07 嫁入り前の娘
熱心にやっているふたりの邪魔にならないように、静かに厨房から食堂へ出た。
アルが得意とする、詠唱を省略して魔法を行使する際に行う変なポーズが、システムがそんなに厳密なものではないと知っている私には、正視に耐えなかったというのもある。
さきの魔法だけなら、初級のものということもあって控え目な動作だったけれど、調子に乗ってあれもこれもと実用例を見せようとして大変なことになっている。
もちろん、それが悪いということではない。
魔法発動のためのイメージを補完する工夫として、実際に効果も出ているのだから、むしろ賞賛すべきことである。
ただ、戦闘時などの動きの中でやるならともかく、キッチンに向かって不思議な踊りをしているアルは、どう見ても売れない若手芸人のようである。
そして、スベっている感じが、余計に見ていられなかった。
さておき、食堂に戻ると、久し振りに大吟城に帰ってきていたソフィアと会った。
彼女は、異世界に飛ばされてしまった妹をこの世界に召喚しようと、町にある研究室に籠っていることが多いため、顔を合わせる機会が少なくなっていた。
本人曰く、
「やらなきゃいけないことが多くて、いくら時間があっても足りないわ。できるならずっと研究室に籠ってたいんだけど、偶には補給もしないと身体がもたないしね」
という理由らしく、何日かおきに帰ってきては食い溜めして、また出かける。
愛とセクハラの女神であるフレイヤさんへの対策も兼ねているのかもしれない。
なお、手が足りないなら手を貸そうかと打診したこともあるのだけれど、
「あんたが来ると仕事の邪魔――いえ、私はよくても、ほかのみんなが仕事にならなくなるから来なくていいわ」
と断られている。
釈然としない。
それはともかく、彼女が言う「補給」とは、吸血鬼という種族である彼女が、吸血鬼であり続けるために行う行為――つまり、吸血とかその代替行為のことである。
何だか分かりにくいのだけれど、飲食のような栄養補給的なこととは別に、吸血鬼が吸血鬼としてあるために必要な概念的な補給とでもいうのだろうか。
一般的な食事のように欠かしたから死ぬということはないし、一般的な食事でも栄養補給は可能だけれど、吸血鬼であるためには必要なことらしい。
ちなみに、吸血鬼になると、一般的な食事の味が分からなくなる――全て物が「砂の味」とでもいうような、無味乾燥なものになるそうだ。
また、それによって満腹になることもないとのことで、好き好んで食事をしようという気にはならないそうだ。
ただ、食べないと徐々にパラメータが減少していくそうで、その回復のためにやむなくということらしい。
対して、吸血という行為には、食事や睡眠、そして性行為といった、吸血鬼になって失ってしまった全ての快楽が凝縮されているそうだ。
そのせいか、それを自制するのはとてもつらく、長期間摂取しないと凶悪な飢餓感に苛まれて、精神が壊れてしまう人も珍しくないらしい。
もっとも、これも主神たちが創ったシステムが適当に整合性をとったものなので、かなり規定が緩い。
本人の気の持ちよう次第だけれど、人間以外の血でも大丈夫だそうだし、母乳や精液などでも――体液なら大体イケるとのこと。
ただ、それらで吸血の代わりとするのは心理的に抵抗があるらしい――というか、場合によっては社会的に死ぬので、よほど追い込まれなければ吸血の方がいいらしい。
特に、後者の方は飲みにくいらしいし。
とにかく、ソフィアは彼女の育ての親であるグレゴリーから、代替となるドリンクを与えられていたので、吸血鬼としては比較的穏やかな性格に育った。
むしろ、かなり抜けている――有り体にいえばポンコツである。
そんな彼女が、長い年月を経て私に――いや、私の料理に出会った。
決して酔うはずのない吸血鬼が、コロッと酔うお酒。
味覚が腐っている吸血鬼が、涙を流しながら食レポを始めてしまう料理の数々。
それらを摂取することで漲る魔力。
もう人間の血など飲んでいる場合ではないらしい。
なので、人間とはタイムスケールが違うために数日に一回くらいのペースだけれど、食い溜めしに帰ってくる。
ちなみに、彼女は赤い色の料理が好みのようで、今日もケチャップたっぷりのオムライス(山盛)に、スパゲティナポリタン(特盛)とローストビーフ(超特盛)、さらに、ストロベリーソースがたっぷり掛かったパンケーキの山に囲まれている。
ボルシチとか創ってあげれば喜ぶだろうか?
