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20 裏切りの代償

 裏切りは罪に問われず、しかし、何らかの抵抗はしなければならない。


 アミはそう解釈した。

 しかし、正解は分からない。



 少なくとも、今ここに彼女の味方をする者はいない。


 こういったときに頼るはずだったニコルは、圧倒的強者の介入で振動がヤバい。

 そこにいつもの自信に満ち溢れた姿は見る影もなく、どう考えても人生を預けていい相手ではない。



 幸運なのは、有罪が決定しているのに、すぐに処分されないことである。


 それも強者の気紛れかもしれないが、少なくとも、弱肉強食の世界で、彼女のような弱者がすぐに殺されないのは幸運だといえる。




「……そうよ! 確かに私は頭領たちの動向や隠れ家の情報を売ったわ! でも、口ばっかり達者で全然勝てない頭領たちも悪いのよ! ちゃんと吸血鬼に勝ててるなら、こんなことはしなかったわ!」


 アミの選択は逆ギレだった。


 ニコルが役に立たない以上、自力で切り抜けるしかない。


 そして、ニコルのように沈黙したところで、ニコルに裏切られるのは最悪のパターンである。

 ならば、その前に裏切るしかない。

 むしろ、それならほかの者――ここにいない頭領に罪を擦り付けてしまおうと、「どっちもどっち論」を展開したのだ。



「勝てもしないのに見栄ばっかり張って、そのせいでとばっちりを食らうのは私たち下っ端よ! 私を裏切らせたあいつらの方が裏切り者よ!」


 そして、一度弾けてしまうともう止まらない。



「ミゲルたちだってそうよ! あいつらが間違ってるって分かってるのに、何も言えなくてこんなところで(くすぶ)ってるだけ。あんたらもあいつらと同罪よ!」


 それは見事なまでの責任転嫁だったが、根が善良な者たちには完全に否定できる内容でもなかったため、反論されることはなかった。



「そもそもこいつら何なのよ!? 吸血鬼もいるじゃない! 実はグル――いえ、こいつらこそ黒幕なんじゃないの!? みんなして私を嵌めようとしてるんでしょ!」


 勢いに乗ったアミの暴走は、ついには触れるべきではないところにまで向けられた。



「はあ? 氏族を裏切ってるあんたに、種族でひと括りにされるって何の冗談?」


「いい加減うぜえな。この態度だけで有罪でいいだろ」


「我らや我が君が貴様なんぞを嵌めて何の利益があるというのだ? 無知や弱さを罪とはいわんが、分をわきまえろ」


 残念なことに、アミの勢いは、空気の読めなさに定評のある大魔王たちには通じなかった。


 それに、「どっちもどっち論」を、当事者の、しかも加害者が持ち出すのは悪手である。

 彼女の言うとおり、原因が頭領や吸血鬼にあったとしても、だからといって何をしても許されるわけではないし、彼女のせいで被害を受けた者もいるのだ。

 大魔王が先にキレそうなので自重しているが、怒りを覚えている里の者も少なくない。



 大魔王たちからしてみれば多少の不快感が籠った程度でしかない言葉は、アミにとっては心臓が凍りつくような恐怖を覚えさせられるものだった。

 その影響で、それまでよく回っていた彼女の舌もぴたりと止まり、股間から流れ始めたものは止まらなかった。




「まあ、それくらいしかできないのだから、いいじゃない。それに、想像力が豊かなのは良いことだよ」


 場の雰囲気が変わったからというわけでも、それを察しなかったわけでもなく、そういうものを「どうでもいい」とばかりにユノが言葉を紡いだ。


「さすがに責任転嫁ばかりなのはどうかと思うけれど、裏切り行為の是非を問うつもりはないの。社会的には良くないことかもしれないけれど、そこに帰属するつもりがないなら何を言っても無駄だしね。この場合も、このままだと全滅しそうな今の環境より、吸血鬼に取り入ってでも生きることを選んだってだけでしょう。それが彼女の生きるための工夫で、そこは尊重するべきだと思う」


 ユノの理屈は、常人には理解し難いものがある。

 彼女にとって重要なのは、一にも二にも意志であり、善悪や結果、そして他者がそれをどう思うかもまた別の問題である。

 当然、里の誰かが「復讐のため」とアミを攻撃するとしても別の問題である。


 彼女は、「汝のなしたいようになすがよい」系の邪神なのだ。


 彼女にとって、アミが生きるために吸血鬼を頼ったのは、仲間を犠牲にするという点では頭領たちと同じだったとしても、生きて可能性を繋ぐか、未来という可能性を捨てているかという点で大きく評価が分かれるものだ。


