14 信念と狂気
アルフォンス・B・グレイの灰色の脳細胞はかつてないほどに稼働していて、熱暴走を起こす寸前だった。
次の大きなイベント――彼とユノとの異世界里帰りまでにはまだ時間があった。
その空き時間を利用して、少しでも妻の妹やその実家の役に立てればと、軽い気持ちで魔界についてきたアルフォンスだが、なぜか魔界を救うミッションが発生してしまった。
魔界の歴史において、最も魔界に貢献しているのがアルフォンスだから――という理由なのだが、その貢献の内容は、ゴブリンの特殊な生態を利用した養殖である。
ちなみに、ゴブリンとは緑色の肌をした人型の魔物である。
身体は小さく、それに比例するように力も弱く、ついでに知能も低いために、スキルや魔法を使える個体は少なく、いても有効活用できる個体は更に少ない。
簡単な罠くらいなら仕掛けることもあるが、集団戦における戦術などは未熟で、窮地と覚ると我先にと逃げ出すような弱小種族である。
まれにロードやキングと称される特異個体が発生することもあるが、それは人族でも英雄や勇者が発生するようなもので、多くの種で共通することである。
そして、その寿命の短さから、文明や文化などの継承もままならない。
総合的に見れば、単体の魔物としての脅威度は最低レベルである。
しかし、それゆえにか繁殖力は過剰なレベルで、他種族の雌と交配して種族を増やす生態と、戦闘中でも発情するような異常な性欲から、一部地域を除いて女性の敵として嫌われている。
その一部地域地においては貴重な食糧であり、ゴブリンに後れを取るような弱者は悪魔族のハンターにはほぼいないことから、主食といっても過言ではないレベルで愛されている。
そのような環境で、繁殖力だけを武器に絶滅せずにいられるのはおかしい――という疑問から始まったのが、アルフォンスのゴブリン研究である。
さすがの彼も、瘴気に汚染されて正気を失っていたのかもしれない。
結果として、ゴブリンが特定条件下で単為生殖のようなものを行うことが確認されたのは、瓢箪から駒が出たとでもいうべきか。
例えば、迷宮には魔物を生み出す力があるというのが定説で、実際に迷宮の床や壁、時には虚空から魔物が発生するところが目撃された例もある。
そういった場所であれば、ゴブリンのような弱い魔物でも絶滅しないことも納得できる。
しかし、迷宮外ではそうではない。
アルフォンスも、領地を開拓するために、局地的にではあるが多くの魔物の群れを根絶してきた。
しかし、ゴブリンだけはどれだけ斃しても湧いてくる。
当時も不思議に思いながらも、「そういうもの」なのだと納得していたが、魔界での遭遇率は明らかにおかしい。
聞いた話によると、魔界にも昔はもっと多様な動物がいた――つまり、ゴブリンよりも強い種も絶滅している中で、ゴブリンだけがいつまでも生き残っているのだ。
もしかすると、母なる大地すら犯す女性の敵ともいえるかもしれない――当時のアルフォンスは、そんな莫迦なことを考えるくらい疲れていた。
そうして行き着いたのが、「外敵などに一気に滅ぼされない限り根絶しない――根絶させたつもりでも、いつの間にか湧いてくるゴブリンは、最小限の手間とコストで勝手に増え続ける「野菜」のようなものである」という結論だ。
本当に野菜かどうかはアルフォンスの良心によるところであり、この際どうでもいいのだが、ノウハウも根気も無い悪魔族でも管理できる養殖物であり、手間とコストを掛ければ品質や効率も上がる。
必要な物は、ゴブリンが脱走できないだけの施設と、最低限の水と食料、若しくは肥料だけ。
それだけあれば始められる上に、後者に至っては腐った物でも問題が無い。
最低限の設備では収穫量こそ微妙だが、野生のゴブリンに比べて寄生虫がつく確率も低く、片手間でもできるということでそれなりに広まった。
それなり程度で止まっているとはいえ、脳筋戦闘種族である悪魔族に生産業を広めた功績は大きい。
それこそ、二千年もの間、誰にもなし得なかった、悪魔族を救う可能性を示したわけである。
それが評価されて派生したイベントだが、求められているのは単に食糧事情の改善だけではなく、悪魔族の意識改革にあるといっていい。
