27 崩落
ユノも、性教育の必要性については認識していた。
特に、リリーにそれが必要になるのは、そう遠くない未来のことだ。
「性教育って、何歳くらいから、どういう感じで教えればいいの?」
そこで、そういうことを訊いている場合ではないと思いつつも、よく考えれば直前の話もそうだったと思い、質問を口にした。
「種族によって違うと思うけど、第二次性徴とか変態とかが始まる前じゃないか? そうだな、学園の方で対応できるように考えとくか――」
『それも大事なんだけど、ユノにも教えてあげてくれない?』
「……どういうこと?」
アルフォンスは、朔の要請を少し違う意味で捉えそうになったが、ギリギリのところで踏み止まった。
「実は、私にはそういう教育を受けた記憶が無い。いや、知識としてはあるのだけれど、第二次性徴っていうのを経験していない――いや、一般的なものじゃなかった? とにかく、よく分からないから、リリーがそうなったときに、どう対応していいのか分からないの」
「一般的なものじゃなかったって、今更? TSしてたとか成長過程すっ飛ばしてたとか、排泄もしたことないとか、ツッコミどころ満載なんだけど。てか、妹さんいたんだろ? そん時はどうしたんだ?」
思いのほか真剣に悩んでいたユノに、アルフォンスも真剣に向き合おうとするも、最近知ったユノの真実を思い出すと、何をどこから教えるべきなのか分からない。
むしろ、彼の方が教えてもらいたいことだらけである。
教えてもらっても理解できない可能性が高いのでスルーしているだけで。
「その時の私は男だった――男だったのかなあ? 何だか自信がなくなってきたけれど、両親の会社の人とか、周りの大人が助けてくれたよ。私は邪魔にならないように気配を消していたと思う」
『で、そろそろリリーもそういう時期だろうし、何もできないのはまずいと思ってたみたい。でも、アイリスに訊いたらセクハラっぽいし、ミーティアは卵生で、ソフィアは吸血鬼だから、答えられるか分からない。シャロンとかほかの人に迂闊に訊くとどうなるか分からない――って困ってたんだよ』
「……なるほど。これが終わったら、うちの嫁さんたちにでも相談してみようか?」
当然、アルフォンスにも一般的な知識はある。
しかし、男性である彼には、実際の女性の苦労や悩みなどは分からない。
察しようと努力して、怒らせたことも少なくない。
それがユノが抱えている悩みと同じものだと察した彼は、極めて無難な選択をした。
「いいの? ありがとう、助かるよ」
それでも、ユノにとっては大助かりである。
アイリスに訊くのが正解かとも考えたが、性別は同じでも、そのつらさなどを知らない彼女では、やはりハラスメントになるのではという疑念は消えない。
それに、リリーとの種族の違いも気になる。
そういう意味では、バリエーション豊かなアルフォンスの妻たちならば心強いし、アルフォンスを通じてというのも変な角が立たなくていい。
「んじゃ、ちゃっちゃと終わらせて帰りますか――つっても、俺たちがすることなんて特にないけどな」
「んー、助けたいんじゃなかった?」
その礼というわけではないが、ユノがアルフォンスの背を押した。
「助けていいのか?」
「できれば、みんなの意志を踏み躙らない程度に――あ、じゃあ、これで、この位置から」
ユノはそう言って大きめの対物ライフルを取り出すと、アルフォンスに差し出した。
アルフォンスが全力で介入すると、ここまでのミゲルたちの努力がよく分からないものになってしまうと思ったユノが、「これくらいなら大丈夫だろう」と妥協できるラインを示した形である。
ただし、システムの補正のおかげで一応歩兵用の携行兵器に分類されているだけで、サイズは当然として、異世界テクノロジーも満載されたそれは最早攻城兵器である。
さすがに射程や威力では城壁に取り付けられる大型の兵器とは比較にならないので、実際の攻城戦で使用されることはほとんどない試作品状態だが。
「また随分とごついの出してきたな……。ライフルってか、もう小型の砲だよね? 車とか船に載せる感じの。少なくとも人撃つ用の得物じゃないよね? いくら吸血鬼でもオーバーキルじゃね?」
当然、アルフォンスからしてみれば、どういう判断で出してきたのか分からない兵器である。
「兵器の分類なんかは知らないのだけれど、対物ライフルっていうのを買ったはず」
アルフォンスはそういうことを聞きたかったわけではないが、ユノが「構わない」というならそれでいいかと、対物ライフルを受け取った。
