45 妹
その場にいた全員が固唾を呑んで、その大穴を見上げ、何が起こるのかと身構えた。
しかし、異変は足下にも現れた。
魔法陣から強烈な光――のような何かが発せられ、間近にいたアントニオの目を眩ませる。
ソフィアは左手のユノにアイアンクローを食らっていたために直視は避けられたが、それでも明順応には若干の時間を要した。
「あれ? ここどこ!? 何がどうなってるの――って、キモっ! 何こいつ!? うわっ、臭っ!?」
「この懐かしい空気は――って、え、もしかして、戻ってきた? あ、こいつ、あの時の魔王!? ていうか、キモっ!」
時間にして一秒ほど。
光が収まり、目が慣れてきたソフィアが見たものは、アントニオから少し離れた所にいるふたりの少女だった。
ひとりは身長160センチメートルほど。
勇者によくみられる黒髪黒目で、前髪長めのショートボブ――いわゆる目隠れボブのせいで表情は窺えないが、どこかで見たことがあるような顔つきをしている。
もうひとりは、同じくらいの背丈で、一部のボリュームに非情な差がある、プラチナブロンドのロングボブ。
ソフィアの位置からはその人物の背面くらいしか見えないが、それは近況としてみせられた写真のものと酷似している。
それ以上に、その懐かしい気配は彼女がずっと望んでいたもので、間違えようがない。
「あれ? もうひとり――いや、何か向こうにも死神みたいなのとか青髭のおっさんがいる! ……もしかして、この状況はピンチだったりするのかな?」
「真由ちゃん、下がって! 真由ちゃんだけは、何があっても絶対に護るから!」
プラチナブロンドの少女が、真由と呼ばれた少女を背に庇うように後退る。
そこで初めてソフィアからその少女の顔がはっきりと見えた。
その瞬間、彼女の頭からは、目の前の敵のこと、彼女の頭を掴んでいる左手のユノや、十年間の甘えん坊猶予期間など、それ以外のことがすべて消失した。
「レ、レティ!」
そんな少女に、ソフィアが堪らず呼びかける。
しかし、「レティ」と呼ばれた少女には、顔面に切断された手を張りつけるような人物に心当たりがない。
強いていうならば、姉妹同然に暮らしてきた親友が観ていたアニメに、そんな悪役がいたことだろうか。
ただ、彼女は、彼女自身の不幸な体験から、身勝手な理由で他者を害する存在が大嫌いだったので、あまりその番組は観ていなかったが。
加えて、悪役――というよりは、花魁か痴女のような服装の女性に自身の愛称を呼ばれたことで、否が応でも警戒感は強まる。
彼女の兄に裸族のけと無駄な色気があったことで、そういうものに過敏に反応してしまうようになっていたのだ。
そんな彼女の様子を見て、ソフィアは精神的なダメージを受けると共に焦る。
「レティ――レティシア、私よ! ソフィアよ! 貴女のお姉ちゃんよ!」
「ソフィ、ア……?」
確かにレティシアと呼ばれた少女には、「ソフィア」という名の姉がいる。
というよりは、「いた」というべきか。
姉とは離れ離れになってから、かなりの時間が経過している。
それを差し引いても、彼女の記憶にある姉は、そこにいる「ソフィア」を名乗る女性とは繋がらない。
年齢や身体的な成長は、彼女自身もそうであるため除外できるが、まずは髪の色が違う。
それも「染める」という手段があるため、大きな理由にはならないが。
名前を知られていることについては、彼女はこの世界には様々なスキルがあることを知っているため、決定打にはならない。
重要な要素になるであろう面影は、理解不能なアクセサリーのせいで判別できない――というより、顔面に手を張りつけている異常性が理解できない。
商売女でもしないような露出度の高い格好も、姉として認めたくないものだ。
それらを踏まえて、レティシアがソフィアを見た感想は、「悪の組織の女幹部」である。
中身は不明で外見が駄目で、更にはふたりの名を聞いたユノの使い魔たちがアップを始めたことで、評価がつらいものになるのも無理はない。
「レティの知り合い……?」
「知らない!」
ソフィアの希望は、強い言葉でバッサリと切り捨てられた。
感動的なものになると思っていた姉妹の再会が、まさかの不審者扱い。
ソフィアの受けた精神的なダメージは大きかった。
こうなったらユノに頼るしかないと、左腕のユノを揺さぶる。
当然、繋がっている彼女の頭も揺れる。
傍目に映るその様子は、完全に精神異常者である。
ユノも困惑していた。
展開はどうあれ、ふたりの妹に再会できたのは嬉しい。
しかし、性転換していることや数々のオプションパーツがついていることなどなど、何ひとつ言い訳が準備できていない状況で、下手をすればソフィアと同様に不審者扱いされるおそれもある。
しかも、ふたりの直近にいるユノは左腕で、ソフィアの顔面をガッチリとキャッチしている。
言い訳など何ひとつ思いつかない。
そして、言い訳探しにいっぱいで、なぜこんなことなっているのかには気が回らない。
それでも、こんなときに頼りになるのが朔である。
『猫羽真由、レティシア。君たちは猫羽ユーリを捜しに来たのかな?』
「! そ、そうです! お兄ちゃんを知ってるんですか!?」
「もしかして、兄さんもここに!? どこにいるんですか!?」
朔の適切な問いかけで、状況が一歩動いた。
機とみたソフィアは、顔面を掴んで離さない左手を指差し、使い魔たちは棺を指差す。
真由とレティシアは混乱した。
兄の所在を尋ねた答えが、切断された左手と棺のような物である。
