49 サプライズ2
癒されたのか疲れたのか分からないふたりが大浴場から出たところに待ち受けていたのは、アルフォンス・B・グレイという名の優男だった。
彼は、ユノからふたりにこの世界のことについて教えてあげてほしいとお願いされて、ふたりを待っていたのだ。
しかし、ふたりは事前に姉からその名を聞いていたものの、その姉への信頼が悪い方向に高まっている状態である。
それに、平時であれば、無駄に友好的なイケメンは、胡散臭いとまではいかないまでも警戒心を抱く対象である。
それでも、王国貴族という比較的常識的な肩書や、できる大人の男の気配りに惑わされた。
同時に、横からよく分らない絡み方をしてきた中二病全開の重症患者を、
「はいはい。ほかの皆さん先に行っちゃいましたよ? 風呂でちゃんと身体を洗って最低限身形を整えないと、今日の宴には参加させてもらえませんよ?」
「む、それは困る」
と、華麗にあしらったことで信用するに至った。
なお、絡んできた中二病患者は人に化けた古竜であるらしく、ふたりはさきの姉の言葉が事実であることを知った。
それからいくつかのやり取りを経て――中でも、アルフォンスが風呂上がりに冷えた牛乳を用意しているという日本人的発想から、彼が元日本人であるという事実に気づく。
さらに、異世界に召喚された日本人用の対応マニュアルだとか、お薦め初期装備一式を持ってくるなどの配慮は、兄には無かったものである。
最終的には、「こんな兄がいればよかった」という理想の兄度の高さに、ふたりは彼に気を許すことになった。
アルフォンスが、異世界生活の先輩として、実体験を交えながらの話は、ふたりにはとても有意義な上に面白かった。
この世界では、真由は当然として、レティシアも彼女の住んでいた村以外のことはほとんど知らない世間知らずである。
外の世界の話というのは、ふたりにとってとても刺激的なものだった。
「異世界ものでお約束の《鑑定》は、レベルが低いうちはゴミスキルなんだ。でも、スキルレベル3以上になってくると、食物の毒の有無とか、武具の性能とか情報が詳細になっていくんで、サバイバルや商売するには高い方が良いね。それと、地下迷宮探索するときでも、《鑑定》レベルが高いと、性能の低いゴミを持って帰らなくて済むから長く潜れる。地下迷宮とかの攻略って準備に金も時間もかかるから、コストカットは重要なんだ。といっても、《固有空間》の容量とか、その中の物資の量次第のところもあるんだけどね」
「《固有空間》ってアイテムボックスみたいなスキルですよね? 取得可能っぽいけど、取っちゃっていいのかな?」
「そうそう。少ないスキルポイントで取れるから持ってる人は多いんだけど、レベル1だと三辺合計一メートルくらいの容量しかないんだよね。レベルマックスにしても三辺合計十メートルくらいで、そこまで上げるにはさすがに結構ポイント使うし、訓練で上げるのも難しいスキルなんで、上げきれる人は少ないんだ。それでも、持ってて損はないスキルの筆頭だよ」
「あ、私の《固有空間》、少し大きいみたいです。レベル1なのに、一辺一メートル……にちょっと足りないくらい」
「じゃあ、君には時空魔法の適性があるのかもしれないね。時空魔法の適性が高いと、《固有空間》の容量が増えるんだ。ついでに、《固有空間》内の時間経過を遅くすることもできるから、後で教えてあげるよ。それと、時空魔法の適性が高いってことは、いつか《転移》魔法も使えるようになると思うけど、そのコツもね。知らないと事故に繋がることもあるしね」
さらに、スキルや魔法をほとんど知らないふたりにとって、アルフォンスの実演付きで解説は非常に好評だった。
教え魔というのは得てして嫌われがちだが、素人目にも分かるアルフォンスの見事な魔力の扱いは、それだけで充分な説得力を持っていた。
「ありがとうございます。と、よろしくお願いします」
「あー、レティだけズルい! っていうか、《転移》とか羨ましすぎるー!」
「残念だけど、適性ばかりは仕方ないね。ほかにも魔力量でも微増減するらしいけど、こっちは誤差みたいなものだね。一応、スキルポイントの効率的な貯め方とか、節約術みたいなのも後で教えてあげるよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
何より、真由の感覚では、異世界転移や転生した元日本人であるアルフォンスは、彼女の好きな漫画やアニメで例えると、「前作主人公」とか「師匠ポジ」のような存在である。
そんな人から直接指導が受けられるなど、どうにもテンションが上がる展開だった。