「ドワーフは加減ってものを知らないな……。というか、これくらいの距離なら、頑張れば魔法でも届くんだけど……。まあ、いいか。見てろ、俺は射撃も一流だぜ!」
そして、少しばかり格好をつけてそう言うと、すぐに伏せ撃ち姿勢をとった。
常人では重くて持てないような重量物でも、アルフォンスくらいのステータスであれば、持ち上げる程度は造作もない。
それでも、呼吸すら障害になる精密射撃となると、安定する姿勢をとるのは当然である。
レベルやパラメータの高さに慢心しないのはアルフォンスの長所だった。
しかし、羽根付き衣装のまま伏せ撃ち姿勢をとり、スコープを覗く彼の姿は変質者以外の何者でもなかった。
アルフォンスが撃ったのは、直線距離にして約八百メートル先、人工城壁直上の岩肌だった。
決して小さくない発射音が渓谷内で木霊するが、着弾の衝撃で発生した結構な規模の落石のせいで、それを気に留める者はいない。
「ゼロインは必要ないみたいだな」
『ある程度はボクが調整してるからね。それより、上手く落石を引き起こしたね。城壁にダメージはないみたいだけど』
「ゼロイン調整が目的だったからな、そこまでは期待してないよ。それより、ここからが本番だぜ」
命中精度の確認をしたアルフォンスは、次は本命に向けて照準を定める。
構造力学などガン無視の、とりあえずそれっぽく見えるように造った城壁。
その上に組み立てられた旧式の砲台。
その発射の衝撃を受け止めるために、後から付け足された柱や梁の数々。
アルフォンスが狙うのは、その柱のうちの1本。
当然、いくら造りが雑だといっても、いくつもある柱の1本を失ったからといって、即座に崩壊するほど脆い物でもない。
アルフォンスもそんなことは理解した上で、「それでも心理的に撃ちにくくなるだろう」、「正面の部隊もただの囮ではないと思ってくれれば」、「それで戦力が分散してくれれば」と期待しての行動である。
個別に吸血鬼を仕留めるより、よほどミゲルたちの支援になる選択であり、結果としてユノの好感度も爆上げするだろう。
アルフォンスが、スコープを覗いた先にある明るい未来に向けて、引金を引く。
システム補正のある異世界でしか運用できないであろう、単純な衝撃力だけなら現代戦車の砲撃にも匹敵する威力の弾丸が、柱を根元から――その奥の城壁ごと粉砕した。
それでも、いくつもある柱のひとつ、壁の一部でしかない。
アルフォンスの予想どおり、ほかの柱や梁で荷重を分散できる構造になっているため、それを失ったからといって即座に崩壊するようなことはない――はずだった。
度重なる砲撃と、先ほどの落石によって、城壁には僅かながらも歪みが生じていた。
そこに、着弾と直上の砲台の砲撃のタイミングが重なった。
結果、城壁が内側に捻じれるように傾き始める。
「すごい。この距離で中てるのも、たった2発で城壁を崩すのも」
徐々に傾き度合を増していく城壁を見て、ユノが手放しで賞賛した。
というより、銃1丁、しかもたった2発の弾丸で城壁を崩せるとは思っていなかった彼女は、この過干渉をアルフォンスのせいにするには、彼を褒めるしかなかった。
「あ、あはは! どうよ!? 俺の射撃は百発百中だぜ! まあ、百発も撃ったら吸血鬼全滅させちゃうから2発にしといたけどな!」
アルフォンスも、想定外の結果に驚きながらも、誇るしかなかった。
結果としてやりすぎていることは彼にも分かっていたし、ユノが責任転嫁しようとしていることも察していたが、ここで責任の所在を追求しても仕方がない。
そういうことにしておいた方が収まりがいいと、受け入れざるを得なかったのだ。
「ちょっとやりすぎな気もするけれど、格好よかったよ」
「あははは! もしかして、惚れ直した?」
ここで調子に乗ってしまうのは、アルフォンスの性格に問題があるからではない――確かに、問題もあるが、問題の本質はそこではない。
女神の中の女神――女神を超えた、人心を惑わせる邪神からの賞賛を拒める者は少ない。
そして、「もっと」「もしかしたら」などと考えてしまうのも無理のないことである。
「いや、恋愛感情的なのは分からないけれど、格好よかったと思ったのは本当だし、アルのことは好きだよ」
アルフォンスの脳内では、前半部分はなかったことにして、「格好よかった」と「好きだよ」がリフレインしていた。
ただ、今度はアルフォンスが調子に乗る前に状況が動く――というより、傾き続けていた城壁が重力に耐えきれずに崩れ落ちた。




