33 疎開
――ユノ視点――
デネブ討伐から5日が過ぎた。
残念ながら何事もなくとはいかず、巷では「教会関係者がデスに襲われている」という噂で持ち切りである。
もちろん、そのデスとはアドンのことだ。
アドンも、事に及ぶ際には、姿を見えなくする魔法を使っているし、細心とまではいえないまでも注意を払っているし、目撃者は残さないようにしていたとも供述している。
それでも、目には見えなくても存在している限り、それを感じ取る勘の鋭い人もいたりする。
彼より上手く消えられる私でも見つかることがあるので、彼がそうなるのも無理もないのだろう。
とにかく、経緯はどうあれ、アドンは見られたことに気づきながらも、私の眷属としての自覚とやらで、無関係の――特に子供の口封じはできなかったのだとか。
いつ使い魔から眷属になったのか。
油断も隙も無いな。
さておき、そんなことで子供を脅すとか殺すなど論外なので、それは構わない。
とはいえ、それによって発生する不都合には対処しなくてはならない。
デスが人を襲って命を奪うのはともかく、商人を狙い撃ちして金品を強奪するというのはどう考えてもおかしい。
普通に考えれば、誰かが使役しているのだと考えるだろう。
なので、襲撃対象を似非聖職者にも拡大したというわけだ。
デスが聖職者を襲うのは、自然の摂理ともいえること。
……そうなの?
本人がそう言うならそうなのか?
とにかく、そこから私に繋がる要素は一切ない。
ただ、五人ほど殺したところで警戒が厳重になってしまったので、一時様子見することになった。
警戒されたから不可能というわけではないそうだけれど、そもそも、殺すこと自体が目的ではない。
これが詐欺被害の自力救済だと気づかせないための目くらましでしかないので、あまり派手なことをするつもりは無い。
強行突破などもってのほかである。
ということで、ほとぼりが冷めるのを待たなければならなくなった。
すぐにとはいかないかもしれないけれど、時間を置けば日常に戻るはずである。
少なくとも、教会周辺は私たちの日常に大して影響がないはずなので、ひとまずこの件はこれで終わりだろう。
そう思っていたのだけれど、教会の腐敗問題を調査していた体制派が、この騒ぎに便乗した。
教会内では、「教会関係者がデスに襲われて、実際に何名かが殺されている」件については緘口令が敷かれていたのだけれど、体制派は当然のようにその事実を把握していて、噂という形でそれを広めていた。
そして、その噂に対して、教会が神を冒涜――食い物にしているからだと声明を出して、公式に批判を始めたのだ。
これもある種のマッチポンプだろうか。
当然、教会側は反発した。
デスの仕業に見せかけて教会関係者を襲っているのは体制派であり、教会を弱体化させて実権を握るつもりなのだとして、逆に体制派を非難した。
しかし、体制派から「公の場で真偽を明らかにしよう」という提案を受けると、一気にトーンが下がった。
体制派には嘘を見抜く黄竜や、今回の件の発端となった私がこちら側にいることにも気づいているからだろう。
特に、後者には対抗策がない。
竜眼には方便だとか逆切れという凌ぎ方も、妙手どころか悪手ではあるものの存在する。
完全に嘘にはならないような受け答えをするとか、コウチンさんが嘘を見抜けるのと真実を口に出すことが結びついていないとか。
もっとも、古竜を相手に舐めたまねをすれば、「うるさい、死ね」となる可能性も高い。
それはそれで、先に手を出した古竜の負けなのだけれど、生贄を用意して話題をすり替えるという意味では有効かもしれない。
ただし、私に対しては、「ユノ以上の奇跡を用意してみろ」と言うだけで終わってしまう。
それができるなら、こんな状況には陥っていないのだから。
さらに、私にはそんなつもりはないのだけれど、デネブ討伐に貢献したという実績もあるし、乳酸菌の説得力も格が違う。
というか、後者は比較してはいけないものだ。
なので、何をやっても悪者になるのは彼らの方になる――と、朔が教えてくれた。
教会としてはまともに戦えば必ず負けるけれど、逃げても求心力を失う。
そして、種族的な問題で、デスに有効な聖属性の使い手がいない彼らは、デスが怖くて怖くて仕方がないと、八方塞がりな状況なのだとか。
どうでもいいことなのだけれど、デネブは魔力量だけは膨大だったものの、行動パターンは単調で、駆け引きもなければ合理的な思考もしないのため、戦闘ではミスがあってもリカバリーが効きやすい。
