36 暴走
ひと際大きな音を立てて、ライアンを縛っていた鎖が弾け飛んだ。
それはライアンの魔王化が完了した合図でもあった。
タイミング的にはアルフォンスの想定内のことである。
ただし、頭に血が上っているライアンはさすがに無理にしても、ティナの説得に失敗したのは想定外だったが、まだ諦める段階ではない。
元より、魔王に堕ちるほどの怒りや絶望がそんなにあっさり解消されるはずがない。
ティナが非協力的なのが厄介だが、それでも粘り強く続けるしかないと、長期戦になることを覚悟する。
それには、魔王化したライアンの能力を把握することが必須である。
元の能力に差がありすぎるために、負けることはほぼないと思われるが、可能性はゼロではないし、ライアンが自滅する可能性もある。
ライアンの《鑑定》結果は、パラメータは大きく上昇しているが、素の状態のアルフォンス以下。
強化魔法を掛けている現状では、二倍弱の差がある。
以前から所持していたスキルのレベルは大きく上昇していて、《憤怒》についてはなお上昇中。それについては、すぐにカンストすると見た方がいいと判断した。
変質については《鑑定》では確認できない。
肉体的な変質は、《鑑定》するまでもなく分かる。
何しろ、華奢な少年が、筋肉の大魔王の異名をとるバッカスに迫るくらいに膨れ上がって、しかしながら顔のサイズだけは変わらず、ちょっとした突起物のようになっているのだ。
魔王化の際に、若返ったり容姿が変わったりするのは珍しいことではない。
本来はそこに本人の願望が反映されるのだが、ライアンの場合はどうしてそうなったかがいまいち分からない。
確かに、前世の彼がNTRた時には、肉体的にも経済的にも頼りなかった自身に歯がゆい思いもしたが、そういうことであれば「頼り甲斐ってそういうことじゃないだろ」とツッコミたくなる。
どう見ても「頼り害」、若しくは「勘ちGUY」である。
アルフォンスは、理解できないところはスルーして、少なくとも元勇者の魔王レオンのようなチートスキルは無いと判断して次の行動に移る。
「《暗幕》! 《奈落》! おまけに《石壁》! からの――《遅鈍》!」
アルフォンスが、奇妙な踊りを舞いながら、魔法を連続発動させた。
ライアンの大罪系スキルの性能さえ把握できればリスクを大幅に下げられると判断しての、それを探るための布石である。
束縛から抜け出したばかりのライアンの視界を闇が覆い、五メートルを超えるサイズにまで巨大化した身体がすっぽり収まる穴が彼を呑み込み、その上を巨大な石壁が蓋をする。
更に姿が見えなくなった彼に、対象の体感時間を引き伸ばす時空魔法を掛けた。
「なるほど」
この一連の流れで、アルフォンスはライアンの《嫉妬》の性能を、大雑把に推測した。
先ほど仕掛けた魔法は、闇属性魔法の《暗幕》、土属性の《奈落》と《石壁》、時空魔法の《遅鈍》の四つ。
《嫉妬》によって下げられたのは、闇属性と土属性がそれぞれ1レベルのみ。
今回は時空魔法が下げられていないことと、アルフォンスが彼らの前に現れる前に掛けていた強化魔法も下げられていないことから、ライアンに認識できていないものについては下げられないのだと把握した。
また、土魔法が1しか下げられていないのは、アルフォンスの手際が良すぎたためにひとつの魔法と認識されていて、《遅鈍》で時空魔法が下げられていないのも、魔法そのものや比較対象が認識できていないからだと分析した。
「《攻撃力低下》! 《敏捷低下》! 《持久力低下》!」
アルフォンスは、続けてかけた弱化魔法のレベルが下がらなかったことで、認識されることがスキルレベルを下げられる条件であると確信した。
「ちょっと、どこ触ってるんですか! 責任取って血を吸わせてくださ――って、硬っ! 酷い!」
一方で、奇妙な踊りの最中に身体のあちこちに触れられたティナが、抗議の声を上げていた。
アルフォンスが魔法の連続発動に用いる《紋章術》スキルは、あらかじめ身体や衣服に魔法の発動に必要な印を刻んでおき、それらに魔力を流すか、特定動作を詠唱の代わりとして登録し、組み合わせることで多彩な効果を発揮できるというものである。
魔法使いなら一度は夢見る「指をパチンと鳴らして魔法発動」も、このスキルで再現が可能である。