 そういう意味では、案外高評価だった。

 ただし、ユノは「なしたいことをなす」ための努力は必要だと思っているし、「なした」ことに起因する因果は負うべきだとも考えているが。



「そっ、そうよ! 生きるためにはしょうがなかったのよ!」


 都合のいい部分だけを察したアミは、再び勢いを得て、またもや調子に乗った。



「私には子供――赤ちゃんがいるの! 育てなきゃいけないの! 女手ひとつで――それがどんなに大変なことなのか、あんたらに分かる!? この子のためにも、私は生きなきゃならないの! わ――」

「もう黙って」


 そして、責任転嫁ではなく、真っ当な言い訳をしようとして子供の存在に触れたところで、今度はユノが不快感を露にした。

 ただそれだけで、何らかの強制力が働いたわけでもないのにアミの口が止まった。



「育児が大変なのはそのとおりだけれど、子供を言い訳に使わないで。女手ひとつだから何? 男手ひとつでも、何なら両親が揃っていても子育ては大変だよ。どれくらい大変かは、個人の能力や環境次第だから差があるけれど、自力ではどうにもならないことがあるのは貴女だけじゃない。そんなときに誰かの力を借りるのはひとつの方法だけれど、そこでここの人たちではなく、吸血鬼の方を選んだのはほかならぬ貴女でしょう? 本当に『子育てのため』だというなら、言い訳なんてせずに堂々としていればいい」


 ユノにとって、アミの決断が彼女の意志によるものであれば何でもよかった。

 しかし、子供をダシにされるのは、子供好きのユノにとっては見過ごせないものだった。



「あ、あんたに子育ての何が分かるっていうの!? 綺麗事だけじゃどうしようもないのよ!」


 正体不明の恐怖の中、それでもアミが反論するのは、論理的な理由など無い。

 それは、死を恐れる本能のようなものに近い。

 認めてしまえば何かが終わるのではないかという恐怖から、感情的な反発をしているにすぎない。



「子供を産んだことはないけれど、子育ての経験は多い方だと思う」


「亜人の子供を魔王級にとか、ただのグリフォンの雛を神獣にできるのはあんたくらいよね」


「ユノの親父さんも神に育てられたって聞きましたし、その親父さんがあいつを育てたったなると、何か因縁めいたものを感じますね」


「血が繋がっていなくても子供っていうなら、ある意味、湯の川の全員がユノの子供ってことになるんじゃねえか?」


「ふむ。なら、我が君の手で生まれ変わった私も、我が君の子といえるかもしれん」


「えっ」


 ユノをよく知らない者にとっては恐怖となる彼女の不快感も、訓練された者にはご褒美にもなる。

 むしろ、彼らにとっての恐怖は、ユノに構ってもらえなくなることで、本気で怒らせない程度の絡みは、幼い子供が好きな人の気を惹くためにやる悪戯のようなものである。


 当然、された方は堪ったものではないし、やりすぎると嫌われることもあるのだが、数々の修羅場を越えてきた彼らがそんな愚を犯すことは滅多にない。



 ユノはといえば、誰かが援護射撃をしてくれるのかと期待をしていたところ、それぞれ純粋な援護とはいえない内容どころか、アクロバティックな解釈も飛び出してくるので、ただ困惑していた。


 困った彼女は、聞かなかったことにして先を続けることにした。



「もちろん、私個人の能力には限界があるけれど、私にはそれを補ってくれる人が大勢いる。だから、子供だけではなく、大人を受け容れても何とかなる」


「一気に何十万人も受け入れるから、公共施設やその職員とかが不足してるけどね。選考だけでも大変みたいだから、ちゃんとシャロンたちを労ってやりなさいよ?」


「うちの子の将来の夢が『ユノ様の騎士』になったんですけど? うちの跡取りどうしてくれんの?」


「ガキの世話なんて女に任せるもんだと思ってたけどよ、ガキの頃からきっちり教育して、優秀な人材を育てるとか考えもしなかったわ。さすがユノだな。俺もお前を見習って、俺も、その、お前との子供ができたら――」

「ローゼンベルグのことで負担をかけてしまってすまない、我が君よ! その償いといえるかは分からないが、私にできることがあれば何でも言ってほしい! 幸いなことに私はまだ生娘だ。貴女の子を産めというなら喜んで産もう!」


