15 成果と反響
魔王城会議室。
そこに、大魔王ルイスをはじめとした、魔界の現況と秘密を知る重鎮が勢揃いしていた。
彼らの前には、緑色をしたお猪口サイズの円錐台形の物体と、グラスに入った同色の液体が置かれている。
円錐台の物体の表面は若干光沢を帯びていて、同時に非常に柔らかな物らしく、振動を与えると、それに合わせて軽やかに揺れる。
さらに、それから仄かに香る甘い香りが女性的なものを連想させ、思わずむしゃぶりつきたくなる衝動に襲われる。
もう一方の液体の方は、それとは対照的に肌理が粗く濁っているが、それから立ち上る暴力的な酒気は男らしさを連想させ、やはりむしゃぶりつきたくなる衝動に襲われる。
「で、これが最近巷を賑わせているという物か」
それらが全員の前に行き渡ったのを確認すると、ルイスが切りだした。
「はい。調査によりますと、固形物の方は甘味で、名称を【ゴプリン】というそうです。もう一方は【ゴブロク】といい、匂いから察せられるとおり酒です。しかも、天然物だそうで……。それが、一般人でも買える金額で販売されている――まだ流通量は少ないですが、何とどちらも主原料がゴブリンとのことでして、レシピさえ判明すれば、流通量の解消も時間の問題かと」
「ふむ、なんとも馴染みのない名称だが、異国語か?」
「それよりも、これがゴブリンでできているというのは本当か?」
「あれこれ考えるのは味わってみてからでも構わんだろう。不味ければ考える必要すら無くなる」
収集、調査を担当したご意見番ルシオの報告に、出席者から様々な声が上がる。
それを遮ったのは、ルイスである。
鶴のひと声を聞いた彼らは、「待ってました」とばかりに未知の食品に手を伸ばした。
「これは驚いた。本当に甘い……それに、口当たりも滑らかで心地いい」
「上にかかっているのはブツブツアントの蜜でしょうか? 仄かな苦みが甘さを引き立てる良いアクセントになっていますな」
「これがゴブリンでできているというのか……。にわかには信じられんな」
「酒の方は飲まれましたか? 甘口で飲みやすい割には酒精が強い」
「うむ。やはり天然物は魔力臭くなくていい。下手糞が作ったのは、酒っつーかポーションみたいで飲めたもんじゃねえからなあ」
「しかし、これもゴブリンとは……。ゴブリンをどう扱えばこうなるというのか……」
各人のそれぞれの評価は上々だった。
ただ、原材料に関しては半信半疑である。
色味は確かにゴブリンっぽいと感じる程度。
そもそも、元ネタすら知らないようでは製法なども分かるはずもなく、普通なら完全否定するところを半信半疑で済んでいるのは無知ゆえである。
ただし、元日本人であるルイスにだけは、それぞれの元ネタに心当たりがあった。
(ゴプリン――緑色だが、どう見てもデザインはプリンだよな。味の方はプリンじゃねえ――タマゴ感が全然ないが、悪くはねえ。むしろ、魔界レベルでは絶品といってもいい。ユノの料理を食った後だと霞んじまうが、あれは別格だからな。酒の方も、元ネタはドブロクか? 雑味も強いが、これも悪くねえ。いや、魔界で天然物って時点でその価値は計り知れねえ。恐らく、このネーミングセンスから考えて、これを作った奴は日本人――転生者か転移者なのは間違いねえ。……だが、日本人的な感性で、ゴブリンを材料にするのはあり得るのか? どう考えても猟奇的すぎる。犯罪者でもここまでイカれた奴はいねえだろ。日本人というより病人だ。まさか、奴が戻ってきたのか――!?)
「で、これを作ったのはどんな奴だ?」
ルイスはある予感を胸に、ルシオに問いかける。
「申し訳ありません。残念ながら、詳しいことはまだ何も。これらを販売していた店主は、これらに関する記憶を消されているようで……。恐らく、洗脳系スキルの仕業かと思われるのですが、入手経路、製造法などの情報は巧妙に隠蔽されておるようです」
「でしたら、その店主を捕らえ、記憶の復元を行ってみるというのは?」
「その程度はあちらも考えておるでしょう。術者の手際と我々の再現技術の差を考えると、店主が再起不能になるのが関の山かと」
ルシオの返答に、宰相的なポジションにいるピエールが提案をするも、すぐさま否定された。
「そうなると、店主との接触の現場を押さえるしかないな」
「待て。それよりも、この件に奴が関わっている可能性はあると思うか?」
今度は将軍職にあるダニエルが提案するが、すぐにルイスによって遮られた。
「は。我らでは決して及ばぬであろう発想に、ゴブリンに対する謎の執着。私も真っ先に奴の顔が思い浮かびました。無論、それだけで奴とは断定できませんが、少なくとも奴と同じ系統の者であることは疑いようがありません」
ルイスの問いに逸早く答えたのはルシオだった。
なお、「奴」というのは、いうまでもなくアルフォンスのことである。
雰囲気と勢いで生きているところが多分にある悪魔族は、こういった意味ありげなやり取りが大好物だった。
それは、ルシオのような頭脳派でも抗えない習性のようなもので、そのせいで無用な被害が出ることも珍しくはない。
もっとも、今回の場合においては、彼らの認識に齟齬が出ることはなかった。
アルフォンスの存在が、彼らの意識にそれだけ深く刻み込まれていたからだ。
そんな背景もあって、返答したルシオ以外の者も最初から分かっていたとばかりに頷いたりしていたが、アルフォンスのことは覚えていたものの、本件との関連については考えもしていなかった者が半数を占めている。
