25 退路
里に繋がる地下通路は、幅員三メートル弱、高さ二メートル強、全長一キロメートルほどの規模の人工物である。
その内部には、およそ百メートル間隔で、掘削時に造られた資材置き場などの小部屋がある。
それ以外は基本的にほぼ直線で、戦闘になった際には後方にしか逃げ道はない。
また、天井から浸入してきた雨水や、岩壁や地面から湧きだした水が、通路内に十センチメートル弱ほど溜まって、里に向けて緩やかな流れを作っている。
その入り口――本来の用途では出口になるところは、森林地帯に近い岩場にあり、普段は巧妙に蓋をされていて、よほど注意深く観察しなければ、そこに何かがあるとは気づかない。
それは現在、年月が経過した分の土砂やゴミが堆積しているものの、脱出時に開けた穴がそのままの形で残されていた。
地下通路攻略部隊の数は、作戦参加者のおよそ半数の90名。
その大半は、元は頭領たちに戦力外と判断された落ちこぼれや見習い、若しくは非戦闘員である。
それを、とりあえずレベルを上げて生存能力を向上させて、特定の役割と状況だけに特化させて攻略の可能性を上昇させ、大魔王を前にしても挫けない強い心を養った。
もっとも、後者については未達成だが、もう吸血鬼程度には恐れないという意味では基準をクリアしている。
実際に攻略するのは、六人一組のパーティーが3隊の予定で、それぞれにクロード、ジャン、ポールがつく。
残りは予備と地下通路制圧後に里に侵入する人員である。
地下通路は、歩くだけなら充分な広さがある。
しかし、閉所で戦闘を行う――しかも集団でとなれば、高い技術が要求される。
ただ武器を振るにも技術が必要で、同士討ちにならないようにも気を配らなければならず、敵が負傷を気にしないアンデッドとなると苦戦は必至となるだろう。
ただレベルを上げても、そういった技術までは自然に身についたりしない。
攻略隊のメンバーは、冒険者であればマスタークラスといわれるレベル13以上の熟練者ばかりだが、吸血鬼のような難敵を相手に地の利もない状況では、正攻法ではどうしようもない。
そこで、攻略パーティーは、大盾を持った前衛ふたりが横並びで先行し、通路を塞ぐ形で敵の襲撃などに備えつつ、言葉どおり壁となって前進する。
本来なら、斥候系スキルを持つ者が先行して敵や罠の有無を確認するのだが、この環境で吸血鬼の不意打ちを受けたりすると対処のしようがないので、2列目に位置してそこからの観測を行う。
3列目には、魔法を使える者がふたりで支援、回復、攻撃を兼任する。
もっとも、閉所での攻撃魔法の使用は味方にも損害を出しかねないため、攻撃の主軸は大量に持ち込んだ聖水で行われる。
当然、それは斥候や四列目にいる連絡要員でも可能なことで、彼らもアタッカーを兼任しているといえる。
そして、最後尾にいる三獣士は、パーティーが予定地点に到達した際に後続のパーティーとの交代までの時間を稼ぐ役割であり、パーティーが全滅した際の防波堤である。
思いきり干渉しているが、彼らとしては、ちょっと《威圧》するくらいはセーフなのだ。
地下通路の状況的には、戦術や連携の介在できる余地は少なく、素のパラメータが高い方が有利な場である。
それでも、砲撃で狙い撃ちされる正面突破よりは、攻略できる可能性が僅かに高い。
一応、毒を流すという手もあったのだが、アンデッドには毒の効かない種族が多く、それで被害を受けるのは自分たちと捕虜だけだ。
そして、アンデッドにとっての毒となる日の光は届かず、なぜか鏡などで反射させた光では効果が無い。
日光に次いで毒となる聖水も、封を切ってしまうと聖水としての効果を発揮できる時間は短く、それを補えるだけの大量の聖水を用意することもできない。
しかし、不利は最初から分かっていたことで、それを覆すために訓練を続けてきたのだ。
まず、この狭い通路内では、警戒する必要があるのは前方だけである。
小部屋のクリアリングをしっかり行えば、挟撃や包囲される心配は無い。
そういう前提で人選を行い、大魔王やその腹心たちに胸を借りての地獄の訓練を受けた。