「ああっ、エスリン様ずるい!」


「ユノ様、私は男ですが、貴女が望むのであれば気合で妊娠してみせますぞ!」


「ええっ……?」


 せっかく何事もなかったように流したユノだったが、今度は援護要素が一切無い横槍が入り、ひたすらに困惑した。

 そして、話の行き先を見失った。



「あ、本気で困ってるみたい。そろそろ止めとかないと、『美味しくな~れ☆』をやってくれなくなるわね」


「ユノって最初は結構ポーカーフェイスだと思ってましたけど、案外表情豊かですよね」


「そういう物静かってか、奥ゆかしいところがまたいいんだけどな! 俺の周りにゃ気の強い奴しかいなかったからな、ユノといるとホッとするぜ」


「気の強い女というのは私のことか? まあ、否定はせんが、指導者としてそうあるべきと振舞っていたところも大きいぞ? もっとも、今となってはそんなものは虚勢にすぎなかったのだと我が君に教えられたがな」


「困って内心オタオタしてるユノ様可愛いなあ……」


「ありのままだと俺らが気後れしちまうから、気を遣ってくれてるのかもしれねえぞ」


「どっちにせよ、ユノ様は最高ってこった!」


 魔王とその側近たちは、ニコルとアミの存在を忘れていた。




「……」


 静かに困惑するユノと、和気藹々(わきあいあい)としている魔王たちの様子に、真の恐怖を知らないアミの正常性バイアスが、ここぞとばかりに仕事をする。



「何なのよ、あんたら!? こんな変な有翼人担ぎ上げて何を企んでるのよ!? 一体私に何の恨みがあるのよ!?」


 アミの八つ当たり気味の逃避は、この中で最も無害そうな存在に向けられた。


 ユノを侮るのは多くの人が一度は通る道である。

 バケツを被り、神気を抑えている彼女は、一般人からすれば、魔力を一切感じない、奇妙な格好をした雑魚である。

 舐めてかかって痛い目に遭うことも少なくない。



 もっとも、今回に限っていえば、ユノを愛するユノ以外の存在のせいで、最悪の事態にはならないのだが。


「ああ、こうしてまた犠牲者が生まれるのね……」


「この状態じゃ威厳も何もなくて、莫迦にされてるようにしか思えませんからね……」


「……さっきから何なんだお前? 話の腰を折るんじゃねえよ。お前が裏切ったかどうかにゃ興味はねえが、あんま調子乗ってるとぶっ殺すぞ?」


「私もかつて通った道とはいえ、それを目の前で見せられるのは不愉快だな。我が君よ、裏切りの件はともかく、空気を読めぬ罪は問うべきでは?」


「ひぃっ!?」


 魔王たちの不機嫌度が少し上がっただけだが、ただの人でしかないアミにとっては耐え難い恐怖だった。


 アミはあまりの恐怖に腰を抜かし、自身の作った水溜まりの上に腰を落としてしまう。

 同時に、せっかく調子を取り戻し始めた正常性バイアスも、瞬時に霧散してしまった。


 遠巻きに彼女を見ていた狩人たちも、そのプレッシャーに息を呑むことしかできない。




『さすがに何の話か分からなくなってきたから、一旦話を戻そうか。まず、そこの君の裏切り行為についてとやかく言うつもりはない。その事実についても同じ。でも、それは許すってことではなくて、君を移住者リストから外すって決定をしただけ。それ以外の処分についてはミゲルたちに任せる。どうする、ミゲル?』


 話の落としどころを失ったユノと、話をまとめようなどと考えていない魔王たちに危機感を覚えた――飽きてきた朔が、ここで一気に結論を出す。



「え、いや、突然言われても……。僕としてはアミを信じたい気持ちはありますけど、もしアミの行動で犠牲になった人がおるかと思うと……」


「自分で罪を認めたっていっても、やっぱり事実が明らかにならないと……」


「やむにやまれぬ事情ってのがあったのかもしれないしなあ」


「ですが、ユノ様がお決めになったことは覆らないと判断するしかありません。それを踏まえた上で――ユノ様、アミの子供だけでも助けていただくわけにはいかないでしょうか? アミの罪は分かりませんが、子供には罪は無いはずです」


「彼女がそう望むならそれでもいいけれど」


「待ちなさいよ! さっきから何なの!? 移住って何のこと!? 何がどうなってるの!?」


 アミを置き去りにして進んでいく話に、堪らずアミが口を挟んだ。


 彼女は、今は口を挟める状況ではないと判断する思考能力さえ失くしていた。

 そんな彼女の陰では、ニコルが空気になろうと努めていた。



「あー、えーっと、アミにはまだ話してなかったんやけど、僕ら次の収穫が終わったら、このユノさんのところに移住することになってるんよ」


「その前にやらなきゃいけないことがあって、それにアミを巻き込みたくなかったからまだ話してなかったんだけど……」


「同じ理由で、ほかにも話してない人も何人かいるけど、俺たちが駄目になっても、その人たちのことは助けてほしいってお願いしてたんだぜ?」


「まさかこんな形でふいになるとは思っておりませんでしたが……。貴女個人の問題として済ませてくれたユノ様の寛大さに感謝してください」


「な、何を言って……!? こんなバケツなんか被った変な奴が何だっていうの!? こんな奴を信じて移住なんて、あんたら騙されてるんじゃないの!? そもそもこいつは何なのよ!? あ――」