つまり、脅威度としてはデスの方が上なのだとアドンが力説していた。
私からすると、どちらも理不尽で、どちらも大差なかったけれど。
例えるなら、野球中継などをテレビで見ながら「俺の方が上手くやる」と監督や選手批判をしている素人のようなものかもしれない。
それとも、「俺の方がもっと美味しいお米が作れる」と勘違いしている勇者とか。
その基準でいうと、ルイスさんもアドンやデネブに近いレベルで厄介らしいのだけれど、耐性の差というどうしようもない問題が存在しているため、不利は覆らないのだそうだ。
とはいえ、アドンも日中は能力が落ちるそうだし、デネブも頭の悪さが致命的なので、やはり団栗の背比べなのかもしれない。
さておき、世間的には、デネブと同時期にデスまで出てきてさあ大変といったところ。
体制派は、これらを結びつけて「全ては教会が度を超えて神を冒涜していたことが原因だ」と難癖をつけて、魔界では彼らに次ぐ勢力である教会の力を殺ごうとしているのだ。
つまり、教会の「言いがかりだ」という言い分も、あながち間違いではない。
だからといって状況は変わらないけれど。
本来なら、教会側も、信徒を扇動したり、自らの武力でもって抵抗するところだけれど、デスに襲われている件だけで手一杯で、体制派の相手まではしていられない。
体制派にしても、戦力的には勝っているとはいえ、総力戦になってしまうと自分たちも被害を受けるし、それを好機と見たほかの勢力が乱入してくる可能性もあるので、できれば戦闘まではしたくない。
なので、こういった武力を使わずに敵性勢力の力を殺げる機会は貴重なのだろう。
特に、今は辺境の方も大人しいしね。
そうして、物理的な攻撃ではなく離間工作に終始しているのは、私の話を素直に受け止めているからのようだ。
体制派における「外界進出」という目標は変わっていないようだけれど、「とにかく出てしまえば何とかなる」という方針は駄目だと認識した。
そして、まずは初代大魔王のように魔界を統一することを優先して、その後の百年計画で魔界を綺麗にするつもりらしい。
それにも力が必要なのは頭が痛いところだけれど、ひとまず、女神教は多くの信者の信仰を失って、内部も離反が相次いでいるそうなので、完全に崩壊しない程度に切り崩すのだとか。
辺境の方は、教会が片付いてからのことで、百年計画とやらも名前だけで、ほぼほぼノープランのようだ。
そもそも、デネブを斃したという実績も、その危険に曝されたことのない地域には共感できるところはないだろうし、斃したという実績も同様だろう。
辺境で必要以上の争いを止めろと言われても、それは「死ね」と言われるのと同義な人もいることを考えると、一筋縄ではいかないことも予想できる。
どうにもならなそうなら、効果のほどは怪しいけれど、場合によっては何度かアドンを派遣してあげれば危機感も出てくるかもしれない。
しかし、私がアナスタシアさんから認められている権利は魔界を滅ぼすことだけ。
手助けしろとは言われていなかったように思うし、今更言われても聞くつもりもない。
主神とのコネクションができた今、彼女の出せる餌に釣られることもないのだ。
そもそも、魔界の結界の動力がもう彼女の半身ではなくなっているので、彼女が魔界に接近しても結界が不安定になるようなこともない。
やりたいなら自分でやればいいと思う。
◇◇◇
それから更に半月ほどが過ぎた。
様々な調査の結果、教会関係者を襲ったデスが特殊個体だということが判明したらしく、教会が白旗を上げた。
何をもって特殊なのか、特殊だとどう困るのかは定かではないけれど、一部の楽観主義者や狂信者以外は、全面的に非を認める代わりに保護してほしいと申出てきたらしい。
彼らの知る限り、デスに対抗できそうなのがルイスさん以外にいなかったので、背に腹は代えられなかったのだろう。
なお、もうひとりの対抗馬――というか、実力的に頭ひとつ抜け出ている(※アドン評)コウチンさんは、「捜さないでください」との書き置きを残して失踪していた。
彼の求める女神ヘラは、魔界どころかこの世界にはいないのだけれど、その成れの果てであるアナスタシアさんに会うにも、魔界の外に出なければならない。