なお、「死なない程度」に手加減されていたとはいえ、「死亡後3秒以内に《蘇生》できればセーフ」という変則3秒ルールが採用されていたため、死んだ方がマシという意味を込めての「地獄」である。
そして、軽量高防御力で、属性や状態異常にも高い耐性を持つ、湯の川製の試作防具(※エピック級)を装備している。
魔王を相手にするには心許ないが、貴族級吸血鬼であれば充分に渡り合えるポテンシャルがある。
さらに、皆と同じ装備をしているという事実が団結力を高め、それが湯の川の制式――神の御旗の下にあるという意識が、彼らをただの熟練の戦士から、恐れを知らぬ狂戦士に押し上げた。
それでも、生き埋めにされるような罠や攻撃など、注意しなければならないことも多い。
「んじゃ、時間もねえし行くぞ。まあ、訓練どおりにやれば大丈夫だ。気楽にいこうぜ」
「「「サー! イエス、サー!」」」
そうして、当の神のあずかり知らぬ所で、神の軍勢が行軍を開始した。
◇◇◇
頭領を中心とした、かつては「本隊」とよばれていた狩人たちは、完全武装で同行したものの、先鋒となる地下通路攻略隊には置いていかれた。
彼らは故郷の奪還という悲願達成のため、どこかで活躍の機会がある――むしろ、何だかんだ言われながらも、必要とされていると思い込んでついてきていた。
いまだにそういう意識であるものの、圧倒的な実力差で制圧された事実も、苦手意識のような感じで刷り込まれている。
そうして、当然のようにそこにいるのだが、何をすればいいのか分からず、訊くこともできない――という状況にあった。
そして現在は、ミゲルたちが作戦の一環らしい何らかの準備をしているのを横目に、彼らにも声を掛けられるのを待っていた。
しかし、それからしばらく待っていたものの、一向に声がかからないまま、ミゲルたちの準備も終了した。
ミゲルたちが準備していたのは、全身を岩肌のように塗装したり、草木を貼りつけたりした、いわゆる迷彩加工だった。
当然、出発前に準備して、時間を節約することもできる工程である。
しかし、現地にある素材を使ってリアリティを上げることは、やはり現地でなければ難しい。
そして、彼らもまた湯の川製式装備を着ているが、その上への塗装は、ほぼボディペイントになる。
高い防御力を持った湯の川の装備も万能ではない。
生存能力を優先しすぎたそれは、美容効果が疎かになっていた。
つまり、アルカリ性の塗料を長時間塗布したままではお肌に悪いため、現地での処理を行うことにしていたのだ。
システムによる補正があっても、中老前後の彼らのお肌は若い頃の張りも艶もなく、回復も遅いのだ。
「アルフォンスさん、これでええかチェックしてもらえますか?」
「うん、いいと思いますよ」
「今更だけど、こんな子供騙しみたいなので大丈夫なのかな?」
「俺たち、《隠密》みたいなスキル持ってないし、《認識阻害》とかの魔法も掛けてもらえないんでしょ?」
「スキルや魔法に頼らないってのがミソなんですよ。強いスキルや魔法を持っている人たちって、それで全てが解決すると思ってるところがありますから、逆にこういう単純な手に引っかかるんですよ。聞いた話ですと、帝国兵が竜の卵を盗む時は、派手にスキルや魔法を使う集団を囮にして、スキルも魔法も使わない部隊がこっそり盗むんだそうです」
「囮にされた方々は――いえ、私たちとは状況が違いますね。私たちの方は、潜入がバレるのは必至ですが、生還できるだけの対策は立ててある――ですよね?」
「もちろんです。無事が保証されているというわけではありませんが、特定の誰かを犠牲にするような作戦ではありません。みんなで生きて帰りましょう」
「よし、それじゃ行きましょうか!」
「じゃあ――」
「ちょっと待ってくれ。儂らはどうすればいい?」
アルフォンスとミゲルたちが、気合を入れ直して出発しようとしていたところに、頭領が勇気を出して声をかけた。
頭領は別に人見知りというわけではない。
とはいえ、控え目にしていても並々ならぬ覇気を放っている大魔王や、その側近に声をかけられるほど豪胆ではない。
そして、ミゲルたちには気まずいとか気恥ずかしくて声をかけられず、どう見ても頭がおかしい格好をしている割には敬意を払われているアルフォンスにも声をかけづらかった。
