23 爆発
昨日は狩人本隊との遭遇というアクシデントがあったものの、その後は大きな問題が起きることもなく、作戦決行当日を迎えた。
日が昇ると同時にミゲル師たちと狩人本隊は、アルの《転移》で吸血鬼の占領下にある彼らの故郷へ。
もちろん、直接敵地のど真ん中にというわけではなく、レオと三獣士たちの下見で見つけたセーフゾーンである。
頭領たちを同行させたのは、彼らを拠点に残していくのが不安だったからだ。
予定外の増員に、作戦開始前からアルが疲労困憊になっていたのはさておき、彼らにしてみれば、恐らく、故郷の奪還という希望を抱いているのだろう。
しかし、ミゲル師たちの作戦では、捕虜を救出次第撤退することになっている。
大人しく作戦に従ってくれればいいのだけれど、彼らの我儘を通すために何か仕掛けてくる可能性もある。
それも、誰の得にもならないようなことを。
特に、それが拠点に残してきた非戦闘員に対してだと堪らないので同行させるしかなかったのだけれど、作戦上、実力も劣るし連携も取れない彼らの存在は、邪魔以外の何物でもない。
それに、逃がした吸血鬼と内通者の人が、その後どうしているのかも分からないので、ミゲル師たちは当初の想定以上のハンデを負うことになってしまった。
とはいえ、アルたちがこっそり介入するだろうと考えると、大きな失敗はないような気もする。
もちろん、彼らも立場はわきまえているとは思うけれど、ミゲル師たちの努力や覚悟を茶番にしない程度にしておいてほしい。
◇◇◇
一方、私とソフィアは、吸血鬼の真祖がいる古城へ瞬間移動した。
もちろん、こちらもセーフゾーンだけれど、ソフィアがいなければ敵地ど真ん中でもよかったかもしれない。
そこは霧に包まれた深い森の奥。
ポツンと存在している古城――というか廃城は、時間に取り残されているような趣で、ある意味幻想的だ。
瘴気さえ無ければ……。
魔界ほど酷くはないけれど、景観を台無しにしているという点では同じだ。
規模としては、城下町を含めても、湯の川の私の家――大吟城より遥かに小さくて、ともすれば小規模の砦くらいのもの。
それがお城だと思えるのは、ところどころに見られる意匠のおかげだろう。
それにしても、他の町や村との接点もなく、このお城が単体で存在できているのは、少量の血液さえあれば生きていける吸血鬼の種族柄だろうか。
さておき、私にとってはただの観光地でしかないけれど、ソフィアにとっては思い出の地である。
レティシアを失って、彼女が吸血鬼になった場所。
彼女がどういう想いでそれを眺めているのかは分からないけれど、思いのほか落ち着いているように見えるので、余計な気を遣う必要は無さそうだ。
「さて、ようやくひと区切りつけられるところにきたけれど、何か作戦はある?」
なので、ストレートにこれからの方針を尋ねてみた。
なお、サムソンからの情報はソフィアと共有しているけれど、特に作戦とかは立てていなかったりする。
というか、そのうち決めよう、決まるだろうと思っていたら、当日になっていた。
私たちの戦いは、雰囲気でやるのが基本になっているようだ。
それでも、大枠として、ソフィアが吸血鬼の魔王に当たるけれど、ソフィアの手に負えないと判断した場合は、私が介入する程度のことは決まっている。
つまり、魔界での主導権がアイリスにあるように、ここでの主導権はソフィアにある。
「どうするも何も、あんたが奴の眷属とか内通者を逃がしちゃうから、正面から堂々と行くしかなくなったわ」
「なぜ? サムソンの報告では『大きな変化なし』だったよ?」
「デスの能力は諜報向きじゃないでしょ。情報の全てを入手できているとは思えないし、欺瞞情報を掴まされてる可能性も否定できないわ。最初は潜入するつもりだったけど、私の能力も潜入向きじゃないからね。待ち受けられてたりして、罠にかけられると、とてもまずいのよ。だから、もう正面から行くしかないんだけど、この前の奴みたいに《転移》が得意な奴がいると面倒なのよね」
「私を頼らないの? 露払いとか、真祖の所に瞬間移動くらいはしてあげるよ?」
「今日のためにいろいろ準備もしてきたし、できれば私の力でどうにかしたいんだけど……。いえ、本当は、あんたに頼りすぎるのが怖いのよ」
「いや、さすがの私でもその程度のことで大事にしたりしないよ?」
「そういう意味じゃなくて……。みんなみたいにあんたに甘えたら、私はきっと駄目になるから。あんたに溺れて、レティのこともどうでもよくなって――そうなるのが怖いの!」
「いや、そうはならないでしょ」
ソフィアは何を言っているのだろう?