残念ながら、その程度の単純な動作だけではあまり大掛かりな魔法の発動はできないが。
使いこなせれば便利なスキルであるが、魔法の発動速度が《無詠唱》に劣ることや、ひとつふたつの紋章ならそう問題は無いものの、アルフォンスのように数十も仕込んでいると、特殊で繊細な魔力制御が必要になるなど、好んで使われるスキルではない。
しかし、これを習熟すれば、《無詠唱》と同様に、近接戦闘をしながらでも大魔法を発動できるようになったり、《無詠唱》では難しい、魔法の同時発動も可能になる。
一応、《無詠唱》でも《並列思考》を併用すれば魔法の同時発動も可能だが、戦闘中に思考力や集中力を分割するのは非常に危険な行為である。
つまり、《紋章術》は、魔力操作に長けていて単独行動が多い悪魔族のエリートや、そういった相手と単独で戦うことが多い、アルフォンスのような英雄が好んで使うスキルである。
そして、魔法の使用前後の隙を補ってくれる仲間がいる冒険者や兵士、若しくはその僅かな隙を突かれることはないと慢心している者は《無詠唱》を好む。
先ほどアルフォンスが連続発動した魔法の大半が初級に該当するもので、その発動に必要な工数も少ない。
しかし、彼はそれに《魔法防御貫通》《範囲拡大》《威力強化》《持続時間延長》などの効果も付加していて、更には発動のタイミングまで指定していたため、ここまでの工数は百近い。
なお、紋章術は詠唱の代わりに紋章を使うものであるため、発動句を声に出す必要は無い。
アルフォンスもそれは理解しているのだが、完全に無言でやるとパフォーマーにしか見えないことや、強敵を相手にする際に、ミスリードを誘う布石にするためにも、声に出すことを習慣にしている。
一方で、アルフォンスにとってはただの習慣で、そういう意識がなかったとしても、抱き抱えられていたティナにとって、彼に忙しなくあちこち弄られるのはセクハラであった。
少なくとも、アルフォンスが自身の脇に触れるためにティナの胸に触れる、自身の足に触れるためにティナの股間に膝を割り入れる行為などは、セクハラでは済まされないレベルである。
そして、アイアンクローから解放されたティナは、ちょうど良い言い訳を口にしつつアルフォンスの首元に噛みつくも、パラメータ差で言葉どおり歯が立たず、ただただ触られ損であった。
当然、それを観させられていたライアンにも面白い光景ではなかった。
「えっ、嘘ぉ!? 早すぎるだろ!」
《憤怒》のレベルが更に上昇したライアンが、《暗幕》や《遅鈍》はかかったままで巨大な《石壁》を叩き割った。
そして、《暗幕》で視界を塞がれているにもかかわらず、アルフォンスたちのいる方へと這い出してくる。
当然、ライアンには彼らの姿が見えているわけでも、愛や憎悪の力で存在を感じているわけではない。
アルフォンスから漂う、不思議な魅力のする香り――ユノの残り香が、暴走しつつも多感なライアンを惹きつけていたのだ。
ここへきてライアンが完全な暴走状態に陥っていないのは、アルフォンスの《主人公体質》が、この場での因果の中心を彼に定めたことで、ライアンやティナの、狩人の一族や吸血鬼の紡いできた因果に綻びができたことと、そこへスーッと効いてくる因果に囚われない存在が理由である。
ライアンの《憤怒》は先のNTR劇でカンストしていて、パラメータの劇的な上昇と引き換えに理性は消失している――はずなのだが、《嫉妬》のデメリットとして、本人のスキルも下がっている。
そのおかげで、《憤怒》の効果が中途半端なものになっていた。
さらに、《色欲》のデメリット――効果が自身にも及ぶことと、《色欲》の獲得条件のひとつである、「性行為に対して、神聖視のような特別な期待を抱いている」というちょっとアレな感性が、ユノの残り香を前に「《憤怒》してる場合じゃねえ!」と猛っていたのだ。
ちなみに、トシヤも精神的には《色欲》獲得の条件を満たしているが、肉体的には冒涜の極みにあるため、システム的に「資格無し」と判断されている。
ただ性技に長けているとか、快楽堕ちしているだけでは獲得できないスキルなのだ。
ただし、彼の場合は新たな大罪に目覚める可能性がある。
