33 調整
「まずはベネットさん。持ち場を離れたのは、まあ、いいとしましょう。でも、なんで火なんか放ったんです? 吸血鬼が憎いのは分かりますけど、里の人まで焼いてるじゃないですか。物資とかも勘定に入れると、この先全滅しちゃう人間の方が被害大きいですよ? ただ破滅に向かっているだけなら、吸血鬼よりも性質が悪いです。生きるためって理由すらないんですから。里の人に害をなすのが鬼だとするなら、貴方たちこそ悪い鬼ですよ」
アルフォンスは、彼らからどう見られているのかには気づかないまま、彼らには己の行いを顧みてもらおうと語り始めた。
「吸血鬼の皆さんも、主張にはもっともな部分もありますけど、立場が逆になったときも同じように言えます? というか、貴方たちも元は人間でしょう? 私の知り合いのベテラン吸血鬼は、人族や亜人や魔物の方とも良好な関係を築けてますし、キャリアの浅い貴方たちなら、もっと人の気持ちだって分かるはずでは? 上位者気取りでイキるとか、後で確実に黒歴史になりますよ? ちなみに、知り合いの吸血鬼は、イキる相手を間違えて酷い目に遭いました」
アルフォンスの上から目線の物言いに、思うところも多いニコルたちだが、脅迫とも取れる警告に、ただ耐えることしかできない。
「どちらにもいえることですけど、失敗や間違いは誰にもあることです。それを正すのはとても大きな労力と勇気が必要ですが、だからといってやらないでいると、どんどん積み重なって、ずっと引き摺り続けることになります。その結果がこの状況なんですけど、いいんですか、このままで? 順当にいけば滅亡しちゃうベネットさんたちには言うまでもないですけど、敵を作ってばかりの吸血鬼の皆さんも、世界的には最強どころか上位にも入らない泡沫勢力ですし」
アルフォンスほど世界を知らないニコルたちは、「泡沫」という彼の言葉に一瞬目の色を変えたが、少なくとも彼がこの場での絶対者であることは間違いないと踏み止まった。
むしろ、問答無用で排除されないだけ有情である。
この特大のイレギュラーに、ニコルは不敵な笑みを浮かべたまま突破口を探っていて、眷属の吸血鬼たちも彼の機転を期待して、彼と同様に平静を装うしかない。
アルフォンスは、そんな彼らの反応に気づいていたが、強者の言葉だから従うのではなく、しっかりと状況を認識してもらうために、更に言葉を続ける。
「貴方たちの真祖さんは、禁忌に触れたためにうちの女神様がお仕置きに向かいましたので、普通に死ねれば幸運です。ということですので、貴方たちの未来も明るいとはいえません。ちなみに、うちの女神様は世界樹を司る女神様でして、ほかの神々と比べてとても強大な力を持っているのですが少々異端な存在でして、聖典では『邪神』と呼ばれていたりもしますけど、頑張ってる人には優しいところもあったりします。まあ、真祖さんみたいに禁忌に触れたりすると怖いですけど」
まずは、彼らの発展性の礎でもある真祖の行く末に触れて、ついでにユノのアピールにも精を出す。
むしろ、ずっと彼女のアピールをしていたいところだがそういうわけにもいかないので、その後の彼らがどうなるかの予測を述べる。
「それはそれとして、ベネットさんたちが全滅したことは、いずれ余所に知られるでしょう。そうなると、貴方たちが危険視されることになるんですが――こんな辺境だと大国が動くことはないと思いますけど、いくつかの町が共同で派兵すれば、それだけで終わる――というところですかね」
その予想はかなり正確なものだったが、広い世界を知らない彼らには納得できないところもある。
数の差など、狩人相手にもあったことで、それが少し増える程度のことで終わるなどとは受け入れ難い。
しかし、状況によっては「少し」程度では済まないし、そこに守るものが無い彼らは、焼き討ちなどの策にでてくる可能性もある。
それ以前に、彼らの目の前にいる絶対者の存在が、感情的な、あるいは論理的であっても否定を許さない。
アルフォンスとユノとの違いは、自信に満ち溢れた表情や、圧倒的ともいえる魔力を見せつけているところだろう。
そこには圧倒的な説得力があった。
「……我らに今更止まることなど許されない。死んでいった仲間たちのためにも、無念を晴らすためにも、許されないのだ!」
アルフォンスと吸血鬼との対話のターンに、煽り耐性がなく、自制もできないベネットが割り込んだ。
もっとも、現状では「敵」とまではいかない絶対者には、控え目な反論しかできなかったが。