「それで、《鑑定》の話に戻るけど、《鑑定》は他人に掛けるとまず気づかれるんだ。気づかれにくくする方法もあるにはあるけど、絶対じゃない。ごり押しで《鑑定》しても、誤魔化されたり隠されたりすることもある。どちらにしても、《鑑定》を仕掛けるのは、普通に敵対行動と取られる」
「んー。じゃあ、対人だと《鑑定》ってそんなに優先度は高くないってことですか?」
「最初から敵対してる状態なら……。でも、それなら先制攻撃した方がいいのかな?」
「《鑑定》に頼るって意味ではそうだね。でも、《鑑定》と実戦を繰り返していくと、そのうち《鑑定》しなくても、相手の癖とか身のこなしなんかで大体の実力とか戦法が分かるようになるんだよね。《鑑定》はそうなるまでの答え合わせっていうか、そもそも、《鑑定》で分かるステータスって、使い手次第でどうにでも変わるものだからね。そういうのを見分ける目を養うっていうのかな。最終的にはスキルじゃなくて、自分自身を高めるんだ」
「なるほど、勉強になります!」
「ただの情報収集だけならひとりが持ってればいいと思ってましたけど、それだとふたりとも取るべきですね」
アルフォンスとしても、チート主人公あるあるとして、後進育成に意欲満々だった。
もっとも、そういった願望があったのは間違いないが、現実にはいろいろな柵が存在するため、実際には彼の家族や側近に手解きしたくらいのものだ。
彼の実力や影響力を考えると、誰彼構わずとはいかなかったのだ。
それに、異世界人であるか否か、若しくはこちらの世界の常識に囚われているのが問題か、彼の妻や友人たちは、超人的な能力を身につけたが、彼の域には及ばなかった。
ユノが育てたリリーや雪風を見て、「あれは張り合っても仕方ない」と思いつつも、少しばかりの悔しさや羨ましさを感じていたのも事実である。
そんなところに、そのユノの指名で、ふたりの教育について打診があった。
当然、全面的にというわけではないが、見れば分かる逸材に、最高の環境でとなると、教え魔心も躍る。
ユノへの下心を抜きにしてもやり甲斐のある仕事で、ふたりへの親近感も湧いてくる。
「でも、君らのお姉さんみたいに《鑑定》も勘も役に立たないのもいるから、過信はしないでね。調子に乗ってた俺も悪いけど、酷い目に遭ったよ」
さらに、ユノ絡みの苦労で共感できるところも、距離を詰めるのにひと役買っていた。
「ええっ、お姉ちゃんと戦ったんですか? グレイさんって思ったよりヤンチャなんですね」
「家名だとほかにもいるから、名前で呼んでくれていいよ。まあ、上からの命令を断れないのが宮仕えのつらいとこだね」
「うちの姉がすみません……。でも、よく生き残れましたね」
「ユノは正面から挑むと案外命までは取らない――いや、どうなのかな? 例外もあると思うけど、怒らせなきゃ大丈夫かも? いや、やっぱ運なのかな。命を奪うことには執着してないみたいだけど、死んでも『それはそれで』程度にしか思ってないのかな。ああ、でも、蘇生は嫌ってるね。分かるような、分からないような理由で。だから、君たちも死なないように気をつけて。この世界、チートがあっても簡単に死ねるから。この町を見てると想像できないかもしれないけど、外の世界はウルトラハードモードだから」
この世界の危険さを真剣に語っているアルフォンスだが、特に、「ゲームは最高難度でプレイする」ことが信条の真由には上手く伝わらなかったようで、かえって目を輝かせる結果になった。
そんなところに現れたのが、ユノが頼ったもうひとりの信頼できる存在だ。
「お久し振りです、アイリス様。――いつこちらにお戻りに?」
逸早く彼女に気づいたアルフォンスが、立ち上がって恭しく礼をする。
「お久し振りです、グレイ卿。ユノの身内の方がいらっしゃったと伺いましたので、つい先ほど魔界から戻ってきました。挨拶が終わればすぐに戻るつもりですが。それと、降嫁した私にはもう敬称も臣下の礼も必要ありませんよ?」
「アイリス様がどう考えておられようと、王国の方はそう考えていない――陛下や一部の方は違いますが、いまだに湯の川を恐れている方も多くいますので、彼らを変に刺激しないよう、私も雑な態度はとれないんですよ」
アイリスも、アルフォンスの立場や王国の言い分は理解していたため、溜息をひとつ吐いただけでそれ以上は踏み込まない。
理屈の上では、人目の無いところでは問題にならないものだが、お互いに、そうするほど仲が良いわけでも、仲良くしたいとも考えていないのだ。
アイリスは、それよりもと真由とレティシアに向き直り、優雅に一礼する。
「初めまして、アイリスと申します。ユノとは結婚を前提にお付き合いさせていただいておりますので、私のことは義姉として接してくださいね」
真由とレティシアは、アイリスにヤバ気な空気を感じた。
