42 魔剣鬼
十二使徒たちの思惑を余所に、アドンが命じられたのはユノの護衛であり、外敵の排除はそれに含まれていない。
彼にとって、ソフィアを含めて、吸血鬼には特に思うところはない。
真祖については、それが主を悩ませているものだと認識しながらも、下手に手を出すのはまずい存在だと見抜いて、様子を見るに止まっている。
むしろ、主の意を汲むなら、真祖には手を出してはいけない。
真祖との決着を望んでいるのはソフィアであり、その意志を優先するのが彼女の使い魔として当然の判断である。
眷属の吸血鬼たちについてはグレーゾーンだが、ソフィアひとりでも、苦戦はしても負けることはないとして、やはり様子見である。
ソフィアにしても、ユノの助けを借りようとは思っていない。
彼女にとっては、眷属も含めて決着をつけるべき相手で、その方が見返りも大きいと期待しているところもある。
もっとも、迷宮での生活が長く、苦戦した経験もほぼないため、具体的なプランなどは無い。
得意の召喚魔法も、迷宮の――種子の力を借りなければ、アンデッド以外の召喚はできないし、吸血鬼を殺せるだけのアンデッドを召喚するのは、既に10体ものデュラハンを召喚している現状では負担が大きすぎる。
それがたとえユノの優しさのミルクによる恩恵だったとしても、真祖と戦う分の魔力は残しておかなくてはならないのだ。
「や、れ」
僅かな膠着を経て、真祖のひと言によって、十二使徒がゆっくりと動き始めた。
その緩慢さから、彼らが気乗りしていないことは察せられるが、動き始めてしまえば意識を切り替えるくらいの分別はあることもその殺気から察せられる。
十二使徒から見れば、相手はヴィクターのような名の通った大魔王ではなく、彼らと同じ吸血鬼である。
たとえそれが大魔王だとしても、ただの吸血鬼から一歩先に進んでいる自分たちであれば、撃退くらいはできるかもしれない――できるだろう――できると信じて、動かないデスを無視して吸血鬼の大魔王に仕掛けた。
「《凍れ》」
対するソフィアは、彼女の愛刀「霊刀真黒」を取り出すと、その能力を解放させた。
周囲の気温が一気に低下し、重機関銃の弾幕ような氷の礫が、十二使徒と真祖に向かって間断なく撃ち出される。
召喚魔法と似非剣術以外にろくな戦闘手段を持たない彼女にとっての、貴重な属性攻撃であるそれは、かつて彼女の迷宮に侵入した者たちを追い返すために加減をして使った時と比べて、威力も密度も倍近い。
それでも、真祖のレジスト能力を突破できるものはほとんどなく、届いたとしても傷付けるまでには至らない。
十二使徒に対しても、彼らの再生能力を上回るほどのダメージを与えることはできず、足止め以上の効果は見られない。
「どうした、効かんぞ?」
「この程度の実力で我らと戦おうとは……。身の程を知らぬとは、哀れなものだな」
「我らをただの吸血鬼だと勘違いしたのが運の尽きよ」
それがソフィアの力の全てではないにしても、底は見えたと勘違いした十二使徒たちは、途端に強気に、そして饒舌になる。
とはいえ、真祖が種子を宿す以前の彼らであれば、少なくないダメージを受けて再生だけで手一杯になっていたであろう攻撃が、今では無駄口を叩く余裕すらあるのだ。
長い年月を刺激に飢えていたこともあって、浮かれてしまうのも無理はない。
局所的な吹雪と激しい弾幕で、ソフィアを見失っていることは無視して。
そして、高い身体能力や各種スキルは所持しているものの、戦闘に関する技術が低く、強敵との経験も少ないソフィアには、「この状況からの一手」というものが存在しない。
敵の数が多いので、何となく広範囲をカバーできる魔剣の力を使ったものの、攪乱と足止めくらいの効果しかなかった。
それはそれで一定の成果で、どちらの魔力も有限である以上、我慢比べをするのもひとつの戦術だが、真っ当な戦闘経験の乏しい彼女は目に見えない成果は信用できない。
だからといって、打てる手があるわけでもない。
距離による威力の減衰を小さくするために距離を詰めることも考えたが、そうすると、標的の全てを捕捉するのに広い視野が必要になる。
それを無視して、全方位に攻撃するのもひとつの手段だが、それで眷属を斃せなければ、有効的ではない攻撃で魔力を浪費しているだけの状況は変わらない。
ソフィアは決して不器用というわけではないが、それは高いレベルやパラメータの恩恵であり、それを運用するセンスが無い。
むしろ、幼少時から高すぎるレベルとパラメータがあったせいで、そういった能力が伸びなかったともいえる。
