24 作戦開始
――第三者視点――
狩人の本拠地は、周囲を高い崖に囲まれた、短径八百メートル弱、長径二千メートルほどの、楕円形をした里である。
里は長径方向に一本の流れの速い川で分断されていて、後方の滝と両端の崖が城壁の代わりをなしているため、人工の城壁は正門部分のみ。
源流となる滝周辺を開拓した里という表現が的確だろう。
したがって、外部から里に至るには、深く長い渓谷を抜けてこなければならない。
谷の幅は平均二十メートル強で、その七割ほどを、里から続く、流れの速い川が占めている。
崖の高さは低いところで二百メートル弱、斜度は七十度強。
マスタークラスに至った者でも落ちればまず死ぬし、不死身の吸血鬼でも、この崖を上り下りするのは避けた。
岩盤質な岩肌には緑は少なく、身を隠せる場所は少ない。
里に入るには、この狭く悪い足場を伝って川を遡るのが通常の手段だが、敵対者として侵攻する場合は、いいように狙い打ちされる危険な地形である。
吸血鬼たちは、種族特性や能力差を活かして攻略したが、狩人たちが油断していたことと、吸血鬼の特性に無知であったところが最大の敗因である。
「ざっと見てきましたけど、随分と警戒されてますね。昼間だってのに、前に見た時より警備の数が多いですし、旧式ですけど、兵器もしっかり稼働してるみたいですぜ。この前逃がした吸血鬼が関係してるのは、内通者の女が城壁の警備にいたのを見たんで、そこんところは間違いないと思いますぜ」
偵察から戻ってきたクロードが、状況を報告する。
「旧式の兵器で、あの程度の数。俺なら強引に突破もできるんだがな」
「レオナルドさんは、素早くて照準が定めにくい上に頑丈ですからね。物理的な防衛兵器だけだと止めるのは難しそうですね。もちろん、これが湯の川の戦いならお願いするところですけど、今回は手助け程度で止めておきましょうか」
アルフォンスが、突撃したくて堪らなさそうなレオナルドをやんわりと制止する。
「私も突破するだけなら容易なのだが、少々やりすぎになってしまう。それでは我が君の望む形ではなくなってしまうだろう。ほかに方法がないというならやむを得ないが……」
「一応、その方法というのを教えていただいても?」
当然、妙な対抗心を燃やしたエスリンを放置することもできない。
「む、あまり言い触らすようなことではないのだが……。まあ、アルフォンス殿であれば構わぬか。私が邪眼を失ったことは皆の知るところだろうが――」
「エスリン様! もしかして、失ったのは邪眼だけで、邪眼の力は残っていたと!?」
「それが事実であれば、ローゼンベルグは失われましたが、その心は失われなかったということに!」
「そうではない。力の源たる邪眼を奪われた時に、力も失った。ローゼンベルグの皆には申し訳ないが、私が不甲斐ないせいで、ローゼンベルグはあの時点をもって終わったのだ」
都合の良い想像でぬか喜びしそうになっていたグエンドリンとマーリンに、エスリンが心底申し訳なさそうに謝罪した。
敬愛する上司にそう神妙にされると逆に心苦しいふたりだが、そうなるとエスリンが城壁の防衛を突破する方法に見当がつかずに、心苦しさより興味が勝った。
「実はな、奪われた邪眼の代わりに我が君に頂いた眼なのだがな、実はつい最近まで何も見えていなかったのだ」
「ええっ!? そんな素振りは全然見えませんでしたけど?」
「ユノ様でも失敗することが――。いえ、あのお方が失敗することなど考えられない以上、何かしらの意味があったということですか」
「うむ。当然、私もそう考えて――もしかすると、大事なことを見落としていた、愚かな私への罰なのかとも考えたが、それでも我が君に頂いた物なら甘んじて受け容れるつもりだった。だが、ある日、夢の中に我が君――いや、我が神が現れてな、私にこう尋ねられたのだ。『貴女が落としたのは、この金の邪眼ですか? それともこちらの銀の邪眼? 銀なら五つで金に交換できます。それともまさか、生の邪眼ですか?』とな。当然、私は生の邪眼と答えた。金と銀の邪眼というものに心を惹かれたが、我が神に嘘は吐けん。すると、我が神はこう仰った。『正直者の貴女には大事なことを教えましょう。貴女の邪眼は「死を与える」という、いささかズレた認識のものでした。ですが、奇しくも「死」というものを体験した今の貴女なら、少しは「死」の意味が分かるのではないでしょうか?』と。正直なところ、私には死の実感というものは全く無いのだが、我が神が仰ったことなのだから、必ず意味があるはずだと考えた。恐らく、私の死には意味があった――死んだことで何かを得たはずなのだ。だが、それが何かが分からない。随分悩んだ。自身の不甲斐なさに失望もした。愚昧な私は、もう一度死ぬべきだとすら考えた。無論、我が神から頂いた命を粗末にすることなど許されることではない。私にとっての「死」とは、私の全てを我が神にお返しすることなのだと気づいたところ、不思議な高揚感と共に、言葉にできない何かに触れた気がしたのだ」
エスリンの話は、「何言ってんだコイツ?」となるものだった。
