41 十二使徒
そこでソフィアたちを待ち受けていたのは、12人の吸血鬼。
その自信に満ちていながらもどこか気怠げな雰囲気は、《鑑定》するまでもなく、サムソンの報告にあった貴族級吸血鬼――「十二使徒」とよばれる者たちであると理解できた。
それらがひとりも欠けることなく彼女たちの前に立ち塞がっているのは不運ではあったが、最悪というほどではない。
そして、十二使徒の中心にいるのは、吸血鬼の真祖アントニオである。
しかし、それを真祖だと認識できるのは、かつての真祖の姿を知る者だけだ。
というのも、真祖の首から上は辛うじてヒトの形だったが、そこから下は、毒々しい色彩の、四つ又に分かれた巨大なヒルのような異形の姿だった。
それが絶えず崩壊と再生を繰り返し、身体からは大量の粘液が分泌され続けている。
そのため、その足元は腐肉と腐汁に塗れていて、あまりの醜悪さと悪臭に、眷属である十二使徒たちですら距離を取り、顔を背け気味である。
これを見て、元が吸血鬼の真祖だと気づく方が無理な話だろう。
むしろ、ヒルが本体だと判断する方が普通の感性である。
◇◇◇
真祖がこのような状態で生存しているのは、種子の力で砕かれた肉体と精神と魂を、種子の力で無理矢理繋ぎ止め、不足分を適当に補おうとした結果である。
本来、種子の力は人間が扱えるような生易しいものではない。
ソフィアは、妹のレティシアの助けを借りて、一時的に種子の力を宿し、アントニオを壊すことのみに力を使った。
その際、ふたりが双子であったことや、真祖に対する多くの怨嗟の念など、様々な要因が重なって、彼女たちの魂が共鳴を起こした。
それは、根源との繋がりが強化されているとでもいうような状況であった。
そのおかげで、一瞬とはいえ種子を宿したソフィアと、種子を制御しようとしたレティシアが存在の崩壊を免れたのだ。
それでも、レティシアの方は別の世界に飛ばされてしまい、ソフィアの方も、真祖に干渉した瞬間に彼我の存在が混じり、自身も吸血鬼になるという代償を支払うことになった。
他方で、種子の力を使って――そういう意識はなかったにせよ、元どおりに再生しようとした真祖は、彼女たちとは比較できないほどの代償を支払うことになった。
ほぼ意識だけの状態から、「アントニオ」という吸血鬼の真祖を復元するには、「アントニオ」という存在の設計図でもなければ不可能に近い。
本来であれば、根源がその情報を有しているので、アントニオやシステムにその認識が無くても復元が可能になっている。
しかし、根源との繋がりが壊れてしまうと、魂や精神はおろか、肉体の認識すら甘かった彼と、欠片を足掛かりに根源に干渉するような能力がない種子では、彼の復元は不可能になってしまう。
そうなると、システムが足りないところを適当に補うのも当然のことである。
そもそも、種子は、アントニオの「死にたくない」という願いに反応しただけだ。
そして、「肉体の再生」という要件は、「死にたくない」という願いを叶えるだけであれば必要の無いものである。
種子の認識では、肉体の有無と生死は関連性が無い。
手足が無くても、死にはしない。
むしろ、根源的には、肉体が無くても、根源に還っていなければ死んでいない。
そして、吸血鬼であるアントニオは、心臓を潰されようと、首を切り落とされようと、魔力さえあれば復活可能――つまり、死なないのだ。
ゆえに、このような状態であっても、種子としては充分にその想いに応えているといえる。
なお、アントニオだけに限らず、多くの生物が肉体を必要としているのは、肉体という器がなければ自己を保てないからだ。
認識が不足していても存在できる器は、認識無しでは存在が不安定になる精神を護る鎧になっているのだ。
逆に、器が無くても自己を確立できるだけの認識があれば、種子のように実体を持たずに存在することが可能である。
ほかにも、肉体と魂と精神はそれぞれ影響を与え合うものだが、それらを合一することができれば、その分類に意味が無くなる。
そうして、ひとつ上の存在――いわゆる、「超人」などといわれる存在に至るのだ。
それでも、アントニオのように根源との繋がりまで壊されていては、どこまで自己を構築できるかは不明だが、それでも、現在の彼のような異形にはならないだろう。
なお、それを種子レベルで何かと合一を果たして、新たな根源になったのがユノである。
それは例外としても、種子と人間では「生死」の認識が違う。
システムに定義された「不死」も、しょせんは人間の認識によるものである。
それを本当の不死だと思い込んでいた真祖は、その差に気づくこともないまま、種子の提供する不死に蝕まれていたのだ。
しかし、上位者の観点では勘違いでしかなくても、人間的な観点では、真祖の肉体は凶悪な不死性を持っている。
特に、吸血鬼に憧れて、「不死」という妄想に囚われたニコルには、新たな可能性を感じさせるものだった。
もっとも、彼も貴族級吸血鬼になったまではよかったが、どんどん人間から遠ざかっていくアントニオは、いつまで経っても介護が終わる気配が見えない厄介な存在だった。
そして、彼にはその原因を調べる能力が無い。
さらに、真祖の復活に合わせて、同じく復活し始めた上位眷属の世話まで追加されては、吸血鬼になった甲斐が無い。
謀反を起こすにも、時空魔法の深奥に至っていない彼では、彼より上位の貴族級が相手では分が悪い。
そうして、彼はヴィクターに真祖を売った。
ヴィクターにとって、ニコルは取るに足らない存在だった。
