06 進化の弊害
その後も適当にふらふらしていると、町の方から定時を告げる鐘の音が聞こえてきた。
湯の川での労働は、基本的にフレックスタイム制というか、好きなときに好きなだけ働くスタイルが主流である。
なので、ただの時報と表現した方が正確か。
そもそも、仕事をしないのも自由だし。
今のところはそんな人はいないようだけれど。
なお、湯の川では、最低限の衣食住を保障する、ある種のベーシックインカムのような制度がある。
そして、労働で得た通貨で買える物は、町だけで生産、流通、消費できる一般的な物に限られている。
つまり、特産物というか、私関連のグッズは通貨ではほとんど買えない。
一応、神殿に寄付すれば、いくらかの貢献ポイント――私のグッズが買えるポイントに変換してもらえるものの、交換レートはとても低い。
なので、収入には拘らずに、好きなことを仕事にしている人が多い。
というか、その方が貢献ポイントの稼ぎが良かったりする。
そのせいか、「止めろ」と言わない限りずっと仕事をしている人もいたりするので、むしろ、充分な休息時間や休日を取ることを義務としている。
とはいえ、罰則が無いので有名無実化しているのだけれど、今のところは過労で倒れた人はいないので、機能していると思いたい。
とまあ、湯の川では時間に縛られることはほとんどないのだけれど、その数少ない例外のひとつが学園である。
種族ごと、昼行性、夜行性などの生態に配慮して、昼の部は9時から15時まで、夜の部は21時から翌3時までの二部構成。
この世界には「週」という単位がなくて、また、ひと月は30日と固定なので、土日は休みだとか五勤二休ではキリが悪い。
なので、三勤二休と、かなりゆとりのあるものになっている。
そもそも、現状では教師や講師の数が足りていないのだ。
それに、カリキュラムなども定まっていないので、これ以上はどうしようもないというのが実態である。
それでも、「よく学び、よく遊べ」という諺もあるし、詰め込むだけの教育よりはマシではないかと思うことにしている。
アルの息子のレオンくんのように、学園の勉強だけでは足りないと思っている子は、家庭教師をつけたり、私塾に通ったりもしているし、当面はこれで大丈夫だろう。
さておき、現在の湯の川の町は、非常に広大なものになっているのだけれど、学園はひとつだけ。
必然的に、通学に非常に時間のかかる子もいたりする。
なので、そんな子供たちのために寮を用意しているのだけれど、利用率はそう高くない。
うちのリリーも遠距離通学組なので、寮に部屋も用意してあるのだけれど、毎日片道50キロメートル近い距離を通っている。
半分以上はうちの庭だけれど。
なお、現在のリリーの能力なら、片道30分もあれば余裕らしい。
単純計算で時速100キロメートルということになる。
保険という概念がないこの世界では、リリーだけでなく、リリーに轢かれた人にも何の補償も無い。
これはなかなかの問題だと思う。
なので、「お城と学園を繋ぐポータルでも設けてはどうか」と提案したこともあるのだけれど、有事の際に、更にその情報が漏れていたときに、真っ先に襲われるのが学園だと指摘されては引き下がるを得なかった。
お城ならいくらでも襲ってくれて構わないのだけれど、子供たちを無用な危険に曝すのは避けなければならない。
実際に蠅の大魔王が侵入してきた事例もあるし、反省するべき点は反省して次に活かさなければならないのだ。
とはいえ、これは私だけの問題ではなく、町の人たちと協力して解決するべきことである。
何でもかんでも私が護っていては、彼らの成長に繋がらない。
たとえ釣り合っていなくても、ギブアンドテイクであるべきだと思う。
もっとも、蠅の大魔王の記憶を失くしている人が大半の中でも、学園周辺の警備が厳重になっているところを見ると、記憶は失くしても深層意識とかには変化があったのかもしれないけれど。
それでも、私としては、私目当ての侵入者には、直接私の所へ来れるような仕掛けを町の外にでも作ってもらいたかったのだけれど、
「さすがにそれは罠にしか思えないんじゃないか?」
「お主には様式美というものがまるで分っておらん。苦労に苦労を重ねて、ようやく辿り着くからこそ価値があるのじゃ」
