48 サプライズ1
――第三者視点――
ユノが妹たちと再会していた頃、湯の川ではひと足先にアルフォンスたち別動隊が帰還していた。
効率を考えるなら、別行動していたグループと合流してからそうするべきなのだが、瞬間移動と分体という能力、そして無限に等しい魔素を持つ彼女にとって、「効率」などという基準はあまり意味をなさない。
彼女の気分が全てである。
今回の件においては、湯の川への魔族の受け容れについて、まだ責任者による調整等が行われていない。
本来であれば、湯の川の最高責任者はユノなのだが、彼女は積極的に統治せず、大抵のことは住民の判断に委ねている。
それだけを聞くと無責任ともとられかねないが、それでも成立するだけの恩恵が与えられていることを知っている住民たちに不満は無い。
むしろ、恩恵が強すぎて、際限なく狂信者が生まれる土壌の方が問題かもしれない。
巫女の中には、ユノの分体が魔族領で活動していることや、現地の魔族を連れて帰る予定など、事前に聞いていた者はそれなりにいる。
ただ、いきなり連れて帰られても普通は困る。
その時になって、突然仕事を任される者にも、当然、自身の仕事があるのだ。
湯の川にはノルマなどは存在しないが、それでも予定が狂うのはいいことではない。
いかに湯の川の住人が普通ではなく、ユノに命じられるならどんな無理難題でも喜んで引き受けるとしても、事前に予定が決められている方がスムーズに事が運ぶし、負担も少なくなる。
さらに、誤解などが発生する余地も小さくなるし、発生したとしても修正する時間の余裕もある。
ユノは、湯の川で受け容れる魔族の集団を、近くにいた巫女たちに丸投げすると、シャロンをはじめとした、ごく一部の者に妹たちを保護したことを伝えた。
ユノとしては、ふたりを城内に住ませることや、ふたりに往来の自由を与えるといった業務連絡のつもりだったが、それを聞いた者たちは、例外なく宴の準備だと受け取った。
女神の祝福により、湯水のように湧いてくる資源のおかげで財政が飽和している湯の川では、事あるごとに宴が行われる。
むしろ、「慶事があれば即宴会」というのは、湯の川では常識になっている。
当然、その準備も慣れたものである。
ユノが妹たちを連れて帰還した時には、出迎えは最低限だった。
事前連絡が無かったことが直接の原因だが、湯の川の民にとって、最高の女神であるユノの身内が来たとなると、それは新たな神の来訪と同義であり、本来なら盛大に出迎えなければならないはずの慶事である。
巫女という立場にある者で、それを間違えるような者はいない。
あえてそうしているのである。
その裏では、出迎えに参加していなかった者たちが、宴の準備に追われていた。
宴は、主賓であるふたりに喜んでもらうためのサプライズ企画である。
全ては秘密裏に行動しなければならず、失敗は許されない。
出迎えの場での巫女たちの対応が素っ気ないものだったのもその一環である。
ユノは、巫女たちが過剰に干渉してこないのを、湯の川に不慣れな妹たちへの配慮だと受け取っていた。
いつものように平伏、若しくは最敬礼で出迎えられては、妹たちにドン引きされる可能性もあったのだ。
巨大な居城を目にされた時点でドン引きされているのだが、彼女自身にではなく城がその対象であるというだけでも満足である。
そうそう、こういうのでいいんだよ。いつもこうならいいのに――と、ユノは水面下で推移していることには全く気づかないまま、上機嫌で妹たちを城内へ招いていた。
◇◇◇
真由とレティシアは戸惑っていた。
家に案内すると言われて着いた先には、巨大な城があった。
常識を知らず、加減のできない姉のこと。
異世界でもやらかしているだろうとは思っていたが、冒険者ランクがBだと聞いて、自重を覚えたのだと少しばかり安心していた。
しかし、家が城である。
むしろ、「城」というのも生易しい巨大さで、表現する言葉が思いつかない。
ただ、この時点では城の主ではなく、その一角に住んでいるのだという甘い期待もあった。
それに、見た目よりも中身が重要なのだと。
ひとまず、ふたりは「姉が国家レベルの実力者である」と評価を上方修正すると同時に、自宅に帰る前に王に謁見でもさせられるのだろうかと緊張していた。
しかし、まさかの自宅だった。
姉が城主だった。
連れてきた本人に「自宅兼事務所かな?」と問われても、ふたりに答えることはできない。
事前に庭付きだとは聞いていた。
賃貸住宅でも庭付きの物件はあると聞くし、実際に彼女たちの実家の近くにそういう物件もあった。
もっとも、彼女たちの実家は過疎化の進みつつある田舎にあって、その物件にあるのは庭というよりほぼ畑であったが、名目上は庭である。
本物の田畑が付いていると農地法の制限を受けるので、素人はそういった物件には手を出しにくいとも聞いたことがあったので、家庭菜園とかそのレベルの物なのだと思っていた。
そこには見事に整備された庭園があった。
ただし、「庭」と聞いて想像できるような規模のものではなく、城の正面には広大な平面幾何学式庭園が、目視できないその向こう側には自然風景式庭園や露壇式庭園が、北側には日本庭園すらも存在しているらしい。