「『今更』とか『もう遅い』とか、勇気が出せないことをそんな言葉で濁しちゃ駄目でしょ。確かに、今更なことですし、もう遅いのも事実ですけど、それでも行動に移したタイミングが最速になるんですよ。もっと早く行動していれば、もっと良い結果で、取り戻せるものも多かったかもしれないですけど、今からでも行動に移せば、何もしないよりは良い結果に、失わずに済むものも多くなるんですよ。それと、無念やら何やらは貴方たちの感情ですので、死んだ人のせいにするのは卑怯ですよ――って、うちの女神様なら言うと思います」
しかし、アルフォンスにとっては、相手が変わったからといっても後か先かの話でしかない。
吸血鬼たちにもそうしたように、彼らにも現実を、目を背けているものを強制的に突きつける。
「卑怯……だと……!? 皆のために戦い続けてきた儂を、卑怯だと!? そ――」
「そういうところですよ」
激高しそうになった頭領を、アルフォンスが強めの《威圧》を込めたひと言で黙らせた。
「『皆のため』っていっても、ミゲルさんたちのように望んでない人も多かったでしょう? そんな人たちにも戦いを強制したりしてましたし、結局は自分のためじゃないですか。自分の欲求を満たすのに他人を理由にするとか、卑怯以外の何なんですかね。ここまで来てもまだ自分と向き合えないなら、はっきり言ってあげましょうか。魔物を狩る一族なんて名乗ってイキってますけど、どう見ても雑魚専じゃないですか」
アルフォンスの口撃は容赦がなかった。
彼らを武力で従わせるのは簡単だが、それではユノが魅了で従わせるのと変わりがない――後者は何だかんだで幸せな結末ともいえなくもないが、ユノにとっては本人の意志による改心ではなければ同じである。
それではユノを喜ばせることはできない。
「井の中の蛙だったのは仕方ないにしても、いつまでも現実を受け入れずに、一族の誇りだ何だってよく分からないものに縋って、自分の弱さと向き合わなかった貴方が――いえ、これは貴方たちの一族が紡いできたことが招いたことです。でも、それは貴方の代で終わらせるチャンスでもあるんですよ」
したがって、ただ叱るだけではなく、落としどころに向けての誘導も忘れない。
アルフォンスには、ユノのような人外の影響力も、《巫女》スキルなどに付属している説得力の補正もない。
しかし、彼には英雄と領主という二足の草鞋をしていた中で、無能な味方や部下、何かを勘違いしているとしか思えない一部の民衆や、余所の領主を相手に奮闘してきた経験があった。
そんな面倒くさい相手に対して、彼が辿り着いた境地は、「どうせどんなに考えても莫迦に無茶苦茶にされるんだから、それっぽい大義名分と餌を与えてやればいいんだよ。駄目だったら諦めるくらいの適当さでいいんだ」というもの。
そして、大体の場合において、逃げ道を用意してやればそこに飛び込んでくるし、突き放すと縋りついてくる。
アズマ公爵やユノのようなイレギュラーも存在するが、それはもう考えるだけ無駄なのだ。
「儂が……弱い……。儂が……悪かったのか……」
アルフォンスの言葉がベネットに刺さったのは、アルフォンスが絶対者だからである。
かつて、ミゲルたちに「生きてる人のための行動を」と直訴された時に激高したのは、彼らを下に見ていたからである。
どうあがいても勝ち目の薄い吸血鬼への抵抗を諦めなかったのは、復讐心以外にも、ベネットたちが「魔物を狩る一族」で、吸血鬼が魔物であるという点にあった。
ただ、そこを違えてしまえばアイデンティティが崩壊してしまうという、意地というには情けないものだった。
そんなところに、人間の強者――しかも、口振りからすると、女神の加護を受けている者が断言したのだ。
当然、反発するところもないわけではないが、それ以上に、疲れ果てていたベネットは、重荷を下ろして楽になりたい気持ちの方が勝った。
力を背景にした、半ば脅迫のような説教だったが、心のどこかで認めていたところもあるのだろう。
もっとも、降ろした重荷は「魔物を狩る一族」というものだけで、復讐心までは消えていない。
それも、彼に任せてしまえば、憎き吸血鬼たちにも何らかの沙汰が下るに違いないと、そんな期待もあった。
そういう意味では、復讐という行為すらも彼の手を離れている。
事実、彼にはもう何も残されていなかった。
「違う! 親父が――親父だけが悪いんじゃない! 俺が、もっと強ければ――」
「私たちも、気づいていながら言い出せなかった――」
「間違ってると分かってて、ただ頭領についていくだけだった、俺たちも同罪です……!」