したがって、レベル差だけで押し通せない実力者が相手では、スマートに戦うことは難しい。
十二使徒についても、レベルの高さや種族特性による強みはあるものの、戦術レベルは人族の冒険者と大差ない。
彼らも元は人間で、特殊な訓練などは行っていないので当然だが。
それでも、12人もいるという事実が、ソフィアにとっては重かった。
そうして、一度に全員に攻撃できる魔剣の力に頼ってみたものの、魔剣の力を解放したままで、それを阻害しない別の攻撃手段が無いために、膠着状態を作ってしまった。
最初からスマートな戦いをしようとは考えず、能力差に任せてひとりずつ強引に斃していけばよかったのだが、ユノに良いところを見せたいという彼女の思惑から出た判断ミスである。
しかし、彼女の相手もまた降って湧いた力に溺れた者たちである。
受けるダメージは回復力で相殺できているが、反撃はおろか吹雪の範囲から抜け出すこともできない。
その場で踏み止まって口撃しているだけなのも、下手なアクションをしようとすれば吹き飛ばされてしまう、彼らなりの精一杯の抵抗である。
そして、例外である真祖は技術を活かせる状態にない。
「ちょっとあんた、手伝おうって気はないわけ!?」
「……我が使命はユノ様をお護りすることのみ」
そんな事情もあって、十二使徒の煽りはソフィアには届いていなかった。
そして、ソフィアもひとりでの攻略はあっさりと諦めた。
彼女には、強者ゆえの傲慢――考え無しの行動も多いが、魔王としての矜持などは無いため、逃げることや他者の手を借りることにも躊躇いは無い。
膠着状態からの打開策を考えていたソフィアが思い出したのが、「私を含めて万能な人なんていないのだから、自分にできないことはできる人に任せるのも重要なことだと思うよ」というユノの言葉である。
そこで、大見得を切った手前もあって丸投げはできないものの、露払いくらい手伝ってもいいのではないかと、彼女なりに控え目に抗議してみたのだ。
アドンには拒否されたが。
とはいえ、アドンにもそこから動けない理由がある。
彼が受けた命令は「ユノを護る」ことである。
その範囲内であれば、眷属の排除くらいは構わなかったが、吸血鬼を殺そうというなら大鎌による近接攻撃でなければ効果が望めない。
しかし、持ち場を離れるわけにはいかない。
「ユノ様、お久しぶりでございます。サムソン、ただいま帰参いたしました。またお側でお仕えできること、心より嬉しく思います」
「連れてきたっすー。って、何ですか、あれー? あれはないでしょうー」
「あ、あれが吸血鬼の真祖、アントニオでして。攻撃力や移動力は低いのですが、再生能力だけは異常で……」
別行動をしていた2体と、見知らぬ怪人が合流したのは、戦闘開始から少しばかり経ってからだ。
「む、貴様は確かヴィクターとやらの配下の……?」
「そ、そのシャープな鎖骨のライン、貴方、ロックちゃん!? ――いえ、ロック様!?」
そこで、運命的な再会を果たしていた者たちがいた。
「我が名はロックではなくアドンである。さておき、久しいな。息災であったか」
「あ、貴方もデスだったのですね……。そりゃそうよね。あの艶と骨密度でスケルトンなんてあり得ない……。あたくしったら、ホントお莫迦なんだからっ」
帝国領に近い廃墟に派遣されていたドミトリーと、ヴィクターの許に潜入しようとして彼に拾われ飼われていたアドンは、帝国の軍事侵攻により離れ離れになっていた。
もっとも、アドンの方からしてみれば、敬愛する主の許に帰れて超ハッピーな出来事であり、この侵攻を決断した帝国を賞賛していたくらいである。
それでも、骨を見る目があったドミトリーには好感を覚えていて、機会があれば今度は語り合ってみたいと思っていたところだった。
「ふむ。貴様ら知り合いだったのか。なるほど、それで二号というわけか」
サムソンのドミトリーに対する評価もアドンと同じであり、それゆえにすぐに事情を察した。
「うむ。我が潜入地にて世話になった。だが、なぜここに?」
「ご主人様に挨拶がしたいそうですー」
「なるほど。殊勝な心掛けだ」
「なかなか見る目がある奴だと思っておったが、勘違いではなかったようだ」
「それはいいんですけどー、あんなのいたらご主人様出てこないんですけどー? おい、青髭。あれの弱点とかないんすかー?」
「ざ、残念ながら、思いつく限りの実験をしてみましたが、何をやってもしぶとく再生するもので……。とはいえ、特に害もないので観察だけしておけばよいという結論になりましたの」