 ミゲルたちはアミの疑問に律儀に答えたが、「何が何でも否定しなければ」という意識に陥っているアミには受け容れられない。



「ユノ様は寛大なお方なので見逃されていますが、『変な奴』というのは失礼ですよ。神罰が落ちても知りませんよ?」


 興奮度合いを増していくアミに、アルフォンスの《威圧》の籠った言葉が突き刺さった。



「し、神罰って、何を莫迦な……。神の名を騙るなんて、そっちの方がどうかしてるわ……」


「騙るも何も、ここにおられるユノ様は、正真正銘の神様――『世界樹を司る女神様』ですから」


「「「は!?」」」


 アルフォンスの言葉に、アミだけではなくミゲルたちや、当のユノまでもが驚きの声を上げた。



「え、何を言っているの?」


「俺に宣伝任せたのお前ら――貴女たちではありませんか。っていうか、こういう時に宣伝しなくてどうするんですか」


 目線だけで――片方はバケツを被ったままの意思疎通は、ほかの者たちには届かない。



「それに、ほら」


 続けてアルフォンスは上を指差して、全員の視線を誘導する。


 彼の指差す先――遥か上空には、いつの間にか巨大な雷雲が発生しており、そこを走る稲妻が「準備OK」という文字を浮かび上がらせていた。


 それが単なる自然現象ではないことも、距離的にここにいる誰かの魔法ではないことも明らかで、またそこから届く不穏なプレッシャーも、アルフォンスの言葉に説得力を持たせていた。



「ちょっと待って、何で今頃そんなことを……!? 何で教えてくれなかったの!? 知ってたら私だって――」


『仮定の話に意味は無いし、ミゲルたちも、そんなことは知らないままに決断したよ』


「別に責めているわけじゃないよ。貴女は貴女の思う最善を尽くした。ミゲル師たちも、彼らの思う最善を尽くそうとしている。善悪正誤で測ることではないけれど、結果は受け入れるしかないというだけ。でも、子供にそれを負わせるつもりはないから、貴女が望むなら子供はうちで育ててあげてもいい。ああ、うちには孤児もいっぱいいるけれど、私を含めて親代わりになってくれる人もいっぱいいるから、実の親はいなくても大丈夫。責任を持って育ててあげる」


 ユノの言葉で真っ先に反応したのは天空の雷雲で、表示されていた文字が「ママァ!」になっていた。

 もっとも、それに気づいたのはユノだけで、そのユノも小首を傾げただけで、気づかなかったことにした。



 ほかの者たちの意識は、アミの反応に向けられていた。


 当のアミは、理解できない存在と、遥か頭上にある恐怖で、混乱の極みを通り越した新境地にあった。


 バケツを被ったそれが神であるなどいまだに信じられなかったが、大魔王を何人も侍らせていることや、頭上の脅威が彼女の気紛れひとつで放たれることは疑いの余地がない。



 しかし、現況が分かったからといって、何をすればいいのかが分からない。


 罪や節操のなさを問われているのであれば、謝り倒し、特に信じてもいない神に更生を誓うこともできた。

 子供を盾に情に訴えかけようにも、正論と先回りで潰されている。




「こ、子供は差し上げます! ですから、命だけは――」


 自らが助かりたいアミがどうにか口にしたのは、誰もが予想もしていない最悪なものだった。

 アミも空気の変化に失言を悟ったが、取り返しのつく類の失言ではない。



「自分はどうなってもいいから――とかいう寸劇を見たかったわけではないけれど、それだと私が子供を強請っているみたいじゃないか」


『何をどう解釈してそういう結論に至ったのかは知らないけど、もういいでしょ。ボクたちはこの件で君に干渉することはないけど、身の安全を保障するという意味じゃない。この件でミゲルたちがどうするかまでは関与しないから、問題があるならその吸血鬼にでも助けを求めるんだね』


 ユノはアミの失言の真意を察しようとしたが、人の心がよく理解できない彼女にそんなことができるはずもなく、早々に諦めた。

 ついでに、これ以上の対話も諦めて、事態の収束に向けて舵を切った。



『吸血鬼の(キミ)も今日は帰っていいよ。ああ、でも、君たちの親――真祖だかには、禁忌を犯したことの清算をしてもらわないといけない。一応、それはそこの彼女に一任してるんだけど、ボクたちがバックアップはするから失敗はない。そのときに邪魔するようなら逃がさないから』