なお、辛い物は苦手らしく、唐辛子で真っ赤になった物とかは決して食べない。
異世界の吸血鬼がニンニクが苦手というのも、ただの好き嫌いの話だったのかもしれない。
さておき、彼女の身体のどこにこの量が入るのだろう。
フードファイターを通り越して漫画的な絵面にも見えるけれど、実は私も数十万の天使を喰っていたりするので、他人のことをとやかく言える立場になかったりする。
それでも、私や眷属の料理で太ることはないにしても、食べすぎは身体に毒だと思うので、注意してほしいところだ。
「おかえり、ソフィア。今回は戻ってくるスパンが短かったね」
食事に夢中で全く私に気がついていなかったソフィアに、控え目に声をかけた。
驚かせたりして喉に詰まらせても大変だし。
もちろん、そんなことでは、設定上は呼吸を必要としない吸血鬼が死ぬようなことはないと思うけれど、ゴーストなんかは私の歌で成仏したりもするし、油断はできない。
「あ、ユノじゃない。ただいま。明日は学園で召喚魔法の講義をすることになってるから、それでね。というか、良いところに来たわね。あれやってよ」
なるほど、学園で講師をやってくれるのか。
自身も相当に忙しいはずなのに、子供たちのことを気に懸けてくれるのは有り難い。
その心意気に報いるためにも、少し本気で「美味しくな~れ☆」とやっておいた。
「ふわぁ……これ……これよ……! えへ、えへへ……!」
「……」
少々やりすぎたか、ソフィアがキマってしまった。
今のソフィアには、もう目の前の料理以外は見えていないらしい。
とてもではないけれど、嫁入り前の娘として人様にお見せできる状態ではなくなってしまった。
もちろん、再び会話ができるようになるまでしばらくの時間を要した。
「はっ!? 料理がなくなってる……! また記憶が飛んじゃったみたいね……。あんたの料理、本当にイカしててイカれてるわね。時間に余裕ができたら研究対象にしてみたいわ」
マザーや自動販売機たちの提供する料理は、大体相手の種族やレベルに応じた物になるので、こうなることは滅多にないらしい。
そして、私が創ったものやお呪いをかけたものでトリップするのはよくあることだ。
なぜか、それが問題視されることは無い。
まあ、問題としては、自動販売機やマザーが私のまねをしようとして、料理に生命を吹き込むことの方が重大だからかもしれない。
さておき、私の何かが込められた料理を食べている本人がその間どうなっているかは、みんな自分以外の誰かの痴態を見て認識はしている。
なので、とても人様にお見せできるものではないとは分かっているらしい。
しかし、それ以上に「萌え萌えきゅん」された料理の誘惑が強いらしく、求めない食べないという選択肢は無いとかで、お互いにその姿については触れないことが暗黙の了解となっているようだ。
「ところで、あんたに訊きたいことがあったんだけど、ちょっといいかしら?」
そして、何事もなかったかのように振舞うソフィアに先手を打たれた。
吸血鬼的食事の余韻か、少々艶めかしい感じになっているけれど、本人的には誤魔化せているつもりらしい。
「何?」
もちろん、見えている地雷を踏み抜くほど、私は物好きではない。
素知らぬ顔でソフィアの話題に乗る。
「レティの召喚のことなんだけど、ちょっとこれ見てくれる?」
研究に進展でもあったのか、若しくは問題でも発生したのかと、ソフィアの取り出した物を見てみる。
「召喚の前段階、世界と個人の特定の実験で召喚した物なんだけど、これがレティの私物か分かる?」
ソフィアがそう言って取り出したのは、まずは1冊の日記帳。
大きく、“見たら殺す”と日本語で書いてある。
なので、内容は確認できないけれど、この丁寧な字体には見覚えがある。
恐らくはレティシアの物だ。
次に取り出した物は、巨大なブラジャー。
レティシアの正確なバストサイズは知らないし、名前が書いてあるわけでもないけれど、このミーティアにも匹敵するサイズの物は、恐らくレティシアの物のような気がする。
最後のひとつは漫画雑誌。
エロティックな雰囲気の表紙から、何となく内容の想像はつく。
確認したくないけれど、しないわけにもいかないのだろう。
妹の性的嗜好を調査するのは嫌だなと思いつつも、確認のために適当に開いてみると、想像より遥かにアブノーマルなプレイをいたしている場面だったので、そっと閉じた。
レティシアも年頃なのは理解しているし、時には発散させる必要があることも知っているけれど、それでもこれが妹の性的嗜好だとは思いたくない。
「……随分、センシティブな物ばかり取ってきたね」
「下着っぽいのといかがわしい書物はね……。でも、もう一冊の本は何なの? 何かヤバい呪いみたいなのが掛けられてたから、《鑑定》も《翻訳》もできないんだけど」
「日記。多分、レティのだと思う」
呪いが掛けられているのか。
開けなくて良かった。
私には効かないような気もするけれど、怒ったレティシアは怖いので、わざわざ虎の尾を踏むようなまねをする必要は無い。