こういった姿勢が悪魔族の組織運営をより難しいものにしているのだが、「舐められたら負けだ」という認識の彼らに改められるものではない。
「で、こんなことをする目的は何だと思う?」
「それは分かりません。ゴブリンの養殖にしても、その利用法についても、偉業ともいえる功績であることは間違いないでしょう。それにもかかわらず、名を売るでも、儲けを得ているふうでもない。何かの陰謀の一環で、ゴブリンという種族に秘密があるかと、当時かなり念入りに調査されましたが、それらしい結果は得られず――それどころか、ゴブリン養殖の有用性を裏付けただけでした。今回の件の調査はこれからになりますが、恐らくはその流れを後押しするだけになるでしょう」
「もしや、ゴブリンを操る強力な術を使って反乱を――いや、術が強力でも、ゴブリンではなあ……」
「自爆させても脅威にはならん――いや、そもそも、畑や便所で自爆されても、嫌がらせくらいにしかならん」
奉仕や貢献という概念の薄い魔界において、比較的それらを持ちあわせている体制派の重鎮たちでも、体制派でもない者がそうする理由に考えが至らない。
この功績がそういった意図ではなく、結果的に魔界に貢献していただけだとしても、とりあえずその見返りを求めるのが悪魔族の標準的な価値観なのだ。
日本人的感性を理解しているルイスも、魔物とはいえ人型のものを養殖、加工するような者からそれらを感じ取るのは難しい。
異世界の知識を用いて改革を起こそうという考えは理解できるし、慢性的な食糧難にある魔界で、養殖という手段を選択するのも順当である。
しかし、なぜその対象がゴブリンなのか。
なぜゴブリンを野菜と言い張るのか。
もしかすると、日本人ではなく、ピザを野菜と言い張る国の人なのか。
それとも、野菜だからカロリーゼロとでもいうつもりか。
ちょっと何言ってるか分からない。
前世では、「正義の味方」になること以外に興味がなかったルイスに判断できることではなかった。
それでも、ルイスは為政者として、判断を下さなければならない立場にある。
「やはり、目的は本人に訊くしかないか……。とりあえず、この件についてはまだ公式声明は出さん。調査や追跡は、能力は当然として、信用できる者のみで行うように。それと、出会い頭に《威圧》は禁止する。恐らく奴だとは思うが、奴ではなくても接触するときは、俺やユノにするように丁寧に対応しろ。敵対の意志を見せるな」
ひとまず、ルイスはルイスで分かる範囲で判断し、指示を出した。
ゴブリンの養殖という発想にはいまだに理解が及ばないが、魔界の食糧事情の改善という点では間違いなく有用である。
しかし、今回の件まで含むと、単なるゴブリンの有効活用なのか、ほかに理由があるのか――ゴブリンに拘る理由を明らかにしなければ、このまま普及させていいのかを判断できない。
そのためには、どうにかして本人と接触しなければ始まらない。
無邪気に――というほどでもないが、食糧事情の改善に喜び、もっと話を聞きたいと考えていただけの当時とは事情が違う。
多少なりともゴブリンの養殖が普及してきた中で、これが何らかの陰謀の一環で、このまま普及させるのが危険となった場合、普及する以前よりも深刻な状況に陥るのは間違いない。
ルイスはアルフォンスが元日本人だと当たりをつけていて、対話が可能だと考えているが、その逆は分からない。
初対面でもいきなり攻撃されたことを考えると、ルイスのことを日本人どころか悪魔の系譜――人間の敵だと思われているのかもしれない。
まずは敵ではないと理解してもらうことを念頭に行動するが、アルフォンスが人族の立場で悪魔族の殲滅を考えているようなら、排除も視野に入れなければならない。
ルイスは元日本人ではあるが、現在は悪魔族の未来を背負う立場にあるのだ。
わけも分からないまま排除されるつもりは無い。
「対話という方針は理解できますが、《威圧》を無しにですか? それで対話などできるでしょうか?」
「それでは奴に舐められてしまう。ただでさえ不利な状況なのだ。最初にガツンとかますべきでは?」
ルイスの指示に異を唱えたのはピエールとダニエルだ。
もっとも、ただ感情的に反発したというわけではなく、魔界での常識と照らし合わせての反論である。
「それなのですが、人族は、初対面の者には《威圧》をしないという説もありまして……。まだまだ調査不足なので絶対とはいえませんが、人族には我々の常識は通用しないのは確かでしょう」
それを諫めたのはルシオである。
単純な戦闘能力という点ではここにいる中では最低だが、膨大な知識やそれを基にした分析力などは誰もが認めるところである。
「調査には、私と我が孫リディアで当たってみましょう。あの娘もユノ君との特訓で力をつけておりますし、充分に役目を果たせるでしょう。閣下には、押し入るとなったときのフォローをお願いしたい」
「ふむ。貴殿が直々にというなら、これ以上の適任はおるまい」
「うむ。いざというときは任されよ!」
ピエールとダニエルも、ややこしい調査をルシオが行ってくれるとあれば文句は無い。
彼らの考える調査とは、「生き残ればシロ」とか、「反抗したらクロ」というようなもので、今回の件では役に立たないことは自覚していたのだ。
「なるほど。居所が確実なら捕縛でも――また逃げられるよりはマシだな。その段階になれば俺も出よう。ほかに必要な物があれば何でも言え」
ルイスは、ルシオの実力行使を匂わせる発言に、「お前もか」と少し考えを巡らせる。
それでも、制限ばかりを設けて機を逸するよりはマシかと追認した。




