17 魔物化
――第三者視点――
吸血鬼の真祖であり、魔王でもある【アントニオ】が、まだそれらではなかった頃。
当時、勢力を伸ばしていた不死の魔王の活動の余波によって、各地で魔物のスタンピードが起こっていた。
アントニオの住んでいた村もその被害を受けた場所のひとつで、彼は、目の前で両親や友人、ほかにも多くの人が惨たらしく殺された。
さらに、彼自身もアンデッド化した両親や友人に襲われるという体験をした。
幸いにも、その場は命からがら生き延びることができたのだが、彼に残ったのは、家族や友人を喪った喪失感や奪われたという復讐心ではなく、ただただ「死にたくない」という一念だった。
それは彼が臆病だったからという理由だけではない。
アントニオも、両親や友人だったものをどうにか破壊すると、そのまま怒りに任せて元凶に立ち向かおうとはした。
しかし、すぐに剣は折れ、体力も尽き、時と共に濃くなる瘴気は心を蝕み、彼の足を止めた。
結局、出来立てのアンデッド数体に苦戦する程度の実力しかない彼の実力では、元凶どころか主戦場に辿り着くこともできなかった。
彼はそこで、魔王の覇気に中てられた魔物たちの狂乱が齎す、筆舌に尽くし難い凄惨な光景を見ていることしかできなかった。
それは、多感な少年の心を壊すには充分な出来事であった。
そんな中で彼が生き残ったのはただの偶然でしかなかったが、それが幸運であったのかは誰にも分からない。
どうにか近隣の人里まで逃げ延びたアントニオを、里の人たちは憐憫を覚えて優しく受け入れた。
もっとも、少年がひとりで逃げてこられるような距離の場所で惨劇が起こったとなると、彼らもうかうかしていられない。
少年には同情するものの、彼らも生き延びるための努力をしなければならない。
アントニオにしても、戦場からは逃げられたものの、それは一時的なものでしかない。
外敵だけではなく、病に老いに――彼を蝕み、死に至らしめるものは依然として存在している。
逃げ延びた先でカウンセリングを受けるとか、それに類する出来事でもあれば違ったのかもしれないが、里の人たちは自分たちのことで手一杯で、彼に割ける余裕はほとんどない。
むしろ、見捨てないだけ善良な者たちだったといえる。
そんな状況で、アントニオの闇は深く大きくなっていく。
他人が彼のことを護ってくれないないのは今に始まったことではない。
充分に助けられている身で独善的に過ぎる考えだが、アンデッドに成り果てたとはいえ、両親に襲われたという経験は少年の心を大きく傷付けていた。
同時に、死んでしまえば、彼の脳裏に焼き付いて離れない、それと同じものになってしまうかもしれない。
そう考えると、死ぬのが怖くて怖くて仕方がない。
何も信じられない彼にとって、善良な里の人すら恐怖の対象という末期状態だった。
一時は引き籠り気味にもなったが、里の人たちには彼に構っていられる余裕が無い。
そうでなくても、天涯孤独で特別な才能も無い彼を養ってくれる存在などいないので、そんな日常はすぐに破綻した。
彼が逃げ延びた先の里まで不死の大魔王の勢力が迫っていると聞いて。
怖くて怖くて気が狂いそうだが、死んで楽になることもできない。
壊れた彼は「死」から逃れるために、命以外の物を全て捨てて、あらゆる努力を惜しまなかった。
長い年月を逃げ続け、捨て続け、奪い続けた。
傍目には求道者とも異常者とも思える行動の末に、アントニオは自力で吸血鬼の真祖へと至った。
そうして、病と老いを知らない不死の身体と《怠惰》のスキルを得た。
アントニオは、真祖に至ったことに非常に喜んだ。
方向性はともかく、彼はなし遂げたのだ。
しかし、《怠惰》のスキルを得るに足りる理由に心当たりはなかった。
むしろ、慎重に慎重を重ねながらも、時として大胆に、そうして万全を期して成したという自負があった。
それだけに、彼の努力とは正反対のそれは、非常に不本意なものである。