吸血鬼の攻略とか、作戦の話をしていたはずなのに……。
「あんたに私の何が分かるの!? 私は弱いの! レティに会いたい一心でここまで生きてきたけど、レティの代わりになる何かが現れたら、そっちに流されるの! そうやってあんたに流されて、あんたに失望されるのが怖いのよ!」
しかも、何だか分からないけれど、突然キレだしたし。
キレやすい若者――いや、お年寄りか。
「なぜそれで私が失望するのか分からないけれど……」
「だって、レティのことを諦めるのよ? そんなの許されるわけないじゃない!」
うん?
何の話をしているのかさっぱり分からない。
というか、何になぜキレているのかも分からない。
平静を装っていただけで、今日という日に対してはいろいろと思うところがあった――それが何らかの原因で噴出したのだろうか。
そういえば、ソフィアの最大の理解者だったグレゴリーも人間に戻った上に家族も戻ったため、邪魔をしてはいけないと気を遣って接触を控えていたようだし。
私が思っていた以上にフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。
私の見る目も大したことはない――のはさておき、このままでは作戦に支障が出る可能性が高い。
さて、ソフィアのこれがただの愚痴なら、吐き出せるだけ吐き出させればスッキリするのではないかと思うのだけれど、自虐というか自罰的なのは、どこかで止めてあげないと長引くものだ。
レティシアもたまにこんな感じになることがあって、機嫌を直してもらうのに苦労した覚えがある。
実の姉妹だとこういうところも似るのだろうか?
親御さんの立場からすると、面倒くささが2倍だね。
「レティはあと十年くらいでこっちに呼べると思うし、『諦める』っていうのもおかしな言い方だと思うけれど」
「だからよ! あんたが滅茶苦茶やって、それでも上手いこと解決しちゃうから! もう私が何もしなくてもレティは帰ってくる。レティが帰ってくるのは嬉しいけど、私は十年もの間何をしてればいいの!? あんたは頑張ってる人が好きなんでしょ!? アイリスとか、アルフォンス・B・グレイとか! 私もレティを捜すのを頑張ってたから、あんたに気に入られたんじゃないの!? それをしなくなった私が、あんたに見捨てられるのが怖いのよ!」
ううん?
何かを溜め込んでいたのは分かったけれど、やはり論理性とか整合性がないので、主張が理解できない。
それでも、ソフィアが何かを怖がっていことだけは分かったので、妹たちがそうだった時と同じように、有無を言わせず優しく抱きしめる。
なお、機嫌が悪すぎるときは逆効果になることもある。
難しいね。
「私はソフィアがずっと頑張ってきたことは知っているし、レティを大事に想っていることも知っているよ。急に目標を失って不安になったのかもしれないけれど、これまで頑張ってきたこと無かったことにはならないよ。それに、ソフィアは働きすぎだったから、十年くらいお休みしたところで見捨てたりなんかしないよ。その十年でこれからのやりたいことを見つけるとか、レティが来たときに何がしたいかを考えてもいいんじゃない?」
「なんでレティを蔑ろにする私を見捨てないの? だって、レティよ? 妹なのよ?」
いまだに整合性は見られないけれど、トーンが落ちたことと、口数が減ったことから、少しは落ち着いてきたと思っていいのだろう。
「『なんで』と言われても、こんなに悩むくらいだし、蔑ろにしているわけではないように思うけれど。それに、ソフィアがソフィア自身のことを第一に考えるのはおかしなことじゃないでしょう? それと、ソフィアがレティをどう思うかは、ソフィアの中での折り合いをつける話であって、私がレティを大切に思っていることとは別のこと。たとえ私たちの間でレティについての意見が分かれたとしても、それは無条件で私の意見に追従するよりは遥かに健全なことだよ。そもそも、レティの幸せは、レティ自身が努力して掴むべきものだしね。私はレティが成人するまでは支援するつもりだけれど――。レティの話はさておき、必要以上に義務とか責任を背負う必要は無いよ。とにかく、ソフィアはソフィア自身のことを考えればいいと思う。もちろん、自分のことだけ考えていればいいってことではないけれど、レティのことでこんなにも悩む優しいソフィアなら、言うまでもないことだよね。それで、余裕ができれば他人のことを気にかけてあげればいいし、困ったときは余裕のある人に助けを求めればいいの。もちろん、私もソフィアが本気で望むなら、できる範囲で力になるよ」