彼に想いを寄せているユーフェミアが彼の救いとなるか、若しくは共に堕ちていくかは、現時点では不明である。
「ヤバいな――」
アルフォンスには、ライアンの《憤怒》がカンストしたことは確認できているが、《嫉妬》のせいで《憤怒》が抑え込まれていることまでは分からない。
また、上がり続けるライアンの《色欲》のレベルと股間の膨らみに嫌な予感が拭えず、同時にその効果に中てられて、知らず知らずに彼とティナも発情しかけていた。
ライアンの脅威は新たなステージに移っていたが、アルフォンスは頭に流れるべき血が股間に集まり始めていて、ここ最近ご無沙汰だったことも影響してか、思考が上手くまとまらない。
<こちらチャーリー。聞こえてるか? 聖水切れたんで例のアレ使ってみたんだが――ちょっと俺らでは効果が判断できねえ。状況だけ伝える。ゾンビにぶっかけたら溶けた。吸血鬼はドロドロだったお肌が艶々になった。飲ませてみたら、死んだ。灰にならずに、人間の姿のままでだ。マジで吸血鬼だったのか疑わしくなったけどよ、ユノ様の残り――おっと、アレならこんくらいの奇跡は不思議でもねえ。んで、試しにケツの穴から突っ込んでみたんだけどよ、何と半々くらいで人間に戻ったんだよ。どう思う?>
地下水路攻略隊からの通信で、混濁し始めていたアルフォンスの意識が少し元に戻った。
ただし、「どう思う?」と訊かれても「どうもこうもねえよ」という感想しか浮かばなかった。
その通信珠を使った通信は、ティナにも当然聞こえていた。
吸血鬼が人間に戻ったとも聞こえる内容には興味を覚えたが、ケツに何かを入れてみるという発想と実行力には恐怖を覚えた。
そのまま何となく視線を上げた先で、アルフォンスと目が合った彼女は、反応に困って視線を下げた――先で、彼の手に握られている一升瓶を見つけて、思わず股間を手で隠した。
人間に戻れるかもしれないという話には期待を抱かずにはいられないが、残りの半分がどうなったのかを考えると恐ろしいものがあり、そもそも吸血鬼にとって串刺しとは、心臓でなくても恐ろしいものである。
ティナはとにかく矛先を逸らそうと、アルフォンスの顔をそっと正面の脅威に向けた。
アルフォンスは鈍くなった頭で考えた。
魔王には効くのだろうかと。
答えは出なかったが、《色欲》に犯されていたアルフォンスは行動に出た。
アルフォンスは、かつてのトシヤの雄姿から、一升瓶程度では現在のライアンのサイズには心許ないように感じた。
そこで、大量のユノの残り湯――魔素をたっぷり含んだ水を、《流体制御》でライフルの弾丸――この場合は座薬というべきだろうか、見る者によっては屹立したナニかにも見える形に整え、《氷結》の魔法で固めた。
この時点で正常な判断力を有しているとはいい難いがが、彼には「これをライアンが大人しく受け入れるとは思わない」と考えるだけの思考力が残っていた。
「《鉄槍》×24! 《転送》! 《縛鎖》! 《電麻》! 《洗浄》! 《消毒》! 《消臭》! 《粘滑》! 《転移》!」
思考力は残っていたが、やはり正常とはいえなかった。
アルフォンスは、つい先ほどまでの持久戦の覚悟や、ライアンを必要以上に傷付けない――後者は治療行為と思い込んでいる節もあるが、座薬で失恋の傷が癒えるはずもない。
ユノに誑かされている時ほどではないが、冷静に錯乱しているとでもいう状態である。
システムによる干渉であるため、自覚ができないところは厄介だが、ひとりだけおかしくなるわけではないのは幸い――かどうかは分からない。
思考がバグっているが、かろうじて目的は忘れていないアルフォンスに対し、ティナは彼の血を吸おうと必死で、ライアンは怒りや悔しさと同時にとても興奮していて、新たな扉を開きかけていた。
アルフォンスは、魔法で精製した鉄柱とでもいうような太さの槍を組み合わせて檻を作ると、ライアンに被せるように《転送》させる。
それと同時に、彼の身体を再び鎖で固定し、暴れないように麻痺させる。
さらに、患部を清潔にして異物挿入に備える。
ライアンは未知の感覚に震えあがるが、その心とは裏腹に身体はしっかりと反応していた。
そして、アルフォンスはそんなことはお構いなしに、《氷結》させたユノの残り湯を、ライアンの※目掛けてお注射した。