とはいえ、死を一段階克服したことには満足していたので、それが代償だというなら受け入れざるを得ない。
もっとも、吸血鬼となって精神活動が鈍くなっていく中で、その不満も長続きしない。
そして、生物として必要な努力を怠っているという点では、システムの判定は正しかったのだが。
それでも、「死」はまだ彼の身近にあった。
その最たるものが不死の魔王――そして、その先にいる暴虐の大魔王などの存在である。
吸血鬼の真祖に至ることからして常人の及ぶ域のことではないが、それらを斃す、若しくは対抗できる力を得ることに比べれば、まだ現実味があるものだ。
しかし、彼の「死にたくない」という想いはそれで止まるようなものではなく、彼に更なる悪足掻きを続けさせた。
そうして、彼は邪神を呼び出すという邪法を知るに至り、それに手を出し、皮肉にも因果を引き寄せる魔王へと堕ちていった。
それから間もなく、アントニオは面白いように因果に弄ばれ、せっかく呼び出した邪神の力を掻っ攫われた挙句に斃された。
ただ、決定的な死を迎えなかったという点では彼の望みは叶っていたのだが、当然満足できるようなものではなかった。
◇◇◇
貴族級吸血鬼の【ニコル】が重傷を負って戻ってきたことで、駐屯地――元は魔族の狩人たちが暮らしていた隠れ里にいた吸血鬼たちの間に緊張が走った。
不死性の高い吸血鬼にとって、片腕の欠損程度は生命の危機といえるほどの深手ではない。
しかし、吸血鬼の中でも強者である彼が、これだけの傷を負わされて逃げ帰らなければならない相手がいるという事実が問題だった。
もっとも、直近に、デスを2体も使役する規格外の存在との遭遇がなければ、ニコルが深手を負わされようが、野垂れ死にしようが、さほど気にする者はいなかっただろう。
多くの吸血鬼は、真祖を頂点とした厳格な階級社会を作る。
変わり種のアントニオもその例外ではなく、彼を頂点とした縦社会を形成していた。
それゆえに、若くして上級貴族となったニコルを面白く思わない古株も多い。
もっとも、ニコルが真祖の復活を手助けし、ひいてはその眷属である彼らの復活にも繋がったという実績もあってか、粛清などの実力行使にまでは至らない。
それでも、真祖の復活が完全に果たされる前に、その真祖をヴィクターに売った彼の所業は、それを差し引いても余りあるものだった。
もっとも、ニコルにとっては、その理不尽で非合理的な階級社会が真祖を売った理由である。
そして、「不死の大魔王に付けば報復を受けないだろう」と、考えていたとおりになったことも幸運だった。
十年ほど前のニコルは、非常に優秀な冒険者だった。
希少な時空魔法の適性を持っていた彼は、彼が望みさえすれば、冒険者などよりもっと安定した人生を送ることも可能だった。
しかし、人一倍好奇心や向上心に溢れていた彼は、彼的には無用なものである柵に囚われるのを嫌って、冒険者としての道を選んでいた。
そんな彼が執着したのは、魔法――特に、時空魔法を極めることだった。
理論上では、《転移》を応用して、対象だけを生存不可能な領域に飛ばすとか、対象の身体の一部だけを飛ばして直接的な攻撃とするなど、時空魔法は攻防共に最強である可能性を秘めている。
さらに、自身の寿命に関しても、時間を操れば解決できる可能性があると思っていた。
しかし、それは本当の意味で魔法を理解していない者たちが陥りやすい間違った理論であり、実際にはそう単純なものでもない。
まず、生物を対象とした攻撃の用としての《転移》は、デバフと同じく非常に高い抵抗を受けるため、成功率は非常に低くなる程度のものである。
不意打ちであれば抵抗は弱くなるが、それなら《転移》に拘る必要が無い。
そもそも、その考え方の行き着いた先が《時間停止》である。
抵抗や対策ができなければ一方的に被害を受ける。
