37 召喚魔法
――ソフィア視点――
どれくらい吸っていたのかしら。
十分? 二十分? それとももっと?
濃厚で、それでいてしつこくなく、優しい甘さと素敵な香りのお酒は、名付けるなら「新世界」といったところかしら。
吸えども吸えども尽きない命の泉に夢中で、時間の感覚なんて全くなくて、それでいてお腹がいっぱいになることも、酔うこともない(※アルコールとは違う形で酔っています)。
心が満たされて胸はいっぱいになってるけど、溢れた分はこの腐った世界にもお裾分け(※かなり酔っています)。
あはは、心なしか瘴気も晴れて、世界が違って見えるわ(※局地的に瘴気が浄化されているのは事実です)。
至福の時間だったわ。
吸血以外の欲望や快楽なんて無くなったはずなのに、この娘の創った料理は美味しいし、一緒に入るお風呂は気持ち良い。
だったら吸血――吸乳はどうなのかっていうと、状態異常レベルよ。
噂に聞く「感度三千倍」って、こういうことなのかなって思うくらいに、頭の先から足の爪先まで、肉体的なものだけじゃない快楽で満たされる感じなの。
性行為ってしたことないから想像でしかないけど、この快楽には敵わない――いえ、この娘としたら、もしかして……?
おっと、危ない。
この娘といると、ここが敵地だとか、自分が吸血鬼だとか魔王だってことを忘れちゃう。
でも、そんな娘とふたりっきりになって、今まで我慢してたものがしきれなくなっちゃうのも仕方がないわよね?
いろいろと恥ずかしいことを言っちゃったけど、後悔はしてない。
そんなことはどうでもよくなるくらい美味しかった――いえ、美味しいとか不味いとかってレベルじゃなくて、私を縛っていた全てのものから解放されたような気分で、ただただ幸せだったの。
いえ、尊いというべきかしら。
幼い子供だった頃、ママに抱かれてる時ってこんな感じだったのかなって思う。
あまりに気持ち良すぎて、危うく昇天しかけたけど、あのまま逝っちゃっても後悔はなかった。
そもそも、私が飲んでいたのは「鬼殺し」だと思うけど、それよりもっと強い「竜殺し」や「神殺し」があって、そういうネーミングってことは、殺そうと思えばいつでも殺せるってことよね。
つまり、私たちは生かされてる――生きてていいっていうことなのよね?
幸せな夢から覚めた途端、反動で自分の浅ましさとか卑しさに気づいて死にたくなったけど、生きててもいいのよね?
「ええと、体調は大丈夫? 調子悪くなったりしていない?」
みんなでこの娘のステータスを調べた時に、「良妻賢母」って出たのは何の冗談かと思ったけど、こうやって欲望塗れの薄汚い私でも心配してくれるのは、良か賢かは分からないけどママ味があるわ。
この娘は、本当は誰よりも深く考えてて、でも私たちに気を遣って――いや、さすがに考えすぎかな。
世間知らずは演技には見えないし、前の世界でも浮いてたみたいだし。
でも、私たちには見えないものを見てたり、知りようもないことを認識してたりもするし、振れ幅が大きすぎて、マジなのかボケなのか分からないのよね。
「大丈夫よ。ちょっとすごすぎて腰は抜けたけど、魂は抜けてないわ。ギリギリね」
この期に及んで照れ隠しで、この娘に合わせた軽口を叩いてみた。
腰が抜けてるのは本当だけど。
「ええと、あんまり無理しちゃ駄目だよ? 用法容量を守らないと何が起きるか分からないし、魂は抜けてはいないけれど、結構不安定になっているよ?」
「……そう。次から気をつけるわ」
早速、マジなのかボケなのか分からない返しが来たわ。
まあ、私が悪いんだけど。
それはともかく、こんな至福の経験をこれっきりにする気はないから、ちゃんと反省してるふうに装ったわ。
もちろん、次の機会のためにも、ここからはちゃんとやるつもり。
ありったけの勇気を振り絞ってユノから離れると、足に力が入らなくてその場にへたり込んじゃった。
腰が抜けていたのを忘れていたわ。
いきなり躓いちゃって恥ずかしいけど、この娘はそういうことを嗤ったりするような娘じゃない。
「本当に大丈夫? つらかったら私がやるけれど」
本当に悪意なく心配してきたりするから、余計につらかったりもするけど。
