36 愉快湯~かい
アイリスはホーリー教の巫女である。
彼女は、彼女の信仰する、愛と豊穣を司る女神の巫女に相応しい容姿と能力を兼ね備えていた。
彼女のたわわに実ったふたつの実は豊穣と母性を感じさせ、様々な愛の形を肯定する心の広さは、正に聖女と呼ぶに相応しい。
そんなアイリスの愛の向かう先は、この世に舞い降りた天然系邪神ユノである。
アイリスの愛の形は攻撃的である。
これもまた、ホーリー教では是とされるものだ。
幾重にも愛という名の罠を張り巡らせ、気づかれる前に愛という名の先制攻撃を加えて、愛の物量で一気に制圧する。
当然、勝利の後の愛の統治にも抜かりはない。
ホーリー教では、「愛」と銘打っておけば、大抵のことは許されるのだ。
無論、ユノが初恋だったアイリスにとって、それらは机上の空論である。
そして、それらが未遂に終わっているのは、ユノが相手だからであるところが大きい。
もし彼女がユノと出会っていなければ、その過剰とも過激ともいえる愛で絡め捕られる男性がいたのかもしれない。
アイリスは、あの手この手でユノに迫っていたが、恋愛感情に疎く、性的衝動も薄いユノには効果が薄かった。
当然、それを逆手に取って、スキンシップからの既成事実の作成を狙ったが、ことごとく失敗していた。
その準備の段階で、ユノを気持ちよくさせようにも、愛撫している自身の方が先に限界を迎えてしまうのだ。
なお、アイリスだけではなく、ほかの誰もが知らないことだが、ロメリア王家にはサキュバスの血が紛れ込んでいる。
そして、時折、その特性を強く受け継ぐ「先祖返り」とでもいうような子供が生まれている。
そんな先祖返り、若しくはサキュバス混じりとでもいうようなアイリスが、ユノと性的な行為に及ぼうと彼女に触れて、無事でいられるはずがない。
普通の男性が相手であれば、夜ごとに絞り尽くしていたであろう才能も、ユノという尽きぬ泉の前には溺れてしまうだけである。
蛇の交尾のように執拗に絡みつけば絡みついただけ、ユノから出る良質で淫靡な(※アイリスの個人的な感想です)特濃魔素に犯される。
生物的本能を刺激してくる魅惑の突起にむしゃぶりつけば、これまた良質で淫靡な(※アイリスの個人的な感想です)特濃魔素がたっぷり入った酒やソフトドリンクが楽しめる。
それらを味わうことは、通常の性行為で得られる以上の快楽である。
あまりの負荷に心停止しそうなほどの絶頂と回復を同時に幾度となく与えられ、「生」と「死」の根源的意味を垣間見られるような感覚は、人間――神魔であっても耐えられるものではない。
ゆえに、神魔をも屈服させるレベルのアイリスの天賦の才をもってしても、本番に至る前にパンクしてしまうのだ。
だからといって、手順を飛ばして無理矢理事に及ぼうとしても、その気になっていない彼女の防御力を正面突破することは難しい。
それに、ユノも、初めては雰囲気くらいは作ってほしいと思っているようで、愛する妻の願いには応えたいというのがアイリスの漢気である。
しかし、それは人の身で神に挑む行為にほかならない。
たかが膜一枚に思えるかもしれないが、それは世界を隔てる壁であり、意志や欲望の強さを試されるものである。
死ぬ気の努力程度で簡単に乗り越えられるものではないのだ。
それでも、「神を生かすのも殺すのも人間の特権だと思うよ」というユノの言葉を糧に、「しようがないなあ」という表情ながらもセクハラをも許容してくれる彼女の愛に優しく包まれながら、アイリスは日々努力を重ねていた。
ユノとしても、頑張るアイリスを見るのは楽しみであり、多少困惑しながらも、攻略されるなら、それはそれで構わなかった。
当然、それはアイリスが欲望以外にも努力していることを知っていたからで、アーサーやほかの古竜のような、欲望だけが先行している者にまで許すつもりはない。
もっとも、その判断基準は曖昧で、はっきりいってしまうとユノの好みの問題なのだが、それはまた別の話である。