禁呪である《時間停止》ですら様々な対抗手段があるのに、ただの《転移》魔法がそれをクリアしているはずがないのは、少し考えれば分かることである。
また、抵抗を受けない自らの寿命に関しても、永続する魔法が存在しないことと、いまだに永久機関が完成していないことを考えると、延命くらいは可能であっても解決にはほど遠い。
むしろ、それは根源を知る存在からすれば本質から遠ざかるものであり、可能性を狭めることにほかならない。
そんなことを知る由もない彼は、自らの稀有な素質と、辺境という井の中で増長していた。
そこに独自の時空魔法最強理論まで加わって、長らく我が世の春を謳歌していた。
一応、上には上がいることくらいは承知していたが、それは言葉の上だけのもの。
まだ最強には至っていないからと仲間を集めるが、辺境では彼の能力に釣り合う仲間が見つからない。
本気で見つけたいのであれば、大都市か、開拓の最前線に行けばいいだけなのだが、いろいろと理由をつけてそうしようとはしない。
当然、それでは上を目指すことは困難だったが、自身の足りない力は仲間で、質は数でカバーすればいいと開き直る。
結局、彼は手下然とした仲間たちを引き連れて、お山の大将になっていただけだった。
そんな彼にも転機がやってきた。
何が転機になるか、それでどう変わるかは人それぞれだが、彼にとってのそれは、古い遺跡の探索中に偶然遭遇した吸血鬼の魔王が始まりだった。
当時のその魔王は瀕死の状態。
吸血鬼特有の再生能力がなぜか上手く働いていなかったのだが、周辺の魔素濃度が高すぎるためか、死ぬこともできないという奇妙な状況だった。
そこは、かつてその魔王が、種子を召喚した場所だった。
しかし、魔王はその力を得ることなく、一時的にその力を宿した少女によって、魂の奥深く、根源との繋がりにまでダメージを受けたために再生不全状態に陥っていたのだ。
当然、ニコルたちにはそんなことは分かるはずもない。
彼らの前にあるのは、「魔王殺し」という称号と名声を得る千載一遇のチャンスである。
当然、一も二もなく襲いかかった。
しかし、不完全とはいえ種子の力を借りた一撃を受けても生き残り、最終的にはその種子の欠片を宿した魔王に、優秀止まりの冒険者が傷を付けることなどできなかった。
魔王に反撃する力があれば、一瞬で勝負はついていただろう。
しかし、魔王には、頭部と上半身部分の内臓、後は僅かばかりの筋肉しかない。
そんな状態では、攻撃どころか防御行動さえままならない。
対するニコルたちの攻撃も、圧倒的というのも烏滸がましいパラメータ差では、有効打どころか掠り傷さえ与えられない。
頼みの綱のニコルの時空魔法:《空間断裂》も、魔王の高すぎる魔法抵抗力の前では無効化されてしまい、魔力だけを浪費している有様だ。
少し冷静になれば、ここは一度退いて増援を呼ぶべきだと思い至っただろうが、反撃を受けないという状況が彼らの判断を誤らせていた。
その中で、特にニコルの意識に変化が起き始めていた。
まずは、いつも以上に何の役にも立っていない仲間たちに、心の底から失望していた。
同じように何の効果も出せていない自身のことを棚に上げているが、「可能性」という意味では大きく違うと思い込んでいた。
彼が扱っていた《空間断裂》は中級の魔法だが、使用者が少ないことや元素魔法などに比べて抵抗が難しいこともあって、彼はそれに絶対的な自信を持っていた。
それが、まさか完全に無効化されるとは思っていなかったが、彼の夢想している最強の時空魔法なら――という希望は、この状況においてより強くなっていく。
もっとも、それは今すぐに使用可能になるようなものではない。
例えるなら、長い年月を研究に捧げた大魔法使いが操る秘術である。
彼の生きている間に辿り着けるかも怪しい夢物語である。
彼は、変なところで現実的だった。
それと同時に、異常な生命力を見せる魔王には、憧れと嫉妬のような感情を抱いていた。