「大丈夫よ」
私だって、ただ長く生きていただけじゃない。
甘えたくなるときもあるのは、女の子はいくつになってもそういうところがあるんだから仕方ないとして、せめてやるときはやらないと。
私はお姉ちゃんなんだから、レティに恥ずかしい姿は見せられないし。
あの至福の時間を経験した後だとつらいけど、レティが来るまでの十年で甘えん坊から卒業するか、上手い甘え方を探さなくちゃいけない。
いや、やっぱり卒業は無理ね。
卒業するくらいなら死を選ぶわ。
むしろ、卒業しろと強制されたら、いつだったかの吸血鬼みたいに灰になる自信があるわ。
つまり、生涯現役よ。
とりあえず、腰は抜けたままでも召喚魔法の発動には支障はないわ。
召喚魔法は、ほかの魔法とは毛色が違う。
発動したらそれで終わり――ユノに言わせると「ただの現象」に変わる元素魔法とかとは違って、発動後も魔法として存在し続ける。
まあ、使い捨て目的で、最初に込めた魔力が切れたら送還とか消滅するような使い方もできなくはないけど、そういうのって結局役に立たないというか、魔力の無駄遣いにしかならないことが多いわ。
今の私のレベルや魔力量なら、デスでも召喚するだけならできる。
でも、その後の維持とか使役とかを自前の魔力で補おうとしたら、すぐに干上がっちゃう。
吸血鬼にとって魔力切れは死と同じだし、アドンとサムソンを迷宮の力で縛っていたのはほとんど反則みたいなものなのよね。
ここでは同じことはできないわ。
とにかく、召喚魔法って、呼びだした後のことも考えなきゃいけない。
基本的な召喚魔法陣があって、そこに属性とか条件を付け足していく。
高位の魔物を召喚するときは、触媒とか贄を魔法陣とリンクさせて――って、召喚対象が高位になればなるほど魔法陣は複雑に積層化していって――アドンとサムソンを召喚したときは8層だったわね。
魔法陣の組み立てに半日くらいかかって、しかも成功率10%……。
当然、失敗したら全部最初からやり直しで。
いくら時間が余ってたっていっても、心が折れかけたわ。
ユノを触媒にすれば100%成功すると思うけど、何か間違いが起きそうで怖いのと、今回のことは私の力でやらなきゃ意味が無いのよね。
「召喚《不死》――」
アルフォンス・B・グレイに作ってもらった手袋に魔力を込めて、その手で刀印を作って横に一閃すると、その延長線上の空間に10個の魔法陣が出現した。
前もって練習してたから上手くいくのは知ってたけど、ユノに見られながらというのは緊張するわね。
とにかく、私の召喚魔法の大半はこれがベースになる。
ゾンビを召喚するのもデスを召喚するのも、全部ここからの派生。
だから、この工程だけは紋章術との相性が良い。
といっても、ここからは素質とか経験とかが必要になってくるから、誰でもできるってわけじゃない。
召喚魔法で重要なのは、きちんと手順を踏むこと。
魔法そのものの手順もそうだけど、召喚対象の正確な知識とか、無理のない条件付けとか。
例えば、女性しか存在しない雪女を召喚するのに「男性」なんて条件をつけたらまず失敗する。
レベルの高い魔物の召喚は難しいけど魔力次第、そこに知性が加わると成功率がガタ落ちするのよね。
……術式は合ってるのに失敗するときって、対象が食事中とかトイレ中なのかしら。
まあ、それは冗談だけど、対象のレベルが上がれば上がるほど失敗する確率が高くなるってことは、相手側に拒否権だとか召喚をレジストすることもできると考えられるのよね。
というか、きっとそう。
召喚とは少し違うけど、アクマゾンでできる悪魔との契約って、広告とか契約画面がユノに近しい人にしか表示されてないっていうし。
悪魔との契約に興味はあるけど、私はそんなにポイント持ってないのよね。
とにかく、ユノを通じて世界の真の姿に触れたおかげで、召喚魔法が劣化アクマゾンみたいなものだって分かっちゃたし、召喚される魔物とかにも、それぞれの世界とか日々の生活があるのかもしれない。
つまり、術者は魔物とかを使役するつもりで召喚するけど、召喚される魔物も術者を品定めしてるのかもしれないわね。
あ、でも、ゾンビとかはどうなのかしら?