もっとも、彼も後者の方は知らないはずだけれど、魔界の外に可能性を求めるにしても、魔界の瘴気問題に解決の目処が立つ百年ほどは彼も大人しくしていなければならない。
そもそも、ヘラ神の作った結界は、力の強い人ほど出入りが難しい設計になっているそうで、古竜や大魔王といった存在がホイホイ出入りできないのだとか。
今はシステムの管理権を持っている神や悪魔くらいしか出入りできないけれど。
さておき、例外としては、存在を忘れられたハエの大魔王がいる――古竜と比べると格段に落ちるような気がするけれど、とにかく、彼が外界に出られたのは、百年に一度くらいの頻度で起きるシステムのバグだったらしい。
この世界、バグが多すぎる。
というか、主神たちが創ったこの世界は、バグを含めてのものなのだと素直に受け止めた方が、精神的に楽になる気がしてきた。
とにかく、生きる目的とか、現体制派との連携の意味を見失ってしまっのか、コウチンさんは姿を消した。
捜そうにも、今の体制派には人手が足りない。
そもそも、コウチンさんのことは機密扱いなため、その存在を知っているのは上層部のごく一部だけである。
なので、とりあえず手の空いている人に捜させるということもできない。
そんな状況の中、デスが現れた場合に備えて、イングリッドさんたち非戦闘員に避難命令が出た。
正確には、イングリッドさんもそこいらの兵士よりも遥かに強いのだけれど、一般の兵士のように、戦うことが役割ではないという意味での非戦闘員扱いだ。
そして、なぜか私も非戦闘員に含まれていた。
確かに、私の仕事は戦うことではない――いや、生きること自体が戦いなのかもしれないけれど、今回はもちろんそういう意味ではない。
そもそも、戦士とは戦う力がある人のことではなく、戦う意志がある人のことを指すのだ。
義務とは能力において発生するのではなく、その意志に対して発生するべきものなのだ。
それはさておき、何だかよく分からないけれど、彼らには彼らなりの矜持のようなものがあるのだろう。
私としては、そういう前向きなやる気は素晴らしいと思う反面、アドン撃退を手伝えば疑われることもなくなるという、自作自演ができないのも残念なところである。
そんな事情から、思いがけず魔王城を離れることになったのだけれど、もちろん避難先は彼らの管理下にある別荘である。
とはいえ、やはり魔界基準のものなので、レジャー施設というよりは、小規模な砦といったほうが正確かもしれない。
それでも、砦のすぐ近くには大きな湖があったり、温泉が湧いていたりするあたりは、一応は別荘なのかもしれない。
そこに避難してきたのは、イングリッドさんやエヴァさんといったお偉いさんの身内の方々と、そのお世話をするメイドさんたち。
幼い子供を除けば女性が多いこともあって、護衛の兵士にも女性が多い。
そして、なぜかその中には、アイリス、ルナさん、ジュディスさん、コレット、駄犬ズの姿もあった。
ルイスさんたちの、私に対する配慮かと思いきや、どうやらコネを使って護衛募集の情報を掴んだリディアが、私と縁のある人たちを誘って志願しただけらしい。
アイリスにとっては不本意な展開だったようだけれど、ルナさんが動くなら合わせるほかなかったのだろう。
それに、ルイスさんが元日本人だろうというのも伝えているので、そのあたりを確認したいとも考えているようだ。
さらに、リディアが誘ったわけではないらしいのだけれど、トライさんとそのお弟子さんたちまでいた。
ルナさんが誘ったのだろうか。
というか、トライさんは結構な有名人らしくて、ルイスさんの師匠のひとりでもあるそうだ。
魔界の人事は公私混同が激しいようだ。
さておき、トライさんたちにどういう思惑があってのことかは分からないけれど、私に興味があるのは間違いないようで、死角からチラチラと視線が向けられているのを感じる。
気配を消していてバレていないつもりなのかもしれないけれど、バケツを被ったまま普通に生活できる人に、物理的な死角があると思っているのだろうか?
というか、傍目にはかなり危ない人に見えていると思う。
それよりも、ほかにも見知らぬ人が結構いて、そのあたりの説明は一切なかった。
要人護衛という意味ではどうかとも思うのだけれど、それだけ人手不足ということなのかもしれない。
とはいえ、そのあたりはみんな充分に分かっているようなので、改めて私が指摘することでもない。
せっかくなので、今回は大人しくみんなに守られていようと思う。