「下着は、多分レティの。……本は、分からない」
指紋とか取れば分かるかもだけれど、有耶無耶にしておいた方がいいだろうし、そういうことにしておこう。
「うーん、これはほぼ成功ってことでいいのかな? でも、それだと人物を指定したときに出るエラーの説明がつかないのよね」
「もうそんな段階まで進んでいるの?」
「実践はまだまだ先よ。まずは存在確認。ほかにも、精度や安全性の検証もしないといけないし、できればあんたのもうひとりの妹も一緒に召喚してあげたいし、悪いけどまだまだ時間がかかりそう。それにしても、所有物の召喚には成功して、本人の存在が確認できない――って、まさか!?」
「あー、既に死んでいるってことではないと思う」
ソフィアが危険な勘違いをしてパニックに陥りそうになっていたので、落ち着かせようと声をかけた。
もう少し詳細な予定が決まってから報せようと思っていたのだけれど、やはりある程度は教えていた方がいいのかもしれない。
「ちょっと長くなるけれど、落ち着いて聞いて」
落ち着かせるためと、万一暴れ出したときの備えとして、ソフィアの両手を包み込むように握って、彼女の目を正面から覗き込む。
メンタルの弱い子の相手は大変である。
幸いというか、ソフィアは取り乱しそうになっていたことに気づいて恥ずかしくなったのか、真っ赤になって俯いてしまったため、最悪の状況は回避できた。
『実は――』
後の説明は朔にお任せである。
どこまで説明するか、方便を使うかなど、私では朔には敵わないのだから当然である。
◇◇◇
「またとんでもない話を放り込んできたわね……。主神――創造神と話してきたとか、いきなりすぎて呑み込めないけど……。あんたの持ってきた話だし、呑み込むしかないんでしょうね。っていうか、創造神を全面降伏させるあんたが怖いわ」
おおよその説明が終わると、ソフィアは大袈裟に天を仰いだ。
言葉の上では理解したけれど、内容が突飛すぎて理解するために時間が必要――というところだろう。
「そんなのが普通に市井にいるんですから、主神様も案外近くにいたのかもしれませんね」
そこへ、魔法の練習が一段落したらしいアルとリリーがやってきた。
「あ、アルフォンス・B・グレイ。あんた、この話知ってたの?」
「お久しぶりです、ソフィアさん。いつも言ってますけど、俺のことは名前の呼び捨てでいいですよ? それはいいとして、俺たちもついさっき聞いたばかりですが」
コミュ障気味のソフィアは、親しくない人をフルネームで呼ぶ傾向にある。
何の意味があるのかは分からない。
多少なりとも距離が縮まればその限りではないのだけれど、長い年月を研究だけに費やしてきた彼女には、男性との距離の詰め方は未知のものらしい。
さらに、いろいろと経験豊富そうなアルは、特に苦手な部類のようだ。
そして、アル以外に湯の川で身近にいる男性は、レオンとかトシヤといった少々特殊な感性を持った人たちである。
また、竜族や神族は基本的な価値観が違うためあまり役に立たない。
ついでに、グレゴリーの同僚の研究者たちも、研究以外に興味の無いコミュ障が多い。
なので、ソフィアの対人スキルが上がるのは、まだまだ先のことになるだろう。
「そう。まあ、いいわ。でも、こんな娘が野放しになってるっていうのは確かに問題よね。良くも悪くも世界を壊して回るから、周りの人間や関係者は大変よね」
「でも、リリーはそのおかげで救われましたよ!」
「良くも悪くもって言ったでしょ。私は侵入者を追い返そうとしただけなのにボコボコにされたのよ? 強盗に遭った気分だわ」
「でもまあ、ダンジョンでのことですし、解放されている以上、そうなる可能性はありますから」
「私も侵入者に対する備えはしてたわよ。特に、制限なしのデスなんて魔王でも易々とクリアできるものじゃないはずだったし。それを手懐けるとか反則でしょう!? そんなのに有効な対策ってあるの!?」
「お、落ち着いてください! そうだ、例えば虫とかいっぱいの――いや、例のヤバい炎で浄化される……! あっ、そうだ! 可愛い物いっぱい用意しておけば――分体で対処されてしまう!」
彼らは私を何だと思っているのだろう?
とはいえ、ソフィアの言い分も分からなくはない。
他人の領域に勝手に踏み入るのは、場合によっては犯罪なのだ。
もっとも、踏み入られたくないのなら、表札なり看板なり出していてほしいところだけれど。
『じゃあ、うちにも「猛獣注意」って看板でも出しておこうか』
それは良いアイデアかもしれない。
竜とか魔王とかいろいろといるし、犬や狐の神族までいるので嘘にはならない。
「獣……なんて生温いものじゃないと思うけど」
「まあ、獣なんてピンキリですし、『神という名の獣』ってのもありなんじゃないですかね」
「ふおお! ユノさん、格好いい!」
なぜにみんな私の方を見ているのか……。
それに、どこに格好いい要素があるのか、リリーの感性もよく分からない。
私が絡めば何でも良く見えてしまう年頃なのだろうか?