「それでは俺たちの活躍の場がないではないですか! せめてチャンスをください!」
「それだと地獄への片道切符じゃない。よくそんな酷いことを思いつくわね」
などと、みんなからとても非難された。
私も好き好んで面倒事に首を突っ込みたいわけではないので、駄目なら駄目でいいのだけれど、そんな理由では釈然としない。
いつものように、リリーが事故を起こす前に城門まで移動しておく。
もちろん、リリーも充分に安全マージンを取っているとは思うけれど、お城にはリリー以上の能力を持っている人も多くいるので、リリーが注意していてもどうにもならないこともあるかもしれない。
それこそ、アルのような因果律干渉系となると、私以外には対処できないこともあるだろう。
そのアルに言わせれば、「曲がり角で、出会い頭に衝突したら恋が始まるもんだけど、リリーちゃんの場合はひとつの命が終わる。裁判だと、故意か未必の故意かが争点になる」とのこと。
何を言っているか分からなかったけれど、危険だという意見は一致しているらしい。
もちろん、そんな特殊な事故はそうそう起こるものではないけれど、城門までとはいえ私が迎えにきているという事実がリリーには嬉しいようで、今日も私の姿を見つけると、思いきり飛び込んできた。
それは大口径の艦砲射撃かと思うような威力で、普通の人なら木端微塵になっているところだ。
しかし、私はアザゼルさんのロボットたちとの戦いのようなものを経て、レベルアップした女子力――というか母性で、どんなものでも優しく受け止められるようになったので問題無い。
もう何を言っているのか自分でも分からないけれど、事実としてそうなっているので受け容れるしかない。
ところで、私が成長しないという話はどうなったのか――そもそも、これを成長といっていいものか、もう朔にも分からない。
「おかえりなさい。今日の学園はどうだった?」
文字どおり私に埋もれているリリーに、いつものように挨拶と質問を投げかけた。
「ただいま! 今日は魔法で料理を作る実習がありました!」
リリーもそれにいつものように満面の笑顔で答えた。
可愛い。
なお、「魔法で料理を作る」というのは、魔法で出した水や火などを使って調理をすることで、私のように何の脈絡もなく完成品を出すものではない。
いや、最終的な目標はそこかもしれない。
もしかすると、本当にできるようになるかもしれないので、余計なことは言わないでおく。
「でも、火加減が難しくて焦がしてばっかりで、ユノさんみたいに綺麗なキツネ色に焼けないんです」
リリーは、私と出会ってから一年弱という短期間に進化を繰り返して、そこらの魔王にも引けを取らない能力を得ている。
しかし、その反動か、大出力の魔法は行使できるものの、繊細な制御はあまり得意ではないそうだ。
古竜や神族の所見では、リリーの進化のペースがあまりに急激だったため、感覚がそれに追いついていないのではということらしい。
リリーの素質的には、慣れれば問題なく能力の加減ができるようになるだろうとも言っていたので、この料理実習というのは良い訓練になっているのだと思う。
「じゃあ、帰ったら厨房を借りて、一緒に練習でもしようか」
「はいっ!」
上手くできなくて少し悔しそうにしていたリリーに、そんな提案をしてみた。
リリーの性格なら、慰めたり励ましたりするより、一緒に練習に付き合ってあげる方が喜ぶだろうと思っての提案だったのだけれど、どうやら正解だったようだ。
とはいえ、私に普通の料理――というか、調理という過程は、システムのせいで難度が高い。
私の眷属である自動販売機たちにも不可能だろう。
例外としてはマザーがいるけれど、あの子はハードボイルド志向なので、半熟とか生に仕上げるのは不可能らしい。
それと、マザーも調理方法も一般的ではない。
例えば、何かを焼くときにも火を使わず、熱い視線とか情熱で焼く。
とても美味しいし、余分な油を使わないのでヘルシーなのだけれど、何かにつけてハードボイルドっぽいことを喋らなければ気が済まないところは胸焼けしそうになる。
余談だけれど、私が同じように熱い視線とか情熱を注ぐと、何も焼けないけれど人を狂わせる何かができる。
それを巡って古竜や神族がかなりガチめな喧嘩をしていたので、禁術指定されてしまった。