すっかり毒気を抜かれてしまったベネットに感化されたライアンたちが、次々とベネットの擁護と自らの懺悔を始めた。
「復讐できない無念さはお察しします。ですが、残念ながら世の中には思いどおりにならないことなんていくらでもあります。その中でも最悪の結末っていうのは、目的とか本心から目を背けていたとか、勘違いしていたとか、最後の最後に、自分自身がこれまでの自分を否定することだと、うちの女神様はお考えです。たとえ同じ『死』という結末だったとしても、精一杯やって迎えたのか、流されて逃げ続けて迎えたのかでは、未練の残り方が違うでしょうね。うちの女神様は『どちらもひとつの結末にすぎない』と口では仰いますが、きっと残された人たちが気に病んだりしないようにしてくれているんでしょうね。本当はとてもお優しい方なので、できれば少しでも納得のいく人生を送ってほしいとお考えのはずです」
アルフォンスは、ベネットがこんなにもあっさり落ちたのは予想外だったが、弱ったところを見逃さずに更に攻め込んだ。
内容的には、彼自身何を言っているのかよく分からなかったが、とにかく勢いが必要な場面だと踏んで、畳みかけていた。
そして、それは功を奏した。
厳しい言葉の後の、なんだかよく分からないものの神様も肯定しているとか、赦しているようにも聞こえるフォローは、ベネットたちの心中をよく分からない感情で満たし、彼らに滂沱させる。
アルフォンスは、「なんだか分からないけど勝ったな」と思った。
隠れて見ていたユノは、女神としてのユノを語るアルフォンスの言に、「女神として語ったわけではない」とか、「そこまで考えていたわけではないけれど、方向性は間違っていないように思う」とか、「方便でも納得できるのならそれでいいか」と、彼を賞賛しかけていた。
しかし、結果としてベネットたちが見せた、過剰な反応に慌てていた。
時として、人間は極端から極端に走る傾向があるが、この変化は――人間の心の機微が分からないことも合わせて理解不能だった。
ユノが接する機会の多い人アルフォンスやアイリスは、少なくとも、表面上は魔王や神に対しても物怖じしない。
そのため、ユノはそれが普通なのだと思っているのだが、それらは普通に畏怖の対象である。
ユノというそれ以上の存在と対等に付き合っている彼らが、神や魔王に謙っていては、関係性がよく分からないものになる。
それは、神や魔王の側からも認識していることであり、ユノにまで特別扱い――壁を造られては困ってしまう。
したがって、湯の川においては、お互いに最低限の敬意さえ払っていればいいという不文律になっているだけなのだ。
そんなことは知らないユノは、力関係を基にしたベネットの豹変振りに驚きしかなく、口先だけでそれを成した(と思っている)アルフォンスを、賞賛すると同時に恐怖を覚えていた。
「分かっていただけたようで何よりです。で、吸血鬼の皆さんですが――」
アルフォンスは、ベネットたちの暴走はひとまずとめることはできたが、感情の整理には少し時間が必要だろうと考え、その様子を強制的に見させられていた吸血鬼たちに話を振った。
ニコルにしてみれば、「自分はそいつらほどチョロくはない」と言いたいところだったが、同時に、「そいつらよりは現実が見えている」という自負もある。
口には出さないが、「デスを従えるような存在から見れば、自分たちもそいつらも変わらない」と理解している。
そして、こんな状況でも頭が回るのがベネットとニコルの差だった。
「貴方の仰るとおり、私たちは望んで得たものではないにしても、人を超えた力を得て浮かれていたのかもしれません。そして、吸血という行為――そのあまりの快楽に我を忘れ、多くの人に迷惑を掛けてしまいました。そこは謝罪するべきでしょう。ですが、私たちも生きるためには――」
ベネットたちが標的にされている間、ニコルは必死に考えていた。
どうすれば罪を逃れつつ、良い感じの決着に持っていけるかを。
村人の犠牲については、ベネットも同罪――「どっちもどっち論」に持っていき、残虐非道な行いについては心神耗弱、泣き落としからの未来志向へ――「イケる!」とニコルは思った。