しかし、嬉しそうに語るエスリンに、話の内容はよく分からないまま、なぜかレオナルドが嫉妬する。
そして、アルフォンスは話の内容についていけずに困惑する。
無視できないのはユノ絡みだからである。
理解が必要なことなのか、スルーしていい内容かの区別がつかないのだ。
グエンドリンとマーリンは、普段は寡黙なエスリンが、突然早口で捲し立て始めたことに驚きを隠せなかった。
それ以上に、ほかの者たちと同様に、彼女が何を言っているのかは理解できずに困惑していた。
夢の中で出会ったユノの話などされても、それはユノを知る多くの者が経験していることであり、特に珍しいことではない。
大抵は口には出せないくだらない内容だが、こうも意味ありげに話されると、自分たちの夢にも何かの意味があったのではないかと、妙な期待を抱いてしまう。
「我が神に命をお返しする――それはつまり、我が神とひとつになるということ。それは罰ではなくご褒美なのではないだろうか。逆に、ただ命を捨てることには少なくない恐怖を覚える。つまり、言葉にはし難いが、『死』には種類があるのではないか――そう気づいた時、我が神との間に確かな繫がりができたのを感じた。その証拠に、我が神から頂いた眼に急に光が戻った。さらに、力も戻った――いや、正に開眼したのだ。今の私には、それまでは視えていなかったものを視ることもできる。皆の魂の色というか――いや、それが色なのかどうかも分からないし、表現する言葉も思いつかないのだが、確かに皆の姿以外の何かが視えるようになったのだ。恐らく、これは我が神の視ている世界のほんの一端なのだろう。だが、それでも私には情報量が多すぎて理解しきれない。能動的に遮断することができなければ、一分ともたずに脳が壊れてしまうだろうな。また我が神の偉大さを再確認させられたよ――おっと、話が逸れたが城壁の攻略の話だったな。全く、我が神の話になると、周りが見えなくなってしまう――せっかく素晴らしい眼を頂いたのに、こんなことでは我が神に笑われてしまうな。さて、私の左眼は、かつての邪眼と似た性質を持っている。もっとも、質は比べ物にならないがな。あの程度の城壁など、一瞬で消滅させられるだろう」
エスリンの長話は、ほかの者たちには最後の一部を除いて、胸焼けや嫉妬を覚えさせるものだった。
そのせいもあってか、エスリンの常軌を逸した能力は、驚きではなく舌打ちで聞き流された。
なお、エスリンの「死」についての考察は、基本的に勘違いである。
しかし、彼女の肉体や魂は彼女の生来のもの、若しくは同一のものだが、左眼だけは、彼女の邪眼を模してユノが創った物――ある種の神器である。
性能的には本来の邪眼を大きく上回るが、システムのサポート外のものであるため、そのサポートによって成立していた、彼女の一族が紡いできた力は使えなくなっていた。
光を失っていたのも、視神経も繋がっていない義眼のようなもので光を認識できていたことがシステムのサポートに依存していたからだ。
それが解消されたというのは、システムか、それに類する何かに繋がったということである。
この場合では、エスリンが、彼女の眼を通じてユノと繋がったということである。
しかし、彼女の見た夢のように、ユノの側からエスリンに何かを求めたり働きかけたりはしてはいない。
エスリンの強い想いが、たとえ勘違いであっても奇跡を起こしたのだ。
自力で巫女スキルを獲得してまでユノとの繋がりを求めたシャロンたちのように。
そうして彼女は、彼女に害をなすものを「死」という形で排除する「おかえ死」と、任意の対象を神の御許に送る「死あわせ」というふたつのシステム外スキルを得た。
前者は、彼女の前方三十メートルほどの視界内に、前述の効果を持つ領域を展開するスキルであり、後者は、彼女が目視などで認識したものを彼女の神であるユノ――実際には窓口となる朔の下に送るスキルである。
特筆すべきは、対象について充分に認識していれば、直視していなくても発動する、従前の邪眼より高い階梯にある概念攻撃であることだ。
当然、その分、魔力消費などのコストも高くなっているが、エクストラスキルであった《死与の邪眼》のように、自前の魔力を必要としない――巫女スキルのように、神の力を借りて神の権能を行使することもできるバランスブレイカーである。
巫女スキルとの違いは、神の力を借りなくても行使はできるところにあるが、概念としての階梯は大幅に下がり、分を超えた能力の行使に命の危険も付きまとう。
なお、スキル名はどちらも邪神の大好きな駄洒落であるが、エスリンには現地語でそれぞれ「カウンターデス」「トゥルーデス」という感じで認識しているため、それには気づかない。
また、これらは分類上「使徒」と呼ばれる、「巫女」と同じレアスキルに分類されている。
それもシステム外スキルではあるが、システムも半ばユノの眷属と化しているため、ユノに関することでもある程度の認識は可能になっていた。
そして、システムの役割上、詳細の把握は重要なことであるため、「ひとまず」の形で分類されていたのだ。