さておき、そのくらいはリリーにも分かっているはずで、技術的なことならホムンクルスたちから習えばいいし、私は傍で見守ってあげるだけでいいのだ。
ふたりして走ってお城に戻る。
もちろん、リリーは改めて言われなくても、帰ったらすぐに手洗いうがいするいい子である。
それから、「ふはは! ここは我ら、『夕飯前のコックさん』が占拠した!」と犯行声明を出して、厨房の一角を占拠した。
すると、ホムンクルスたちが手早く必要な道具や材料の用意をしてくれた。
実に平和である。
そうして、リリーとふたりでハンバーグのタネを捏ねる。
当然のように、飴色になるまで炒めた玉ねぎも入っているのだけれど、亜人に玉ねぎは大丈夫なのかと、今更ながらに気になった。
イヌとかネコのような小型の動物に、玉ねぎが有害なのは常識である。
まあ、より獣に近いレオナルドたち獣人も食べているし、それで体調を崩したという話は聞いていない。
きっと大丈夫なのだろう。
良い感じに捏ね上げたタネを適量手に取って、左右の手でキャッチボールをするような感じで空気を抜いてから、楕円形に成型して中央を少しだけ窪ませ、油を引いたフライパンの上に乗せる。
これといって特別なことはない作業だけれど、ふたりで一緒にやっているという事実が楽しいのか、リリーはご満悦の様子だ。
とはいえ、一緒にできるのはここまでである。
火の魔法を使っての料理の作成ということなので、いまだにシステム準拠の魔法が使えない私には、このタネを焼く手段がない。
正確には、太陽を創造するとか存在を焼く炎のような何かは出せるのだけれど、ハンバーグを焼く用途には向かない。
というか、どういう用途に向いているのか分からない。
ちなみに、私はごく最近にもハンバーグを創ったのだけれど、その時はバケツを振ったら出てきたので、火は使っていない。
むしろ、材料すら必要無く、バケツを振っただけで焼きたてのハンバーグが出てきたのだ。
なのに、材料を用意すると完成しない。
一応、魔法によらない火にかけるという手段もあるのだけれど、厨房でいきなり焚火を始めるとか、どう考えても放火魔――それが自宅ともなると、ただのヤバい人である。
それに、ここには料理用の魔法道具も各種揃っているけれど、例えばコンロのような物の火加減は使用者の魔力で行うので、私にはオンオフくらいしかできない。
いつか町の人たちが機械式の――あまり操作が難しくない道具でも作らないかと期待しているものの、今は新しい試みとか特殊な用途の物を作るのが流行りのようで、子供でも使えるような初歩的な物を作る人はいない。
もう一度禁術に挑戦しようかとも思ったけれど、リリーの邪魔はしたくないので止めておいた。
とにかく、今は私のことはどうでもいい。
リリーは、自身の身長ほどもある炎を出したり消したりと、火加減の調整に難航していた。
火属性はリリーの得意属性のひとつなので、最大火力の高さも、その制御にも、本来は適性があるはずである。
しかし、相手を倒すだけの戦闘ならともかく、料理のような繊細な火力調整は至難なのだろう。
「へえ、料理で魔法の威力調整の練習してるのか」
そんなところに、突然声をかけられると集中も乱れてしまう。
「あっ」
フライパンの上で「ボン」と小さな爆発が起きて、ハンバーグは木端微塵に吹き飛んでしまった。
私が何かをするまでもなく、特に被害は出なかったけれど、失敗してしまったリリーは残念そうに俯いてしまった。
「あ、ごめんごめん。邪魔しちゃったかな」
「『ごめん』じゃないよ。声をかけるにも、タイミングがあると思う」
大人しいリリーに代わって、悪びれた様子もないアルに抗議しておく。
「あー、そういうのをユノに言われると何か変な感じなんだけど……。っていうか、会議で大人しいと思ったら……。まあ、いいか。ごめんな、リリーちゃん。その歳で、そんな高等技術に手を出してるのに感心しちゃってさ」
「こ、こんにちは、アルフォンスさん。気にしてないので、大丈夫です。えと、やっぱり、これって難しいことなんですか?」
「こんにちは、リリーちゃん。そう、結構難しいよ。魔法が発動するギリギリのレベルでの魔力調整、魔法の維持、制御。大人でもできるのはひと握りかな」