アイリスには、アルフォンスのような教え魔のけは無い。
あるのは、ユノへの愛のみ。
ふたりも、ユノのことは嫌いではないし、姉が多くの人に好かれる理由も分かるが、姉妹という関係でその扱いの大変さを知っているため、ここまでガチなのは「恋愛」というよりも「狂気」に思えてしまう。
「……えっと、よろしくお願いします、アイリスさん。……結婚って、お姉ちゃんもアイリスさんも女ですけど……?」
「はい、よろしくお願いします。――さて、真由さん。愛の前には性別なんて関係ありませんよ。私はユーリと名乗っている男性も、女装してユノと名乗ったユーリも、女性のユノも、全て愛していますので、何の問題もありません」
「……よろしくお願いします。こんなこと言うのはどうかと思いますが、姉さん、女心どころか人の心が分からない人ですけど――はっきり言うと、人間の振りをしてる人外の何かですけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。知っていますよ。何をするか分からないので毎日新鮮な気分でいられますし、おかしな行動も慣れると可愛いものですよ。独占できないのが残念ですけど」
ふたりは確信した。
この人はヤバい人だと。
姉に――兄に誑かされた者は多くいたが、ここまでのものは記憶に無い。
しかも、正気を失っているわけでもなく、素面で言っているとも分かってしまうのだ。
一方で、アルフォンスは、アイリスの語った内容に思いのほか同意できるところが多く、心の中で相槌を打っていた。
しかし、もし彼がアイリスと同じようにユノのことについて語っていたなら、ふたりはアイリスに対する感想と同じ――それにプラスして「キモっ」と思っていただろう。
「それはさておき、冒険や戦いのことに関してのご相談はグレイ卿が適任かと思いますが、元々お兄様だったユノや、男性であるグレイ卿には相談しづらいこともあるかと思います。私なら同年代の同姓として、そういったときにはお役に立てると思いますし、特に用事がなくても仲良くしていただけると嬉しいです」
転生者であるアイリスは、年齢以上に人生経験を積んでいる。
当然、肉体の状態に精神が引っ張られるとしても、その逆もしかりである。
さすがに一度くらいの転生では、精々が早熟だとかその程度のことだが、元より意志が強かった彼女は特にその傾向が強い。
また、権謀術数渦巻く貴族社会や教会の中でも強かに生きてきたことも、それに拍車をかけている。
そういった気配はふたりにもしっかりと伝わっていて、更に《巫女》スキルの効果も加わって、ふたりはアイリスに姉や母を相手にしているような印象を受けていた。
肉親はあまり頼りにならず、お人好しの大人たちに守られて育ってきたふたりには、似たような雰囲気のあるアイリスには逆らいにくかった。
そんな折、巫女装束の亜人がアルフォンスとアイリスに近寄り、何かを耳打ちした。
「じゃあ、そろそろ時間みたいだから魔法掛けるね。話はまた後で」
アルフォンスの前後関係を無視した発言に、ふたりの思考は停止した。
「気休めにしかならないかもしれませんが、ユノに慣れているおふたりならきっと大丈夫です」
アイリスがフォローするも、何が大丈夫なのか分からない。
そして、各種状態異常耐性の上昇や、精神力強化の魔法を掛けられたふたりは、彼らに何かを告げていた巫女たちに引き渡された。
それから別室に案内されたふたりは、巫女たちの手によって綺麗に着飾られると、そのまま一階の大ホールに案内された。
そこは多くの人間と、人間以外と、明らかにかかわりあってはいけない何かが犇めく魔境だった。
なまじユノに慣れている分、上手く現実逃避もできない。
当のユノは、その最奥にいた。
髪が黒く、背中からは大きな翼が生えているが間違いない。
あんなのが何人もいる方が怖い。
雰囲気的にはユノが頂点にいるようだが、それはそれで怖い。
事前に掛けられていた強化魔法がなければ失神してもおかしくない重圧の中、一拍遅れて鳴り響いた盛大な拍手がふたりに向けられていることに気づく余裕も無い。
巫女たちにエスコートされるままにユノの許まで歩きながら、ふたりの想像していた異世界のイメージは音を立てて崩れていく。
人も魔王も神も竜も、何もかもが姉に誑かされていた。
姉が宗教系新興勢力で信仰の対象になっていることをふたりが知るのは、もう少し先の話である。
お読みいただきありがとうございます。
念願かなって妹たちと再会はできましたが、本編はもう少し続きます。
また幕間を3つほど挟んで、次章は魔界編に戻ります。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。