ゾンビに日々の生活とか都合とかわけが分からないし、理論上はゾンビ程度の召喚でも失敗することはあるし。
うーん、まあ、いいか。
今回はそんなに凶悪な魔物を召喚するつもりはないから関係無いし。
召喚した魔物にやらせるのは、真祖に辿り着くまでの露払い。
だから1体の強い魔物じゃなくて、10体のそこそこの魔物を召喚する。
この前見た貴族級のレベルが30くらいだったから、他の貴族もプラスマイナス10くらいの範囲で、真祖は60~70くらいかしら。
今更だけど、前回は種子の力を借りたっていってもよく勝てたわね……。
今の特殊進化した私ならステータスでは負けないと思うけど、戦闘技術とかの差を考えると絶対じゃない。
ひとまず、真祖のことは後にして、ほかの眷属の相手はデュラハンを召喚して、それにさせようと思う。
デュラハンなら物理攻撃にも魔法攻撃にも高い耐性を持ってるし、吸血鬼のエナジードレインとか魅了も効かない。
聖属性や光属性には弱いけど、吸血鬼には使えないし、逆にデュラハンの物理攻撃や死属性攻撃は吸血鬼を殺せる。
つまり、同じくらいのレベルだと、吸血鬼にはデュラハンは斃せない。
吸血鬼に空を飛ばれちゃうとほとんど打つ手がなくなるけど、それでも逃げるくらいしかできないでしょうし。
ということで、レベル50くらいのデュラハンを10体召喚。
稼働時間は1時間で充分かな。
ほかにも細々した手順や条件をつけていたら、魔法陣はそれぞれ3層になった。
10個の魔法陣それぞれにやるのは面倒だったから、魔法陣を複製して展開できるようなのを作ってもらおうかしら。
ちなみに、酔った勢いで召喚したマリアベルは、レベル80の特異個体で、今回の召喚の十倍以上の魔力を持ってかれたわ。
あれこそ直前に飲んでなかったら干乾びてたレベルよ。
今回はおっぱい飲んだ後だからもうちょっといけると思うけど、さすがにそれだけ魔力を消費しちゃうと、真祖と戦うとかできなくなるからしないけど。
さて、試しに条件の最後に「希望欄」って付け加えてみると――って、早速きたわ。「契約完了後でいいので、ユノ様との面会及び口利きを」って、全員がほぼ同じ内容で。
やっぱり双方向の契約だったのね。
さてと……これくらいなら承諾してもいいわよね?
最悪ユノがデュラハンを10体飼うだけだし、天使とか神とか連れて帰ってる時点で今更よね。
ということで、承諾の意を返すと、早く召喚魔法陣から出せと言わんばかりに、世界の向こう側から、呻き声とか叫び声が聞こえてきた。
アンデッド召喚だからって、雰囲気出しすぎじゃない?
それにちょっとビクッとしてたユノが可愛かったけど、そういえばこの娘はグロ耐性なかったんだっけ。
安心して、ただのデュラハンだから。
グロいのは切断面だけ。
「来たれ、デュラハン!」
私がそう告げると同時に、魔法陣から怪しげな光やスモークと共に、10体のデュラハンが出現した。
念のために言っておくけど、登場の演出は向こう持ち。
きっと、ユノへの覚えをよくするために派手にしてるんだと思う。
だけど、掴みを失敗してユノを困らせてる。
フリーズしてるユノも可愛いけど、私以外に止める人もいないし、時間も有限だし、ずっと眺めてるわけにもいかないわね。
さっさと終わらせて、私も私の区切りをつけて、この娘との向き合い方を考えないと。
十年なんてすぐだからね。