『今の段階でやることじゃないとか?』
「そんなこともないと思うけど、優先順位としては低いかな? 極めれば継戦能力が段違いになるけど、魔力の上限を伸ばせるうちはそっちを優先した方がいい。若い時の方が伸び率が良いしね。それと、用途に合わせた魔法を覚えることかな。汎用魔法の威力や効果って、例えば『2D6』――6面体のサイコロを2個振って出た目の合計分の効果が出るみたいな感じで、どうしても下限って存在するんだ。そこに、更にパラメータや消費魔力、レベルの補正なんかがかかる。だから、リリーちゃんの適性とレベルだと、《発火》の魔法じゃ料理が作れるような火力にはならないと思う」
『なるほど。じゃあ、講師の教え方が悪かったのかな』
「いや、リリーちゃんが特殊な例だと思うし、それは酷なんじゃないかな。よっぽどの適性とレベルがないとこんな悩みは持たないだろうし、そもそも、普通はそこまでのレベルになった奴が、自分で――しかも、魔法使って料理や雑用なんてしないしな」
「つまり、リリーは特殊なケースで、一般的な指導内容では対応できないってこと?」
「火属性魔法とか、特定分野だけだと思うけど。能力は高くてもやっぱり経験が足りないから、学園の先生たちにも教えられるものはいろいろとあるさ。学園で無理なところは周りの大人が補うしかないけど、ミーティアさんとかソフィアさんとか、頼れる人はいるだろ。もちろん、俺も教えられることがあれば何でも教えるよ」
「あの、ありがとうございます。でも、いいんですか?」
「いいって何が? ――ああ、レオンのことなら、必要な時期になったら教えるつもりだし、リリーちゃんに教えることで、王国での俺の立場が――っていうなら今更だよね。ここには保身を図ったところでどうにもならない人が多すぎるからなあ……。だったら、見えない敵に怯えてるより、味方を作った方が建設的でしょ」
アルのそういう前向きなところは非常に好感が持てる。
古竜や神族悪魔からも高い評価を得ているのは、そういうところなのだろう。
まさかとは思うけれど、本当に莫迦な商品開発能力の方ではないはずだ。
「それで、リリーちゃんくらいの能力で、魔法で料理となると――《発火》より弱い魔法に《火花》があるけど、あの宴会芸は料理には不向きすぎる。オリジナルの魔法を創るのもひとつの手なんだけど、学園以外で使い道のない魔法を創るのも無駄すぎる。だから、《発火》の魔法と、フライパンの間に熱を遮断する結界を張る――と、こんな風に」
アルが少し得意気な感じで、明らかに料理には不向きな熱量の火の玉と、その上部に半透明の薄い板状の結界をほぼ同時に出現させた。
そして、その結界の上にハンバーグのタネを乗せたフライパンを置いて、焦げない――というか、一瞬で炭化しないことを証明して見せた。
「すごいです! でも、リリー、違う属性の多重行使できません……」
魔法の使えない私には、それがどういうレベルの技術なのかは分からないけれど、リリーの反応を見るに結構な高等技術のようだ。
「同属性のならできるんだよね? 同属性ならいくつできる?」
「みっつです」
「だったら、2属性まではできるよ。最初は難しいけど、慣れ次第。それに、これを習得できれば、できることの範囲が一気に広がるし、魔法系のスキル全般の良い訓練にもなるよ。まずは――」
リリーが目を輝かせてアルの講義に耳を傾けている。
リリーのスキルアップのためには良いことのはずで、アルの多芸さにも賞賛と感謝をするべきところだろう。
しかし、なぜか置いて行かれたような感じがして、少しだけ寂しさを覚える。
この感情は何だろう。
娘を嫁にやる父親の気持ち?
違うかな?
リリーが困っている時に力になれなかったを不甲斐ないと感じているのかな?
うーん、それも間違いではないけれど、それだけでもないような?
何にしても、リリーの成長の妨げになるのは本意ではないし、ここは大人しくしておこうか。
とはいえ、このままというのも面白くないので、もう少し領域――本当の魔法の使い方を教えられるように何か考えてみようか。
差し当たっては、ルナさんたちを実験た――いや、彼女たちの訓練を見てあげる過程で何か得られるものがあればいいのだけれど。
 