その魔王のように強靭な身体と永遠の寿命があれば、時空魔法の深奥に辿り着くことができる――彼の望む全てを手に入れられるかもしれない。
そんな妄想にとりつかれたニコルは、不意を突いて仲間たちを殺すと、吸血鬼の魔王に取引を持ちかけた。
要求は不死の身体を手に入れること。
代価は魔王が復活する手助けを行うこと。
ほかに選択肢の無い魔王アントニオは、それを受諾した。
そして、ニコルは約束どおり魔王の復活のために贄を集め、ある程度魔王の力が回復したところで貴族級吸血鬼へと変化した。
それからの魔王アントニオは、吸血鬼としてあるために重要な「吸血」をすることで、徐々に彼のあるべき形を取り戻していた。
そして、その都度アントニオの分身ともいえる上位眷属たちも復活し始めた。
といっても、吸血鬼の真祖と眷属が命を共有しているということではない。
通常は眷属が死んでも真祖に影響はなく、真祖が死んでも、真祖が持つ《眷属強化》スキルの恩恵がなくなる程度のことである。
ただ、真祖と同様に殺された眷属たちも、濃密な魔素の中で完全に死んだ状態にはならず、それでも真祖のように再生が始まる状態ではなかっただけだった。
それが、魔王の復活――《眷属強化》スキルの発動を契機に、彼らも再生を始めたのだ。
それも、真祖のように魂までは破壊されていなかったため、真祖とは違って当時と変わりのない状態で。
アントニオにとっては幸運なそれは、ニコルにとっては面白いものではなかった。
さきにも述べたように、吸血鬼は、眷属化された順番による階級社会を形成する傾向にある。
これは、システムの創造者である主神たちの認識が、特に意識されることなくシステムに反映されているもので、例外はあるものの眷属化された順番は能力と地位に直結する。
そのため、最も若いニコルの吸血鬼としての能力は、その時点では上級の貴族たちに劣るものだった。
かなりの序列を無視しているだけでも異例なのだが、そのせいで多くの眷属に嫌われたのは、そこまで考えていなかったニコルにとっても面白くない。
それでも、生前の時空魔法の適性のおかげで総合能力は引けを取らないものの、「不死性」という点で劣っているだけでも、正面切って敵に回すのは致命的であった。
結局、明確な力関係の上に成り立つ階級社会では、上位者の命令には逆らえない。
真祖の復活のためだけに労力を使うならまだしも、彼らの世話までともなると、ニコルが仲間を売っててまで吸血鬼化の道を選んだ理由――時空魔法の深奥に到達するための時間など作れない。
ニコルはアントニオや上級貴族たちの目を盗んで、不死の魔王ヴィクターと接触し、彼らを売った。
要求は魔法の研究のための施設と時間。
対価は真祖アントニオと、彼の持つ召喚儀式の知識。
ヴィクターにとっては、どちらもさほど重要なものではなかった。
しかし、ニコル程度でも時空魔法使いというのは貴重であり、飼っておくのも悪くはないという判断で、彼自身も拍子抜けするほどすんなりと受け入れられた。
とはいえ、条件にはなかった監視兼連絡員をつけられることになったが。
ニコルにとっては不満だったが、まだそこまでの信用がないので、当然の対応であると納得するほかない。
もっとも、ヴィクターは自身の経験から、人間がアンデッド化や魔王化した直後は精神的に不安定になることを知っているため、有事の際にニコルを処分するための備えを行っていただけだ。
何かに使うとしても、精神的に落ち着いてからで充分――というか、「時空魔法の深奥」などという夢を見ている間は使い物にならないだろうと見切りをつけていた。
そうして、ニコルは研究施設と多少足枷のついた自由を手に入れた。
お読みいただきありがとうございます。
まだ敵側の話が続くのと、それが日を跨ぐのがいかがなものかと思ったため、19時にもう1本投下します。