アイリスには、ユノが最も心と身体を許しているのは彼女自身だという自負があった。
当然、アルフォンスやミーティア、他にも城に住む者の大半がユノを狙っていることに危機感を抱いていたが、ほぼ無制限に分体を出せるユノを独占することは、事実として不可能である。
それでも、常にひとりは側にいてくれるだけでも、恵まれている証拠だと認識していた。
魔界でのユノとふたりきりのイチャイチャ生活は、アイリスにとって天国だった。
しかし、ユノはそこ以外でも活動していて、まず間違いなく誰かを魅了して回っている。
アイリスの監視下でも、リディアやコレットやルイスにほか大勢を誑かしているのだ。
ユノが可愛すぎるのが問題で、どうしようもないこととはいえ、面白くはない。
そう考えると、どうしようもないと分かっていても嫉妬の炎が燃え上がり、より一層、確かな繋がりが欲しくなる。
ユノの心も身体も自分だけのものにしたい。
不可能に近いと分かっていても、諦めるつもりは更々なかった。
そのために、アイリスは手段を選ばない。
とはいえ、ユノの言葉を信じると、神を攻略するためには人間であり続けなければならない。
朔からも、直接的ではないが、アドバイスを受けている。
アイリスは、本当に欲しいもののためなら、それ以外の全てを捨てる覚悟はできていた。
しかし、捨てるだけで手に入るほどユノは安くない。
そして、朔からは、『何かを捨てて手に入るのは、捨てたものに等しいものだけじゃないかな。アルフォンスみたいに、何も捨てられずに雁字搦めになっているのも問題だけど、アイリスはもっと欲張っていいんじゃない?』と、否定的な言葉を貰っている。
実際のところ、この世界での神を殺すくらいであれば、アイリスやアルフォンスのやり方でも可能性はあった。
ユノを相手にでも、同じように傷付けることはできるが、かつてアルフォンスがユノの心臓を貫いたように、それはユノの本質に影響を与えるものではない。
人間に例えれば、「呼吸すれば純潔を失うか?」というような、ズレたものである。
呼吸が飲食になったところで問題は変わらず、方向性が違うとしかいいようがない。
だからといって、どうすればいいのかは朔にも分からない。
アイリスも、朔のアドバイスなどで、おおよそのニュアンスは把握していて、それで満足するつもりはなかったが、彼女たちの考える「神殺し」も非常に難度の高いことである。
同時に、目標として分かりやすいものでもあり、何よりそういった欲望が抑えられない。
それをなくして何が人間か。
そんな慎ましい性格なら、ホーリー教の巫女になどなっていない。
それに、今より高いところからなら新たな景色が見えるのではという期待もあり、ひとまずはその高みを目指していた。
しかし、アイリスがいかに強い意志と高い意識、更に並外れた行動力を持っていたとしても、年頃の女性であることは変えようがない。
特に、ユノのことになると、刹那の感情に流されてしまうこともしばしばあった。
ここでの聖属性マッサージもそのひとつで、「私のユノにベタベタと触るな!」という嫉妬から出た咄嗟の出まかせから、余計な手間を抱え込むことになったりもしている。
当然、共同生活の中では、ベッドでユノにアタックすることも適わない。
(これでは避難しなかった方がよかったのかもしれません。ですが、私ひとり残るのはさすがに不自然ですし、私の知らないところでユノにセクハラされているとなると、やはり捨ててはおけません)
などと、何度も同じ自問自答を繰り返し、フラストレーションを溜めていた。
「ところで、コレットは一緒ではなかったのですか?」
ルイスがユノの何ひとつ隠さない態度と、自身の魔王様を目の当たりにされても拒絶されない寛容さに快楽とバブみを感じていたところ、ユノの口から、この場にいた誰もが忘れていた人の名が挙げられた。