それら全て、見渡す限りが、地平線の遥か先までもが庭なのだそうだ。
そして、その庭の更に先に町があるらしい。
ふたりは、それは「庭」というより、「領地」というべきではないかと思った。
さらに、その手入れを行っているのは精霊や妖精といった幻想的な種族である。
作業中であっても楽しそうにしているせいか、景観の邪魔にはなっていない。
それどころか、ともすれば統一感を失って混然としたものになるところをメルヘンで繋ぎ止めて、テーマパークの様相を呈していた。
城の南西側にはプールがあった。
ただし、個人宅にあるような小規模なものではない。
立派なウォータースライダーや、流れるプールに、波の出るプールなどの大型設備が稼働している、商業レベルの物である。
そこでは従業員――人魚が働いていた。
利用者がいなくても、プールで泳いでいる人魚を見るのも一種の水族館のようでもあり、イルカショーならぬ人魚ショーなどもあるため、その存在価値を失うことがないらしい。
また、施設は二十四時間いつでも利用可能で、夜にはライトアップされるという。
一応、酒類も提供されているが、未成年の飲酒は禁止で、監視員は常駐しているものの、飲酒後の入水は非推奨とのこと。
城の裏手となる東側には、これまた巨大な城壁があったが、南北に延びるその壁は、地平線の向こうまで続いていて敷地の果てが見えない。
南側にはプライベートビーチに降りるための施設があると聞いたが、それも地平線の向こうである。
そこまでの移動は、馬か自動車かケンタウロスだという。
特殊なスキルが必要無いのでケンタウロスをお勧めされたが、特殊な覚悟が必要になるので悩むところだった。
西側――庭園の遥か先には、遠近感を狂わせる巨大な樹があった。
世界樹だと教えられたが、理解できなかった。
その麓で、巨大な岩のような物が動いていた。
最近、西の森で獲れた【ベヒモス】という魔物だと教えられたが、やはり理解できなかった。
「庭って何だろう?」
「庭で遭難しそう……」
理解に苦しむふたりが、現実逃避気味に天を仰ぐと、そこにはアニメやゲームで見たような竜が飛んでいた。
それだけでなく、島も浮いていて、そこから水が滝となって流れ落ちていた。
姉から、「竜も悪い子たちではないけれど、価値観や常識が違うから気をつけて」と忠告された。
どこに常識があるのか教えてほしかった。
ふと不穏な気配を感じた姉妹が振り向くと、綺麗な金の髪に、同色の立派な尾を持つ亜人の少女が、木陰から警戒感を露にした視線でふたりを見詰めていた。
ユノがその少女に手招きすると、少女は砲弾もかくやといった勢いで飛び込んできて、姉妹はその余波で蹈鞴を踏んでしまう。
しかし、当のふたりは何事もなかったかのように抱き合っていた。
少女はユノに非常に懐いていたが、本来は人見知りする性格のようで、紹介している間もユノから離れようとしなかった。
リリーという名の少女は、ユノからふたりが妹だと聞かされた後も、彼女に隠れるようにして恥ずかしがっている――ように見えたが、その目はふたりを冷静に値踏みしているようにも思えて、ふたりは居心地の悪さを覚えた。
ことごとく予想を超えてくる異世界に、ふたりは――片方にとっては故郷なのだが、改めて少しばかり恐怖を覚えた。
ふたりは城内に入ると、真っ先に個人情報を登録させられた。
現代日本人であるふたりにとって、「個人情報」という概念は大きな意味を持つが、登録した方が安全――しないと危険だと言われると、選択の余地は無かった。
城の上層は要人の居住区や作戦会議室などがあるため、セキュリティ上の問題で基本的に立入り禁止区画になっている。
当然、登録された者以外が立入ることはできない。
ふたりに付与された権限は、その大半への立入りが許可されるものだった。
なお、そういった場所に権限が無い者が立入るためには、臨時発行されるパスワードが必要になるのだが、3回間違うと最下層の処分場に送られる。
城外で既に疲れ果てていたふたりには、最早ツッコむ気力はなかった。
ふたりの個室は9階に用意される予定で、少しの間待っていてほしいと言われたが、今のふたりは着の身着のままこの世界にやってきたため、それ以外の私物など何もない。
ひとまず――というわけでもないが、最上階のユノの私室にも自由に出入りする権利も与えられたため、しばらくはそこで生活することになった。
しかし、そこへ向かう前に、最大の自慢だという大浴場に案内された。
ふたりにとっても、その提案は悪いものではなかった。
学校から帰ったら即異世界。
肉体的にも精神的にも疲れ果てていたし、汗やら何やら流してさっぱりしたい気分だった。
最近改修されたばかりだという大浴場は、実用性と娯楽性を両立した上で、更に芸術性を突き詰めた物だった。
これだけの物を造るには、どれほどの費用と才能が必要になったのか、ふたりには見当もつかない。
もっとも、事前にユノが期待感を煽りに煽っていたことで心の準備ができていたせいか、本来受けたであろう衝撃は緩和され、どうにか平静を保つことができた。