……超頑張ったよ。
すっかり失念していたけれど、ソフィアは長い間他人に甘えられる環境になかった、筋金入りのコミュ障なのだ。
私たちに会うまでは、能力の高さや魔王という肩書でどうにかやりくりできていたけれど、社会に出るとそれでは通用しない。
実年齢では私の方が下だけれど、彼女の精神年齢は子供のままなのだろう。
それは人との繋がりの中で成長していくものなのだから。
つまり、ソフィアも妹のようなものなのだ。
そう思えば、少しばかり手がかかるのも、これくらい頑張ることも苦ではない。
そして、時には人生の先輩として導いてあげなければいけない。
私の胸の中ですっかり大人しくなったソフィアの頭を撫でながら、彼女にはもう少し優しく――といっても、ただ甘えさせるだけではなくて、ときには厳しく接してあげようと決意した。
というか、私たちは討入り前に何をやっているのだろう。
「……私が駄目な奴になっても、本当に見捨てない?」
しばらくは大人しく頭を撫でられていたソフィアが、控え目に問いかけてきた。
その声には、いつものような強気さは感じられない。
恐らく、本気で不安を感じていて、確かな言葉として示してほしいのだろう。
「もちろん。そのときは更生できるようにお尻を叩いてあげる」
「だったら、ずっとやってみたかったことがあるんだけど、お願いしてもいい?」
なんだ、しっかりとやりたいことはあるんじゃないか。
よく分からないけれど、私に背中を押してほしいということなのだろう。
「もちろん。私にできる範囲のことなら」
「本当にいいの? 怒ったりしない?」
「いいよ。怒らないって約束する」
ちなみに、「怒らないから正直に言え」というのは、私の経験上100%怒られる。
理不尽だけれど、そういう常套句だと思うほかない。
なお、言わないともっと怒られるので、理不尽でも言うしかない。
なので、幼児退行しているソフィアを警戒させないために、少し言葉を変えてみた。
「じゃあ、その……お、お……」
「お?」
お姉ちゃんと呼びたいとかそういうことだろうか?
魔界でも年上の妹分ができたりとか、呼称は違うけれどエスリンとか、最近そういうことが多いので、正直「またか」という印象が強い。
「おっぱい吸ってもいい?」
「は? ま、え!?」
何を言っているの!?
いや、そっちも「またか」という印象が強いけれど、まさか女の子から言われるとは思っていなかった。
アイリスは言わなくても吸いついてくるけれど。
「怒らないって言ったのに……!」
ソフィアが顔を真っ赤にして抗弁してくる。
幼児退行かと思ったら乳児だった?
「怒ってはいないけれど……。ええと、一応、なぜか訊いても?」
「私は吸血鬼よ。吸血鬼といえば吸血――だけど、あんたの血を飲んだらきっと狂っちゃう。だから、母乳よ。血液と母乳の成分は近いっていうし、赤ちゃんが飲めるくらいだから健康にも良さそうだし」
「…………」
判断に困る。
というか、母乳は出ない。
お酒とか、ソフトドリンクは出るけれど。
「ミーティアたちが吸ってるって聞いて、ずっと興味があったの! でも、こんなこと恥ずかしくてお願いできないし……」
それはそうだと思うけれど……ええ……?
そんな話が広まっているの?
緘口令を敷いておくべきだったか……。
もう遅いか。
「この想いは墓場まで持っていくつもりだったのに、あんたが優しくするから……! 私がこんなに悩んでるのに、こんなに間近で良い匂いに包まれて、我慢できなくなるのはしょうがないじゃない! あんたが悪いのよ!」
ソフィアが大人しくなっていたのは、私の匂いを堪能していたからだったのか。
というか、こんなことで責任転嫁されても困る。
「ええと、ミーティアたちが飲んでいたのはお酒であって、母乳は出ないよ」
ひとまず誤解は解いておこう。
でないと、私が古竜たちを育てているとか、もっと酷い噂が立ちかねない。
「私もお酒でいいわ! というか、あんたのおっぱいから出たものなら全て母乳よ!」
力強く変なことを断言しないでほしい。
アルとかに聞かれたら、絶対にろくなことにならないのだから。
「分かったから、大きな声で変なこと言いふらさないで。それと、みんなには内緒だよ?」
「うん!」
これまでにない良い笑顔と返事のソフィアを見た。
そんなに吸いたかったのか……。
そして、私は敵地目前でおっぱいを放り出して、大きな娘に吸わせている。
私は――いや、私たちは一体何をやっているのだろう?
私たちの戦いは雰囲気でやるものだとしても、これはあんまりではないだろうか。