「ああ、私に謝罪されても困るんですけど。言い訳とかも私にはどうでもいいので、必要なら後で当事者同士でお願いします。それよりも、これからどうします? まだ続けます? それとも、止めます? 彼らにも言いましたけど、本心を隠すとか、気づかない振りをしていると、ろくな結末になりませんから。あ、これは私の知り合いの話なんですけど、暴力とか権力とかに憑りつかれて、多くの女性を侍らして――多分、誰かに勝ちたかったとか、最初はそれが目的だったと思うんですけど、いつかその目的を見失って、手段に溺れて地雷を踏んで、敵ながら気の毒なくらい悲惨な死に方をしました」
しかし、ニコルが必死に編み出したシナリオは一蹴された。
そして、「どうします?」と、訊いている体ではあるものの、その後の知り合いの話などは、誰がどう聞いても脅迫である。
また、アルフォンスの決定であれば鶴の一声と呑み込むしかないことでも、「当事者同士で」などと言われても遺恨があるのは当然で、まとまるものもまとまらない。
ニコルは「やるなら最後まで責任もってやれ!」と言いたいのを抑えて、必死で考えを巡らせる――が、加害者であり弱者である吸血鬼側から条件を出せるはずもない。
当然、物理的に不可能ということではなく、そういった分をわきまえない行動がアルフォンスの不興を買う可能性を考慮してのことである。
むしろ、これは失言を期待しての罠ではないかとすら思えた。
「……すまんが、いいだろうか」
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはベネットだった。
「どうぞ」
アルフォンスにとっては順番には意味など無いので、ベネットに話の先を促した。
「儂が……儂の罪深さは理解した。そうだ、確かに、儂は重大なことを――皆を騙し続けていたのだ。その儂が罰を受けるのは当然のこと――だが、息子やほかの村の衆は見逃してもらえんだろうか……? 虫のいい話だと分かってはいるが、全ては愚かな儂が悪いのだ……。だから頼む。儂の首だけで――」
「親父!?」
「「頭領!?」」
「「えっ!?」」
完全の想定外の結論と嘆願に、アルフォンスは困惑した。
(罪とか罰の話なんてしてたっけ? え、ミゲルさんたちとは話が通じてたから油断してたけど、この辺境だとこれがスタンダードなの? 蛮族なの?)
アルフォンスはここにきて、前世のように世界情報を知る術がないことと、異世界が自分の価値観だけでは測れないことを思い出した。
場所が変われば人も変わる。
人が変われば、暴力が挨拶だったり、ゴブリンが野菜だったりする世界なのだ。
(まずい! この流れでは俺も責任を取らされてしまう――! 考えろ、考えるんだ!)
ニコルもまた焦っていた。
狩人の長であるベネットが全ての罪を被ったとなると、ニコルもまた責任を取らされる可能性が出てくる。
名目上では彼より上位の貴族級も里に住んでいたのだが、現在はどこにいるのか、この世にいるのかすら分からない。
「こ、これだけの失態を犯しておきながら、ひとりだけ死んで逃げようなんて、虫が好すぎませんか? うちの女神様はそういうの大嫌いなんですけど? 犠牲にしてきた人たち以上の人を助けることで贖罪にするとか、そういう発想になりませんか!?」
アルフォンスは流れを変えるため、キレ気味に説教した。
責任者が責任を取ったり、犯罪者が処刑されるといったことは、この世界でも当然のように存在する。
ただし、人間に対する脅威が多いこの世界では、利用価値がある者の処分は表面的にしか行われないことが多く、被害者もそれに口を出さないのが暗黙の了解となっている。
そういう観点でいえば、戦犯であり特に利用価値もないベネットの処刑をもって落としどころにするという案は、不相応なものとまではいえない。
しかし、アルフォンスの目的である、ライアンの救済に影響を及ぼすようなことは極力排除しなければならず、彼の処刑は少なからず少年の心に影を落とす。
そうして、アルフォンスはベネットたちに与えていた自主性を取り上げ、強引に沙汰を下した。
ベネットにしてみれば、足りない頭で熟慮の上で出した、この世界の常識的には正解だったはずの答えを否定されたことに、ただ驚くしかない。
とはいえ、それはただの恩情などではなく、戦う力もないくせに戦うことしか知らないベネットに、他人の役に立つ人間になれと言っている、極めて厳しく、同時に優しい処分であった。
しかし、ベネットたちは、アルフォンスの強い口調から「貴方たちならそれができる!」とでもいうような彼の強い想いを勝手に感じ、感動で涙が流れるのを止められなかった。
肉体的に精神的にも追い詰められていて、正常性バイアスがガンガン掛かるような状況で、ベネットたちはとても不安定になっていたのだ。