それぞれ、彼女の裸体を目と記憶に焼きつけようと、又はあれこれいたす妄想に、今日の晩御飯は何だろうという期待にいっぱいであり、他者のことにまで気が回らなかったのだ。
とはいえ、ユノも興味が無いことはすぐに忘れてしまう性質で、そもそも興味が無ければ話も聞かないこともあって、それを責めたりはしない。
「ママ、あ? コレット? 知らんが」
ママの口からほかの子供の名前が挙がるのは面白くなかったルイスだが、それを表に出すことなく素直に答えた。
「そっ、そんなことより! せっかくだから、よしよし――いや、おっぱお背中を流してくれないか!?」
ユノにとってコレットは「そんなこと」ではなかったが、ルイスの鬼気迫るとでもいうような雰囲気と噛みまくりの言葉に気を取られた。
「いつも何を置いてもユノの所に来るコレットがいないのはおかしいですね。何かがあったのかもしれませんし、私が捜してきます」
そこでアイリスが声を上げた。
当然、コレットを捜しに行くというのは単なる名目である。
真の狙いは、ユノとルイスの接触を邪魔することにあった。
こう言えば、コレットを気にかけている――子供大好きユノとしては、人任せにはできないだろうという判断だ。
「あ、じゃあ、私も。お背中を流すのは、またの機会ということで」
そして、アイリスの読みどおり、ユノも彼女に追従した。
ユノにとってはルイスの背中を流すことには興味が無いので、当然の判断である。
その際、これをお願いしますと言わんばかりに、ユノは脇に抱えていたルナをルイスに手渡した。
「ああ、そういうことなら俺も手伝おう。手分けして捜せばすぐに見つかるだろう」
しかし、ルイスもユノのいない風呂には興味が無かった。
断られたことには少なからずショックを受けていたが、それより次の機会があるという、普通に考えればただのリップサービスに舞い上がっていた。
それに、もし彼の望みである幼児(※お腹減ったよう&お股が腫れちゃったよう)プレイのチャンスがあったとして、実母や嫁の前での実行はさすがにハードルが高い。
しかし、時間を置けば置くほど彼女たちが風呂から上がって、特殊浴場(※スーパー銭湯やスポーツジムなどに併設されている浴場なども「特殊公衆浴場」、略して「特殊浴場」といいます)化している可能性も高くなるのだ。
これでは「手伝わない」という選択肢は存在しない。
ユノに正常な思考能力を破壊された者の考えることなど、大体がこんなものである。
後で思い出して、恥ずかしくなって転げ回れるくらいなら、まだ正常なのだ。
ルイスは受け取ったルナを脇にポイと投げ捨てると、いそいそと服を着始めた。
◇◇◇
コレットの捜索は、ユノとアイリスとルイスの3人だけで行われた。
必要以上に人数を費やしても、コレットにプレッシャーを与えてしまうだけだという判断である。
その理屈でいくと、ルイスが参加している時点でアウトなのだが、魔界の最高責任者である彼の決定に逆らえる者はいなかった。
とはいえ、イングリッドとエヴァはルイスの見せた成長振りに万感の思いで、ルナはユノ酔いでグロッキーで、ジュディスはその介抱に、エカテリーナは夕食の摘まみ食いに、リディアは風呂の残り湯の採取(※研究用)にと、それぞれに事情があったために大きな反論は出なかった。
また、少し捜せばすぐに見つかるだろうと、誰もが思っていたことも大きい。
ユノですらそういう感覚だったため、各人のプライバシーに配慮して領域を展開したりすることなく、己の五感のみで捜索していた。
もっとも、ユノの認識能力はバケツを被っていても、障害物越しに通る視覚や、遠く離れた人や動物の心音を聞き分けたり、感触を確かめたりもできる。
さらに、その膨大な情報を余さず収集、分析もできる。
それを五感という言葉で片付けられるのかはまた別の話である。
この時点で、これが事件であると認識している者は皆無であった。