しかし、それが悪魔族の誰かに発生したものならともかく、人族のアルフォンスにである。
派生だとか隠しイベントというより、最早バグである。
アルフォンスは悩んだ。
もっとも、ユノに懸想している彼に、イベントを放棄するという選択肢は無い。
いい歳をした大人が、ひと回り近く年齢が離れている少女に何をと思うかもしれないが、ひと回りどころか桁が違う長命種ですら魅了する相手なので問題は無い、若しくは問題しかない。
なお、ユノもアルフォンスに好意を持っているが、恋愛感情とは少し違う。
ユノが好きなのは、頑張っている人の姿――その生き様である。
なので、結果がついてこないとしても、努力を止めるわけにはいかない。
とはいえ、悪魔族の意識改革といっても簡単ではない。
ただゴブリン養殖を拡大しても、「弱い者から奪えばいい」と考えている悪魔族はまだ多くいるし、それでは生産者のリスクが増大するだけである。
むしろ、そんな略奪者にこそ意識改革が必要となる。
しかし、そんな虫のいい話が転がっているはずもなく、ゴブリンの養殖についても悪乗りと偶然の産物であり、論理的に考えていて思いつくものではない。
というより、必要なものは適度な狂気である。
もっとも、必要だからといってそう簡単に狂気に目覚められるわけでもないし、本当に狂ってしまっては、多くの人を悲しませることになる。
「意識改革つっても、まずは利益だ。利益がなきゃ誰も動かん。ゴブリンみたいにインパクトがあって、分かりやすいのがあるといいんだけど……。ゴブリン養殖を効率化するとか、付加価値とかをつけて間口を広げるってのもひとつの手だけど……。それには人手が必要で、それはユノが用意してくれるらしいけど。まあ、その人手も悪魔族だろうし、分かりやすさ優先――餌も必要か」
アルフォンスは頭の中だけで考えても堂々巡りになるだけだと、とりあえず声に出して条件を確認していく。
必要なのは悪魔族に興味を持たせ、なおかつ彼らに「自分たちでもできる」と思わせることができて、更に自発的に発展させられるような可能性があれば望ましい。
口に出してみると、どれほど無理なことに挑戦しようとしているのか、あらためて認識することができた。
それだけだったが。
「やっぱりうちで育ててる作物は持ち込めない? ジャガイモは食糧問題解決に有効なんでしょ?」
それに、悪魔族の妻であるリリスが意見を述べる。
ただし、魔界生まれの魔界育ちである彼女だが、彼女の感覚で「うち」というのは、既にグレイ辺境伯領になっている。
むしろ、湯の川になっていないだけ、常識が残っていることを褒めるべきだが、ここでは役に立たなかった。
「ん-、まあ、ジャガイモは場所を選ばないし、作りやすいし、収穫量も見込めるんだけど、連作ができないのと、病気や虫に弱いからなあ……。それに変色したり芽が出たりすると毒性も――耐性の高い悪魔族なら大丈夫だったりするのか? とにかく、そのあたりをどうクリアするかだな」
「ジャガイモくらいならって思ったけど、そう簡単じゃないのね。ダーリンでもお米作りでずっと失敗してるんだもの。農業って甘くないのね」
「でも、普通の野菜を栽培するってのはいいアイデアかもしれないな。っていうか、悪魔族でもできる輪作を考えてみるのもいいかもしれない。そうやって下地を作ってから、本格的な輪作をさせるか――いや、ミックスしてみるか。普通の輪作だと、根もの、実もの、葉もので回すんだったか? 逆だっけ? まあ、差し当たっては、魔ものをどこに入れるか――やっべ、邪神受け良さそう。これ、成功するわ」
「さすがダーリン! それじゃ、その作物でどれだけ魅力的な加工品ができるかも考えなきゃね!」
異世界においても、輪作は古くから盛んに行われている。
特に、異世界から召喚された勇者の持ちこんだノーフォーク農法は広く普及していて、小麦等の農作物の生産量や品質向上、それを飼料とする畜産業の安定化にも貢献している。
もっとも、その成果と勇者のネームバリューが合わさって爆発的に広まったため、それ以外の農法の発展を阻害、または停滞させたという側面もあるが。