それでも何もしないでいることにも耐えられずに、意を決して声をかけたのだ。
しかし、頭領の無駄なやる気と行動力は、アルフォンスにしてみれば面倒以外の何ものでもない。
アルフォンスとしては、頭領たちには作戦が終わるまで大人しくしてほしいというのが正直なところである。
無能な指揮官がやる気を発揮した結果が、彼らの現状なのだ。
同情できる部分がないわけでもないが、今回の作戦の肝は集団行動である。
少なくとも、連携の取れない増援は余計な負担となるだけだ。
特に、理性と引き換えに力を発揮するライアンとの相性は最悪だと言わざるを得ない。
そもそも、アルフォンスは彼らをここに連れてくることからして躊躇いがあった。
しかし、それ以上に彼らを非戦闘員と一緒に残していくことに、言葉にできない嫌な予感があったため、やむを得ず連れてきた形である。
アルフォンスは「俺以外に声をかけてくれればよかったのに」と、レオナルドやエスリンの方に目を向けてみたが、普段は絶対に見せない不自然さで目を逸らされた。
彼らにとっても、頭領たちの扱いは、ユノからの評価を下げる可能性の高い爆弾である。
作戦に組み込めば、被害を大きくする可能性が高い。
勝手に動かれても、被害を大きくする可能性が高い。
だからといって見捨てるのは正解とはいい難い。
いっそ、自分たちの手で先に処分しておくのが正解に近いが、後に湯の川の同胞となるであろうミゲルたちの遺恨となるリスクを冒してまでするものでもない。
「……そうですね。あちらの意識を地下通路に向けさせるのが作戦の第一段階。守りをそっちに集中させている間に正面を落とす――と思わせるのが第二段階。実際には正面は陽動ですが、あちらの意識と戦力を分断しておいて、その隙を突いてミゲルさんたちが町に潜入するのが第三段階。そのまま内部で破壊工作を行って、地下通路攻略部隊への支援や、どさくさに紛れて捕虜の救出を行います。脱出は正面突破か地下通路を状況次第で。ここに残っている人たちには、背後からの増援を食い止めつつ、正面が攻略できそうなら攻略を――という流れになっていますので、皆さんには陽動とこの場所の確保をお願いします」
アルフォンスは必死に考えた。
彼らの有効活用――は無理にしても、邪魔にならない指示を。
そして思いついたのが、「増援の足止め及び退路の確保」という名目の、現場待機である。
本来の正面攻略部隊は、陽動がメインとなる作戦である。
当然、正面を落とせそうならそうするが、幻術や光属性魔法、天気が良ければ鏡などを使っての目くらましが主であり、物理的な攻撃力はほぼないので、潜入部隊や地下通路攻略部隊の成果次第のところが大きい。
アルフォンスは、そこに彼らを組み込んだのだ。
少し考えれば、この日の当たる場所に、吸血鬼の増援が現れることなど考えられない。
また、退路の確保に関しても、ここまでの往路は彼の《転移》での移動しているので、必ずしもこの場を確保しておく必要は無い。
提案した彼自身も、「苦しいか」と思うものだった。
「了解した。聞いたな、皆の者。我々はここを死守する!」
しかし、吸血鬼との戦いの毎日で精神を擦り減らしていたところに、格下だと思っていたミゲルたちに完敗した動揺から立ち直っていなかった彼らは、ただ役割を与えられたことに喜んだ。
「……では、私はミゲルさんたちを所定のポイントに送り届けて、そのままサポートに回りますので、詳しい指示はそこのマーリンさんに。では!」
「え、おい、ちょっと!?」
頭領が納得したところで、アルフォンスは逃走した。
突然爆弾を丸投げされたマーリンは堪ったものではなかった。
即座に非難の声を上げるも、アルフォンスはさっさと《転移》した後だった。
アルフォンスがレオナルドやエスリンではなくマーリンを指名したのも、この中では部隊の指揮に適性がある以上に、発言力が弱いからである。
「よし! んじゃ、後は任せたぜ!」
「この作戦の立案、責任者はお前だ。私のことは気にせず存分にやるがいい」
「ええ……」
さらに、厄介事を抱え込みたくない大魔王たちの追認もあり、マーリンの退路が断たれた。