「莫迦を言わないでくださいー。あの醜悪な見た目、それだけで害ですー。むー、塩とか振ったら溶けませんかねー?」
ユノのことになると会話も弾む。
そして、彼らは目の前で行われている戦闘には何の興味も示さなかった。
「おの、れ、ドミ、トリー! 協定、を、破る、のか!」
「確かに貴様らの意向に沿っていたとは言い難い私たちにも非はある! だが、このような不意打ちを受けるほどのことか!?」
「薄汚い骨め! 最初からそのつもりだったのだろう!」
「代わりが見つかったら、こうも容易く切り捨てるとは!」
真祖と十二使徒は、この襲撃を不死の大魔王の手引きによるものだと勘違いした。
吹雪で視界を遮られている彼らは、彼女たちの会話から状況を推測するしかない。
聴力に優れている彼らが、ドミトリーの気持ちの悪い猫撫で声を聞き間違えることはない。
彼が可愛がっていた「ロックちゃん二世」という特異個体スケルトンがデスだったことも、言われてみれば「なるほど」と納得がいくものだった。
むしろ、今まで騙されていたことが恥ずかしすぎて、それがドミトリーやヴィクターへの怒りへと転嫁されていた。
そんな感じで、多少の整合性は無視しているとしても、敵戦力は全てアンデッドで、ドミトリーも合流したとなると、不死の大魔王の勢力であると連想するのも無理もない。
ただ、アントニオよりは選択肢が多い十二使徒たちにあるのは、怒りや使命だけではない。
むしろ、《眷属強化》を通じて真祖から流れ込んでくる生存への強い欲求のせいで、“撤退”の2文字がチラつき始めていた。
真祖が滅ぼされてしまえば、彼らも弱体化は免れない。
しかし、この真祖が殺されることなど万が一にも考えられない。
そうすると、真祖ほど不死ではない彼らは、撤退して再起に備えた方がいいのではないかと。
ひとりで逃げれば裏切りだが、みんなで逃げれば戦術的撤退である。
とはいえ、封印など、殺害以外の方法でのアントニオが無力化される場合も考えられるため、少なくとも敵の目的が明らかになるまでは踏み止まらなくてはいけない。
「あんたら、本当に手伝う気はないわけ!?」
「当然だ。我らが受けた命は、ユノ様の守護である」
「つまり、貴様の件は貴様がどうにかするべきだとお考えなのだ」
「私たちのことは気にせず、自由にやってくれればいいですよー」
一方では、仲間割れのような口論が繰り広げられていた。
「ええと、あの方はお仲間のようですが、よろしいのですか? あたくしでよければお手伝いさせていただいた方がよろしいかしら?」
「……誰よ、あんた?」
その状況に、ドミトリーが助け舟を出そうとするが、人見知りのソフィアにとっては――角ばった大きな顔に濃い化粧、それでも隠し切れない髭の剃り跡をした怪人は「怪しい」とかそういうレベルではない異物である。
「我らが主に拝謁したいというので連れてきた。貴様には関係無いことなので気にするな」
「ちょっと、『貴様、貴様』って召喚者に対して口の利き方がなってないんじゃない? いいのよ? あんたらが手伝わないっていうなら、もっと従順な別のデスとか、使い勝手の良い魔物を召喚して、あの娘にあげても」
「ぐぬう……、何と恐ろしいことを考えるのだ! 貴様、鬼か!」
「この外道が……! 見たか、ドミトリーよ。あのような外道に気を遣う必要は無い」
「味方を脅迫とか、どんな神経してるんですかねー。まあ、あの女なら本気でやりかねませんしー、ちょっとだけ手助けしますかねー。といっても、奥のあれに手を出したら最悪解雇されますので、露払いだけですよー」
「こいつら……! 何でもいいわよ、早くやりなさい!」
「それじゃー、先輩方はご主人様の護衛よろしくお願いしますー。まあ、ご主人様より頂いた神器の試し切りもしてみたかったところですしねー」
「うむ、任された」
「存分に試してくるがいい」
「あ、あの、奴ら、通常の吸血鬼よりも――いえ、ご武運を」
召喚主の苛立ちと仲魔たちの声援を受け、マリアベルが一歩前に出た。
今もって吹雪によって視界を遮られているアントニオや十二使徒には、やはり彼女たちの会話から状況を判断するしかなかったが、彼らにとって新たな敵が参戦してくることは理解できた。
恐らく、それがデスかそれに類するものであることも。
相手がヴィクターの勢力であれば、完全に負けないまでも、勝ち目はほぼ無い。
抗うにせよ、逃げるにせよ、ここが転換点になるとアントニオと十二使徒も腹を括る。
ヴィクターなど及びもつかない、それが手に持つ理不尽には気づかないまま。