しかし、「じゃあ、久し振りに一緒に入ろうか」と言って、あっという間に服を脱いでいたユノの姿を見ると、心の準備などどこかに行ってしまう。
以前は兄であったことを差し引いても、ユノの前で裸になるのはハードルが高い。
それは、羞恥心や劣等感といった浅い感情が原因ではなく、神の前で全てを曝け出すことに等しいという、生命の根源に向き合うに等しい行為である。
とはいえ、ユノは人の欲望を刺激して人心を惑わせる系の邪神でもあるため、彼女と向き合った者は罪や罰に怯えるのではなく、欲望に流されることも多いが。
それでも、後者は「姉妹」という立場で彼女に耐性を持っているふたりには効きづらかった。
ユノは、一緒に入浴することを断固拒否する妹たちに、そういう年頃なのかと素直に引き下がった。
若干残念には思うものの、彼女にもやらなければいけないことが多い。
分体を出せばいくらでも対応できるし、最近は分体を出していることが常態化しているが、並列作業の苦手な彼女としては、同時に処理する仕事量は少ない方がいい。
彼女は、ひとまず妹たちのことを信用できる者に任せて、仕事を片付けることにした。
一方の真由とレティシアは、姉と亜人の少女のプレッシャーから解放されて、この世の極楽を堪能していた。
ぬるめのお湯は副交感神経を優位にして気分を落ち着かせ、高濃度の魔素が体力や魔力も回復させる。
後者の圧倒的な効果の前に、前者は気休め程度にもならないが。
肉体に染み渡った魔素は、一時的に身体能力も向上させて、感覚が研ぎ澄まされる。
そうして、更に鋭敏になった感覚で魔素の恩恵を感じられるようになる。
ただ風呂に入るだけで、正のスパイラルが起こるのだ。
こうして、比喩ではなく、世界に優しく包まれていることが実感できるとあっては、極楽そのものというほかない。
しかし、そこは限られた者しか利用できないとはいえ共用施設である。
ふたり以外の利用者が現れてもおかしくない。
入ってきたのは、ひとりの女性だった。
すらりと伸びた長い手足と、一部を除いて均整のとれた身体は、都合よくデフォルメされているとしか言いようがないふたりの姉よりは常識寄りだが、人を超えた美しさを湛えていた。
それは容姿だけでなく、立ち居振る舞いにも表れていた。
ふたりの姉の立ち居振る舞いも見事なのだが、完璧すぎて人間味が無かった。
しかし、再会して――ラスボスになったという姉のそれは、今度は嵌りすぎていて怖い。
それに比べれば、その女性は随分と人間らしさが感じられるが、人間ではあり得ない圧倒的な存在感もある。
この世界での価値基準が定まっていないふたりには、どう対応すればいいのか分からない。
それと同時に、姉と一緒に入っていればよかったと後悔もした。
「あら? 初めて見る顔ね」
一方で、その女性はふたりに気づくと、ふたりの想像とは違って、砕けた様子で話しかけてきた。
「あ、えっと、初めまして……」
「は、初めまして……」
その女性の存在に圧倒されて萎縮していたふたりは、そう返すのがやっとだったが、彼女に気分を害した様子はない。
「なるほど。あんたらがあいつの妹か。巫女でもないのに、私と初対面でこれだけ落ち着いていられるとか、さすがと言うべきかしら」
むしろ、感心した様子で、ふたりを興味深そうに観察する。
「といっても、緊張で頭も口も上手く動かないでしょうし、そのまま聞いておきなさい。私は愛と欲望を司る女神フレイヤ。ここではただの食客だから畏まる必要はないわ。一応、ユノとは仲良くさせてもらってるわ」
ふたりは混乱した。
フレイヤが女神だというのは、その隔絶した存在感が証明しているので、むしろ納得するところである。
しかし、女神が姉の家のお風呂に入りにくる、姉と仲良くしているとはどういうことなのか。
彼女が神であるという部分を除けば何も問題は無いのだが、そこに説得力がありすぎて無視できない。
彼女が神でなければ、一体何が神だというのか。
そんな女神と姉が仲良し。
姉は何者?
ラスボスとは誰の視点で?
仲良しとはどういう意味で?
フレイヤのふたりを品定めするかのような視線から、「仲良し」というのはそういう意味なのかと勘繰って、ふたりは逆上せそうになってしまう。
「あらあら、何か変なこと考えてない? ふふふ、可愛いわねえ。でもまあ、私としてはそれでもいいんだけど、あんたらのお姉さんは怖いからねえ。さすがに無理矢理なんてできないし、あんたらに悪さをする気もないから安心なさい」
そんなふたりの様子に、フレイヤは楽しそうに笑う。
「でも、あの娘に奪われた豊穣の座はいつかは返してもらうわ。私だって、ここに来てから5ミリも増えたんだから。この調子ならすぐよ」
レティシアには、フレイヤの話が何のことなのか分からなかった――分からない振りをしたが、それが本気であることは伝わった。
真由は、フレイヤにすら僅かに及ばないそこに視線を落としていたところに、フレイヤから「あんたも励みなさい」と激励を受けて、何とも言えない気持ちになった。