「はっ!? 俺――私も見逃してもらえるので!? いや、真祖の犯した禁忌とは一体――もしや、時空魔法の!?」


 真祖が犯した禁忌のことなど知らないニコルが思い至ったのは、彼が想像する「時空魔法の深奥」だった。

 少し考えれば、殺しても死なないアントニオの異常性だと気づいたはずだが、恐怖で目が曇っていた彼はそんなことにも考えが及ばなかった。


 そして、時空魔法と禁忌が結びつかなかったユノは、チラリとアルフォンスに意識を向けて、ニコルと同様の酷い格好に納得しそうになった。



「おい、何でこっち見た? 時空魔法に禁忌に触れるようなものなんてないはずだぜ? 強いて言うなら、無意識に人を惹きつける俺の魅力が禁忌かもしれん! そういう意味で、この格好はお前のバケツと同じようなもんだからな。つまり、お前の素顔――というか存在が一番の禁忌だからな!」


 ユノの雰囲気に何かを感じたアルフォンスが吠えたが、最後のひと言の説得力が非常に高かったため、それ以外のことは流された。



「……とにかく、禁忌が何なのかをここで言うわけにはいかない。もし貴方が禁忌に触れていても、広めたりせずに大人しくしていれば追及しない。もちろん、強制するつもりはないけれど、力にはそれ相応の因果がついて回るから、身の丈に合わない力を手に入れるのは幸運ではないかもしれないよ。こんな感じに」


 過ぎた力や欲望が身を滅ぼすというようなことは、この世界でも頻りにいわれるものである。

 もっとも、実際に身を滅ぼすタイプの者には響かないものだが、大魔王を侍らせ、ともすれば天上の神々すら味方につけている存在が言うと説得力が違った。



 彼女が言う「禁忌」とやらに手を出せば、少なくともこれ以上の脅威が敵に回るのだ。


 実際には、レオナルドたちが禁忌に対処をすることはないのだが、大魔王以上の脅威を知らないニコルにしてみれば、彼らが実動部隊だと思ってしまっても仕方がない。


 そして、彼の考える「時空魔法の深奥」は、一対一で戦うことを前提としていて、大魔王の軍勢と正面から戦えるようなものではない。

 アントニオにしたように、ヴィクターにもしようとしていたように、懐に潜り込んで隙を見てというようなことも、複数の大魔王が連携している状況では不可能である。

 それどころか、現在進行形で逃げることすらできないのだ。


 本質的にヘタレなニコルに、逆境で踏み止まれる気概はなかった。



「肝に銘じて……アントニオにもきつく言っておきます。で、では、失礼します……」


 ニコルは、彼女たちに向かって深々と頭を下げると、決して彼女たちを見ないように頭を下げたままで、後ろ向きにその場を離れていった。

 万一、《転移》を含む魔法の行使が敵対行動ととられるかもしれないと考えると、とてもではないが実行できなかったのだ。



「ま、待って! 置いていかないで!?」


 静かに、そして高速で後退するニコルの後を、集落での居場所を失ったアミが必死に追う。


 ユノはアミを罪には問わないと言ったが、ほかの者たちがアミをどうするかについても容認するような口振りだった。

 そういうところにはよく気がつくアミは、ここに留まることを危険だと判断して、腹を痛めて産んだはずの子供のことも構うことなく逃げることを選んだ。




 ユノはそんなアミを見ながら残念に思いつつ、なぜこんな状況になったのかが理解できずに困惑していた。


 当初は、アルフォンスとソフィアの正当性の証明のために動いていたはずである。

 しかし、そのふたりや、後からやってきたレオナルドやエスリンたちに、背後から撃たれて話の落としどころを見失った。



 アルフォンスたちも、少々悪ふざけがすぎたという自覚もある。


 それに、ここでの作戦の成功率を考えると、あのふたりを逃がしたのはまずかった。

 とはいえ、ここで手を出すのは、ユノの心証的に良くない。


 そうして、ミゲルたちが本番でリカバーしてくれることを期待して、訓練を厳しくすることが決定した。



 ミゲルたちも状況の理解に苦しんでいたが、少なくとも状況が悪化したのは誰の目にも明らかだった。

 しかし、元々が決死行であったため、それで覚悟が鈍るようなことはなかった。


 結局、誰もがよく分からなかった事件はなかったことにされ、作戦の決行に向けての調整は進んでいく。

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