールさせるのがいいだろう。無差別にばらまくと収拾がつかなくなるのは目に見えてるしな」
アルゴスさんも「これで解決」とばかりに、マジカルライトスティックを装備した。
「体制派に引継がせるのはいいんですけど、丸投げは不安だし、やっぱちゃんと説明しなきゃ駄目ですよね……」
アルもこちらを窺うように視線を送ってくるけれど、悪魔たちとは意味合いが違うような気がする。
『こっちもそろそろ頃合いだし、ユノの名前を使ってもいいよ。そうすれば話くらいは聞いてもらえるでしょ』
頃合いというのは、私たちが魔界にいる理由だろうか。
まあ、この件が上手くいけば、ルナさんだけではなくグレモリー家が狙われることもなくなるだろう。
アルの策にどれだけ説得力を持たせられるか次第だけれど。
それに、ルナさん本人の自衛能力もそれなりに上がっている。
外界に出られるかどうかは分からないけれど、最初期に起きるであろう混乱を乗り越えることくらいはできるだろう。
「それは助かる。でも、いいのか? 俺との繫がりから、いろいろ探られると思うけど」
『まあ、最悪は正体バレもやむを得ないと考えてるし。むしろ、バラした上で『見守ってるから頑張って』とでもユノに言わせれば収まるんじゃないかな? でも、分かってるとは思うけど、「デウス・エクス・マキナ」だから、上手く使ってね』
「いかに愚かな悪魔族でも、実際に神の薫陶を賜る機会を得て、神が市井に紛れて自分たちを見守っていると知れば、魔界に蔓延している厭世観や末法思想も薄れるかもしれませんな」
『ボクとしては、ルイスとか上層部の少数だけのつもりだったんだけど、末端にまで知れ渡るような干渉って神族や悪魔的には大丈夫なの?』
「ヘラ様の魔界造りという駄目な前例もありますし、その代償も大きいので、本来は適切な行為ではありません。ですが、それは並の神であればの話です。ユノ様に間違いなどありませんので、ユノ様の御心のままに。我らはユノ様の全てを支持するのみです」
「人間界じゃ手遅れなレベルで干渉してるし、今更じゃないですかね」
アルの言葉にはぐうの音も出ないけれど、そんな人に丸投げするのはどうかと思う。
自慢することではないけれど、私は間違いだらけだよ?
「……帳尻合わせくらいはしてみるけれど、あまり無茶な状況を押付けられると、どうなるか分からないよ?」
言葉のとおり、帳尻合わせくらいはしてあげよう。
私の能力なら大体のことはどうにでもなるだろうし。
それでも、あまり無理難題を押付けられると、「帳尻って何?」という事態になることもあり得る。
アルのことだから大丈夫だとは思うけれど、たまに予想の斜め上を超えていくので油断できない。
まあ、それが楽しみでもあるのだけれど。
◇◇◇
「ところで、俺が貸した神剣はどうなってる? まさか売ったり失くしたりはしてないだろうな?」
ライブが終わって、ささやかな打ち上げも終わると話題も変わって、アルの持っている神剣の話に。
件の神剣とは私も刺したアレのことだろうか?
まさか借り物だったとは。
壊すとまずいとか思っていたら刺されることになってしまったのだけれど、壊さなくてよかった。
「おい、英雄とはいえ、あれを人族に貸し出すとか何考えてんだ?」
「久しぶりに人と会って、テンション上がってたんだよ。今は反省してる」
「すみません。でも、神剣のおかげで命拾いしました」
「英雄殿の命を救ったのなら『良い仕事をした』と言わざるを得んが、迂闊な行動はするなよ」
「え、力を解放したのか? 渡した時は解放できるだけの魔力貯まってなかっただろ? 自力で貯めたのか?」
「おい、本当に何を考えてんだ!? 魔力の不足分は生命力で補われると説明しなかったのか!?」
「当然したぞ!? そもそも、《魔力操作》が低い奴だと、持っただけでも一瞬で魔力を吸い取られて死ぬような代物なんだから、説明無しだと使えるはずもないだろ!」
聞くところによると、アルの持つ神剣をはじめとした神器は、強力だったり特殊な効果を持っているものらしい。
ただし、それを発動するためには膨大な魔力を必要とする。
その魔力量は神族や悪魔であっても厳しいものだそうで、本来は、平時に神器に魔力を貯めておいて有事に解放するという使い方をするそうだ。
ちなみに、最大解放だと、MPにして十万くらいから青天井で、限定解放でも万単位で必要とする。
MPの最大値が三千程度のアルではまともに使える物ではないのだけれど、所持しているだけでも牽制になるし、武器としての性能も高いので、無理を言って貸してもらっていたそうだ。
もっとも、本当に借りられるとは思ってもいなかったようで、しかもそのおかげで窮地を脱することができたと言うけれど、私の所感としては、「見事に因果を紡いでいる」としか思えない。
「英雄には何より幸運が必要だが、お前の引きの強さはちょっと尋常じゃねえな。そういうことなら、それはもうちょっとお前に預けとくから、いつか返しに来いよ?」
「莫迦が。ただ預けてどうするんだ。アルフォンス殿は世界の宝。万が一があっては世界の損失。ですので、我々でできる範囲で魔力を充填しておきますので、足りなくなったらまたお持ちください」
ほら、今もまた全力で因果を紡いでいる。
「ありがとうございます! その時はユノ様にお願いして連れてきてもらいますので、またよろしくお願いします!」
ああ、なるほど。
アルひとりではここに直接《転移》してくるのは難しいから、私が同行しないといけないのか。
ラードンさんの言動にはそういう意図もあったのか。
悪魔、侮り難し。
それでも、一応警告はしておいてあげよう。
「アル、気をつけてね。アルは今、アルの分を超える因果を紡ごうとしているよ。いつかその神剣の力を必要とする状況になるかもしれないけれど、使い時を誤ったり、アル自身の力を忘れて頼りきったりすると、詰むよ」
「え?」
最初はきょとんと呆けていたアルの表情が、一拍遅れて蒼褪める。
「神剣の力が必要な状況って、きっと神族悪魔の領域の問題だからね。そこにきて私の正体もバラすとか、アルに分かりやすく言うと、盛大に“フラグ”を立てているよ。今更こんなアドバイスは必要無いかもしれないけれど、これからは悪魔や神族も上手く使わないといけない場面も出てくるかもしれないね」
「い、いや、ありがとう。ちょっと浮かれてた。でも、もうちょっと早く言ってくれると嬉しいんだけど……」
口調が素になるくらいに動揺している。
「早めに言ったとしても、アルはきっと同じ選択をするよ。むしろ、何にでも節操無く手を出す方が心配。『何も諦めない』って言うと聞こえはいいけれど、勢いや惰性だけだと駄目だよ。神殺しもいいけれど、ちゃんと家族も大事にしないとね」
いや、大事にはしていると思うけれど、気づいていないところもあるようなので、少しお節介を。
もちろん、知っていたからといって回避できるようなものでもないけれど、覚悟の差は最後のひと押しの差となるかもしれない。
少しサービスしすぎな気もするけれど、友人としてこれくらいならいいだろう。