アルフォンスが苦心している稲作もそのひとつである。
しかし、ちょっとした知識で再現できるものならともかく、魔法でお手軽にファンタジー農業ができると勘違いしていた勇者は彼以外にも大勢いて、例外なく「永続する魔法は存在しない」「消費した魔力以上の成果を回収できない」という現実に打ちのめされている。
なお、多くの勇者の考えている水田による稲作は、魔物の存在するこの世界では、まず農業用水を確保する点からして難しい。
基本的に、良質な水場には魔物が多いため、水源近くに農地を作るのはリスクが高い。
地域によっては水中にも魔物が存在するため、単純に用水路を引けばいいというものでもない。
当然、工事中も、工事完了後も、常に防衛や保守を行わなければならない。
これを魔法で解決しようとすると、前述の「永続する魔法は存在しない」「消費した魔力以上の成果を回収できない」という壁に当たる。
逆に、水源から離れると、目に見えて魔物被害が減るため、生活用水においては魔法、若しくは魔法道具を用いることが都市造りの基準となっている。
また、魔物被害の少ない地域でも、河川などの近くでは治水工事も必要になることもあって、水田による稲作を始めるハードルは意外と高い。
それでも稲作が廃れていないのは、召喚勇者の多くが米を欲して農業に手を出そうとするのを、能力の無駄遣い――損失と考えた国家等が、それを防ぐために公共事業的なものとして行っているからである。
結局は米の品質に不満を持たれて手を出されるのだが、一からやられるよりは損失が少なく済む。
それ以外では、勇者相手の商売に一攫千金を夢を見て、生涯を賭ける者が一定数いる。
「輪作――いやリン作の成功は約束されたってことで、次はゴブリンの付加価値を作らなきゃいけないんだけど、改めて魔界にあったらいいなって思う物とか、人間界で感動したものってある? 追加の作物はそれを参考にして決めようかと思うんだけど」
「えっ!? そんな適当でいいの? ダーリンならもっと理詰めで、実験とかしまくると思ってたのに」
「いや、実験っていうか検証はするけど。それより、知り合いの神様が『できると思ったことは大体できる』って言ってたし、やるならできるって信じてやらないとな」
「知り合いって……ユノ様のことよね。ならいいわ。私もなんかできそうな気がしてきた。それで、感動したものっていうなら、やっぱり食べ物よね。どれもこれもレベルが違いすぎて、これって決めるのは難しいけど……。とりあえずスイーツとかどうかしら? 魔界でも甘いものが好きな女の子は多いし、恋人とか娘を喜ばせたい男の人も取り込めるかも」
「なるほど。参考になる……。けど、ゴブリンでスイーツ、甘味か。全然イメージ湧かないな」
「ゴブリンだもんね……。あっ、それじゃお酒とかどうかしら? 魔界のお酒って、飲む前にお酒っぽくなる魔法掛けるだけのなんちゃってお酒が主流で、天然のお酒ってすごく貴重だし、きっと需要出るんじゃないかな?」
「ゴブリンで酒か……。まあ、植物の一種って考えればできなくは――いや、きっとできる! できると信じてやるぞ!」
「えい、えい、おー!」
アルフォンスは直感的に理解していた。
ここで必要になるのは知識や理論といったものではなく、何かを成そうという信念であると。
無論、それに相応しい地力があることが前提だが。
そもそも、常識的に考えれば、アルフォンスが魔界に滞在できる短い期間で結果を出せるようなものではない。
必要なのは、虎を攪拌すればバターになるというような発想の飛躍と、虎もバターも黄色いといった強引な理屈に、バターは乳脂肪で虎は死亡といった言葉遊び。
なお、日本語での言葉遊びは現地語では意味不明なものになるのだが、システムが対応している言語であれば問題無い。
そんなくだらないものでも、信念次第で世界をも騙せる――世界を侵食する新たな魔法となる。
むしろ、それこそが本当の意味での魔法である。
当然、それは言葉でいうほど簡単なことではなく、アルフォンスもそれは理解しているが、理解という枠に囚われている時点で可能性は遠ざかる。
アルフォンスの世界を相手にする挑戦、若しくは冒涜が始まった。