その「ひとまず」のせいで、分類上ではエクストラスキルであった《死与の邪眼》からすると降格しているように思われるが、繋がっている先の神がユノなため、効果は通常のレアスキルとは一線を画す――というか、次元が違う。
それ以上に、「使徒」という響きがエスリンの琴線に触れたこともあって、彼女には最大級のご褒美だった。
「あー、そんな力は使わせるわけにはいきませんね。これはミゲルさんたちの戦いですし、借り物の力で滅茶苦茶にしたりしたら、きっとユノに怒られちゃいますねー」
「怒られるだけならいいけどな、降格処分とかもあるかもしれねえな」
「降格ならいいですけどね、左遷されて湯の川から半分追放とか……」
「エスリン様。貴女の覚悟はしっかりと伝わりました。ご武運を」
「湯の川にいる元ローゼンベルグの民のことなど、後のことは私に任せてください」
惚気るエスリンに、アルフォンスたちは感情的に――表向きは論理的に反発する。
「ま、待て! だからやるべきではないと言っているだろう! それより、地下の隠し通路の方の確認はどうなった!?」
アルフォンスたちの冗談とも嫌味ともつかない口撃だが、エスリンにとっては決してあり得ない未来ではない。
どんなことでも己の信念に従ってやったことであれば、後から咎められる可能性は少ない。
しかし、ただ力を誇示したかったというような理由ではその保証はないし、接続の承認も下りないだろうと理解している。
エスリンは、せめてやむを得ない理由があればと、隠し通路――里の正面が封鎖されたりしたときなどに備えて造られていた、地下通路の偵察に行っていたジャンに話を振った。
「一応、入れるようにはなってるみたいですけど、中はきっと罠や待ち伏せだらけでしょうね」
「魔族の人が防衛失敗で逃げる時に使ってる上に、内通者までいたんですから、警戒されるのも当然でしょうね。むしろ塞がれていない方が――ああ、日の光が届かない坑道は、下級吸血鬼の塒にもってこいの場所だったのかもしれませんね。ところで、ほかに抜け道とかあったりしません? 代々の頭領だけに伝わってるとかそういうの」
アルフォンスがジャンの報告を総括し、ついでにといった感じで、同行していた頭領に問いかけた。
「……いや、無い。少なくとも、儂は知らん」
「そうですか。ありがとうございます。まあ、でも、想定の範囲内ですね。じゃあ、上はどうなってました?」
「クリアだ。いくつか観測用の仕掛けがあったが、細工してきてやったぜ」
アルフォンスの振りに、ポールがサムズアップしながら答えた。
ポールが偵察してきたのは、渓谷の上側である。
里周辺には、里と同じような渓谷がいくつもある、小規模なグランドキャニオンとでもいえる地形だった。
渓谷ごとに形状は様々だが、特に里の直上の物は、距離的には弓矢や魔法が届く距離にあり、高度差的に反撃も受けづらいのだが、尾根の幅が狭く、斜面も急勾配で、大軍を敷けるような地形ではない。
また、隠れるような場所もないため、行軍の時点でバレる。
当然、少人数での襲撃や、飛行型の魔物の襲来に備えて、簡易な観測所や対空兵器は設置してあるものの、里の支配者が吸血鬼になった時点で活用されなくなっていた。
吸血鬼たちも、上方からの襲撃を危惧していないわけではないが、夜間であればともかく、日中に日光に弱い吸血鬼が、四阿のような観測所にいることは自殺行為である。
また、貴重な家畜兼捕虜を、容易に逃亡(※あの世含む)が可能な状況に使うわけにはいかない。
結局、次善の策として、魔法による探知に頼っていたたのだが、大魔王の側近に通用するものではなかった。
「それでは、おおむねプランAのとおりでいけそうですね。ですが、ユノ様のご指示のとおり、最後にもう一度確認します。本当にやりますか?」
ポールの報告を受けたアルフォンスが、ミゲルたちに対して再度意思確認を行った。
「――もちろん、やります。みんなもええよね?」
「当然! そのために頑張ってきたんだし」
「ここで退いたら後悔しちゃうだろうしな」
「ここまで来れたのも、ユノ様と皆様のおかげです。ありがとうございました」
「おっと、礼なら終わってからにしてくれ。成功率はそこそこ上げられたと思うが、万全ってわけじゃねえからな」
「うむ。感謝は結果をもって示してほしい。できれば、我が君を悲しませないようにな」
「まあ、こちらには女神様の祝福がありますので、皆さんが必死に頑張れば、きっと想定以上に上手くいきますよ。さて、それではそれぞれの配置につきましょうか。多少予定と違っているところもありますが、そのあたりは現場指揮官に従っていただくようお願いします。指揮官は状況に応じて臨機応変に、ほかの部隊との連絡連携はしっかりと行ってください」
アルフォンスは、ひと通りの注意事項を話すと、そこで一旦話を止めて参加者の様子を見る。
湯の川勢は当然として、ミゲルたちにも緊張感は窺えるが、怖気づいたり、躊躇している様子は無い。
そして、頭領たちの方には視線を向けず、いないものとして扱った。
「では、行動開始してください」
アルフォンスの号令で、まずは地下通路攻略部隊が行動を開始した。