ついでに、棺の近くには死神らしき存在と、不吉さを感じさせる馬に繋がれた宮型霊柩車がある。
「え、もしかして……、お兄ちゃん、死……」
「嘘よ! 兄さんが死ぬわけない!」
状況は激しく後退した。
『大丈夫。生きてる――いや、あれは生きてるというのかなあ? まあ、無事だから、心配は要らない。ただ、今は事情があって出てこられないだけで、君たちのことはずっと心配していたよ』
朔の言葉で、真由とレティシアの警戒感が少し薄れる。
同時に、疑念は薄れるどころか強まっていたが。
『信じられないのは無理もないけど、こっちにも事情があるんだ。特に、君たちの捜し人は変わり果てた姿に――いや、この表現は誤解を招きそうだね。少々説明の難しい状態になってるだけで、近いうちに再会できるよ。それと、《鑑定》してもらえれば分かると思うけど、こっちの彼女はソフィアで、レティシアの姉で間違いない。彼女もずっと君のことを心配してた』
「すみません。《鑑定》は――スキルはあまり使えません……」
「レティ、何か特定できるようなエピソードみたいなのはないの?」
「うーん。おぼろげな思い出ばかりで……。ここでの事件とか、かなり強烈だったはずなのに、兄さんとの思い出がそれ以上に強烈だったから……」
「まあ、お兄ちゃんはね……。お兄ちゃんのせいで随分苦労したからね……」
「でも、それと同じくらいに、兄さんがいないと行き詰ってたことも多いしね」
「プラスかマイナスかでいったら、圧倒的にプラスなのが性質が悪いのよね」
ふたりの会話は、ユノとソフィアに大きなダメージを与えていた。
迷惑ばかり掛けるお兄ちゃんでごめんね。
影の薄いお姉ちゃんでごめんね。
ふたりは声に出さずに反省させられていた。
『……とにかく、今はちょっと立て込んでるんだ。ボクたちはそこの悪い魔王を退治しなきゃいけない。そこは危ないから、こっちか、向こうの馬車の方に避難してくれないかな? ああ、彼らはボクらの味方だから心配は要らない』
「えと、はい……」
「分かりました」
真由とレティシアは、その言葉に従ってアントニオから距離を取り、ソフィアの許へと移動し始めた。
姿の見えない天の声を信用したわけではない。
しかし、少なくともアントニオは味方ではない。
味方であったとしても、生理的嫌悪感が強く、お断りしたい外見である。
死神2体に首の無い騎士に霊柩車。
そこに所在なさげに佇む青髭は、味方だといわれても怖い。
特に後者である。
死を連想させるものばかりのところに、怪しい風体に自信無さげな様子と、それとは逆に自己主張の強い髭の剃り跡が生命力に満ち溢れていて、それが無性に女子高生には受け入れ難かった。
それよりは、悪の組織の女幹部の方が若干マシだという消去法にすぎない。
「「あ」」
そんなふたりが、ソフィアの足下で蠢いていたゴボウを発見した。
「お兄ちゃん!」
「兄さん!」
正確には、「包装に貼り付けられた創造者表示を」である。
“私が魂を込めて創りました”
“原産地:湯の川”
“生産者:ユノ”
“カロリー:栄養満点だけれど、野菜だからゼロ”
“アレルギー物質:ゴボウだけれどナシ。なんちゃって”
それらの表記に加えて、ゴボウを胸に、とてもにこやかに微笑むユノの写真があった。
「え、髪が黒いけど、これ、お兄ちゃんよね? 農家になってるの? というか、猫耳ついてるんだけど? 猫耳農家とかあざといんだけど?」
「ちょっと待って、真由ちゃん。生産者は『ユノさん』って人みたい――だけど、どう見ても兄さんよね。駄洒落の質とかも終わってるし」
「うん。こんな人間離れした顔はお兄ちゃんしかいない。もしかして、偽名を名乗ってるんじゃない?」
「そ、そうだね。事情があるとか言ってたし。というか、このゴボウ蠢いてるんだけど、この脈絡の無さにも兄さんを感じるね」
「まあ、ひと晩で何年分かの成長しちゃうような人だしね。人なのかどうかも怪しいけど……。というか、汗もかかない、トイレも行かない、髪も伸びない――かと思ったら一気に伸びたり。そんな人間いないよねー」
「身体の成長もそうだけど、それを全く疑問に思わない頭の方がすごいよね。細かいことを気にしない性格っていえば聞こえはいいけど、そのたびにみんなであちこち洗脳に行く羽目に……」
『…………』
朔は全てが裏目に出ているような状況に、改めてユノが計算できない存在だと思い知らされていた。
『ところで、召喚された勇者には強力なユニークスキルが付与されるらしいけど、君たちはどう? そういうのは分かる?』
あまり良くない流れに、朔は唐突に話題を変えた。
「勇者!? え、私、勇者なの? うーん? えーっと、分かりません」
「真由ちゃん、『ステータスオープン』って唱えると、自分のステータスが分かるの」
『パラメータやスキルは上手く使えば強力な武器になるんだけど、大きすぎる力って反動というか、因果が巡ってくることもあるから、教えてもらえれば対策やアドバイスができるかもしれない。今はボクらを信じられなくて教えたくないかもしれないけど、それでも使用には充分注意してほしい』
朔は上手くやることを諦め、最低限をこなす方向にシフトした。
「えーっと……」
「真由ちゃん、多分だけど大丈夫だと思う。悪意を感じるのはあっちの魔王だけだし」
「レティがそう言うなら……。それに、そこにお兄ちゃんを探す手掛かりがあるかもだしね」
真由とレティシアはお互いを見て頷き合う。
「「《ステータスオープン》」」
ふたりの「兄を捜そう」という、気持ちと声が重なった。