それでも、アナスタシアなどの超えられない存在のせいで世界征服に行き詰っていた彼は、未知の情報に活路を求めた。
しかし、大魔王である彼にも殺せないアントニオは確かに驚くべきものだったが、その不死性以外に見るところはない。
むしろ、不死性の代償にほかの全てを失ったようなそれは、どう考えても参考にするものではない。
一応の収穫は、生贄を用いた召喚のみ。
ただし、ヴィクター自身で行って、アントニオの二の舞になっては意味が無い。
そうして、帝国を使って実験をする計画を立て、アントニオやニコルへの興味を失った。
◇◇◇
吸血鬼の眷属は、《眷属強化》スキルを持つ真祖の状態に強く影響を受ける。
そのため、異常な不死性を持ったアントニオの影響で、眷属たちの不死性もかなり強化されている。
ただし、魔法やスキルには、有効射程や距離による効果の減衰が存在していて、パッシブスキルである《眷属強化》もその例外ではない。
真祖に対する忠誠や、《眷属強化》スキルに対する執着が無いニコルは例外だが、それを失えば取り柄の大半を失う十二使徒には、真祖の側を離れるという選択肢は無い。
長い不死生活の中で情動が鈍くなっていたことも影響して、デスと対峙しても逃げ出さない程度には。
「何、者だ? 吸血、鬼が、何用、だ」
両者が戦闘可能な距離になる前に、アントニオが先に口を開いた。
異形と化したアントニオだが、意外にその意識や思考は明瞭だった。
それゆえに、全く隠していないソフィアの殺意にも気づいていて、吸血鬼のように鋭敏な感覚を持っていなければ聞こえない距離から問いかけたのだ。
発声器官が不完全なため、その言葉は短い上に非常に聞き取りづらいものだったが、それでも、その敵意はソフィアにも伝わった。
真祖であるアントニオには、ソフィアが吸血鬼であることと、彼の眷属ではないことはすぐに分かった。
しかし、彼女のような初対面の吸血鬼に襲われる心当たりがない。
――彼女がかつて彼を殺した少女であるなど、考えもしない。
アントニオの望みは「死なないこと」である。
ゆえに、その可能性が僅かにでも存在する「戦闘」は、無駄の極みとでもいうものだ。
彼に戦闘能力が無い――現在はそうだが、過去は一般的な吸血鬼の真祖としての戦闘能力はあった。
それでも、無駄な戦闘は極力避けるのが彼のスタイルだった。
当然、それは平和主義などではない。
むしろ、必要があれば、かつての儀式のような非人道的行為にも躊躇いは無い。
ただ、デスを従えている(ように見える)ソフィアを警戒して、戦闘を避ける手段を模索しただけだ。
しかし、アントニオが何を言おうが、ソフィアに矛を収める気は無い。
「あんたを殺しに来たのよ。今更かとも思ってたけど、こんな状況になってるなんてね。これ以上拗れる前に対処できるなら、正解だったのかもね」
常人であれば、それだけで失命してしまうほどの真祖のシステム外威圧――種子の気配にも怯まず、ソフィアも更なる殺意を返した。
朔の気配を経験したことのあるソフィアにとって、壊れかけの種子の気配など、心臓に悪い程度で活動に支障が出るほどではない。
それに、本当に恐ろしいものは、世界の敵を相手にすることではなく、世界が敵――世界中の人ではなく、世界そのものが敵となることだ。
殺意を交わす両者に対して、十二使徒は一歩引いたところからそれを眺めていた。
彼らは、この状況でも積極的に動こうとしない。
吸血と再生以外は何もできない真祖の剣となろうという意気込みは嘘ではない。
実際に、不死の大魔王ヴィクターがここにやって来た時も、真祖を護るために戦った。
ただ、お互いに弱点となる聖属性の攻撃が使えず、それでもデス並みに高い耐性を持つヴィクターには十二使徒の攻撃は通じず、種族固有スキルの特殊な《吸血》も、体液どころか出汁が採れるかも怪しい彼には通じなかった。
一方で、ヴィクターの多才な元素魔法は、彼のパラメータの高さもあいまって、貴族級吸血鬼にも充分なダメージを与え得る。
結局、十二使徒は一方的に蹴散らされただけだった。
ある意味では、現状はその時の再現なのだ。
デスにはヴィクターほど多彩な属性を操ることはできないだろうが、その手に持つ大鎌は吸血鬼を殺し、復活を阻害する可能性がある。
そして、真祖とは違う吸血鬼の大魔王がどのような手札を持っているかも分からないし、デスが大事そうに抱えている箱にも注意が必要だった。
真祖を護らなければならないが、動けない真祖を護るのが非常に難しいことは、ヴィクターと戦った時に学んでいた。
そして、ヴィクターでも殺せなかった真祖は、ただ護るよりも囮に使った方がいいことも。
もっとも、堂々とそんなことをしては、この状況を切り抜けても真祖の怒りを買うのは必至である。
《眷属強化》はパッシブスキルだが、その配分などに裁量権があるため、ニコルの「時空魔法の深奥」のような拠り所がなければ、できれば嫌われたくない。
やむを得ない状況を作るためにも、敵を引きつけて混戦に持ち込まなければならない。
十二使徒も、できれば死にたくないのだ。
魔力さえあれば復活できると分かっていても、デスはその例外である。
それを更に例外にできる可能性があるのは、種子の欠片を宿したアントニオだけ。
したがって、狙うのは吸血鬼の大魔王である。
デスを従えるような存在がどれだけ強いのかは見当もつかないが、それでも、攻撃が通用する可能性があるのも、殺されても復活できる可能性があるのもそちらだけだ。
そんな内実を悟られないよう、彼らは余裕のある振りを、又は無関心な振りをする。
 




